りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ささやかな一歩。

2018-06-29 | Weblog
父が他界して、5日。

父を亡くした寂しさや悲しさは、さすがにまだ癒えてはいないが、それでも昨日から仕事にも復帰し、日常への軌道修正は、この2日間でほぼ出来たような気がする。

仕事は、いい。

あらためて、そう思った。
仕事をしている時は、父のことはいっさい思い出すことがない。
もちろん、その反面、仕事に集中すればするほど、その煩わしさやストレスが生まれてくるのだけど、今はそれさえも心地よく感じてしまうのだから、人間は都合よく出来ている生き物だと思う(笑)

実家には、毎日顔を出している。

一軒家で独りきりになってしまった母が心配だ・・・というのはもちろんあるが、それとは別に、現実的な問題として、様々な支払いや名義変更やら手続きやらが目白押しなのである。

今日も仕事を終えて、実家に顔を出した。

和室に設けた父の祭壇の前に正座し、線香を手向け、手を合わす。
ふと祭壇の横に眼を移すと、見慣れない機械が置いてあった。
何だ、こりゃ?



母に尋ねると、「布団乾燥機」と答えた。

ここ数日続いている曇天のため布団が干せず、湿り気味の布団ではなかなか寝付けないので、今日の午後、クルマで家電量販店に行って購入してきたのだそうだ。

呆れた。
そして、それと同時に、安堵した。

もしこれが男ならどうだろうか。
長い間共に歩んだ伴侶を失った数日後に、布団乾燥機を購入しに出かける元気があるだろうか。

やはり、母は強し。

ワタシにとって仕事がそうであったように、この布団乾燥機が母にとっての、日常へ戻る「ささやかな一歩」なのかも知れない。

その後、母とワタシは、父の祭壇の横に布団を広げて、取説を片手に布団乾燥機の使い方を試してみた。
機械音痴の母と老眼が進んで取説がうまく読めない息子が、あーでもない、こーでもないと喋りながら、布団乾燥機をいじり、取説のページをめくる。

その時は気にしなかったが、母とワタシのあまり賢いとは言えない会話を耳にしながら、祭壇の父の遺影は、きっと苦笑いしていたに違いない(笑)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の子。

2018-06-27 | Weblog
6月24日、午前6時20分。

父が、永眠した。

早春頃から急速に体調が崩れ、医師からも、「もうさほど時間は残されていない」と事前に告げられていた。
緩やかな下降線をたどりながらも自宅での介護を続けていたのだが、先週の土曜日に容態が急変し、日曜日の朝、眠るように静かに旅立っていった。

享年79歳というのが、人生の幕を閉めるには早いのか遅いのか、ワタシには分からない。

しかし、49歳で胃癌を患い、その時でさえもう長くないと思われていたのに、それから30年も生き続け、その間に、息子2人の成人と結婚を見届け、自身も還暦を迎え、5人の孫に恵まれ、今年の5月には結婚50年、いわゆる金婚式を祝えた。

もう、十分だろう。
これ以上を望めば、神様に怒られてしまう。

昨日、葬儀は滞りなく終わり、夕刻、小さな箱になった父と一緒に実家に帰った。

今日は、母と各所へ挨拶まわり。
目上の方からは、行くところ行くところで「お母さんを寂しくないようにしてあげて」という言葉をかけていただいた。

もちろん。

妻や子ども達には申し訳ないけど、これからしばらく落ち着くまでは、「夫」や「二児の父」という立場よりも「父の子」「母の子」の立場を優先して動く日々が続きそうだ。

それにしても、いい経験をさせてもらえた。

それは、「故人の長男」として初めて体験した葬儀だけでなく、その前の日々・・・つまり、実家で日に日に衰弱してゆく父と過ごしたこの1ヶ月の日々も含めて。

父が弱く小さくなってゆけばゆくほど、ワタシも40代から少しずつ時間が逆戻り、子どもの頃に戻ってゆくような気がした。

その証拠かどうかは分からないけど、20歳を過ぎた頃からはワタシは両親のことを「オヤジ」「お袋」と呼ぶようになっていたのに、今年に入ってからいつ頃からか、2人のことを子どもの頃と同じように「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになっていた。
もうイキがって反抗する年でもないし、久しぶりに口にしたその呼称も、ちょっとくすぐったくて照れがないわけではないが、悪くもない気がしている。

さて、明日からも手続きやら支払いやら何やらで、慌ただしい日々がもうしばらくは続きそうだ。
週はじめから休んでいる仕事も溜まっている。
ワタシも、日常のシフトにギアチェンジしなければ。



ここから先は、独り言・・・


父の容態が悪化するに連れて、ワタシの中でひとつの光景が何度も何度も繰り返し蘇るようになった。

それはもう、40年以上昔の出来事だ。

ワタシの実家の前には、かつて小学校があった。
古い木造校舎の、小さな小学校だった。

その小学校の運動場で、ワタシは父と母に手を繋がれて遊んでいた。

その光景の中に、4歳違いの弟の姿は見えない。
だから、おそらくそれは、ワタシが3歳・・・もしかしたら、弟が母の身体に宿る前の2歳の頃の記憶なのかも知れない。
(今回のブログに添付した、上部の写真の頃だろうと思う)

春だった。
日差しが眩しい青天の日だった。

ワタシと父と母は手を繋いで走ったり、追いかけっこをしたりして遊んでいた

ワタシは、笑っていた。
父も、笑っていた。
母も、笑っていた。

ワタシは、嬉しかった。
心の底から、嬉しかった。
その感情の記憶が、今でも強烈に心に焼き付いている。

物心がつく前から両親が共働きで祖父母に育てられていたワタシにとって、父と母は別々に存在する人だった。
そんな2人が、同じ場所、同じ時に、自分と一緒に遊んでくれていることが、信じられないほど嬉しかったのだろう。

大袈裟かも知れないが、この出来事が、ワタシが「幸せ」というものを感じた生まれて最初の出来事だったのかも知れない。
だからこそ、50歳近くになった今でも、記憶の奥底に残っているのだろう。

記憶の中の父と母は、若く、元気で、大きくて、そして何よりも、優しかった。

これからも、ワタシが父のことを思い返す時、きっと、この古くてささやかな記憶を思い出すことになるのだろう。


お父さん、ありがとう。

さようなら。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水無月の空。

2018-06-26 | Weblog
早朝、梅雨の晴れ間の空を見上げる。



今日は、暑くなりそうだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日。

2018-06-17 | Weblog
今日は、父の日だった。

娘はバイト。息子は部活。

私も一応、20年近く「父親」をやっているのだけど、今年もこれといったモノは何もなし(笑)

まぁ、それでいい。
今は親に感謝するよりも、2人とも「自分」を作ることを最優先にすべき時なのだから。

だからというわけではないが、ワタシは自分の実家へ。
自分の子ども同様に、ワタシも特別なプレゼントは用意していないし、感謝の言葉を口にするつもりはないけれど、とりあえず、同じ屋根の下、父親と一緒の時間を過ごした。
今日が「父の日」だということを親父は忘れているかも知れないが、そんな過ごし方の日曜日も悪くないだろう。

暇つぶしに、2階の本棚からこの本を持ち出して、久しぶりにページをめくった。



古い本だ。
30年ほど前に買った、浜田省吾の自叙伝。

しかし内容は単純明快なサクセスストーリーというよりも、昭和という時代を生き抜いた父と子の物語という印象が強い。

初めて読んだ時はまだワタシは高校生だったので、当然のように100% 息子(浜田省吾)側の立場で読んでいたのだけど、今ならば、息子と父親双方の立場で読めるような気がする。

この人の音楽は、ここ10年くらいホントに聴かなくなってしまっていたけれど、これを機会に、また聴いてみようか。

……話は変わるけれど、10年といえば、このブログ、明日6月18日で、開設から10年を迎えることになりました。
といっても、ここ2〜3年は更新頻度が落ちたから、実質、開設から7〜8年ですが(笑)
まぁ、これからもマイペースで、それこそ徒然でやっていきますんで、どうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無常。

2018-06-05 | Weblog
梅雨入りした。

平年よりも2日早いらしい。


雪が降って、桜が咲いて、若葉が芽吹いて、梅雨に入って。

そして、約2か月ほど続くこの雨の季節が終われば、夏。

暑い暑い、熱い夏。




そうか。

そうだよな。




今年も春は、春で。

今年も初夏は、初夏で。

今年も梅雨は、梅雨で。


ワタシやワタシの周りにどんなことがあろうが、どんなふうになろうが、

季節はいつも通り変わってゆく。流れてゆく。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする