昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

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放送記念日に読む「ラジオの戦争責任」坂本慎一著 PHP出版

2008-03-24 | 昭和三丁目の真空管ラジオ
放送記念日である3月22日、ボクは先日入手した昭和12年製造の並四ラジオ受信機から流れるNHKをBGM代わりに聴きながら、『ラジオの戦争責任』(坂本慎一著PHP出版 ¥798)という新書を読んでいた。 
        
 昭和6年の満州事変、昭和12年盧溝橋事件に端を発した支那事変を経て、大東亜戦争に突入した日本の国内世論は、これを支持、挙国一致で邁進した。「新聞」というメディアがその原動力となり、大きな役割を果たしたことは有名だが、「ラジオ」というもう一つのメディアがどう関わったのかを語られることは少ない。
現代を生きる我々が思い起こすのは、せいぜい “真珠湾攻撃成功と開戦を告げる臨時ニュース” と “終戦時の玉音放送” の場面くらいであろう。
        
        ▲『ラジオの戦争責任』(坂本慎一著PHP出版 ¥798)
 ではなぜ当時の国民は、満州事変から大東亜戦争に至る戦いを支持したのか?
この根本的な疑問に答えるために、本書の序章「世界最強のマスメディア・日本のラジオ」では、日本独特のラジオ聴取文化などの諸事情が解説され、続いて戦前戦中のラジオ放送にかかわった五人の人物を紹介している。

  ①労働=修行の思想を説いた高嶋米峰と、それを引き継いだ友松圓諦
  ②受信機の普及に情熱を燃やした松下幸之助
  ③「大東亜共栄圏」を広めた松岡洋右
  ④玉音放送の真の仕掛け人・下村宏

 彼らを通して昭和初期の日本人がどれだけラジオの影響を受けていたのか、理解できる。
また本書では、これまで見過ごされていた「声の文化」の歴史的影響力を真正面から検証するとともに、天皇陛下の「終戦の御聖断」の内幕も新資料から明らかにすることで、「ラジオ」というマスメディアの功罪を問いかける。
        
 昭和の戦争は、軍の独走・暴走という面も確かにあったが、世論がそれを支持したことも事実だ。
ではなぜ国民は、戦争を支持したのか?それは決して現在のモノサシで計れるものではなく、
『あの戦争は、軍国主義者主導による過ちだった』
とする東京裁判史観をもって、今を生きる我々が傍観者的に歴史を断罪べきではないと思うのです。
戦争の終盤、継続か終戦かと内閣でも意見が別れたとき、阿南惟幾陸軍大臣は、「 “一億玉砕” と熱狂している国民に終戦を納得させる方法はない」
と言って戦争継続を主張したことを考えると、軍部でさえも世論を無視することはできなかった、当時のリアリズムを本書から感じる。

 当時の日本は軍主導ではあったが、決して独裁国家ではなかった。

 そこには軍部を後押しした世論も確かにあった。

 この世論形成は、誰かが扇動したというよりも、当時の国際情勢と社会環境が大きく影響していたことを忘れてはならない。
世界大恐慌をきっかけにブロック経済がすすみ、欧米列強により日本の経済は危機的状況に追い込まれていた。国家滅亡への危機感をバックボーンとしつつ、大東亜共栄圏確立を理念とし、(一部の反対はあったにせよ)国民の総意に基づいて突き進んだ「防衛戦争」であったという側面からも、我々は目を逸らしてはならない。人々の内に秘めた “防衛本能” と “闘争本能” を具現化する役割の一端を、当時最強のメディアであったラジオが担ったことは間違いなさそうだ。
          
 そして同書の中で “新しいメディアには未知の混乱がある” と記されている。
インターネットの出現や放送と通信の融合とか、いろいろ騒がれている今だからこそ、メディアの持つ本質的な役割や機能について考えるべき時期が来ているのだと思いつつ、あらためて昭和12年盧溝橋事件勃発の年に誕生した並四ラジオWONDER受信機からの音に耳を傾けてみる放送記念日の夜であった。