goo blog サービス終了のお知らせ 

りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

さよなら、gooブログ。

2025-08-08 | Weblog
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今日、ブログを立ち上げました。

ほとんど、思いつき&勢い(笑)

でも、生きていく上で一番大事なものかも。

何を書くか。いつ書くか。

まったく考えてませんが、
ま、そんなわけで、よろしく

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2008年6月18日。

上記の投稿からはじまった、このブログ「りきる徒然草」。

長きに渡って続けてきたけれども、今日をもって投稿を終えることを決めた。



          ◆



今春、突然届いたgooブログ終了の通知。

あまりの青天の霹靂に、自分なりに考えあぐねてはみたものの、なかなか答えを出せないまま4ヶ月が過ぎた。

そうこうしているうちに、来月にはアプリからの投稿が中止になるとの通知が。

そして、10月には新規の記事投稿も終了になり、最終的には11月18日にサイト自体が閉鎖される予定とのこと。

問答無用かつ、絵に描いたような無慈悲(笑)

とにかくそんな感じで少しずつ外堀を埋められていくような状況の中で、やっとこさワタシのケツにも火がついた。

決めた。

まずは、このgooブログを終わりにしよう。



          ◆



このブログをはじめた時、ワタシはまだギリギリ30代だった。

社会に出てから20年近くが経ち、広告のデザインが生業といえども、日々の仕事でコピーライティングをすることも珍しくない毎日を過ごしていた。

一方、プライベートでは家庭を持って10年目の頃。
10代や20代の時と比べて、人生の〈質量〉が明らかに変わったことを、ようやく自身でも受け入れはじめた頃だった。

当時は、〈ブログ〉がひとつの文化のごとく持て囃されていた記憶がある。

これはコピーライティングの鍛錬になるかも知れないし、日々の生活の備忘録にもなるかも知れない・・・いっちょ、やってみるか。

そんな感じで、ブログをはじめた。



          ◆



以来、17年と2ヶ月。

自分で言うのもなんだけど・・・この飽きっぽい人間が、よくもまぁ、ここまで続けてこられたもんだ(笑)

その理由をあれこれ考えてもあまり意味がないような気がするけれど、文章を書くことは子どもの頃から嫌いではなかったし、何よりも〈ブログ〉というメディアとワタシの相性が良かったからなのだと思う。



          ◆



さて、これからどうするか。

極論を言えば、ブログを書かなくても生きてはいける。

しかし、ブログを書くことによって見つけたものや気づいたことが少なからずあったことも事実。

それにこの17年余りの間に、少しは文章も上達したんじゃないか、と自負もしているし(笑)

斜陽化が指摘されて久しいブログ文化。

仮に絶滅危惧種だとしても、それでもまだ〈ブログ〉というフォーマットがこの世にあるのならば、またどこか場所を変えて続けていこうか・・・と今は考えています。

世界の隅っこであるけれども、ちゃんと自発呼吸をしている、ささやかな証として。

ではでは、またその時まで。

さようなら、gooブログ。
17年間、ありがとう。

〈著者近影〉
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ワタシは、ドS。

2025-07-11 | 健康
何着か黒いTシャツを持っている。

これからの季節、頻繁に身に着けることになるのだけど、この前タンスの中から出してみたら、それらが軒並み色褪せていた。

経年劣化もあるだろうが、何も考えずに炎天下で干し続けたことも原因だったのだろう。
肩や首周りが錆色になっていた(笑)

そんなわけで、今日、仕事帰りに一着買って帰った。




何の変哲もない、黒Tシャツ。

パッと見、今まで着ていた黒Tシャツと何ら変わりない。

しかし今回購入したこの黒Tシャツは、今まで着ていた黒Tシャツとはちょっと違う。

いや、〈ちょっと〉どころではない。

かなり違う。まったく違う。

それは、素材のことではなく。

金額のことでもなく。

驚くことなかれ、この黒いTシャツはナント・・・










     〈Sサイズ〉なのである❗️








最初に手にした時は自分でも半信半疑だったのだけど、もしかしたら着れるかも・・・と直感したので、思い切ってTシャツ片手にレジへ向かった。

帰宅して、さっそく着てみた。





        ピッタリ✌️





少しだけ丈が短い気もするが、肝心な肩周りや腹回りは、十二分に余裕あり👌


本格的に減量をはじめて、1年。

いやー、ついにここまで来たか。

BMI的には、もうとっくの昔に標準体重に達しているので、もうここら辺で減量をやめても良いのだけど、人間という生き物はどんなものにも〈欲〉というモノがあるのか、

〈ここまで出来たのなら、もう少し、もう少し・・・〉

・・・といまだに減量を続けている次第😅

具体的には、あと2kgダウンしたいのです。

もしもそこまで行ければ、記憶にある限り、大人になって以降で最も軽い体重になる。

もう落とす贅肉も多くないから、急激に痩せることはないだろうけれど、出来れば何とか今年中に達成したい。

とりあえずそれが、今年後半の目標かも。

いよいよワタシも、片岡鶴太郎の領域に入りはじめました(笑)
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何も起こらない。

2025-06-15 | 家族
今日の新聞のテレビ欄。



ニュース番組で〈7月5日〉を取り上げるようだ。

〈2025年7月5日午前4時18分に大災害が起こる〉

・・・数年前から、こんな話がまことしやかに広まっているらしい。

もっともそれはネットを中心した界隈だけのようなのだけど、いよいよ当日が差し迫ってきたからか、テレビメディアでも取り上げはじめたようだ。



          ◆



こういった流布は、昔からあった。

ワタシたちの世代でいえば、なんといっても〈ノストラダムスの大予言〉だろう。



1999年の7の月に空から恐怖の大王が降ってくる。



ワタシがこの話を知ったのは、小学生の時だった。
10歳くらいだったからか、けっこうトラウマ並みに頭にインプットされてしまい、

「そうか、ボクは30歳までしか生きられないのか・・・」

と、おぼろげにそう思いながら以降を過ごしていたような気がする(笑)



しかし、実際に訪れた1999年は、もうそれどころではなかった。



その年の前年末、妻のお腹に新しい命が宿り、年が変わった1999年の前半は、その命を最優先に暮らす日々になっていた。

出産予定は8月だったので、その前月となる7月はその準備やら何やらで、程よい緊張感の中、忙しい毎日を過ごしていた。

その後、8月下旬に無事に娘が生まれ、精神的にも生活的にも落ち着きはじめた年末、

「あ、そういえば今年は人類滅亡するんじゃなかったっけ⁉︎」

と、年越しそばを啜りながら思い出した。

まぁ、今年の夏から生活が一変したし、あの夜泣きの凄まじさは、たしかに〈恐怖の大王〉だ。

そんなことをワタシが言ったら、一緒に年越しそばを啜っていた妻が笑った。

そんな感じで、ワタシたちの1999年は終わった。




だから、今回も何も起こらないと思っている。




実際、もう6月も下旬になるから、7月の予定も入りはじめている。

仕事では、7月の第一週までに絶対に終わらさなければならない案件を抱えてるし、5日の翌日の6日には、しばらく会っていない親戚の家へ母と一緒に訪問する予定にしている。

そうやって、いつも通りに日常を過ごしていれば、「あ、そういえば・・・」という感じで、いつの間にか〈7月5日〉は過ぎているような気がする。

なので、これからも、いつも通りの毎日を過ごしていこうと思います。



          ◆



そういえば、今日は〈父の日〉だった。

もちろん、何もないです。

これも、いつも通りです(笑)
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勲八等白色桐葉章。

2025-06-06 | 家族
先日、部屋の棚を整理していたら、これが出てきた。



手のひらサイズの小箱。

ここにあったのか。
憶えている・・・というよりも思い出した。
今から15年以上前、母方の祖母から譲り受けたモノだ。

「おじいちゃんのモノじゃけど、アンタにあげる」

祖母はワタシにそう言って譲ってくれた。
しかし、それから間もなくして祖母は鬼籍に入ってしまい、以来、ワタシ自身もこの小箱のことはすっかり忘れていた。
だから、この小箱の詳細については、今まで何も知らないまま時間だけが過ぎてしまった。

象形文字のような漢字が記された蓋を開けてみた。



見方によっては、バッジや許可証のようにも見えないこともない。

祖母からこれを譲り受けた頃にはまだ所有していなかったスマホで、試しに調べてみる。
そうしたら、案外すぐに小箱の正体にたどり着いた。


勲八等白色桐葉章。


Google AIの概要より→明治8年(1875年)に制定された日本初の勲章の一つで、旭日章の最下級に当たる勲章です。主に国家または公共に対して勲績のある者に授与されていました。本体部分は銀製で、五三の桐の形をしています。現在は廃止されています。


ほぉ・・・ホンモノの勲章だったのか。


もう少し調べてみると、この勲章の詳細が分かってきた。

旭日章は、勲一等から勲八等まで区分されており、〈勲八等白色桐葉章〉は章としては一番低いもので、基本的には軍人全般、軍務経験がある人に授与される勲章なのだそうだ。



          ◆



戦時中、祖父が戦地に赴いていたことは知っていた。
召集されて大陸へ向かったそうなのだが、終戦はフィリピンの密林で迎えたという。
その後、捕虜として捕えられた挙句に、どのような罪なのかはまったく分からないが、戦犯として東京の巣鴨プリズンに収容されてしまった。
そんな祖父が昭和19年生まれの母と初めて会ったのは、祖母が幼い母をおんぶして遠路はるばる広島から巣鴨プリズンまで面会に行った時だった・・・という話を、祖父の死後、祖母や母から聞いた。

この話を、祖父が自らワタシに話すことなど、一度もなかった。

きっと安易には話せなかったのだろうし、それ以前に、可愛い孫に話す必要など、祖父には露ほどもなかったのだろう(ワタシは祖父の初孫だったから、そう信じたい😅)

とにかく、今ワタシの手元にあるこの勲章は、そんな壮絶な体験を乗り越えた祖父が、お国からいただいた僅かばかりの労いの品だったわけだ。



          ◆



もう一度、スマホで調べてみる。

すると、けっこうな数の勲八等白色桐葉章がオークションやフリマサイトに出品されていることが分かった。

どのような経緯で出品されたのかは分からないけれど、おそらく元々は祖父のような人の手元にあった勲章なのだろう。

何て罰当たりなことを・・・と憤慨しながらも、念のため値段も確認した(笑)

なるほど。
八等といえども、そこはやはり勲章。
それなりの価格でやり取りはされているようだ。

祖母がこの勲章を譲ってくれた時、「アンタの好きなようにしなしゃあ」という言葉も一緒にもらった。

ワタシがもっと若かったら、その言葉を都合よく曲解して、それこそ安易にネットの世界に放り込んでいたかも知れない。

しかし残念ながら、ワタシももう50代半ば。

運命と偶然と必然がどのように絡み合って、今ワタシがこの世に存在しているのかは、自分なりに理解しているつもり。

好きなようにしていいのなら、これからも大切に持っておく以外には選択肢はないだろ。

なぁ、おじいちゃん。
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チノパン今昔。

2025-05-25 | 買い物
この写真のパンツ。

今から32年前の今ごろ、つまり、1993年の初夏に、かつて広島にあったジーンズShop〈Pick Up Shimizu〉で購入したチノパン。

モノ持ちがいいだけでなく、我ながら〈よくそんな大昔のことを憶えてるな〉と、思う。

しかし、それには理由があるわけで。




          ◆



このチノパンを購入した頃は、すでに働いてはいたが、まだ独身だった。

(例外の人もいるのだろうけれど)、独身の社会人というのは、だいたいお金の使い方がデタラメなわけで。

少なからず、ワタシはそうだった。

このチノパンもそれなりの金額で買った代物で、たしか、購入時に数枚の福沢諭吉を財布から出した記憶がある。

そんな大枚を叩いて購入したモノだけに、作りもしっかりしていて、肌触りがよくて、よし、このチノパンは、〈ここぞ!〉という時に穿くことにしよう!と決めたのだった。

それからしばらくして夜の街で集まりがあり、その時穿いていったことを今でもよく憶えている。

だが、それ以降、二度と穿くことがなかった。

それは、それ以後〈ここぞ!〉という機会が無かったから・・・ということではなく、それとはまた別の理由で。



要は、太ってしまったのだ。



不摂生が祟ったのか、この直後に10kg近く一気に増えてしまった。

穿けなくなったからと言って安易に手放すのは、あまりにも惜しいし、悔しい。
なんとか、また穿けないものか・・・。

そんな思いもあり、何度か減量に挑戦し、その度に〈また穿けるかも・・・〉と試したのだが、いざホックを締めようとするも、そのまま窒息死するんじゃないかと思うほど腹を引っ込めなければならず、その度に涙の断念を繰り返した(笑)


そして、そんな挫折を何度も経て至った、今日。


体重も50kg台半ばまで落ちたし、さすがにもう大丈夫なんじゃないか?

・・・というわけで、タンスの引き出しの最下層で仮死状態だったこのチノパンを久しぶりに引っ張り出し、そして意を決して、脚を通してみた。




        
        穿けた👍





最難関のホックやファスナーも、少しだけ〈フッ〉と気合いは入れたが(笑)、難なく締めることができた。



オレ、痩せたんだなぁ・・・



今さらながら、実感&感慨。

たった一度しか穿けなかったことが悔しくて手放さなかったのは事実なのだけど、今考えれば、このチノパンを穿けるようになることが、いつの間にか、ワタシの中で〈減量成功〉の目安というか目標になっていたような気がする。

だからこのチノパンは捨てようにも捨てられなかったのだろうと、自分なりに解釈しております😅

先月行った人間ドックの結果も、昨年と比べれば、劇的に改善していた。
そして、この大昔のチノパンも穿けるようになった。
これからは、今の体重維持を目標にシフトチェンジしなければ。



          ◆



今日は午後から、このチノパンを穿いて買い物に出かけた。

雨蓋が付いていて、おまけにツータックの、ちょっと時代遅れなチノパンではあるけれど、32年ぶりに穿けたチノパンだ。ダサいなんて、誰にも言わせんぞ(笑)

・・・で、このチノパンを穿いて、どこに何を買いに行ったのかを最後に記して、今日のブログを終わらせたいと思います。


         
          ◆



チノパンを買いに、ユニクロへ(笑)😅
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80代の景色。

2025-05-11 | 家族
昨日は、母と墓参りに。

一昨日、別件で母に電話した時、「明日は墓参りに行く」と言ったので、自然ななりゆきで一緒に行くことになった。

朝、実家に母を迎えに行き、クルマで出発。

車中、彼岸でもなく月命日でもないのに、何で今日墓参りするのか?と母に尋ねたら、

「お墓に供えるつもりで庭に植えたナデシコが、綺麗に咲いたから」とのこと。

お寺に着いて、バケツに水を入れて、お墓までの細い道を母と歩く。
先を歩くワタシを見て、母が言う。

「もうちょっと背を伸ばして、前を見て歩きんさい」

そして、こう付け加える。

「お父さんの歩き方に、そっくりじゃ」

仕方がないだろ、道が細いし、雨上がりで滑るかもしれんし、最近は肩こりも酷いし、昨日は寝不足だし・・・と、思いつくだけの理由を口にして答えたが、やっぱり最たる理由は、ワタシの身体の半分が親父のDNAで出来上がっているからなのは否めない。

墓に着くと、墓石を拭き、落ち葉を片付け、薄いピンクのナデシコの花を供え、けっこうな本数の線香を供え、手を合わせた。



          ◆



帰りの道中の車内で、実家の近所の話や、孫の話や、母が通う体操教室の話とか。

来月、母は運転免許の更新予定とのこと。

高齢者の免許更新となるので、ここ数日は運転適性検査の参考書とにらめっこしているそうだ。

久しぶりに参考書に眼を通しているけれど、3年前よりも憶えが悪くなった、と母は笑いながらそう言う。

確認の意味も込めて、たまに母の運転するクルマの助手席に乗ることにしているが、客観的に判断して、まぁ、まだ運転しても大丈夫だろう。

それでも、油断大敵。

少しでも危ないと思ったら運転は控えるように、と忠告はしておいた。



          ◆



父が鬼籍に入って、今年で7年。

父より4歳年下だった母は、この7年で父よりも年上になってしまった。

父は、77歳で亡くなった。

だから母は今、父が見ることができなかった〈80代の景色〉の中で毎日を過ごしていることになる。

それでもいつか必ず、父の元へ行く日が訪れる。

でもそれは、まだまだ遠い先の話だ。

その時まで出来る限り数多の景色を眼にして、父と再会した時にはたくさんの土産話をしてもらいたい。

母さん、それある意味、父より年上になってしまった貴女の義務だよ。

今日は、母の日。

いつまでも、元気で。
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青いさんごしょう。

2025-05-04 | 音楽
昨日、実家に帰った際にかつての自分の部屋の押し入れの中をゴソゴソ。

なんだか、実家に帰ってもやる事がなく退屈な時(まぁ、実家で過ごす時はだいたいそんなもんだ)は、こんな発掘の真似事ような事をしている気がする(笑)

そしたら、またまた、珍しいモノが出てきましたよ。


カセットテープの収納ケース。

いつごろ購入したモノか、もう記憶が定かではないが、このエンジ色が〈お、渋い!〉と琴線に触れて購入した憶えがある。

たぶん、〈LARK〉がタバコの銘柄だとは、まだ知らなかった頃じゃないだろうか。
だから、色だけに反応して買ったのだと思う。


左側面に、キョンキョン。


反対面にも、キョンキョン。


背面。
これは・・・薬師丸ひろ子、か?
そして、左下に小さく「MAX RAGGER」のクレジット!

今回このカセット収納ケースを見つけて一番懐かしかったのは、このブランドネームを眼にしたことかも知れない。

同世代の男にしか分からないけれど、これは学生服のブランドネーム。

ワタシも中学入学当初は、〈トンボ〉とか〈カンコー〉といったどこにでもある、いわゆるマジメな学生服を着ていたのだけれど、中学に入ってしばらく過ぎたら、ちょっと色気づきはじめたのか、この〈MAX RAGGER〉の学生服に買い替えた。
※ちなみに、下のズボンは同じ〈MAX RAGGER〉のボンタン(ワンタック&雨蓋付)🤣

・・・ということは、このカセット収納ケースは、中学2年生の頃に購入したモノだと思う。

何十年かぶりに、開けてみた。


また、キョンキョン(笑)

あの頃、ホントに好きだったんだよなぁ。

・・・で、肝心の中身。


もう何が録音されていたのか、さっぱり思い出せない。

辛うじてTechnics(❗️)のカセットテープのレーベルにだけ、ペンで曲名が書いてあった。


ほとんど解読不能だけれど、最後に


「青いさんごしょう」


・・・と、ミミズの這ったような文字で書いてあった。

これは、〈珊瑚礁〉という文字が難しくて書けなかったんだな😅



          ◆



今回、このカセット収納ケースを見つけて分かったことが、ひとつある。

ワタシは、今でもキョンキョンの出てるドラマを見たり、彼女のSNSをフォローしている。

そして、当時は知らなかったLARKという煙草を、今では普通に愛煙している。

そして最後に。
ワタシは今でも〈珊瑚礁〉という漢字は、おそらく正確には書けない。



          ◆



つまり、ワタシはこの40数年、まったくブレずに生きて来れたのだ。

・・・という事にして、今日のブログは終わります(笑)
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見知らぬおじさん。

2025-04-26 | 健康
昨年の5月末からスタートした、減量プロジェクト。

スタートから11ヶ月が過ぎた。

昨年の5月の段階で66kgあった体重は、現在56kg。

10kg減量。
BMI 21.5、適性体重ど真ん中。

我ながら、よくやった。
自分で自分を褒めてやりたい(笑)


          ◆


しかし実際には、肝になったのは最初の3ヶ月だったような気がする。

その3ヶ月で一気に6kg減量して、残りの8ヶ月は毎月0.5kgずつ落としていった感じ。

だから見方を変えれば、今年に入ってからは、痩せた体重をキープすることを目標にしていたような気がしている。


それにしても、56kg。


体重計にこんな数字が表示されるなんて、いつ以来だろうか。

おそらく、高校時代とか、社会に出て最初に就職した会社にいた頃以来じゃないだろうか。
(その会社は超激務で、入社半年で一気に痩せた)

だから今回、減量を開始するにあたって、もしも50kg台になったら、ひとつだけ期待していたことがあった。



それは、あの頃の風貌に戻るんじゃないか、と。



体重50kg台だった頃は、身も心も軽かった。
ついでに、頭の中も軽かった(笑)

そんな超軽量時代から30数年が過ぎてしまってはいるが、それでも、その頃の自分のカケラくらいは戻ってくるんじゃないかと😅

だが、今年に入って50kg台になったものの、いつまで経っても〈あの頃の自分〉は戻って来ず。

洗面台の前に立っても、いつも鏡に映るのは、ただただ痩せた見知らぬおじさん(笑)

まぁ、当たり前か。

ただ今、五十路街道ど真ん中。

あの頃よりも髪の毛は減ったし、シワもシミも増えた。

人は、過去には戻れない。

そりゃあ、まぁ、当たり前のことです😅


         ◆


ところで、来週は人間ドックの予定。

昨年の健診では、どの部位の数値もことごとく悪化していて、


〈数値だけ見れば、立派な糖尿病〉


・・・という、大変有難い烙印を押されてしまった。

今までブログでは詳しくは話したことはなかったが、これが減量をはじめた直接的な理由だった。

さて、今年はどんな結果が待っているか。

ここまで減量したのだから、昨年とは数値は劇的に変わっていることを願いたいところだけど。

おそらくそうなるだろうと期待して、今夜もウォーキングしてまいります🚶




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晴天の霹靂。

2025-04-16 | Weblog
昨夜、突然告知された。



11月を以って、gooブログが閉鎖されることになったそうだ。

そう、この「りきる徒然草。」も、gooブログ。

あまりにも突然のことで、まだ気持ちの整理がついていないのが、正直なところ。



          ◆



2008年の6月。

当時、mixi(懐かしー!)で繋がっていたみりあむさんという方から

「りきるさんはブログが合ってると思いまぁーす🙂」

というアドバイスをもらって、あまり深く考えずに、勢いのまま開設した。

それから、17年。

タイトル通り、自身と周囲の徒然な出来事を思いの向くままに綴ってきた。

性に合っていたのだと思う。

ここまで続けられたということは。



          ◆



ネット上には、gooブログの閉鎖に驚嘆悲嘆の声が上がっている。

長年愛用してきたブロガーからは、特に。

しかし、他のSNSと比べれば、〈ブログ〉という表現手段がすでに斜陽化していることは確かだし、実際、若年層からはほとんど相手にされていないことも事実。

仕方がない。

これも時代の趨勢なのだろう。



         ◆



gooブログからのお知らせによると、他のブログへのデータベースごとの引っ越しも可能とのこと。

その場合、〈Amebaブログ〉と〈はてなブログ〉への引っ越しを推奨しているようだ。

さて、どうするか・・・。

ここまで続けてきたのだから、フォーマットを替えても続けるべきか。

それとも、gooブログの閉鎖とともに、もうそのままブログ自体辞めてしまうか。

SNSもやっているから、そっちでなんとかなるような気もする。

しかしその一方で、気の向くまま自分の文章を好きなように書き綴れる場所がなくなってしまうのは・・・。

悩んでます。久々に。まるで思春期のように(笑)

まぁ、それでも閉鎖までにはまだ半年もあるから、急いで結論を出さなくてもよいのだけれど。

でも、文章の鍛錬にはなったし、この17年の自身の道程も刻まれてるし、このブログで知り合った人もいる。

生活の一部だった。

ライフワークだったと言っても過言ではないと思う。

しばらく考えたいと思います。
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ワタシは、騙されない。

2025-04-11 | ネット
突然、こんなメールが届いた。



なんちゅーメールだ。

こんなメールが着信したからって、ホイホイとタップするわけがないだろ。

ったく、人をバカにしやがって。




ただ・・・




これが大島優子だったら、ワタシも危なかったかも知れない(笑)🤣
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