先日、ブレスレットを購入した。
普通の雑貨屋の商品なので大した金額ではないし、もちろんブランドものでもない。
でも、これで所有するブレスレッドは計4個になった。
この手のアクセサリー・・・いわゆるシルバーアクセは嫌いではなく、その他にも、
ネックレスや指輪やらウォレットチェーンやらを持っている。
といっても、これらは色気づく10代の頃からずっと付けているわけではなく、20代後半、
ちょうど結婚した頃から、なぜか突然興味を持ちはじめてしまった。
だから、シルバーアクセデビューとしては、かなり遅い方だと思う。
しかしそれ以降、右手の中指にはシルバーリングをずっとはめているし、プライベートで
外出する時は、財布にウォレットチェーンを付けている(これは実用的にもホントに便利!)。
しかし。
今回のブレスレットを購入した店でのこと。
そこは古着なども販売している店だったので、姿見用の全身ミラーが店内にあった。
ブレスレットを購入後、そのミラーの前を横切った時に、一瞬自身の姿が映ったのだが、
その姿を目にした時、思わず足が止まってしまった。
その時のワタシの出で立ちは、黒のTシャツにジーンズに頭にはキャスケット、
そしてシルバーのネックレスにウォレットチェーン。
まぁ、ワタシにとっては、いつものプライベートの格好だったのだが、どうもその格好に
違和感を感じたのだ。
念のために言っておくが、間違っても、今までが似合っていたというわけではない。
ワタシは背も低いし足も短い。どちらかと言えば、今までも似合っていなかったと思う。
ついでに言えば、ワタシは決してナルシストではない(と自分では思っている)から、突然
鏡に現れた自分の姿に、ふと足を止めるようなことは、今まで一度もなかった。
では、何なのか?
たぶん、鏡の中の自分に“無理”を感じたのではないかと思う。
紛いなりにも30代の頃は、スタイルが悪くてもまだ若さの余韻というものがあったからか、
そんなに“違和感”を感じることはなかった。
しかし、年を重ねれば、否応にそういうモノが頭をもたげはじめるのかも知れない。
それが、40代というものなのか。
いや。
それは即行で否定する。
なぜなら、ワタシより上の世代、50代や60代の知り合いには、今でもバリバリにシルバーアクセを
付けている人がたくさんいて、しかも、違和感の“い”の字もないほど、よく似合っているからだ。
じゃあ、いったいこれは、何なのか?
おそらく、自分自身の問題なのだろう。
自分の在り様とか、気持ちの在り方とか、もっと言えば、生き方とか。
そういったものが、以前とちょっと変わってきたことを、無意識のうちに鏡越しに感じて取って
しまったのかも知れない。
何だかんだ言っても、シルバーアクセを付けるという行為は、いわゆる“格好から入る”と
いう行為だった。
ナルシストではないと言いながらも、自意識だけは一丁前に持っているから、それまでの自分とは
違う自分に変えたかったことが、ワタシがシルバーアクセに向かった理由だったのだろう。
じゃあ、違和感を感じたから、これを機にシルバーアクセは、もう辞めるのか?
う~~~~~ん・・・・。
上述したように、自分より上の世代の人でも、シルバーアクセが似合っている人たちがいる。
その人たちは、ワタシが知る限り、みんな自分の在り様に自信を持って生きているように見える。
とどのつまり、そういう人間になれれば良いことなのではないだろうか。
“格好から入る”ということは、言い方を変えれば、目的よりも手段を優先させるということだ。
もしかしたら、そういった今までのやり方を、そろそろワタシも変えてゆく時期なのかも知れない。
言わば、“格好”から入って、“格好”から出てゆく・・・というとこか。
これらからは際限なくジャラジャラとシルバーアクセを付けるようなことは、もうしないと思う。
でも、いきなり人畜無害な格好になることも、今の自分では考えられない。
ポロシャツとスラックスに白いソックスという出で立ちは、もうしばらくの間は、お預けにさせてください(笑)
普通の雑貨屋の商品なので大した金額ではないし、もちろんブランドものでもない。
でも、これで所有するブレスレッドは計4個になった。
この手のアクセサリー・・・いわゆるシルバーアクセは嫌いではなく、その他にも、
ネックレスや指輪やらウォレットチェーンやらを持っている。
といっても、これらは色気づく10代の頃からずっと付けているわけではなく、20代後半、
ちょうど結婚した頃から、なぜか突然興味を持ちはじめてしまった。
だから、シルバーアクセデビューとしては、かなり遅い方だと思う。
しかしそれ以降、右手の中指にはシルバーリングをずっとはめているし、プライベートで
外出する時は、財布にウォレットチェーンを付けている(これは実用的にもホントに便利!)。
しかし。
今回のブレスレットを購入した店でのこと。
そこは古着なども販売している店だったので、姿見用の全身ミラーが店内にあった。
ブレスレットを購入後、そのミラーの前を横切った時に、一瞬自身の姿が映ったのだが、
その姿を目にした時、思わず足が止まってしまった。
その時のワタシの出で立ちは、黒のTシャツにジーンズに頭にはキャスケット、
そしてシルバーのネックレスにウォレットチェーン。
まぁ、ワタシにとっては、いつものプライベートの格好だったのだが、どうもその格好に
違和感を感じたのだ。
念のために言っておくが、間違っても、今までが似合っていたというわけではない。
ワタシは背も低いし足も短い。どちらかと言えば、今までも似合っていなかったと思う。
ついでに言えば、ワタシは決してナルシストではない(と自分では思っている)から、突然
鏡に現れた自分の姿に、ふと足を止めるようなことは、今まで一度もなかった。
では、何なのか?
たぶん、鏡の中の自分に“無理”を感じたのではないかと思う。
紛いなりにも30代の頃は、スタイルが悪くてもまだ若さの余韻というものがあったからか、
そんなに“違和感”を感じることはなかった。
しかし、年を重ねれば、否応にそういうモノが頭をもたげはじめるのかも知れない。
それが、40代というものなのか。
いや。
それは即行で否定する。
なぜなら、ワタシより上の世代、50代や60代の知り合いには、今でもバリバリにシルバーアクセを
付けている人がたくさんいて、しかも、違和感の“い”の字もないほど、よく似合っているからだ。
じゃあ、いったいこれは、何なのか?
おそらく、自分自身の問題なのだろう。
自分の在り様とか、気持ちの在り方とか、もっと言えば、生き方とか。
そういったものが、以前とちょっと変わってきたことを、無意識のうちに鏡越しに感じて取って
しまったのかも知れない。
何だかんだ言っても、シルバーアクセを付けるという行為は、いわゆる“格好から入る”と
いう行為だった。
ナルシストではないと言いながらも、自意識だけは一丁前に持っているから、それまでの自分とは
違う自分に変えたかったことが、ワタシがシルバーアクセに向かった理由だったのだろう。
じゃあ、違和感を感じたから、これを機にシルバーアクセは、もう辞めるのか?
う~~~~~ん・・・・。
上述したように、自分より上の世代の人でも、シルバーアクセが似合っている人たちがいる。
その人たちは、ワタシが知る限り、みんな自分の在り様に自信を持って生きているように見える。
とどのつまり、そういう人間になれれば良いことなのではないだろうか。
“格好から入る”ということは、言い方を変えれば、目的よりも手段を優先させるということだ。
もしかしたら、そういった今までのやり方を、そろそろワタシも変えてゆく時期なのかも知れない。
言わば、“格好”から入って、“格好”から出てゆく・・・というとこか。
これらからは際限なくジャラジャラとシルバーアクセを付けるようなことは、もうしないと思う。
でも、いきなり人畜無害な格好になることも、今の自分では考えられない。
ポロシャツとスラックスに白いソックスという出で立ちは、もうしばらくの間は、お預けにさせてください(笑)