子ネコのかくれんぼ

2021-06-25 14:36:18 | 紹介


信玄ミュージアム内でも、かなり守られた良い場所に・・・
ちっちゃくって、かわいい子が💕
見つけたスタッフによると、別の1匹はちょっとそこまでお散歩に🐾
母猫は、さすがに心配で(?)その子について行ったとか。
残ったこの子は・・かくれんぼ?
それとも、やっぱり、狭いところって落ち着くのかな。

成長すればするほど、行動範囲も広がって、好奇心いっぱいに♬
でも、とっても用心深いので、私たちの前に姿を見せることはあまりないとは思いますが、
もしちょろちょろっと歩いていたら、どうぞ温かい目でお願いいたします。

ちなみに、写真の子も、もうどこか冒険に行ってしまった模様です。

無事に大きくなるんだよ!
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第40回藤村学校「講演と朗読~太宰治と甲府空襲~」を開催しました。

2021-06-24 17:32:41 | イベント
6月19日は、作家・太宰治をしのぶ日「桜桃忌(おうとうき)」です。

6月21日(月曜日)に開催した藤村学校は、
講演と朗読を行いました。

1校時の講演は、
太宰と甲府とのつながりについて、
山梨県立文学館学芸課長の保坂雅子さんに
ご講演いただきました。


2校時の朗読は、
山梨英和中学校の放送部3名に
小説『薄明(はくめい)』の一部を朗読していただきました。


太宰治が甲府で過ごした頃は
作品では中期と呼ばれます。
甲府での新婚生活で
健康面や精神面が安定し
作品にも反映されています、と
保坂講師がご説明くださいました。

『薄明』は太宰自身の甲府空襲の体験が描かれています。
とても痛ましい体験を、
「文豪・太宰が小説として残している」ということが、
皆さん興味を持たれるのではないでしょうか。

太宰には破天荒なイメージもありますが、
『薄明』では、自分の子への愛情深さが垣間見えます。

「もし、この子がこれっきり一生、
眼があかなかったならば、
もう自分は文学も名誉も何も要らない、
みんな捨ててしまって、
この子の傍にばかりついていてやろう、
とも思った。」

甲府空襲は7月6日の夜から7月7日にありました。
甲府の歴史を感じる小説『薄明』
読書におすすめです。
ぜひ、読んでくださいね。
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梅雨時の晴れ間、ワタ、そして特別展のお知らせ💌

2021-06-22 10:01:37 | 紹介
非常事態宣言から「まん防」におおかたの都道府県が移行しつつあった先週末。
甲府でも、気持~ち、人の賑わいを感じられる週末となりました。

ここ数日は、梅雨のハザマなのでしょうか。雲は多くも良い天気☀が続いています。
甲府北部の上空も、なんとも表情豊かな(?)空が広がっていました。
武田神社の北の空に

信玄ミュージアムの南の空


各地で人出が増えたことがニュースにもなっていましたが、
他の施設同様、当館でも、感染を防止するための試行錯誤は続きます。
ご来館の皆さまが、安心してご見学をお楽しみいただけますよう、
今後も気を付けてまいりますので、
ご理解とご協力を、よろしくお願いいたします🙇

<お知らせ>
信玄公生誕500年記念特別展、開催中!
第3弾「遺産から語る武田信玄 信玄公と戦」
前半:6月23日(水)~7月19日(月)では、
黒毛馬にまたがる信玄公や、川中島関連の錦絵を展示予定です✨
当館お立ち寄りの際は、特別展示室も、ぜひご見学ください。

「武田氏館跡」の御城印も、入室の記念にお渡ししております😉 

栽培中のワタ🍃種蒔きして32日。
本葉も出始めて、草の丈は10センチくらい。すくすく育ってます😊 
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だれが選んだの?甲斐八珍果(その2)

2021-06-21 10:57:19 | 紹介
信玄ミュージアム内、昭和初期の料亭旅館の庭に立つザクロ。


今、市場に出回るザクロの大半は輸入品なのに、
全国で、小規模ながらも、数少ない実ザクロの産地のひとつに甲府が入っている、そのワケを知りたくて。
そうしたら、ザクロは江戸時代には、「甲斐八珍果」のひとつに数えられ、
商品作物としての栽培が推奨されていたことがわかりました。
※「甲斐八珍果」はブドウ、ナシ、モモ、カキ、クリ、リンゴ、ザクロ、クルミまたはギンナンです。

甲斐国は、お米の収穫アップが難しい土地柄。
でも、傾斜地が多いことも、降水量が少ないことも、日照時間が長いことも、昼夜の寒暖差が大きいということも、
裏を返せば、果実栽培にはうってつけ。
奈良時代、クルミは献上品であり、平安時代の文献には「ナシは甲斐国の名産品」・・といった記述も残されています。
江戸時代に入り、こうした果物が商品作物として栽培され、甲州道中を通って、江戸に運ばれました。
一回に運搬できる量に限りがあり、しかも、運ぶのに気を使う果物ですので、どのくらいの規模の商取引になり得ていたのか・・。
ただ、少なくともブドウは、それなりの高値で売買され、土地の経済発展に貢献したと言えそうです。

この「甲州八珍果」の生みの親はどなたなのでしょう。
諸説あるようなのですが、こちらでは、候補者3名様をご紹介いたします。 

お1人目は、甲府城の築城に関わった浅野長政さま(1547-1611)
文禄2年(1593)より、朝鮮出兵中に亡くなった加藤光泰の跡を継いで、甲府拝領。
とは言え、豊臣政権の五奉行のおひとり。多忙ゆえに、国の実質統治は息子の幸長が行いました。
浅野氏は、それぞれの地域に国奉行を置き、統治体制を整えます。
また、太閤検地や、甲府上水の整備も浅野氏の下で行われたようです。

お2人目は、旧武田家家臣の家に生まれた柳沢吉保さま(1659-1714)
と言えば、第5代将軍徳川綱吉の下、大老格にまでなった方。
甲斐国を拝領されますが、忙し過ぎますね。実質的な統治は、家臣が行いました。
しかし、信玄公の百三十三回忌を恵林寺(甲州市)で行ったり、
城下町、用水路などの整備に加え、甲州金の一種「新甲金」を鋳造したり、さらにさらに実質的な減税も認めたとか。
墓所も、信玄公の菩提寺の恵林寺にあって、何から何まで甲斐びいき!?

最後のおひとりは、1805年、難しい時期に甲府赴任となったお代官、小島蕉園さま(1771-1826)
難しい時期・・とは、1792年に発生した太枡騒動、百姓一揆。
当時、お百姓の強訴は禁じられていたため、とても厳しい処罰が下されました。
そのあとの赴任ですから💦
とは言え、この方は孝行の大切さを説きまわり、砂混じりの土壌に合う(!)と甘草の栽培を勧めたり。
なかなか印象深いお代官だったのかもしれません。

実際に、果樹栽培を後押ししたり、八珍果を選定したかどうか・・?
本当のところはわかりません。でも、「甲斐のために力を尽くしてくれた人なんだ!」と、
記録には残らずとも、人々の記憶に残されたお三方・・ということは間違いなさそう。

甲府をぶらりと、通りがかりの庭に目を向けたら、
ザクロの花が咲いていた、なんてこともあるかもしれません。
甲府では、それもまた土地の歴史の現れ。
もちろん、当館では、ザクロだけではなく、
昭和生まれであろうとなかろうと、なんだか懐かしい気持ちになれる料亭旅館・旧堀田古城園もお待ちしております。
和めますので・・、ちょっとした気分転換に、よろしければお立ち寄りください。
ひし形のお茶室と、お昼寝する猫。最近、会ってません。
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ザクロもあります♬ 甲斐八珍果(その1)

2021-06-17 13:23:56 | 紹介
6月も半ばにさしかかろうという今日この頃。
梅雨入り前に、夏到来(!?)と言わんばかりに、暑い日が続いた甲府🌞
異例の早さで梅雨入りした西日本と打って変わり、先日、ようやく梅雨入りしました。
さすがにお天気も不安定で、予報に☂や☁マークが目立ちます。
気温も少しは下がるはずので、このあたりで体調を整えたいところです。

季節に合わせて、咲き頃を読み、行動(?)するのは、草木の方が上手です。
当館の旧堀田古城園の庭では、蛍光オレンジなザクロの花が咲き始めました。
桜などと違い、ザクロの花は、梅雨時から、長いものは9月ごろまで楽しめます。

こう見ると、すでに雲☁が多いです。

ふと、どうして堀田古城園にザクロが植わっているのかな。と気になりました。

旧堀田古城園の南の和室前のザクロ
聞けば、樹齢は、推定で120年以上とか。
堀田古城園が開業した昭和8年(1933)には、すでに立派なザクロの樹だったんですね。

日本にザクロがやってきたのは平安の頃。中国や朝鮮半島から、薬用として持ち込まれたようです。
栽培がさかんになったのは、江戸時代(1700年前後)以降。
江戸の園芸ブームが土台となって、迎えた黄金期は大正時代。「石榴名鑑」なんて出版物もあったようです。
昭和に入っても、ザクロの観賞は引き続き好まれたようですが、
太平洋戦争をはさんで、徐々に下火に。戦後は、住宅事情もあったかもしれません。

ちなみに、実は種ばかりのザクロ。豊穣のイメージが重なり、決して疎まれたワケではないようですが、
どうも、日本では「種なし」を好む傾向があるようで、日本のザクロ栽培は「だんご🍡より花🌼」
花だけでなく、樹皮や、らせんを想起させる幹も鑑賞の対象になったようです。

花の方が人気でも、実ザクロも国内で栽培されています。主な産地は紀州、瀬戸内海沿岸、九州南部のあたり。
でも、ちょっと意外ですが、甲府地方でも、比較的多く栽培されているとか。
ぼんやり眺めていましたが、ザクロが実る季節(9月下旬~11月上旬)になると、
確かに、県産のザクロが、ちゃんと売り場に出てます、ね。

調べてみると、甲州とザクロのご縁は、栽培ブームの前からのものでした。

「甲斐八珍果(はっちんか)」をご存じですか。
ブドウ、ナシ、モモ、カキ、クリ、リンゴ、ザクロ、クルミまたはギンナン
江戸時代、甲斐国で生産された果物の代表格、8種のこと。

そうなんです。ザクロも八珍果のメンバーだったんです!
つまり、遅くとも江戸時代には、甲府地方でザクロが商品作物として栽培され、
現在も、ザクロが他所より多く栽培されているのも、意外でもなんでもなかったんです。

後もう少し、お付き合いください🙇
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