湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

フォースター:サラバンド様式のアリア

2010年04月10日 | その他古典等
○ウィルク(Vn)ストコフスキ指揮CBS放送管弦楽団(SCC:CD-R)1954/2/7放送live

編成が小さいと案外すんなり聞けるストコフスキの古楽だが、どちらかといえばオケの自発的アンサンブルだけで出来上がってしまったと言えなくもない。ストコフスキらしさは余りなく、美しくしっかりしたアンサンブルが奏でられる。冷たさのあるオケの音もあっている。
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モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」

2010年03月13日 | その他古典等
○ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(RCA)1945・LP

ロシアの演奏と聴き惑うくらい威勢がいい演奏で表出意欲の強い、大編成オケの迫力がモーツァルトの書法の精妙さを損なう反面、とにかく正しいリズムや響きよりも旋律のうねり、という向きには向いている。今の耳からするとしょうじきモーツァルトとすら認識できないくらい重くロマンティックなのだが、オケの底力も感じられるし、私は楽しめた。録音は悪い。
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小品集

2009年12月25日 | その他古典等
○フロンザリー四重奏団(victor/PRSC他)

・ポーション編曲「霊歌集」Go down, Moses; Swing low, sweet chariot1926/2/11
・「深い川」1927/1/4
・ポーション「アイルランドの子守歌」1926/2/10
・ポーション編曲「伝統歌集」
Irish Reel,Sally in our alley (Old English Tune),Turkey in the straw1927/1/4、1929/5/3、1929/4/30

かのポーションの手による弦楽四重奏編曲集で、きほん民衆歌に拠っている。国民楽派というよりも平易な世俗歌集という趣がつよく、旋律と伴奏のゆったり素直な編曲で、演奏も前時代的な音色で郷愁をさそう。唯一最後の「藁の中の七面鳥(オクラホマミキサー、という名で通っているがそんなにゆっくりした曲ではない)」だけが交錯する威勢のいい走句でカントリー調を演出し気を煽る。但し技巧的にやや弱く、現代の演奏のように音符が全て切れてきこえるような演奏ではない。この団体はビダルフで集成が出ていたようだがよく知らない。pristine配信中。
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グルック/ブラームス:ガヴォット(ワイナー編曲)

2009年12月06日 | その他古典等
○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

綺麗な旋律をただ楽しむことのできる演奏。レナーの表現のしなやかさが活きている。
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バッハ:オルガンのためのトッカータ ハ長調(ワイナー編曲)

2009年12月06日 | その他古典等
○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

名作はどんなに手を加えられても名作。もちろん演奏がしっかりしていればこそだが。それを印象付けるものだ。じっさいこの曲みたいなものはカルテット編成くらいなら全然アリ。レコード会社肝入りのレナー、ヴァイオリンのソリスト級の巧さにも傾聴。
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ケルビーニ:メデア序曲

2009年11月29日 | その他古典等
○ヒンデミット指揮NYP(DA:CD-R/urania)1960/2/27LIVE・CD

ヒンデミットは晩年をむしろ職人的指揮者として過ごし、古典からロマン派前期の曲を好んで振っていた。構築的できびきびした即物的な表現を駆使し、ロスバウト的な演奏をものしていたのにもかかわらず不遇であったことは、アメリカでも欧州でも決まったオケを持てず代振りや客演ばかりだったことからも伺える。この演奏も迫力の引き締まった演奏で聴衆反応も悪くないのだが、いずれ他人の作品の正規録音が殆どなくライブも極端に悪い音のものが多いから、再評価に繋がらないのだろう。自身も優れた弦楽奏者で、作品は多種多様な楽器を組み合わせていずれも高い水準を保ち、指揮者として悪かろうはずもない見識の持ち主だったのだが、クレンペラーのような個性に押しやられてしまうカリスマ的な弱さがあったのかもしれない。

再発CDレーベルURANIAの盤ははっきり言って音質改善などしておらず、DAに比べてすら悪い。むろんエアチェック音源だが電波的に不安定でノイズも酷ければ音質や音量の悪さも度を越している。

メインのブル7含め販売店では1960年ライブ以外のデータはわからないことになっているが、内ジャケにはっきり2/27NYと書いてある。つまりはDAと同じ。気をつけたし。LPや、その板起こしであったvibrato他の有名盤は28日ライブで確かこの曲は収録されていなかった(プログラムは一緒だろうからあってもおかしくはない)。ただ両者ブル7は同じ可能性もなくはない。
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ヘンデル:水上の音楽(ハーティ編)

2009年11月28日 | その他古典等
○バーナード・ハーマン指揮CBS交響楽団(PASC)1945/9/9放送録音・CD

私も知らなかったのだがこういうコロンビア放送の録音が残っていたようである。貴重なのは中プロのRVWのオーボエ協奏曲で、やや不安定だが力強いミッチ・ミラーが独奏、という何とも映画音楽チックなコンビネーション、である(同曲はミラーがアメリカ初演している)。戦後覇気に満ち満ちた、ヨーロッパ中の名手が掻き集められたかのような意気軒昂のオケ相手に、モートン・グールドとならびクラシックもよくしたハーマンが、ミュンシュを彷彿とさせる芸風で何ともアクの強いヘンデルを作り上げる。ゴージャスというか、大風渦巻くような強さ。こんな国相手に戦争しても。録音がまたこの時期としてはいいのである。安定感のある充実した響きの、大管弦楽のための水上の音楽。

いや、違うと思うのだが○にするくらいのレベルはあると思うのでそうしときます。正統ではとうていないし、薄っぺらいといえばそうかもしれない。名曲大全集のような演奏といえば通るか。じっさいラジオ放送用だし。pristineからネット配信されているがCD化委託も可。メインはエルガーのファルスタッフ。
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バッハ:管弦楽組曲第3番

2008年06月03日 | その他古典等

○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1971/7/15live・LP


冒頭からの異常なやかましさもさることながら「アリア」を聴いてみてください。細かいテンポの緩急(あくまで小ルバートの範疇であり基本はインテンポだが)、音量変化の恣意性が著しく現代の演奏家ならのけぞるような音楽になっている。ソロだってこんな演奏はしない(ゴルゴ以外)。分厚い弦楽器のうねりにはしかし指揮者への共感が篭る。この波乱に満ちた人生を送った「若きフランス」の闘士の、同僚であったメシアンとは違う、人間の生活する大地に戻って来た境地を思うと感慨深いものがある。ヴァイオリン初心者にはおなじみの曲が並ぶこの組曲、つまんないや、という向きはこういう今はめったに聞かれない演奏スタイル、戦後くらいまでは普通だったライヴ的な感情の篭った誇大妄想的バッハを聞くといい。そして妄想のオーケストラの中にいることを想像しながら、レッスンの準備をするといい。ヒステリックなペットとかロシアみたいだな。。


(参考)カラヤンの管組
バッハ:管弦楽組曲第2&3番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール

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G線上のアリアなら有名なこちら>
アダージョ・カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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ジョリヴェの盤紹介についてはこちら
Comments (10)
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モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク(弦楽のためのセレナーデ第13番)

2008年02月15日 | その他古典等
○イワーノフ指揮モスクワ・フィル・ソロイスツ(selectmedia)1962・CD

意外としっかりした盤でじつにそつがない。録音もクリア。ソヴィエトってモーツァルト好きな国だったけど、余りに明るくて毒気のないスタンダードさにいささか拍子抜けはした。ギチギチに締め上げるでもなく、中庸。
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ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」

2007年12月06日 | その他古典等
A.ヤンソンス指揮ベルリン放送交響楽団他(WEITBLICK)1973/12/31LIVE・CD


やっぱりロシアの指揮者だな、と思う。歌謡性の強いパセージでは太く歌わせるが、他はわりとおおざっぱなまとめ方というか、オケのせいもあろうがケーゲルの劣化的な感じがあり、客観性が露骨に出て没入できない、しかも大半オケのザッツが綺麗に揃わず、弛緩したように聞こえてしまう。4楽章の歌唱直前にいきなり厳しく揃いだすと、ドイツっぽい音に独特の抑揚が盛り上げまくる。ここまでくるとオケのパワー不足が合唱に補われ、本来こういうのがやりたかったのか、というのがわかる。歌唱合唱の扱い、バランスはほんとに素晴らしい。オケをこう教科書的に整えたのは素晴らしい独唱合唱とのバランスか、とも思った。たまに盛り上がりの直前に溜めるような独特の抑揚はスヴェトラを彷彿とさせるが、全体がケーゲル的な解剖学になっているのが興味深い。スヴェトラが没入型ではなく予定調和型指揮者であり、この透明な解釈世界とそんなに離れていないことを改めて認識させる。スケールの大きさがまたガウクよりスヴェトラを彷彿とさせる。音源がデジタル圧縮ものか放送エアチェックものなのか、左チャネルに耐えがたい雑音が入ることがある。盤の不良だったら申し訳ないが、録音自体もデジタルなクリアさはあるが雑で悪く、キンキンして聞き辛い。全般、生なら迫力あったろうが解釈が好悪わかつのは間違いなく音だけではお薦めとは言えない。だれるし。無印。
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ヘンデル:ハープ協奏曲

2007年06月29日 | その他古典等
○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮交響楽団(MELODIYA)LP

音量変化の極端なアクの強い演奏で、ドゥローワはまるでグランジャーニのように野太い音を出す。ハッキリしていてわかりやすいが、ロマン派のようにきこえ、軽やかさがないわけでもないのだが、どこか変。面白いけど。
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ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲

2007年03月13日 | その他古典等
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/11/19LIVE

さすが手慣れている、とくにオケが新作や同時代をやるときにくらべ技術的にも安定感があり例のせわしないフレーズも「落ち着いて爆走」して崩れない。あっさりめではある。音質は最悪とは言わないが悪い。既出盤と同じ可能性大。許せるぎりぎりの雑音、○。拍手も盛大。
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ヘンデル:サウルからの葬送行進曲

2006年10月27日 | その他古典等
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1971/4/8(6)?live

6日にNYで亡くなったストラヴィンスキーに捧げる、皆さんもどうぞ黙祷をとストコフスキの声が入っているのでクレジットの3日というのは誤りと思われる。演奏はハデハデしいものだが、前向きな演奏様式はストコなりのストラヴィンスキーへの花むけと言うべきだろう。ストラヴィンスキーが烈火のごとく怒りだすような編曲であっても、これはやはりストコの演奏なのであり、誇り高い演奏家と作曲家の間の大人の告別だ。○。膝録。vibrato盤は6日表記あり。
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バッハ/レスピーギ:Wachet Auf

2006年10月20日 | その他古典等
ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(DA:CD-R)1946/10/27live

ランドウスカが入ってる?いずれグリーグふうのオーケストレーションを加えられた凡作。イマイチ。無印。
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J.シュトラウスⅡ:こうもり序曲

2005年07月22日 | その他古典等
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

音色変化は少ないが音量や技巧的な変化はばっちり。それほど踏み外した発声もなく、技巧だけでいってもロシアの標準的なレベルには十二分に達している。いきなり唐突に雪崩れ込む始まり方には抵抗を感じるかもしれない。スノブ様の中にはいちいちザッツが揃わず表現の粗さが聞くに堪えないと一蹴する向きも多いと思うが、こんなの録音条件次第だ。マイクセッティングや会場設定でこのくらいのザッツの揃わなさは十分吸収されるものであり、通常客席の人の耳には届かない。その点一本マイクが固定的で弦楽に近くリアルに捉えられすぎているのである。ベルリン・フィルなりN響なり、ソリストでない弦楽器奏者の演奏を間近で聴いてみ。少なくとも20年近く前までは、お上品な人にはとても聴くに耐えないであろう雑味の多さだった。雑味を取り除くのは「会場の役目」でもある。雑味は強靭でしなやかな生命力を生み出すうえで飛び散ってしまう埃のようなもの、音響的にうまく操作すれば・・・たいていのホールでは普通に何もしなくても・・・弓の弦にぶつかる音とか指盤の軋みとか野太い音に弾かれたギリギリガツンガツンいう雑音なんて壁や天井に吸収されてしまう。そういう音を出さないと、アンプなんてものを使わないアコースティック楽器では表現できないものってのがあるのだ。大抵の曲には一,二箇所いやもっとそういう個所がある。弱弱しい音で綺麗に聞きたい耳のヤワな人は自分でそういう演奏をしてみ。人を集められたらの話だが。ちなみに、私はかつてそういうスタンスで結局ソロしかないという結論に達し、ソロとしては余りに下手すぎるので断念し聴く専門の側に回りました。
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