英会話第一号、福澤諭吉と少女の写真
岩波文庫の『福翁自伝』の扉にもある、有名な「福澤と米国少女の写真」を、英語スクールにホームページに拝借しています(もう著作権はなかろうと思います。)
この写真がどういう経緯で取られたか、『福翁自伝』(岩波文庫 p.145)から引用しましょう。ジョン万次郎のような特殊な運命で英語を習得したのではなく、自分で学習した英語で、少女とコミュニケーションを取れた のですから、福澤さんは「英会話」を学ぶ私たちの鑑のようなものです。気後れせずにどしどしアメリカ人と交流を深める福澤さんは、あっぱれです。
2008-2009に開催された『福澤展』にはこの写真の修復についての話が載っています。(最終閲覧:140429)
http://keio150.jp/fukuzawa2009/blog_t/2008/12/post-c10c.html
少女の写真
それからハワイで石炭を積み込んで出帆した。その時に、一寸したことだが奇談がある。私はかねて申す通り一体の性質が花柳に戯れるなどということには仮 初めにも身に犯したことないのみならず、口でもそんな如何わしい話をしたこともない。ソレゆえ、同行の人は妙な男だというくらいには思うていたろう。それ からハワイを出航したその日に船中の人に写真を出して見せた。これはどうだ(その写真はここにありとて、福沢先生が筆記者に示されたるものを見るに、四十 年前の福沢先生のかたわらに立ち居るは十五、六の少女なり。)――その写真というのはこの通りの写真だろう。ソコで、この少女が芸者か女郎か娘かは、勿論 その時に見さかいのある訳けはない。――「お前たちはサンフランシスコに長く逗留していたが、婦人と親しく相並んで写真を撮るなぞということは出来なかっ たろう、サアどうだ、朝夕口でばかり下らないことを言っているが、実行しなければ話にならないじゃないか」と、大いに冷かしてやった。これは写真屋の娘 で、歳は十五とかいった。その写真屋には前にも行ったことがあるが、丁度雨の降る日だ、そのとき独りで行ったところが娘が居たから「お前さん一緒に取ろう ではないか」と言うと、アメリカの娘だから何とも思いはしない。「取りましょう」と言うて一緒に取っ たのである。この写真を見せたところが、船中の若い 士官たちは大いに驚いたけれども、口惜しくしくも出来なかろう、と言うのは、サンフランシスコでこのことを言い出すと、直に真似をする者があるから、黙っ て隠して置いて、いよ/\ハワイを離れてもうアメリカにもどこにも縁のないという時に見せてやって、一時の戯れに人を冷かしたことがある。