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りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

勲八等白色桐葉章。

2025-06-06 | 家族
先日、部屋の棚を整理していたら、これが出てきた。



手のひらサイズの小箱。

ここにあったのか。
憶えている・・・というよりも思い出した。
今から15年以上前、母方の祖母から譲り受けたモノだ。

「おじいちゃんのモノじゃけど、アンタにあげる」

祖母はワタシにそう言って譲ってくれた。
しかし、それから間もなくして祖母は鬼籍に入ってしまい、以来、ワタシ自身もこの小箱のことはすっかり忘れていた。
だから、この小箱の詳細については、今まで何も知らないまま時間だけが過ぎてしまった。

象形文字のような漢字が記された蓋を開けてみた。



見方によっては、バッジや許可証のようにも見えないこともない。

祖母からこれを譲り受けた頃にはまだ所有していなかったスマホで、試しに調べてみる。
そうしたら、案外すぐに小箱の正体にたどり着いた。


勲八等白色桐葉章。


Google AIの概要より→明治8年(1875年)に制定された日本初の勲章の一つで、旭日章の最下級に当たる勲章です。主に国家または公共に対して勲績のある者に授与されていました。本体部分は銀製で、五三の桐の形をしています。現在は廃止されています。


ほぉ・・・ホンモノの勲章だったのか。


もう少し調べてみると、この勲章の詳細が分かってきた。

旭日章は、勲一等から勲八等まで区分されており、〈勲八等白色桐葉章〉は章としては一番低いもので、基本的には軍人全般、軍務経験がある人に授与される勲章なのだそうだ。



          ◆



戦時中、祖父が戦地に赴いていたことは知っていた。
召集されて大陸へ向かったそうなのだが、終戦はフィリピンの密林で迎えたという。
その後、捕虜として捕えられた挙句に、どのような罪なのかはまったく分からないが、戦犯として東京の巣鴨プリズンに収容されてしまった。
そんな祖父が昭和19年生まれの母と初めて会ったのは、祖母が幼い母をおんぶして遠路はるばる広島から巣鴨プリズンまで面会に行った時だった・・・という話を、祖父の死後、祖母や母から聞いた。

この話を、祖父が自らワタシに話すことなど、一度もなかった。

きっと安易には話せなかったのだろうし、それ以前に、可愛い孫に話す必要など、祖父には露ほどもなかったのだろう(ワタシは祖父の初孫だったから、そう信じたい😅)

とにかく、今ワタシの手元にあるこの勲章は、そんな壮絶な体験を乗り越えた祖父が、お国からいただいた僅かばかりの労いの品だったわけだ。



          ◆



もう一度、スマホで調べてみる。

すると、けっこうな数の勲八等白色桐葉章がオークションやフリマサイトに出品されていることが分かった。

どのような経緯で出品されたのかは分からないけれど、おそらく元々は祖父のような人の手元にあった勲章なのだろう。

何て罰当たりなことを・・・と憤慨しながらも、念のため値段も確認した(笑)

なるほど。
八等といえども、そこはやはり勲章。
それなりの価格でやり取りはされているようだ。

祖母がこの勲章を譲ってくれた時、「アンタの好きなようにしなしゃあ」という言葉も一緒にもらった。

ワタシがもっと若かったら、その言葉を都合よく曲解して、それこそ安易にネットの世界に放り込んでいたかも知れない。

しかし残念ながら、ワタシももう50代半ば。

運命と偶然と必然がどのように絡み合って、今ワタシがこの世に存在しているのかは、自分なりに理解しているつもり。

好きなようにしていいのなら、これからも大切に持っておく以外には選択肢はないだろ。

なぁ、おじいちゃん。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (hirohiro200100)
2025-06-07 10:38:32
貴重なお話
有難うございます。
ひろひろ✌️🙆
返信する
Unknown (りきる)
2025-06-07 16:43:41
ひろひろさん、こんにちは。
人に歴史あり、家族にも歴史あり、ですね😊
大事にしたいと思います😊
返信する

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