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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」~断片

2012年10月05日 | ショスタコーヴィチ
ストコフスキ指揮LAフィル(放送動画)1942/10(44?)キャンプ・ヤング慰問live

1,4楽章の断片をソヴィエトで放送したものがストコフスキのファングループによってネットにアップされているのを見た。稀有壮大なストコの世界がこの断片からも窺い知ることができるが、この映像には諸説ありオケ名も最初はNBCとされていた(コンマスがコンミスであることとヤング基地の位置から疑問視されている)。LAフィル説にかんしてはこの長さではよくわからないがちょっと音が違う気もする。ちなみに動画はほとんど音とずれている。冒頭と最後だけあっているので別録をあてたものではないと思う。終楽章末尾にカットがみられるがこのコンサートシリーズでは40分の短縮版が使われていたとのことである。全部残っているのではないか?ともいうが・・・
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2012年10月04日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮NYP(vibrato:CD-R)1965/10/17live

録音が悪く放送ノイズが混入するのも辛いが、演奏はバーンスタインNYPらしい特有の迫力があり聴く価値はある。重い響き、暗く巨大なロマンチシズム、ショスタコらしさという点ではもう少し「血抜き」が欲しいところだが、純粋に音楽的な楽しさでは他のソヴィエト指揮者などには真似できない域に達している。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2012年06月05日 | ショスタコーヴィチ
○クーベリック指揮チェコ・フィル(supraphon)1945/12/13live・CD

クーベリック/チェコ・フィル時代の録音の一つだが、クーベリックらしく雑味も厭わずつんのめり気味に突っ走る演奏でそういうのが好きな向きには聴いていただきたい。とにかく感情的に突っ走るので弦が必死に追いつこうとがんばる(しかもこの時代のチェコフィルなのでなんとかついていっている)一方、木管が最初からピッチがあわずテンポも後ろ向きでミスも散発。録音がそんなによくはないので音の詳細はわからないが、そういう詳細にこだわらないライヴを繰り広げる指揮者なのであり、楽曲のフォルムが崩れても気にしない人なのであり、興奮するか噴飯するかはクーベリックの、まだ中年の頃の芸風を理解できているかどうかにかかっている。この曲だから、とにかく全編ウィリアムテルなんですよ、ということで早回し映画の劇伴音楽気分で楽しむがよし。縦の揃った演奏ばかりの中、前に倒れかかった演奏ぶりは今では聴けないたぐいのものだろう。終楽章は強引に盛り上がるので楽しい。○。
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番

2012年01月11日 | ショスタコーヴィチ
○スタイヴサント四重奏団(columbia)1942/7/30・SP

性急な演奏であっという間に終わってしまう。個々そうとうな技術力とアンサンブル能力を持っていることは一目瞭然なのだが、ややつんのめり気味というか、テンポが前に向きすぎな感もある。音色はいい。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2011年11月07日 | ショスタコーヴィチ
○ホーレンシュタイン指揮ベネズエラ交響楽団(放送)1954/2/18live

フルヴェン先生も振った名門だが終楽章こそ綻びが目立つもののおおむね充実した演奏を提示してくれている。ホーレンシュタインは前半楽章は速めのテンポで音符を短く切り上げる方法が特徴的でありリズムが強化されている。3楽章は地味だが終楽章は実直な中から大きな盛り上がりを引き出す。ショスタコの書法は冒頭のようにフーガを導入するなど目を引く部分はあるのだが基本単純で、直線的な旋律表現に頼るところが多い。ホーレンシュタインは勘所をよく押さえていて変に構造性を抉り出すようなことをしないから聴き易い。録音は悪いが迫力はある。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2011年05月30日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮NYP(orfeo)ザルツブルグ1959/8/16live・CD

モノラルで音はそれほどよくない。同時期得意とした曲の、手兵によるライヴ。集中力が音の迫力となって最後まで突き進む感じは壮年期のバンスタらしい。技術的ほつれは少ない。ソロ楽器もおしなべて巧いが終楽章、気分に任せてどんどんアッチェランドしていくようなところでは弦楽器に少々乱れもみられる。聴きものはやはり三楽章だろう。ロマンティックなマーラーとはまた違った静かな感傷が印象的である。スタジオ録音や他のもっといい音の録音と比べてとりたてて聴くべきとは言わないが、マニアならどうぞ。聴衆反応は穏やか。3楽章終わりで何か叫ぶ声が聴こえる。ブーイングなのかブラヴォなのか判別できないけど、内容的には後者だと思う。
Comments (2)
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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番~Ⅱ.

2010年04月18日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1965/6/21live

ド迫力のスケルツォで雑味もいとわず我先にと主張するかのような各楽器パートが凄まじい迫力を出している。抜粋演奏のため単曲として通常全曲演奏よりもボリュームある表現で一定の聴感を与えようとしたのかもしれない。ストコフスキに10番全曲はなかったかもしれない。同曲は皮相的にはこの楽章しか強いインパクトを与える部分がない、という考え方もあったかもしれない。客席もはじけっぷりに戸惑い気味。○。余りよくない客席録音で耳に痛い音質。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2010年04月15日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮ボストン交響楽団(SCC:CD-R)1965/8/15live

お盆の中日にこの曲をやる意味を考えると、、いや関係ないか。インホールで(クリアだが)よくはない録音。しかし水際立ったキレのよさに分厚く重いひびき、他オケとのものに比べ精緻さをそなえたまるでミュンシュのような迫力を提示、ボストンSOにしては雑味を感じる向きもあるかもしれないが、ストコフスキにしては極めて固くしっかりした演奏である。急くような前のめりのテンポ取りで音符を短く切り詰めた表現が印象的な前半楽章、ボストンの弦の面目躍如たる雄渾なアダージオ、いくぶん潤いが足りないが直裁な解釈を忠実に、弛むことなく弾ききったフィナーレ、管打を増強し極端に引き延ばされクレッシェンドをかけられた終止音のド迫力、盛大なフラブラ気味の客席反応。他録と似ているがいずれ感銘をうけざるをえない。一楽章終わりに拍手が入り仕切り直し、フィナーレはアタッカ。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2010年03月28日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R他)1972/5/7LIVE

新しいわりに音は悪い。手兵だけあって軽く明るく、美しいひびきにしなやかな表現は板についたものがあり、他客演録音と比べるとストコフスキらしさがより出ているように思う。三楽章のむせ返るような弦楽合奏、ねっとりした木管ソロの競演、ストコフスキの独壇場だ。曲の響きの重さに引きずられることもそれほどない。個性的な変化付けやデフォルメも、横の流れの上に有機的に紡がれ不自然さがそれほどない。これもストコフスキらしさだがややラフさが気になるし、技巧的にはとりわけ優れているわけではなく、深刻さを求める向きには甘い演奏に聞こえるかもしれないが、スケルツォの即興に流れるような前のめりなテンポなど、ライブ感は楽しめる。フィナーレがやや弱く作為的に聞こえてしまうのは楽団の疲れのせいか。ホール残響が強いので、真実はまた別かも。なにせブラヴォが凄まじ過ぎる。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2010年03月28日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1965/3/12LIVE

比較的有名な放送音源でストコフスキの革命では素晴らしくよい録音。開放的なアンサンブルだが決定的な崩れはなく、ブラスとパーカスを強調し分厚い弦楽器のうねりで響きを盛り上げていく。確かにBSOの音だがフィラ管のように華々しく聞こえるのはさすがだ。大きな表現の中で非常に煽情的なテンポ設定、特徴的なアーティキュレーション付けはいずれも別録に聴かれる解釈とほぼ同じだが、細かくは弦にオールドスタイルなポルタメントを導入したりなど、ミュンシュの繰ったボストンSOの力量と特性が、少しきしんではいるけれど、遺憾無く発揮されているといっていい出来。アタッカで度肝を抜く異常なクレッシェンドで幕あける終楽章、テンションを途切れさせず(かなりあざとい表現ではあるが)大ブラヴォを煽る結末はききものだ。ソリストのレベルも大きく影響している。中間楽章の木管が素晴らしく力強いのが印象的。編成のせいもあろう響きが低くやや重い、それに引きずられるようにテンポも遅くなる、両端楽章では気になるところではあるが、けして単調でないこと、リズムのキレが素晴らしくよいことでカバーされる。ステレオ。○。ストコフスキはこの曲を好んでいたようだ。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2009年05月22日 | ショスタコーヴィチ
○ライナー指揮クリーヴランド管弦楽団(WHRA)1945/1/14live・CD

WHRAは本格的に往年の放送音源を集成し始めたらしい。これもアメリカ国内流通は禁止なのだろうか、しかし主としてDAが出していたへっぽこ音源をより質よく(恐らく放送ライヴ如何にかかわらず原盤?)データも正確に出しているらしい、ライナーにかんしてはこれは第一巻となっているので、マイナーレーベルにありがちな第一巻で終了ということのないようにしてほしい。クリーヴランド管弦楽団はセル以降ヨーロッパ色が薄まりすっかりアメリカ五大オケの名にふさわしい腰の軽さと明るい音を売りにできるようになったが、この時代はまさにヨーロッパからの流入組がそのまま音を出しているといった風情で重く迫力のある音で後期ロマン派的な音楽が展開される。ライナーの指示は厳しくキレよく統制が行き届いているが、しかしショスタコーヴィチをやるにあたってトスカニーニふうの乾燥し何の思い入れもないような表現には陥らない。抒情的な悲歌の1楽章を含めて非常に娯楽的な演奏でもあり、そこが逆に「ソヴィエトの偽善に対するシニシズム」を殺している感もあるくらいで、特に終楽章の盛大などんちゃん騒ぎはライナーという「チョッキ幅の指揮者」のイメージを「聴かないで想像している」向きには意外と感じられるだろう。強いて言えばセルよりはフルヴェンであり、そこに計算が行き届いている、といった感じか。もともとヨーロッパ戦線が終結に向かうことへの祝祭的意味合いが篭められて然るべき時代背景である(太平洋ではこれからが地獄だったわけだが)。この演奏はショスタコらしくなくても、ある意味正しい。6番でカタルシスを抱きたいならぜひ。

ただ、録音は悪い。


The Art of Fritz Reiner Vol.1: 1942-1952 Live

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ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

2009年05月16日 | ショスタコーヴィチ
○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VIBRATO:CD-R)1990年代・LIVE

既出か。インホール録音とあるがそれにしては安定して雑音も少ない。ロシアのカケラもない表現は作曲当時西欧におけるこの曲の受容ぶりがうなづける、是非はともかくモダニズムな側面をきちんと掬い取ったもので、淡色系の音を出す俊敏なオケを相手に、ルーチン的ではあるがだからこそ変なケレンの無い演奏に仕上がっている。拍手も極めて冷静、なるほどチェリの神格化直前だからこそ、実は1番真価が伝わりやすい。1番なんかで9番並の諧謔性を表現できたのはこの人だけではないか。普通にやろうとしても、これはへっぽこになる。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

2009年01月22日 | ショスタコーヴィチ
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(Lanne:CD-R)1968/12/30live

これが惜しい。スヴェトラ・ソビ響共に全盛期の演奏と言えるものだ。ぬるまゆい音響表現と余裕有る技術・大編成でショスタコの痩せぎすな音楽をロマンティックに聴きやすく肉付けし、ボリュームたっぷりの大交響曲として取りまとめてみせる。もちろんムラヴィンやコンドラシンのようなショスタコを指向する向きには受けるかどうかわからないし、こういうショス1はトスカニーニともまったく違った柔らかさを持ち現代の耳からすると少々違和感がある。でも面白い。メドレー的に繋がれた楽想を有機的に重厚に歪み無く継いで行くのはスヴェトラのショスタコならではの職人的なわざで、晩年のロシアオケには不可能な「後は最強オケのアンサンブル能力にお任せ」的なところでもあるが(ソロヴァイオリンの巧さに瞠目!)、ショスタコ初期の薄い書法はそうすることで古い聴衆にも十分鑑賞に耐え得るものになるという見本。オケの非常に手馴れた丁々発止にくらべピアノが少し鈍い感もあったが別に問題とするほどではない。問題は録音なのだ。終盤で非常に撚れてノイズが酷くなり、霞んだまま終わってしまう。せっかくのクライマックスが!拍手は普通。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

2008年12月04日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮フランス国立管弦楽団(lanne:cd-r)1969/7/29パリlive

これは最初こそラジオノイズが気になるが細部までウブい音でとらえられ、素晴らしい拡がりあるステレオ録音、バランスは弦が強くブラスは比べれば若干引き気味でとらえられてはいるが、アバウトさもひっくるめて力強いコンドラシン壮年期の表現が最上級の聞きやすい(ロシアの癖のあるオケやホールの音ではない)録音で聞ける。曲自体の価値を高める感すらある。コンドラシンがロシアでアメリカなど他国の音楽をやったときのような、ショスタコなのにショスタコじゃない、スヴェトラが外国へ出て振ったときのような「ロシアオケじゃないとこうなるんだ」的なものもあるが、意外とショスタコをロマンティックにとらえ、ギチギチの楽章こそ即物的な「らしさ」が強調されるものの、ゆるやかな大半の部分にあっては暗すぎず響きと旋律の美しさが感傷的な起伏をお自ずとおりなしていき、バンスタをふと想起するところもある。「革命」の隔世エコーがひびくとその感を強くする。曲は違うがprofilのバイエルンライヴに似た録音の感触があり、機会があれば聴いてみてください。○。

正規録音全集(この値段て・・・)




KONDRASHIN;
Kirill Kondrashin
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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

2008年10月31日 | ショスタコーヴィチ
○カスマン(P)ターリッヒ四重奏団(CALLIOPE)2001/11・CD

タコマニアって言ってることがわけわからないことが多いのだが、理屈屋か思想マニア(思想家とは言わない)が多いせいなのかな。同時代者として一方的な愛情を感じる向きも多いんだろう。しかし音楽を作る側にとってみればそれは二の次の感覚で、まずは純粋に譜面を読み解きアンサンブルを計画するのである。現代はそれが極められていないと受け容れられない、音楽は一期一会ではなくメディアを使って残り続けてしまう、20世紀前半の様相とは全く異なるものになっていて、だからミスはおろか音色の瞬間的なブレすら許されない(演奏する側にしてみれば聴く側の指摘できるくらいの「些細」って物凄く大きな失敗として即座に感じ取れて当然のものなんだけど)、高精度は当然、そこに何かプラスする余裕のある人は指揮者だけ、ってことばかり。指揮者なしで現代の曲はなかなか難しい。ショスタコの同曲のように単純であっても。ソリストは異質。

この演奏はまったく現代のもので、極めて高い技量をもつ同士の組み合った、それでも窮屈さを感じさせない自然な歌心を(盆踊りに響く怒鳴り声ではなく春風のような歌心を)感じさせて秀逸だ。この曲はそれだけで十分の素直な曲なんですよね。プラスするものは無い。これでいいのです。作曲家の同僚であった人たちや、同じ空気を吸っていた人たちの名状しがたい深刻なものは差異としてあるけど、それはもう過去のもの。素直に喜んで終演すればいい。○だが一般的に聴くには、ほぼ新団体によるこれが一番。冒頭にのべたような人たちがさかんに薀蓄をたれるたぐいの、変な色付けが無いから。時代性からそろそろ切り離してあげたほうがいいよショスタコは、皆々様。
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