りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

スクラップ&ビルド。

2013-01-28 | Weblog


ちょっと分かりにくいけど、上の写真はボクが暮らす町に先週オープンしたショッピングモールだ。

スーパーマーケットとドラッグストア、そして百均ショップと小さなクリーニング店が広い駐車場を
グルッと囲むようなカタチでオープンした。
土曜日の午後、行ってみた。
今年一番の寒波の中、駐車場はほぼ満車状態で、どの店もお客が溢れんばかりの盛況だった。

それにしても、様変わりした。
ここには、紡績工場があった。それもつい半年ほど前まで。
その工場については、このブログでも何度も取り上げたことがある。



赤いレンガ壁の古い、本当に古い紡績工場だ。
先の大戦の際には英軍捕虜の収容所にもなっていた・・・と書けば、その紡績工場の歴史的価値が
少しは分かってもらえるだろうか。

そんな工場を解体して、このショッピングモールは生まれた。

工場が解体される前、小さいながらも存続運動は起こった。
しかしそれも出来レースのようなモノだったのか、フェイドアウトするかのようにいつの間にか
消えてしまっていた。

ふと、ショッピングモールの隅に目がいった。
ドラッグストアの横、道路との境の辺りに細長いモノが建ててあった。
近づくと、それは“ここには昔、英軍捕虜を収容した紡績工場があった”という説明文と、収容されていた
英軍捕虜兵の名前を刻んだモニュメントだった。
店舗の出入口から離れ、駐車場からも死角になっていて、お客はもちろん従業員でさえも近づかないのでは
ないかと思うような僅か数坪の土地に、そのモニュメントは墓標のように建っていた。

各店舗を覗いてみた。
全国の例に漏れず少子高齢化が進む田舎のこの町で、いったい誰がこれだけのモノを買うのだろう?と思うほど、
スーパーマーケットはもちろんのこと、百均ショップもドラッグストアも、ありとあらゆる物が陳列されていた。
お客のクルマは、引っ切りなしに駐車場への出入りを繰り返している。
店頭では、店員が客の呼び込みの声を上げている。
その声に誘われるように、大勢の客が店内に飲み込まれてゆく。

ショッピングモールが出来たおかげで、この町はかなり便利なることだろう。
生活が一変するかもしれない。
でもその代わりに、とんでもなく大切だったモノを、この町は失ってしまった気もする。
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ウェルカムボード・1月。

2013-01-27 | Weblog
玄関に掲げている娘が描いた
季節ごとのウェルカムボード。

いつの間にか、1月バージョンに
変わっていた。
といっても、1月もあと一週間足らずだけど。

今年の我が家の年賀状は娘に描いてもらった
のだが、年賀状の目的上、色々と制約があるためか、
今思えば、十分に彼女の絵の良さが出ていなかった
ような気がしている。

一方、このウェルカムボードは、季節の風物詩を題材に
して、娘が好きなように自由に描いている。
年齢、性別、キャリアに関係なく、やっぱり制約の有無は、
作品を創る時にかなり影響するのかもしれない。

考えてみれば、ボク自身も、仕事でモノを創る時と
完全プライベートでの創作の時では、作品の出来以前に、
取り組み方や気持ちの有り様もかなり違う気がする。
(もちろん、どっちが良い悪いという意味ではなく)

娘のウェルカムボードを見て、ふと、そんなことを感じた。

ところで今日は、二日酔い(@_@)
最近、お酒の飲み方が変わったのか、それとも単に弱く
なったのか、翌日にアルコールが残ることが多くなった気がする。
あーー、胸が痛い…。
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最後のCD・・・かも。

2013-01-25 | Weblog
ミュージシャンの佐野元春が、今春新しいアルバムを発表。

オリジナルアルバムとしては、6年ぶり。
最近では、キャリアが30年、40年選手のミュージシャンは、これくらいの
スパンが当たり前のようになって来た気がする。
もっとも長年のファンも同じように時間を重ねているわけだから、昔に比べて
時間の感覚が早くなっているので、さほど長い時間待たされた気がしていない
のではないだろうか。

そういえば、ボクが佐野元春を聴きはじめたのは、30年前のちょうど今ごろだった。
中学1年生で13歳。
陸上部員で、駅伝大会が間近に控えていて、寒風の中、いつも頭の中で「スターダスト
キッズ」や「ハッピーマン」を歌いながら走っていた。

そうか。もう30年も経つのか。

そんなことを思い出したら、何だか感傷的になってしまったのか、新しいアルバムを
反射的に予約してしまった。
予約先は、AMAZON。
だいたいCDやDVDはAMAZONで購入しているのだけど、そういえば、CD自体を購入
することも最近はホントに少なくなった。
昔ほど貪欲に音楽を聴かなくなったこともあるけど、それよりも何よりも、圧倒的に
ダウンロードで済ますことが多くなったもの。

今にはじまったことではないし、何を今さら・・・と言われるかも知れないが、
CDにしろ、DVDにしろ、本にしろ、どんどん“実体”というものが無くなっている。
便利であることは事実だけど、その一方で少し虚しさを感じてしまうのは、ボクも
古い世代の人間になってしまったからだろうか(笑)

それでも、この動きはこれからどんどん加速してゆくのは間違いがないわけで。
もしかしたら、CDというモノを購入するのは、ボクにとってはこれが最後になるかも
しれないなぁ。
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もはや、祈りに近い。

2013-01-23 | Weblog
今日、仕事でロゴマークのデザインの依頼があった。

昨年もいくつかロゴマークはデザインしたのだけど、
一般企業のロゴマークデザインは、もう本当に久しぶり。

株価が上がったり円安になったりと、政権が変わってから
上向きなニュースが続いているけど、一般市民のボクらから
してみれば、まだまだ実感の“じ”の字もないわけで。

でも地方の田舎の片隅でも、こういう仕事が動き出すということは、
本当に少しずつ景気が良くなりだした・・・ということなのだろうか。

できればそうであって欲しい。
そんな祈りにも近い想いを胸に、デザインしていきたいと思う。

・・・もっとも、まだ頭の中はカラッポだけど(笑)
まぁ、何とかなるか。
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完治っぽい。

2013-01-21 | Weblog
昨年の春頃から突然足の裏が痛くなったことについては、このブログでも何度か書いてきた。

足底筋膜炎という、今までなったことどころか、聞いたこともなかった
病名だったのだけど、結局のところ、足の裏の筋肉が長年の歩行に
耐えきれなくなって疲労困憊してしまった・・・というような感じ
だったらしい。

整骨院に行ったり、外科に行ったり、自分でもマッサージをしたりと、
いろいろやってみたのだけどなかなか治らず、酷い時には、本気で
車椅子のお世話にならなければいけないのではないか?と思うほどだった。

それが昨年末あたりから、様子がおかしい。
どうやら、やっとこさ快方に向かいはじめた様子なのだ。

家でもフローリングの上を歩くのは痛いので、必ずスリッパか厚手の
ソックスを履いていたのだけど、それも最近は不要になりはじめた。
何よりも、普通に歩いたり走ったりできる!
冗談のように思われるかも知れないが、痛みがピークの時は、それらが
本当に至難の業だった。

もっとも完璧に痛みがなくなったわけではなくて、今も右足の踵辺りには
まだ微妙に痛みが残っている感じ。
だから、今も写真のように足底筋膜炎用のサポーターを常時付けています。
まぁ、もうサポーターがなくてもあとは自然治癒力で治るのかも知れないけど、
サポーターがないと思うと、心理的に不安になるんだよ。
「アルプスの少女 ハイジ」のクララみたいなもんだ(笑)

身体の一ヶ所でも故障があると、本当に生活全般に支障をきたすし、精神的にも
前向きになれない。
それは今回、痛感した。

このまま快方一直線に向かってもらって、なんとか春頃までには完治したい。
切に切に切に願っております。
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仏作って魂入れず。

2013-01-20 | Weblog
息子のクリスマスプレゼントだった、安土城のプラモデルが
やっと完成。

もっとも、息子はプラモデルを作ったことがないので、ほとんど
ボクが作ったようなものだが(笑)
ボクにしても、プラモデルを作るのは10数年ぶり。
しかもお城のプラモデルとなると、小学生の時に熊本城を作って
以来だから、30数年ぶり。

小学生の時は、それこそありとあらゆるプラモデルを作っていたから、
細かいHOW TOも体得していたのだけど、やはりプラモデルも
“継続は力なり”なのか、忘れていることも多々あったなぁ。
プラカラ―(着色)の順番とか、効率のいい接着剤の付け方とか。
設計図通りに作るだけでなくて、設計図には記されていない、自分
なりの独自の工夫というものがプラモデル作りには必ずあるのだけど、
それをほとんど忘れてしまっていた。

設計図に従って、一応、城の形には出来あがった。
息子は初めてのプラモデル作りということもあって、出来あがった
こと自体に満足しているようだった。

でも、何か足りないような気がする。
厚みがないというか、深みがないというか・・・。

やっぱりマニュアルだけを絶対視してモノ作りを進めても、100点満点で
120点を獲ることは出来ないのかも知れない。
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やなぎさわしんご~。

2013-01-18 | Weblog
去年の秋に、YOU TUBEで彼のネタ(と言っても過言ではないだろう)の
「平馬先輩」を見て、もう腸が裂けるかと思うほど笑い転げたのだけど、
続けざまに見たこのネタも秀逸だった。

昨日の夜、久しぶりに見たけど、やっぱり面白かった。
腸が裂けるどころか、笑い過ぎで五臓六腑が爆発しそうになった(笑)

彼のこういうネタを集めたDVDとか発売しないのだろうか?
実現したら大ヒット間違いナシだと思うんだけど。

慎吾ちゃん、サイコーです!

柳沢慎吾「若山富三郎」
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清須会議。

2013-01-17 | Weblog
三谷幸喜著 「清須会議」を読んだ。

最近は本を読みはじめても読了まで早くても1週間くらいかかるのが
常だったのだけど、この本は1日で読み終えてしまった。

歴史好きな方ならご存知だと思うが、「清須会議」とは、天正10年
(1582年)6月2日に本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒された
直後の6月27日、織田信長亡き後の跡継ぎや領土の再編について、
織田家の重臣である柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興らが
話し合った会議。
実質この会議によって羽柴秀吉、後の豊臣秀吉の天下人としての扉が
開かれたと言っても過言ではない、戦国時代のターニングポイントに
なった出来事だった。

結論から言えば、面白かった。それも、とてつもなく。

上述した通り、ここでの立ち振る舞いによって、歴史の流れが大きく
変わってしまう重要な会議だったので、その会議の裏で蠢く人間心理、
駆け引き、権謀術数がこれでもかこれでもかと展開される。
こう書くと、魑魅魍魎のおどろおどろしい物語のように思われるかも
知れないが、当代随一の人気作家の三谷幸喜がそんな文章を書くはずがない。
物語は終始ユーモアとウェットに富んだ文体で軽快に展開していて、途中
声を出して笑ってしまう箇所も多々あった。
特に、羽柴秀吉の最大のライバルとなる柴田勝家の立ち振る舞いには、
歯痒さや哀れさを通り越えて、最後には愛しささえ感じてしまった(笑)

それにしても唸ったのは、その構成。

本能寺の変から、清須会議までを時間軸に沿って綴られているのだけど、
そのあらすじや説明は、すべて登場人物たちのモノローグ(独り言)形式で
展開されており、小説いうよりもシナリオのような構成だった。
おそらく映画化を前提にした作品だからこのようなスタイルになったのだろう。
これまでもフィクション・ノンフィクションに関わらず、歴史モノの作品は
数えきれないほど読んで来たけど、こんな切り口の歴史小説は読んだことが
なく、なんとも新鮮な感覚だった。

この作品、今秋には映画化されて公開される予定。
野心あふれる羽柴秀吉には、大泉洋、冷静沈着な丹羽長秀には、小日向文世、
風見鶏の池田恒興には、佐藤浩市、そして人間の悲哀あふれる柴田勝家には、
役所広司。

もちろん、見に行きますとも。
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百島診療所。

2013-01-16 | Weblog
本日1月16日(水)19:00より、フジテレビのバラエティ番組「おじゃマップ」で、
尾道の沖に浮かぶ島・百島(ももしま)の診療所が紹介されます。

「おじゃマップ」公式サイト
http://www.fujitv.co.jp/ojamap/index.html

開院したのは2年前の春。
小さな島の小さな診療所なので、派手な宣伝活動はしていませんが、
それでも開院時に、医院のリーフレットやホームページの制作に
私も関わらせていただきました。
もしよろしければ、ご覧ください。

「百島診療所」ホームページ
http://onomichi.main.jp/momoshima/index.html
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大人って、何だ?

2013-01-14 | Weblog
今朝、目覚めにテレビのスイッチを入れたら、「はなまるマーケット」に
作家の伊集院静氏がゲスト出演していた。

めったにテレビに出ない氏なので、“珍しいこともあるもんだなぁ”と寝ぼけ眼で
ぼんやり見ていたのだけど、案の定、新刊発売の宣伝を兼ねての出演だったようだ。

氏が話す言葉は、寡黙な作家が多い中では比較的流暢で快活なのだが、それでも
終始うつむき加減で、どことなく居心地が悪そうに見えなくもなかった。

そんなちょっとちぐはぐした空気が流れていたトークコーナーも終盤を迎え、司会の
やっくんがそんな氏に対して最後の質問を投げかけた。

「伊集院さんにとって、大人って何ですか?」

それまで“どうしてオレがこんな朝早くからテレビに出なきゃいけないんだよ”的な
空気を出し続けていた氏は、その質問を受けた途端、瞬時に顔をあげ、両眼で司会の
やっくんをまっすぐに見据えて、こう言った。

「まずひとつは、自分の言動に責任を持てること。それからもうひとつは・・・
自分以外のために生きる、ということでしょう」

こんなことを言ったら失礼極まりないのかもしれないが、別段珍しい言葉ではないと
思う。今までも言葉尻は違えど様々な人が様々な場所で定義してきたことだと思う。
しかしベストセラーの「大人の流儀」を著した伊集院氏が口にすると、必要以上に
説得力があるような気がするのは、ボクだけだろうか。

ひるがえって、自分自身はどうか?

家族を持っている手前、また紛いなりにも毎日仕事をしている手前、たしかにもう
ボクも自分のためだけに生きているのではないのだと思う。
でも、完全にそうだ!と言い切れる自信がないのは、どうしてなのだろう。

手前みそながら、このブログに関しても、今まで様々な事柄について書いてきたが、
その根底にあるテーマというかネックになっているのは、「いったい、大人って、
何んなんだ?」というような気がしている。
5年もブログをやってきて、いまだ明確な答えが書けないということは、一朝一夕で
見つかるようなものではないのかもしれない。

・・・そういえば今日は、成人の日だった。

そうか。だから朝っぱらから「大人の流儀」の伊集院氏がテレビに出ていたのか。
なるほど。

ボクが成人式に出たのは、もう23年も前だ。
わざわざ成人式に出るためだけに、訳のわからんブランドのスーツをローンで
買って、式典会場に向かった。
中身は空っぽだったけど、身に纏っている服さえ良ければすべて大丈夫だと、
本気で思っていたのだろう。

かわいいとかバカを通り越えて、哀れ過ぎる20歳だった(笑)

それから倍以上の年月が過ぎただけど、自分があの頃より大人になったような気が
あまりしていない。
もちろん、それは感覚的なものであって、冷静に考えれば、自信も周囲も、あの頃より
大きく変わって、それでもちゃんと生きているのだから、おそらくそんなことはないの
だろうけど。
きっと、これからもこんな葛藤や迷いを振り子のように抱えつつ、それらと上手く
付き合いながら、生きてゆくことになるのだろう。

敢えて言うなら、それが今のボクが考える“大人”ということなのかもしれない。
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