今年の晩秋の日曜日。
とある小さな公園に僕はいた。
それはどこにでもあるような平凡な公園だったが、夕暮れがせまる時間帯
だったためか、僕ら以外には人影はなかった。
僕ら以外・・・それは、僕と妻と娘と息子の4人である。
娘と息子は公園の中のジャングルジムやすべり台や鉄棒を次々とまわって
遊んでいる。
来年中学生になる娘が、弟に向かってからかうように「これできる?」と
逆上がりをしてみせ、それを見た小学2年生のわりには身体が大きい息子が
「できるよ!」とむきになって出来もしない逆上がりに挑戦している。
妻は、公園の奥にある桜の木の下のベンチに腰掛け、そんな二人の姿を
ぼんやりと見守っていた。
僕はというと、公園の入口の門柱にもたれて、煙草をふかしながら、雲の
隙間からのぞく脆弱な夕陽をぼけーっと眺めていた。
しばらく時間が過ぎ、僕はおもむろにジャングルジムを登ったり降りたり
している子どもたちのそばに近づき、こう言った。
「影踏み鬼ご、するか?」
僕の提案を耳にした子どもたちは、僕をみつめて少し首をかしげた。
どうも意味が分からなかったようだ。
影踏み鬼ご。
それは単なる鬼ごっこではなく、じゃんけんして負けた人間が鬼にはなるが、
鬼が他の人間を追いかけるのではなく、追いかける人間の影を踏んだら踏ま
れた人間が鬼になってまた他の人間を追いかける・・・という遊びだ。
小学生の頃、通学の距離が長かった僕は、よく学校帰りに友達とこの遊びを
しながら家路についたものだった。
“影踏み鬼ご”の要領を説明すると、子どもたちは“やろう!やろう!”と
破顔して連呼した。
子どもたちは寒々しいベンチに座っていた妻も誘ったが、妻は微笑みながら
片手を軽く横に振った。
じゃんけんをして負けたのは、僕だった。
一斉に逃げる娘と息子。
僕は大人げなく必死に追いかけた。
夕暮れの寂々とした陽の光が、公園の広場に子どもたちの長い影を描く。
細く長い影は、あっという間に僕に踏まれ、鬼の役は僕から息子に
バトンタッチした。
何度か繰り返しているうちに、僕の息が切れはじめた。
中腰になって、息を整えている僕の視界の端に、あるモノが入った。
木製の、シーソーだった。
いまどき、木製のシーソーは珍しい。
ひと昔前なら鉄製のシーソーが主流だったが、今ではプラスティックや
樹脂製の素材で作られていてもおかしくはない。
だから、ペンキが剥げて木目がむき出しのシーソーは、ひと昔どころか、
ふた昔、みっつ昔ほど前の過去の遺物のように見えた。
僕は、子どもたちに「影踏み鬼ご、休憩」と勝手に宣言して、その大昔の
シーソーに向かって歩を進めた。
今までシーソーと書いていたが、僕が子どもの頃はそんな名前では呼んで
いなかった。
「ギットンバッタン」だった。
おそらくシーソーが上下する時の軋む音から、そんな名前で呼んでいたの
だろう。
そしてそんな音は鉄製のシーソーや、まして“人にやさしい”最新の素材
からは聞こえることはない。
そんな分かりやすい擬音を幼児が名称にするくらいだから、幼い僕が遊ん
でいたシーソーも、おそらく木製のシーソーだったのだ。
僕はシーソー・・・いや、ギットンバッタンの片方に座った。すると、
当然だが僕の座った方がギシッという音とともに下になり、誰も座っていない
向こう側が静かに上に上がった。
そんな光景を目にした娘と息子と、そしてベンチに座ったままだった妻も
ギットンバッタンに向かってやって来た。
子どもたちが上になった方に座ろうとする。
背丈より高く上がっているので、座るというよりも真ん中からよじ登る
ような格好で娘と息子は僕の対面に座った。
でも、ギットンバッタンは動かなかった。
息子はなぜ動かないのか不思議そうに首を傾げたが、娘は「お父さん、
また重くなったんじゃないの~?」と嬉しそうにそう言ってからかった。
そうしているうちに妻が参戦した。
最初、妻は僕の方へ座ろうとしたが、僕は子どもたちの方へ座るように
妻に促した。
子どもたちの前に妻が軽く座ると、小さな悲鳴のような軋む音がして、
ようやくギットンバッタンは、ゆっくりと動き出した。
しかし、それでもギットンバッタンは上下が逆転せず、ちょうど真ん中で
見事に均衝を保って平行になった。
娘と息子が何か奇跡的な事でも体験したかのように、はしゃぎまくった。
僕は中央の支点に向かって少し移動した。
するとギットンバッタンは、再び小さな悲鳴をあげてゆっくりと動き出し、
妻と二人の子どもが座る方が下に降り、そして静かに地面に着いた。
それからしばらくの間、僕たちはギットンバッタンで遊んだ。
片方にみんなで座ったり、僕と妻だけ座ってどっちが上になるかを競ったり、
一人で座って平行にしてみたり・・・。
晩秋の、夕暮れの、小さな公園の、世界遺産のような他愛もない遊具で、
僕と妻と娘と息子は、日が暮れて風景の色がなくなるまで遊んでいた。
考えてみれば、人生もギットンバッタンのようなものなのかもしれない。
背負ったものが多すぎて重たすぎて、いつまでたっても下のまま、という
時もあるだろう。
曖昧な答えしかみつからなくて、平行な時もあるだろう。
身も心も軽くなって絶好調で上りっぱなしという時もある。
しかし、いつまでも下がったままということはない。
その反対に、いつまでも上りっぱなしということも、決してない。
どちらかが下になれば、他方は上になる。
下になっても、いつか他方に力が入れば、再び下は上になる。
それを繰り返して、人間は生きてゆく。
だからこそ、木製のシーソーは長年の上下運動に耐えた証として
軋む音を響かすようになり、“ギットンバッタン”という名前で
呼ばれるようになる・・・。
来年がどんな年になるかなんて、分からない。
どんなに高尚で広大な目標や夢を掲げても、一瞬で砕け散ってしまうことを、
今年の早春、僕らは嫌というほど知ってしまった。
だから、僕はそんなものは掲げない。
ただ、この秋の日曜日のように、夕暮れの小さな公園で、影踏み鬼ごや
昔の遊具ではしゃげるひとときがあれば、それでいい。
そんなひとときを持てることが幸せだと思える生き方ができれば、
それでいい。
今年もこのブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
来年がみなさまにとって良い年になりますように。
とある小さな公園に僕はいた。
それはどこにでもあるような平凡な公園だったが、夕暮れがせまる時間帯
だったためか、僕ら以外には人影はなかった。
僕ら以外・・・それは、僕と妻と娘と息子の4人である。
娘と息子は公園の中のジャングルジムやすべり台や鉄棒を次々とまわって
遊んでいる。
来年中学生になる娘が、弟に向かってからかうように「これできる?」と
逆上がりをしてみせ、それを見た小学2年生のわりには身体が大きい息子が
「できるよ!」とむきになって出来もしない逆上がりに挑戦している。
妻は、公園の奥にある桜の木の下のベンチに腰掛け、そんな二人の姿を
ぼんやりと見守っていた。
僕はというと、公園の入口の門柱にもたれて、煙草をふかしながら、雲の
隙間からのぞく脆弱な夕陽をぼけーっと眺めていた。
しばらく時間が過ぎ、僕はおもむろにジャングルジムを登ったり降りたり
している子どもたちのそばに近づき、こう言った。
「影踏み鬼ご、するか?」
僕の提案を耳にした子どもたちは、僕をみつめて少し首をかしげた。
どうも意味が分からなかったようだ。
影踏み鬼ご。
それは単なる鬼ごっこではなく、じゃんけんして負けた人間が鬼にはなるが、
鬼が他の人間を追いかけるのではなく、追いかける人間の影を踏んだら踏ま
れた人間が鬼になってまた他の人間を追いかける・・・という遊びだ。
小学生の頃、通学の距離が長かった僕は、よく学校帰りに友達とこの遊びを
しながら家路についたものだった。
“影踏み鬼ご”の要領を説明すると、子どもたちは“やろう!やろう!”と
破顔して連呼した。
子どもたちは寒々しいベンチに座っていた妻も誘ったが、妻は微笑みながら
片手を軽く横に振った。
じゃんけんをして負けたのは、僕だった。
一斉に逃げる娘と息子。
僕は大人げなく必死に追いかけた。
夕暮れの寂々とした陽の光が、公園の広場に子どもたちの長い影を描く。
細く長い影は、あっという間に僕に踏まれ、鬼の役は僕から息子に
バトンタッチした。
何度か繰り返しているうちに、僕の息が切れはじめた。
中腰になって、息を整えている僕の視界の端に、あるモノが入った。
木製の、シーソーだった。
いまどき、木製のシーソーは珍しい。
ひと昔前なら鉄製のシーソーが主流だったが、今ではプラスティックや
樹脂製の素材で作られていてもおかしくはない。
だから、ペンキが剥げて木目がむき出しのシーソーは、ひと昔どころか、
ふた昔、みっつ昔ほど前の過去の遺物のように見えた。
僕は、子どもたちに「影踏み鬼ご、休憩」と勝手に宣言して、その大昔の
シーソーに向かって歩を進めた。
今までシーソーと書いていたが、僕が子どもの頃はそんな名前では呼んで
いなかった。
「ギットンバッタン」だった。
おそらくシーソーが上下する時の軋む音から、そんな名前で呼んでいたの
だろう。
そしてそんな音は鉄製のシーソーや、まして“人にやさしい”最新の素材
からは聞こえることはない。
そんな分かりやすい擬音を幼児が名称にするくらいだから、幼い僕が遊ん
でいたシーソーも、おそらく木製のシーソーだったのだ。
僕はシーソー・・・いや、ギットンバッタンの片方に座った。すると、
当然だが僕の座った方がギシッという音とともに下になり、誰も座っていない
向こう側が静かに上に上がった。
そんな光景を目にした娘と息子と、そしてベンチに座ったままだった妻も
ギットンバッタンに向かってやって来た。
子どもたちが上になった方に座ろうとする。
背丈より高く上がっているので、座るというよりも真ん中からよじ登る
ような格好で娘と息子は僕の対面に座った。
でも、ギットンバッタンは動かなかった。
息子はなぜ動かないのか不思議そうに首を傾げたが、娘は「お父さん、
また重くなったんじゃないの~?」と嬉しそうにそう言ってからかった。
そうしているうちに妻が参戦した。
最初、妻は僕の方へ座ろうとしたが、僕は子どもたちの方へ座るように
妻に促した。
子どもたちの前に妻が軽く座ると、小さな悲鳴のような軋む音がして、
ようやくギットンバッタンは、ゆっくりと動き出した。
しかし、それでもギットンバッタンは上下が逆転せず、ちょうど真ん中で
見事に均衝を保って平行になった。
娘と息子が何か奇跡的な事でも体験したかのように、はしゃぎまくった。
僕は中央の支点に向かって少し移動した。
するとギットンバッタンは、再び小さな悲鳴をあげてゆっくりと動き出し、
妻と二人の子どもが座る方が下に降り、そして静かに地面に着いた。
それからしばらくの間、僕たちはギットンバッタンで遊んだ。
片方にみんなで座ったり、僕と妻だけ座ってどっちが上になるかを競ったり、
一人で座って平行にしてみたり・・・。
晩秋の、夕暮れの、小さな公園の、世界遺産のような他愛もない遊具で、
僕と妻と娘と息子は、日が暮れて風景の色がなくなるまで遊んでいた。
考えてみれば、人生もギットンバッタンのようなものなのかもしれない。
背負ったものが多すぎて重たすぎて、いつまでたっても下のまま、という
時もあるだろう。
曖昧な答えしかみつからなくて、平行な時もあるだろう。
身も心も軽くなって絶好調で上りっぱなしという時もある。
しかし、いつまでも下がったままということはない。
その反対に、いつまでも上りっぱなしということも、決してない。
どちらかが下になれば、他方は上になる。
下になっても、いつか他方に力が入れば、再び下は上になる。
それを繰り返して、人間は生きてゆく。
だからこそ、木製のシーソーは長年の上下運動に耐えた証として
軋む音を響かすようになり、“ギットンバッタン”という名前で
呼ばれるようになる・・・。
来年がどんな年になるかなんて、分からない。
どんなに高尚で広大な目標や夢を掲げても、一瞬で砕け散ってしまうことを、
今年の早春、僕らは嫌というほど知ってしまった。
だから、僕はそんなものは掲げない。
ただ、この秋の日曜日のように、夕暮れの小さな公園で、影踏み鬼ごや
昔の遊具ではしゃげるひとときがあれば、それでいい。
そんなひとときを持てることが幸せだと思える生き方ができれば、
それでいい。
今年もこのブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
来年がみなさまにとって良い年になりますように。