りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

のぞみと高級チョコレート。

2023-03-29 | 家族
今日は有給休暇を取ったので、仕事はお休み。

午前中、家の事でしなければいけなかった用事を済ませ、午後からは、春休みで帰郷していた息子が大学に戻るというので、妻と一緒に福山まで。

ちょうど一年前の今日、大学に合格した息子は長年暮らした我が家を出て行った。
一年後の同じ日に、また息子を見送るというのも何かの縁だろうか・・・というのはさすがに大袈裟か😅
うん、たまたまの偶然だな(笑)

この一年間、盆正月とかにも帰ってきていたのだが、これまでは毎回高速バスだったのが、今回は新幹線。
数ヶ月おきとはいえ、さすがに片道4時間の移動にも飽きてきたようだ(笑)

新幹線ホームに上がると、平日の午後の、しかも人口50万未満の都市の駅だというのに、のぞみに乗ろうとする乗客は意外と多くて、ホームにはけっこうな人の列が出来ていた。

列の最後尾に並び、列車が到着するまで、息子と取り止めのない会話。

新幹線に乗るの、いつぶりだ?と息子に尋ねたら、「修学旅行以来」というので、「じゃあ、3年ぶりか」とワタシが言ったら、「違うよ、小学校の修学旅行だよ」と息子が答えたので目を丸くしてしまった。

そうだった。

息子の中学の修学旅行は東京だったので往復ともに飛行機だったし、高校の修学旅行に至ってはコロナ禍真っ只中で中止になったのだった。

反省。

ひとつは、息子の学生時代のことをちゃんと憶えていなかったこと。

もうひとつは、家族旅行の交通手段に、ことごとくマイカーを使ったこと(笑)

定刻通りにのぞみがホームに滑り込んできた。

ドアが開くや否や、息子を含めた全ての乗客がせわしく乗り込み、そして瞬く間に出発してしまった。



ホームに残ったのは、ワタシと妻を含めた数人の見送りの人々。

先ほどまでの喧騒が嘘のよう。

この閑散とした空気。
まるで映画「ローマの休日」のエンディングようだ・・・というのは、これまた大袈裟か😅

駅から出ると、桜も咲いていることだし、せっかくなので、駅のすぐ北側に鎮座する福山城公園を少し散策。



昨年、築城400年を記念してリニューアルした天守閣。
以前よりも、畏怖堂々とした佇まいに変身。

でも、ジーッと見ていると、カカオがいっぱいの高級チョコレートが食べたくなるのは、ワタシだけだろうか(笑)
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草臥れたおじさん。

2023-03-21 | 読書
いやー、それにしてもWBC準決勝は、すごかった。

休日だったこともあって試合開始の時も布団の中からテレビ観戦していたのだけど、9回裏、村神様が逆転サヨナラ弾を打った瞬間、思わず布団から飛び起きて、2塁打を打った大谷翔平ばりの雄叫びを上げ、おまけに目頭も熱くなっていた。
テレビを見て涙腺が緩むなんて、M-1グランプリで錦鯉が優勝した瞬間を見て以来だ(笑)

午後からは図書館へ。
この本を借りた。



荻原浩氏の短編小説集。

帰宅すると、午前の劇的な試合を振り返えるテレビ番組を眺めながらページをめくった。

7本の物語が紡がれているのだが、奇しくも、最初に紡がれていたのは、元プロ野球選手の物語だった。

物語の詳細はここでは伏せておくけれど、主人公はかつてはひたすら野球少年だった中年の男。
その男の回想と現在を交互に描きながら物語は進んでゆくのだけど、この物語の主人公よろしく『草臥れたおじさん』を描かせたら、この人の右に出る人はいないのではないだろうか。

『草臥れた』といっても、単に哀れで惨めな姿をリアルに描くのではなく、『草臥れ』の中に、そこはかとないユーモアや愛嬌が見え隠れしている描き方といえばいいのだろうか。
そんなおじさんを描かせたら、この人に敵う作家はいないような気がする。

そんなふうにワタシが思うのは、おそらく物語の主人公の有り様に対してワタシ自身も何かしらの心当たりがあって、共感する部分が多々あるからだろうと思う。

なぜかって?

それはワタシも『草臥れたおじさん』だから(笑)

そんなことを思いながら、本を片手にテレビを見ていたら、BSで尾道ロケの番組がはじまった。

街ブラするのは、お笑い芸人の錦鯉。

・・・出来すぎだろ(笑)
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半世紀ぶり。

2023-03-04 | 家族
今日は、母とお墓参りに。

といっても、父や祖父母のお墓ではなく。

母の母の父母のお墓。
つまり、ワタシにとっては、母方の曾祖父母のお墓。

父方ならともかく、母方の、そのまた母方のご先祖様の墓となると、やはり感覚的にも遠くになりすぎて、訪れる機会が今までなかった。

ワタシはもちろん、孫にあたる母でさえも、いったいいつ以来の墓参なのか定かではないほど。
しかし、母がそんな感じなのに、ワタシには以前墓参した時の記憶が頭の片隅に残っていた。

遠い昔。
山の中腹の斜面に点々と墓が並んでいて、その麓の道端にクルマを停車して、登った。
よく晴れた日で、家族と登って行ったのだが、その中に4歳違いの弟の姿はない。
けっこうな坂道だったので、ワタシは母と手を繋いで登った記憶がある。
おそらく、母はまだ、弟を身ごもる前だったのだろう。


・・・ということは、この記憶は、今から50年前の出来事ということになる。


今回、そんな遠いご先祖様の墓参をすることになったのは、先日、母との他愛もない会話の中で、ワタシの脳内の最下層に残るこの記憶を話したことがきっかけだった。

当時3歳足らずだったワタシには具体的な場所は分からないので、助手席に座る母のナビに従って、クルマを走らせたのだが、案外迷わずたどり着くことができた。

沼隈半島の真ん中辺り。
公私に関わらず、ふだんクルマでよく走っている道の側だった。

50年前と同じように道端にクルマを停め、山の斜面を登った。
あの時と同じような穏やかな天気。
坂道の途中で振り返って眼にした風景も、自分の記憶に残る風景と同じような気がした。

ひとつだけ違うことがあるとすれば、50年前は、母がワタシのために手を繋いで坂道を登ってくれたが、今回は、ワタシが母のために手を繋いで坂道を登ったことか。

花と線香を手向け、手を合わす。

半世紀ぶりの墓参。

曾祖父母とも、ワタシが生まれる前に鬼籍に入ったので一度も会ったことがない。
母でさえも、もう記憶が朧げのようだった。

そんな子孫の久しぶりの墓参を、お墓に眠る曾祖父母は喜んでくれただろうか。

いや、おそらく喜んでなんていないだろう。

突然、しかも半世紀ぶりに現れた自分達よりも年上になった孫とひ孫の姿に、お墓の中で腰を抜かすほど驚いていたに違いない(笑)
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