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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番~Ⅰ.

2008年10月30日 | ショスタコーヴィチ
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/4/7通しリハーサル

重く引きずるようなテンポで、かなり後ろに持っていかれる形で始まる。重苦しいというよりロマンティックな「操作」の感じられる音楽。革命やレニングラードに娯楽性を見る人には向くだろうし、逆に、ちっとも骨ばったショスタコ的洗練がなく、編成を厚くしてどんどん解釈を反映させている感じで、作曲家が駄目出しをしたのはまさにこの録音だったかもしれない(リハと銘打ってはいるが恐らく正規のお蔵録音でモノラルながら状態もよい板起こし)。歌謡性は強いもののそれを支える音響もまた分厚くロシア男子的な粘着気質を感じさせる。クーセヴィツキーらしいし、これはこれで面白く聞ける。○。
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ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番

2008年10月17日 | ショスタコーヴィチ
○ロストロポーヴィチ(Vc)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(russiandisc他)1967?/9/25live・CD

今は廉価盤で容易に手に入るようだ。映像もあるのではないか。この晩期ショスタコの典型的な作風による簡素な協奏曲は、例によってほとんどがソリストによる悲歌ふうの旋律に貫かれ、連綿と弾き続けられる抒情的旋律に添えられただけのようなオケは、突然絡みが発生するような調子にあってかなり巧緻にソリストとアンサンブルしており、確かに各パート単体ではソリスト含めいわゆる「難しい」ところはないのだが、それだけに即意当妙な表現力とアンサンブル力、指揮者のさばき方が求められる。ロストロ先生の、雄弁というより悲痛な気持ちの抑制された表現が見事にひき立てられており、スヴェトラ先生の職人的な側面が発揮されている。ソリスト指向の強いプレイヤーが多いオケであることも、この曲の簡素なオーケストレーションに向いていたのかもしれない。ブレのない、地味だが印象的な余情をのこす演奏。○。優秀録音含め◎でもいいんだけどやや堅いかとも。ブラヴォが叫ばれる。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2008年10月15日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1962/3/4live

ストレートな演奏でスコアの弱さも強さも露呈するやり方をしている。旋律によって横に流されがちで、構造的にはただ二本の線が絡み合うだけのような簡素な曲なだけに、部分的な補強はなされるもののそのまま、3楽章はその方法で印象的だが、全般には旋律が強すぎる感じもする(ちなみにスコアをいじってはいるようだが強奏部の打楽器補強や低弦のアーティキュレーション強調など音量的配慮を前提にしたもので「改変」とまで言えるかどうかはびみょう)。ただ、揺れない。基本速いインテンポで押せ押せをやっており、4楽章などラインスドルフ的な即物性を感じる。この楽章で変な起伏をつけないところは他の演奏でもそうだがストコの見識というか、設計上の配慮か。突っ走るコーダで録音が乱れるのは惜しい。最後だけシンバルを轟かせた「ストコフスキ・クレッシェンド」。録音はやや篭ったモノラル。雑音は少ない。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死の歌」

2008年10月11日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮NYP、クビアク(S)ブシュキン(B)(Lanne:CD-R)1976/12NY LIVE

何と評したらいいかわからない簡素な連作歌曲集で、バンスタとはいえ「らしさ」は出し様が無く、純粋に歌唱のみの判定になってしまう。このサイトでは歌曲でも歌として評しない(できない)ことにしているので累々難しいが、点描的なバックに諦観を隠しきれない抑制されたラインが載り、表面的なシニカルさよりも、深刻な心象の水面に浮いた影のみを聞き取ることができると言ったらいいのか。一部ややロマンチックかもしれない。歌唱は普通。
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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

2008年05月19日 | ショスタコーヴィチ
◎ランガー(P)ターリッヒ四重奏団(PRAGA/Le Chant du Monde)スタジオ・CD
これは地味だがそつないターリッヒ四重奏団と音色的に見事に噛み合ったピアノが素晴らしい。余りペダルを使わず粒立った太い音はこの作曲家向きだ。新古典主義の簡素なこの曲は一部楽器のソロが異様に長いのが特徴だが、残響の余りない環境で独自色の無いながらも「地の音」で勝負しているファーストとピアノはかなりぐっとくる。それにも増してアンサンブルとして表現される合奏部はパズルのように完璧に組み合って不可分にきこえる。アンサンブルピアノとしては最上級の表現をなしている。総合的に突出はなく渋さは否めないが目立つところだけ派手にやるとこの曲は結局終楽章の有名な主題ばかり突出したキッチュなものになりがちだ。その点この演奏では終楽章も冷静に設計されたうえで構成を崩すような表現のブレをきたさないから、楽曲自体の本質を聞誤ることなく安心して聞ける。ターリッヒQは他にも録音をのこしているが室内楽団はメンバーチェンジも激しく「何度も録音している」というのは「別な団体として録音」に等しいものである。個人的にこの曲でいちばんしっくりきた演奏。ひっそりそくりと終わるのもスマートでかっこいい。◎。

<Le Chant du Monde盤>
String Quartets 1 & 2/Piano Quintet
Talich Qt
Le Chant du Monde

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(参考)
Shostakovich:Piano Qnt/Quartet

Calliope

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Comments (7)
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番

2008年05月19日 | ショスタコーヴィチ
○ターリッヒ四重奏団(PRAGA/Le Chant du Monde)1976チェコ放送録音・CD
彫りの深い表現で素直な譜面に対しテンポやアゴーギグの恣意性が目立つが、テヌート表現を避けアンサンブルとしての整合性を重視するがために感情的な盛り上がりがなくやや味気なさを感じる。この団体の芸風だと後半楽章のせわしない動きをスポーティに聞かせるのが得策だと思うが、旋律でもどうしても音符を短く切り詰めて表現するやり方、東欧的な金属質の平坦な音にくわえてどうも、上手いしスリリングな緊張感もあるというのに、乗れない。恣意的な表現というのはこの旋律的な曲にはあっていると思うので解釈自体は評価できるし面白みも感じるが、あとは純粋に弦の音と芸風への好みか。室内アンサンブル好きは機能性を重視するのでこのような団体を好むと思う。独自性を評価して◎でもいいと思ったが、個人的に余りにのれなかったので○。どうにも渋い。

<Le Chant du Monde盤>
String Quartets 1 & 2/Piano Quintet
Talich Qt
Le Chant du Monde

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ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

2008年04月23日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮ボストン交響楽団(Lanne:CD-R)1948/12/22ボストンlive

壮年期のバンスタらしいアグレッシブで、やや浅薄とも取れる「らしい」演奏である。力で押し切った、旋律の魅力を強く押し出し音楽を単純化する方法はのちのNYPとのライヴを彷彿とするが、NYPほどに音色に表情が無く、「いかにも面白そうな解釈振りであるのに」最後までなんとなく乗れない。面白いんだけど、乗れない。○にはしておくが、まだ「バンスタのレニングラード」は完成していないんだなあ、と。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2008年04月01日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(dell'arte)1940/12/8,22・CD

ショスタコはわりと解釈にうるさく、クーセヴィツキーなど旧いタイプの「解釈者」には演奏もしくは録音への文句をいちいち送り付けたりしている。ラヴェル型の神経質な「機械的作曲家」に類例は多く、えてして「スコア以上のことはするな」というストラヴィンスキー風の見解を持っているが、時系列の問題はあるものの、わりと気紛れであることもよくあることで、カラヤンやバンスタの圧倒的な実演の前には賛辞も止むなくされてしまったようだ。ただこれが本音であったとしても心のどの階層まで踏み込んだものだったのか?現代のアーティストの心は外面的条件の有無にかかわらず一筋縄ではいかないものだ。

改変系指揮者ストコのショスタコーヴィチは面白いが、「作曲家原理主義者」・・・しかしその持論も主観的な思い込みであるようにしか見えないことも多い・・・には鼻持ちならないものに思えることだろう。この録音も「飽きさせない流れ」に違和感を感じる向きもいるだろう。文学的な隠喩の籠められたパセージの意味性を無視して、独立した楽曲としての娯楽性一本を追求しているさまは終楽章のロッシーニのカリカチュアの扱いなどによく聞き取れる。ただ、解釈の全般としてはわりと抑制的で端正だ。素朴なところもある。スピードは抑えられ響きは丁寧。オケ自体は華々しく美しく巧いから、5、7番にはさまれ地味な6番を陽化して受け容れやすくしてくれる録音としての価値はある。時代と比して録音はすばらしい。
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番

2008年03月04日 | ショスタコーヴィチ
◎スメタナ四重奏団(SUPRAPHON)1961・CD

わかりやすい演奏。この曲はもともとシニカルなメロディから清澄な緩徐主題にいたるまでわかりやすいのだが、ショスタコという人の作品自体ピアニスティックな書法が要で、「横の楽器」弦楽器のみによるアンサンブルでは粒だった音符で機械的な構造を再構築するという、基本中の基本がきっちりできてないとグズグズに聴こえてしまう。冒険のない演奏のように聞こえても、じゃあいざ冒険しようというときになって全体が崩れてしまう、それがショスタコである(1番は違うかもしれないけど)。むしろスメタナ四重奏団のロシア曲の演奏にしては気が入っている感が強く、◎にしておく。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

2008年02月27日 | ショスタコーヴィチ
○ザンデルリンク指揮ボストン交響楽団(WME:CD-R)1991/4/11live

録音は安定しているが撚れが目立つ。ザンデルらしい情緒的な音が最初から聴こえる。遅くて重い解釈で、ザンデルらしい有機的な揺れもあるわかりやすい演奏。オケがアメリカにしては重心の低い分厚い音を出すのでザンデルの時折感じさせる骨ばった部分もここでは全くなく、相性はいい。三楽章などショスタコにしてはちょっとロマンティックな深刻さを醸しすぎている部分もあるが、往年の映画音楽のように聴けるという意味では楽しめる。四楽章など楽想のおもむくまま派手なところはルバートしてガシャーンとやるのが少し違和感。ショスタコはそういう作曲家ではないような気も。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2008年02月27日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮クリーヴランド管弦楽団(hervest:CD-R)1979/10/9live

エアチェックゆえ音のバランスは悪いがステレオ。クリーヴランドが今もって世界の五大オケに数えられているのは少し不思議な気もするが、いい意味でも悪い意味でもその「弦」が機能的でよく動く名器の「A線」であることに異論を差し挟むつもりはない。音色の好みや技術の理知的に整えられた末生じるある種のマンネリズムがアメリカオケの場合好悪を別つ要因になるのは明らかで、クリーヴランドとシカゴのオケに私はその種の首傾感をおぼえることは多々あるのだが、しかしコンドラシンのような指揮者にとってかつてセルに鍛えられたこの鋼鉄のオケがよき「楽器」となっていたであろうことはこの演奏を聴くと如実にわかる。ライヴとは思えない高い技術の精度に反映された演奏である。音をスコアどおりに組み立てれば自ずと深情が染み出してくる、ショスタコにもそれはある程度言えることだ。木管の響きなど改めてマーラー的な曲だなあと思わせながらも、よりすっきりした現代の音楽であることを意識させる。ここにはモスクワのオケでやっていたような「渋さ」や「力み」がない。ショスタコの本来持っている「フランス的」ともとれる「軽さ」が、過度の恐怖や情に関する雑念なく聴こえてくる。それがメリットだろう。

まー、とにかく美しいですよ。金属質の美しさだ。下手に聴かせどころを強調しないコンドラシンのやり方も流れよい音楽の美しさを助けている。三楽章のプレストでさすがに乱れもみられるが、ライヴでこのくらいは仕方ないだろう。余りに娯楽的なパーカスの弾ける終幕はどよめきを呼んでいる。○。
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ショスタコーヴィチ:祝典序曲

2008年02月08日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮LSO(BBC,MEDICI)1985/7/8ロンドンLIVE・CD

ややオケが上品でそつなく録音も引きだが、演奏はすぐれて熱と技のバランスのとれたもので聴衆も盛り上がる。ロジェストヴェンスキー最盛期のいきおいを感じることができる。それにしてもイギリスオケが巧いことは確かだ。。
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ショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」組曲

2008年02月06日 | ショスタコーヴィチ
○モートン・グールド指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978live

やや鈍重でリズムがはっきりしない。しかし情景描写力はある。色彩は比較的明確でショスタコの諧謔を表現するに足りぬところはない。ただ少しアタックが弱くテヌート気味の音表現がそぐわないのだ。録音は篭り気味で悪いが一応ステレオ。
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ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番

2008年01月30日 | ショスタコーヴィチ
○ロストロポーヴィチ(Vc)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(RUSSIAN DISC)1966/9/29モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD

名技性より作家性が先にたった典型的なショスタコ作品で、技巧を聴くコンチェルトではなく、外面的な皮肉と内面的な諦念の描き方を聴くものであるが、それでもやはりパッションの超絶技巧にあらわれた3楽章カデンツァ(この人の無伴奏は独壇場、やはり素晴らしい)~4楽章の荒くれぶりにはロストロポーヴィチという超人とスヴェトラーノフ・国立響という野獣の殴りあうようなアンサンブルに改めてソヴィエト後期楽壇の凄まじかったことを思い出さされる。この二人の相性はこの段階では素晴らしくよい。表現のベクトルがあっている。ごく一部ロストロにテンポのたどたどしさを感じさせるところもあるがこのくらいは仕方ないだろう。ショスタコ独特の構成感を完全に手中におさめたスヴェトラのサポートはもはやサポートの枠をこえ交響曲的な構築性すらありロストロはその中の主役という感もある。ショスタコ耐性のない人にどう聞こえるものかわからないが、ソリストオケ共にライヴとは思えない高精度ぶり、囲む異様な雰囲気にソヴィエトでは余り聞かれないブラヴォ拍手には何か感じ取れるものがあるのではないか。○。ロストロの音は純度が高く綺麗だがやや音色の多彩さに欠ける気もする。録音素晴らしい。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

2008年01月29日 | ショスタコーヴィチ
◎ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(BRILLIANT/REVELATION)1958/12/21LIVE・CD

不当に評価の低い曲だが、そもそもショスタコの交響曲と先入観を持って聴くからいけないのだ。ロシア国民楽派におもねりながらもショスタコの影響を受けた職人的作曲家の大作とでも思って聴けばいい。すこぶる演奏効果の高い密度の濃い作品である。ガウクはひたすら演奏効果を狙うというか、この筋肉質の情念を完全燃焼させつつも、織り交ざる死の静寂には繊細な音響をやさしく響かせる。とてもわかりやすく、無理なく、無駄なくドラマを組み立て、聴き始めたらあっという間である。多彩な作風のモザイク的な座りの悪さもきちんと整え取り纏められているので気にならない。凝縮的であり、最後まで厳しく統制されている。名演。ゴステレラジオ音源。かなり残響を付加したモノラルで低音打楽器が凄く響くがバランスはいい。
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