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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。3/3

2018年03月10日 | 英語学習、教授法 新...

「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。3/3

アルファベット■「社会人」の英語学習の特徴

社会人の英語学習となると、とくゆうの問題点も浮かびます。学生時代に一クラス一律に授業を受けていた時と違って、人よって違いが生じてくるということです。大学入学の18歳を基準にしても5年は経っているので、違いが生じるのは論理的に避けがたいことです。ですから、教師としては、グループレッスンでも、この人に欠けている点はなんだろう、どういう手順で学習したらいいのだろうと考え、英語によるやりとりでも、それを意識して、それぞれの生徒さんに問いかけなければなりません。


よく「一対一」とか「個人指導」を売り物にする「英会話学校」がありますが、人数とか話す時間という物理的な問題で解決できることでしょうか。一対一であろうと、グループレッスンでも、一人の教師がそれぞれの生徒をずっと見続けることの方が大切だと思うのですが...。Aさんはどう思われますか。高校であれ、大学であれ、大勢に生徒を対象にする場合、難しいことですね。しかし、英語学習にとどまらず、学習のある局面には必須のことだと思うのです。英国のオクスフォードやケンブリッジのような伝統的は大学では、いかに費用がかかろうと、時間がかかろうとチューター制度を維持している理由はここにあるのでしょう。

■目標を示すのも教師の役割

一人一人の英語力の問題点を探り、学習法を提案するという点で、社会人の英語教育は、医師の診療と似ています。一つ違うのは、これから何を学習すべきかという目的を持ってもらうように導くことです。学校時代と違って、みなさんそれぞれの忙しさ、突発的な事件を抱えています。休むことも多くなります。その過程で、「やる気」をなくす可能性が高いのですが、試験のような「鞭」でそれを達成しようするのはあまり賢い方法とは言えません。たとえば、短期、中期、長期と分けて、何重にも目標を設定し、しばらく英語から遠ざかっていてもすぐ英語モードに戻れるように仕組んでおく必要があります。シュークリーム

たとえば、今、「疑問文の作り方・プロジェクト」というのが進行中ですが、簡単な疑問文でも作れなかったら会話などおぼつかないでしょう、と言えばみなさんは危機意識を持ちます。「今何階にいるの?」、とか、「私に何を手伝ってほしいの?」(註1)にあたる内容の英語を言える人は中級の上でしょうね。これなど中期的目標でしょうか。テキストの「時計屋の会話」(註2)を完全に覚えたら、今度は、時計屋をツタヤ(貸しDVD屋)と、ビアードパパ(シュークリーム店)に言い換える練習は短期的目標。宿題にすると、いろいろ工夫して来られます。「間違って借りちゃった」とかね。

だいぶ、話が細かくなったようです。社会人の英語学習の具体例として、もっと本質的なこともありますが、また機会を改めて触れましょう。
ちなみに、いままで「社会人」という言葉を、学校を出た人の意味で使ってきましたが、気になる日本語です。ほんとうはあまり使いたくないのですが、使わないと話を進められないので使いました。だいたい、a social personという英語は成り立たないでしょう。

註1
「今何階にいるの?」What floor are we on?
「私に何を手伝ってほしいの?」What would you like me to help you with?

註2:時計屋の会話
A: Can I help you, madam?
B: Yes, please. I bought this alarm clock here two weeks ago. It isn’t working.
A: Are you sure? Perhaps the batteries are dead.
B: No, they can’t be because I put some new ones in yesterday. Can you return my money, please.
A: Sure. May I see the receipt?
B: No, I am afraid I lost it.
A: I’m sorry. I can’t refund any money unless I see the receipt.


「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。2/3

2018年03月10日 | 英語学習、教授法 新...

 

「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。2/3


「社会人が英語を学習する際、英語以外の何かを目的とすべし。」
ENGLISH一回目は、この言葉で終わりました。エッセイの題目は「「社会人の英語教育、学習」はどうすれば効果的か」なのですが、一回目は「どうすれば」まで至らず、社会人の英語教育の意義について触れたところで終わりました。学校教育という人工的な枠組みがら外れることで、人々の頭は「試験モード」から「問題解決モード」に変わっているので、社会人になってからの方ががんらいの英語学習をしやすいというのが一回目の趣旨でした。

■小学生に戻って英語を学ぶ

よく”Enjoy Englsh!”という言葉が使われますが、その言葉に抵抗を覚えると述べたのが、NHKの小学生向け英語講座『プレキソ』の初回ヴァージョンを監修された小泉さんという方でした。Aさんもお気にいりの番組でしたよね。現在進行しているプレキソではなく、2011年に作成されたヴァージョンですが、これは、傑作といってもよい語学番組です(このブログにアーカイヴを見る方法があります)。その番組では、「英語以外の目的」、たとえば、長方形の紙から正三角形を作るにはどうしたらよいか、という問題を設定し、その問題を解く方法を英語で説明するように何人かのnative speakersに求めます。その過程で、the same length (同じ長さ)、fold(折る)、sixty degrees(60度)という英語がどのポイントで言われるか、動画とともに見ている人の頭に入れさせようとします。見た後、小学校の教室や家庭で、登場人物が折っている場面を指摘して、「この時なんて言っていた?」と訊いて、”Fold it.”と答えればOK。その子は今後、foldという単語が出てくると、このプレキソの一場面を思い浮かべることでしょう。最終的に正三角形は完成します。問題が解決されたわけです。この達成感は語学習得の効果と無関係ではないでしょう。

プレキソ社会人への英語教育は、ある意味で、このような小学校教育の一面に戻ることを意味します。つまり、中学校、高校の試験体制による強制に曇らされていた目が晴れるのです。大人になると小学生並みになるとは変に思われるかもしれませんが、リアルに問題を見つめる力は小学生時代に芽生えているのです。大人ともなると、つまらないものも含めて情報量だけは増えていますから、具体的なアプロウチは違います。

■英語以外の何かが英語学習に必要

ある生徒さんは、サービス業の国際基準の制定に携わっていますが、ヨーロッパ基準と、ヤマト便から始まった日本発の基準の違いを1、2分の英語で述べる練習をしています。この方は会話力は初歩段階なのですが、教師の助けとともに、箇条書きで、ひとつひとつ短い英語で言うことができました。「英語以外の何か」を英語で表現する作業ですね。⓵サービスとモノの違い、⓶欧州は組織全体の基準、⓷日本は個々の作業の基準の集合…、などです。一見難しそうですが、英会話の初歩段階でもけっこう言えるものです。最初は助けられてなんとか。二度目はご自分の力で。ちょうど終わるころ、次のクラスの中級の生徒さんが来られたので、まったくしろうとの、その方に3度目のプレゼン。そして質問を受ける、という段階まで練習できました。英語にすることで、より問題をより明快するという効果もあります。なにより、ゆっくりでも、1分、2分でまとまったことを言うことは自信につながり、次の学習の動機づけになります。

and so butもっと簡単な「英語以外の何か」を言う練習もあります。日常的な、とても小さなことを筋道立てて英語で言うという練習です。昨日スーパーへ行って何のために何を買ったかを行ってみるなど。たんなる「感想」ではなく、小さくても論理的に組み立てることに意義があります。その過程で、but、so、andから始まる接続詞を正確に使ってみるなどの練習になるのです。さきほどのピーターセンは、日本人は作文で結果のsoの使い方をよく間違えると言っていますが、こういう一見小さなことの訓練は中学、高校で元来しておくべきものでしょう。この点についても、Aさんの意見を伺いたいです。

■学校を出てから経験する新鮮な英語学習

狭い意味での英語にかぎっても、たとえば、不定冠詞のaと定冠詞のtheのあるなし、または取り違えが大きな意味の違いにつながる、または笑ってしまうような事態を引き起こすことなど、案外みなさんにとって新鮮な体験です。マーク・ピーターセンが『日本人の英語』で述べている、「昨日、鶏を食べました」をI ate a chicken yesterday.と言うと、「一匹食べたの?」と言われてしまう話はAさんも読んだことがありますよね。I ate chicken(「鶏肉を食べた」)と大きな違いです。大學受験だけでなく、TOEICなどにも言えることですが、名詞の数、冠詞、それに、動詞、助動詞の形は英語の根本をなす要素であるにも拘らず、そもそも試験問題になじまないのです。それらの要素は、「文法的知識がある」とかないとかではなく、会話でも文章でも、身につけていないとお話しにならない大切な点であるのですが、試験モードで学習しているとすっかり意識から抜けてしまいます。

日本人の英語名詞の数、冠詞、動詞や助動詞の形の学習の重要性は、それらが<日本語には存在しない>ということです。外国語学習でつまづく一つの点は、母国語にない表現の学習です。つまり、外国語の学習は、自分とは違う言語を使っている人、さらに言うと、自分とは違う考え方をする人を理解し、かつその人に理解してもらうということです。英語学習を再開した方はそのことに気が付きます。それは新鮮な体験で、学生時代になかった英語学習の動機づけになるのです。

To be continued

 

 


「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。1/3

2018年03月08日 | 英語学習、教授法 新...

 

「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。1/3


ABC今回、読みやすいように3部に小分けしました。

■「英語学習」の二つの立場

街には「英会話教室」の広告があふれています。2月の山手線車内の動画広告で一番多いのが「英会話教室」、次が「痩身」、その次が「ビール会社がスポンサーのお店の紹介」といったところでしょうか。書店には、これを買えばそれだけで英語力がつく、といったキャッチフレーズが踊っています。

一方で、いわゆる学校教育における英語というものがあって、こちらは、世間では、役に立たない、文法ばかりと言われがちです。しかし、こちらも、いくら世間で悪口を叩かれていても、大学入試という関門に必要なものなので、泰然自若といった風をしています。少なくともそんなふりをしているように見えます。

Aさんは高校、時々大学でもクラスを持っているそうですね。高校の教員の立場から見ると、塾や、「英会話学校」は、正規の教育活動の外にあって、あっても見ぬふりをする存在ではないですか。しかし、一方の「英会話学校」から見ると、「学校英語」なるものは役に立たないものだそうです。

女子高校生英語どちらが正しいか?。双方ともに、ある程度の言い分があって、どちらも否定はしがたいです。「英会話学校」の側からいえば、学校での英語は試験のための英語で役に立たない、ということになります。確かに「大学に受かったときが一番英語ができた」と言う人がいまだに多い点などその証拠でしょう。一方、学校の英語の先生は、ハンバーガー店の店頭で”For here, or to go?”(「店内ですか、お持ち帰りですか」)に答えられるだけの英語ではおぼつかないでしょう、と言うでしょう。

じっさい、英会話学校や「英語本」は日本人の英語力を向上することを主目的としてはいません。ありていに言うと、手っ取り早いお金儲けが本音です。日本人の英語コンプレックスにつけこんで、不安を掻き立てるという点で、ある種の健康食品の販売と同じようなものです。加えて、とくゆうの「うまみ」があります。それは、効果がなくても学習者の責任に帰すことができるので、文句を言われる可能性がないということです。そのような場では学習に利害関係がしみ込んでしまい、学習環境が悪化しませんでしょうか。

かといって、こういう批判ばかりしていても始まりません。学校教育の現場でも、生徒たちは試験でよい点を取るという動機で学習している、ということはAさんも身に染みて分かっておられるでしょう。ひょっとしたら、あまりに当たり前になってしまっていて、生徒の学習動機など考えなくなってしまっているかもしれません。私としては、小田急線で男女の高校生が赤い下敷きを片手に、じっと単語集とにらめっこしているのを見ていると、あなた方は何のために英語を勉強しているですか、それ、面白いですかと尋ねたくなります。これでは、「英語力」を買い取るために英会話学校に高いお金を払って「取引」(?)をしている人たちと同じではないですか。

そう。学校英語の現場でも、いわゆる「英会話学校」でも、言葉の学習というがんらいの目的から外れている点で同じようなものです。どちらも、当面点数が上がるというような効果があるので、学習者は楽しくもない学習でも、疑うこともせずガンバってしまうのですが、これではいつか壁にぶつかります。学校の方では、試験後の学習意欲の減退、「英会話」の方では、いいかげんな英語で一生通してしまうとか。

だいたい、双方は対立しているように見えますが、お互いに敵を作って自分たちのアイデンティティを確かめ合っているのでは、とも私には見えます。うがちすぎでしょうか。革新派の新聞と保守系の新聞がお互いを非難しながら双方とも部数を増やすと似ていませんか。
ま、本題に戻りましょう。

言葉 道具■がんらいの英語学習

言葉は、相手の言っていること、書いていることを理解し、自分の考えていることを伝えて、はじめて言葉と言えるものです。手段なのです。「英語ができる」と言いますが、それだけでは、周りから褒められるかもしれませんが、意味がありません。理解する、伝えるという問題を解決することが言葉の学習の意味で、解決に向けて努力することこそが語学学習の面白さです。ネイティヴ並みに話せるとか、TOEICで満点を取るのが楽しいわけではありません。

学校英語の枠内でものを見ていると、「社会人」が英語学習をする際、「英語ができる」のを目的としていると、なんとなく思いこんでしまうかもしれません。しかし、じっさいに、社会人に英語を教えることに携わると、みなさん、英語のための英語学習はおかしいぞ、と気が付いているのが分かります。または、最初、もやもやした気分で「英語をやらなきゃ」というつもりで学習を始めても、すぐに、そのことに気づきます。社会生活は問題解決の連続です。何が襲ってくるかわかりません。その過程で、精神が「試験モード」から「問題解決モード」に変わっているのですね。英語という問題を解決することこそが面白いのだ、と気が付くのに時間はかかりません。「もっと早く気が付いていれば」というのがみなさんの共通した感想です。管理された学校教育が、いかに、いままで目を曇らせていたことか。

英語自習Aさんも機会をみつけて、学生と社会人の双方に教える機会をぜひ持っていただきたいです。そうすれば、以上で述べたことが、身に染みてわかることでしょう。そして、それを学校での英語学習の現場に持ち帰っていただきたいと思います。

次回は、社会人が英語を学習する際、英語以外の何かを目的とすべし、という点についての述べます。「え!。何を言っているの。英語学習が目的でしょ。」という声も聞こえてきそうですが、上に述べた社会人の学習者のみなさんは、その意味をすぐに分かってくれるでしょう。

To be continued


速読には英字新聞ほどよいものはない、しかし…。

2018年02月17日 | 英語学習、教授法 新...

速読には英字新聞ほどよいものはない、しかし…

1月15日付けの産経抄によると、ニュースをインターネットで読む人の割合が、新聞の朝刊を初めて上回ったそうです。新聞通信調査会の調べによるとネットは71・4%、朝刊は68・5%。記者は、「新聞の意外な善戦に驚きつつ、さらりと抜き去った電子化の波に嘆息する」と続けます。

英字新聞を読む世の中、新聞にとって劣勢は止まらないようですが、英語学習にとって英字新聞は欠かせない重要性を持っていると思います。とりわけ、TOEICでいえば、700点以上、英検では準一級に達しようとする人にとって、速読のための教材としては、英字新聞に勝るものはないのではないかと思います。

ふだん、私は「速読」ということを教育課程で強調することには懐疑的なのですが、それでも、あえて「速読」するためという目的を設定した場合、毎日送られてくる、Japan News(以前のデイリー読売)などを読むことを強く勧めたいのです。

まず、「速読」ということですが、「速読」を目指して学習するということはとても難しいし、弊害も多いでしょう。たとえば、ストップウオッチなど使って、「よーい。どん」で日々練習して、スコアがあっがったな、などいうことは言葉の学習にとってふさわしいことでしょうか。第一、辛くはありませんか。人は速く読もうと思って速く読めるわけではありません。読みたい、知りたいという欲求が続くからこそ、自ずと速く読む訓練につながるのです。新聞だと、事件や、政治動向、株価などの変動の原因は何か、という欲求で自ずと目は先へ先へと導かれます。第一、教材として与えられた英文を速読したところで、内容に関心を持てないのがおちで、翌日になれば何が書いてあったかも忘れてしまうことでしょう。これでは、情報が脳内にとどまって新たな「シナプス」を作る余裕もできません(人に記憶は睡眠時に定着するとか)。新聞なら、ま、人にもよりますが、ゴシップであれ、為替レートであれ、読んだことに、喜びとかショックとか、好奇心という感情を抱きながら、脳内で反芻することになるでしょう。

英字新聞 時計速読の方法として、易しいストーリーを読むというものあります。手に汗を握りながら次のページでは主人公にどのような運命が待ち受けているかという興味を維持できるので、これはこれで、有効だと思います。が、厚い本をわざわざ読む動機が生まれません。「速読向上」と言うことを除いては...。一時、アメリカの名優に朗読させた速読教材を売りまくった会社もありましたが、今どうしていることか。新聞の場合、ともかく短い。少なくとも上に述べたレベルに達している学習者にとっては、一面の記事ぐらいなら、「どれどれ」という気持ちでさっと目を通すことができます。しかも、内容が100%分かったという気持ちを持つに至ります。そして、「あ、そうだったのか。そいつは大変だ」という感情は次の学習につながるのです。だいたい分かった、ということが続くとだんだん興味が薄れていくものです。もし、分からない点があったら辞書で調べたり、構文を検討したくなりますので、速読だけでなく、語彙や文法の勉強にもなるのです。なにより、内容を正確に理解するという、英語にも国語にも共通する能力が養われます。先にのべた「よーい、どん」方式では「終わった!」という満足感だけで、「少しもやもやするけれど、まあいいや」という気持ちに慣れてしまうのではないですか。「麻痺」という語も浮かびます。語学は短距離陸上競技とは性質がまったく違うのです。どうも、いわゆる速読好きの人は、無意識に、語学学習をスポーツと思い込んでいるのではないかと疑われます。

英字新聞を速読の目的で読む場合、一面をお勧めします。一面に書いてあることの背景にはたいてい通じているし、国内ネタも多く、固有名詞の壁も低いです。国際面だと壁がどうしても多くなります(もちろん読む人によりますが)。とりわけ指摘したいのは、一面の国内記事は日本人が書いているとういことです。ですから、凝った言い回しなどはあまりありません。センテンスも比較的短いです。ところが、外信ですと、記者が、こんなレトリックを使えるのだぞ、こんな古典の引用もできるのだぞ、と自己主張する場合が多く、読み返すことも多くなるかもしれません。仮定法や、長い比較構文、反語表現もたくさんあります。ま、じつを言うと、一面の、日本人が書いた(らしい)英語は、それに比べると「平板」なのです。しかし、学習者にとっては好ましい...、です。

記事のピラミッドちょっと、ずるい(かもしれない)ことに触れておきましょう。しかし、上に述べたレベルに達しない人にも有効な英字新聞活用法です。たとえば、英検2級に受かった位の人を念頭に置いています。それは、記事の第一パラグラフのみを読むということです。新聞の記事の論理展開の特徴は、英語であれ、日本語であれ、最初に概略を述べる部分を持ってくるということです。まず、見出し(リード = lead)で方向を示し、それに関心を持った人に、事件の全体像を伝える、そのために第一パラグラフが書かれている場合が多いのです。だいたい、ちょっと長いワンセンテンスで、まとめられているのですが、それだけつまみ食いのように読むぐらいなら、そんなにストレスはかからないでしょう。

ともかく、「速読をするんだ!」と意気込むことなく、たんに、世間の事情を知りたいという動機だけで十分です。速く読めることは、「ついでに」狙えばいいのです。「短距離競争」などそういつも続けるわけにはまいりません。気が付くと速くなっている、というのが一番いいですね。

さて、ここまで、英字新聞の功徳を述べてまいったのですが、じつは、否定的な面についても触れないわけにはいきません。それについては、また論じる必要があると思いますが、二点、かんたんに述べておきます。

まず、みなさん、日本語でも新聞を読みますか。たんに、衝撃的な事件で興奮を満たすだけ、自分の持っている株の価格に対する不安を解消したいだけであれば、スマホのネット短信だけ、またはテレビのニュースの方が手っ取り早いでしょう。冒頭で触れた、新聞購読数の減少の原因は、このような動機が社会の新傾向となったことではないでしょうか。

事実、意見、偏見新聞の記事には、ある事件の背景が書き込まれているのです。それを読まないで、事件のショッキングな面だけ情報として受け取っていたら、とてももったいないことです。背景とは、原因と、結果のことです。因果関係。もちろん、事件の直後にその全貌を科学的に証明する記事を書いているわけではありません。しかし、できるかぎり、なぜ起きたか、今後どういう影響があるか、限られたスペースに、書ける限り触れようしているものです。確かでないことをどこまで書けるか、記者はとても力を注いでいます。もし、筆が滑ったら筆禍を引き起こしかねないという緊張もあります。第一、事件自体についても、記事には表面的には現れていませんが、「事実かどうか確かめる」、「そこに意見が紛れ込んでないか確認する」という作業を短時間で行う必要があります。新聞を読むということは、一見、書いてないことも含め、事実かどうか、原因は何か、予想される事態な何か、を読みとることを意味します。

二つめには、新聞の記事はある日のある事件だけで成り立っている場合(隕石が落ちた、とか)は少なく、たいてい、つながりがあって意味を持ちます。「トランプ氏は、こないだTPPに反対だったよね」、という以前の記事の知識がなかったら、TPPに必ずしも反対でないと、ほのめかす最近の発言に、「お、言ったな!」と驚くわけにはまいりません。つまり、読み続けるということも「新聞を読む」ということの一部なのですが、そういう習慣がなければそのぶん新聞の魅力は少なくなります。

この二つ、英字新聞に限らず、「新聞の読み方」に関することです。ほんとうは、高校、大学の教養課程で習うことなのでしょうが、どうも、このような動機で新聞を読む人が少ないのが気がかりです。この動機がないと、そもそも英字新聞など読みたいと思わないので、私がこれまで述べたことは全く無駄ということになります。



画期的英文法書『マーフィー英文法』に不足していること

2017年08月12日 | 英語学習、教授法 新...

画期的英文法書『マーフィー英文法』に不足していること


今2017年8月、療養のためお休みしていたブログ、および、スクールの広告サイトを再開します。

マーフィー英文法英国"Grammar in Use" by Raymond Murphy (Cambridge)、通称、『マーフィーの英文法』という本をご存知ですか。英語で書かれた本ですが、邦訳も出版されています。日本の本屋に並んでいる「英文法書」のなかで、革命的と呼んでもよい優れた本です。

何が革命的か。英語学習者が困難を覚える点に焦点を合わせて記述、編集されている点です。今までの典型的な文法書は、たとえば、名詞、動詞、文型、などのの章が、相互の関係なく、並んでいて、各章には、それぞれ細分化された分類が行われます。なんとなくそれでいいような気になるのは、他の教科、そうですね、地理などと同じようなものだと心のどこかで感じているからでしょうか。北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカとならび、さらに、北アメリカの章であれば、ワシントン、ニューヨーク、ハワイの産物などの説明が並びまず。北アメリカとヨーロッパの関係は如何に、ましてや、北アメリカとアフリカの関係は如何に、ということが書いてあることは、だれも教科書に期待しません。

しかし、ちょっと考えれば、名詞と動詞の違いは、北アメリカとアフリカの違いとは違う点に気がつくでしょう。名詞の意味は、動詞との違いが分からなければ分かりません。動詞の意味も名詞との違いが分からないと分かりません。つまり、文法の各項目は、各項目内の説明だけではなく、相互に関係している点に本質的な重要性があるのです。もっと言えば、言語という元来分けられていない現象を、習うために人為的に、あるいは人工的に分けたのが文法項目なのです。ですから、「私はアメリカの地理には詳しいよ」ということには意味がありますが、「私は英語の名詞の精通している」というのはナンセンスに過ぎません。

ラテン文法ところが、伝統的な英文法というものは、ヨーロッパ人がラテン語の文章を読むときの格(case)変化の変化表などから類推したもので、「正しい英語」を書くための規範という側面が強かったのではないかと思います。品詞の分類なども決して、外国人が英語を学ぶ助けとして作られたものではないのです。しかし、日本では、いや、他の国でも、なんとなく「英語を学ぶ助け」になるだろうとして疑うこともなく伝統文法を教科書に取り入れ、ときどき「規範」的な面が出て来たとき、「これは教科書に書いていないから、正しくない英語だ」などと言っても不思議に思わなくなりました。

その点、マーフィーの文法書は、英語を母国語としない人が英語を学ぶ際、一番重視する必要がある点、躓き易い点を中心に編集されています。伝統的な文法書のように、「名詞」、「動詞」、「文型」のような章分けを取らず、全145章(英国版:3rd Edition)中、最初に時の表現だけで25章を費やしています。その後、助動詞と仮定法が10章です。それだけ動詞部分の形が重要だということです。受験のための英語はリーディングと訳が中心なので、受験のための英語だけしか勉強していないと、時や助動詞の微妙な使い分けがいかに大切、かつ難しいかということに気がつかない人も多いでしょう。「なんでこんなに時の説明が多いの」と書店で不思議に思い、買うのを思いとどまる人がいるのが目に見えます。たしかに、

I have lost my wallet.も、

I lost my wallet.も

日本語にすると「財布を失くした」ですから、訳読だけを英語学習だと思い込むと、自ずと違いを学習する動機が薄れるというものです。マーフィーの文法書の右ページでは、上の各文の末尾にyesterdayがつけられるか、this morningならどうか、という練習問題がたくさん出てきます。それも、自習というより、教室で声を出して練習する形になっています。

ちなみに、各見開きごとに一章。左ページが解説、右が問題です。この構成は、有名な、I氏著の大学受験向け文法書の構成と同じですね。イラストも飾りではなく状況を判断して使い分ける問題に組み込まれています。

マーフィー 見開き例このように、構成だけ見ても今までの英文法書とはまったく違うのがマーフィーの文法書ですが、使っているうちにその限界にも気がつきます。しかし、限界があるからって、この書を貶めることにはなりません。マーフィー書を無視して英語を教えることは、今の日本では不可能ではないかとさえ思います。「独占」を恐れるほどです。それでも、マーフィーを知らない英語の先生が結構いるというというが不可解です。学生ではもっと多い。上の時の表現で述べたように、持っていてもこの本の意義を理解していない人にも多く出会います。

と、前提した上で、この本の限界をまず2点。

(1) 日本人向けに書かれたものではない。

(2) 紙に書かれたものである。

(1)について、マーフィーさんはロンドンで外国人に英語を教える経験からこの本を書いたと思われますが、そこではあらゆる母国語を持った人に共通する問題を扱っていたはずです。そのうち、中東、インド方面からの生徒が多かったと推察しますが、日本人は少数派であったにちがいありません。ですから、日本ごにはない、欧米語、とくに、英語に著しい疑問文の倒置構造についての練習はありません。最近、英語スクールで扱った「僕に何を手伝って欲しいの?」=What would you like me to help you with?など、なかなかすぐ言えませんが、マーフィーの本は練習の助けになりません。

英語スクール(2)は、なんだ?!、と思う人がいるでしょう。あまりに当たり前のことは頭に浮かばないものです。それは、言語は「音声」だということ。文字に書かれた言語は、それを写したものに過ぎません。人類始まって以来、音声だけの言語を持っている民族はいくらもいたでしょうが、文字言葉しかない民族はいなかったということは、確かめてみる必要はありません。さすがのマーフィーの本もここに大きな限界を持っています。上で、右ページの問題を声を出して練習する形になっている、それに、イラスト付だとも述べました。たしかにマーフィーさんも努力していますが、限界は否めません。やけに「限界」を強調するではないか、という声も聞えてきそうですが、じつは、現在、この限界を超えるのは不可能ではないからです。それは、インタネットを使うことです。カーンアカデミー(註)のような、マーフィーのネット版が出たら、そのサイトは大人気になることはまちがいないでしょう。

最期に、といいますか、じつは、これからが考察の課題になるのです。マーフィーの文法書は学習の手順が示されないという特徴があります。各章は、その時々、疑問に思ったり、間違いやすかったりするところを紐解いて見るという形が好ましく、通読するには適しません。I willとI am going toの違いは?、asの使い分けはどうするのだろう、couldとwas(were) able toの違いは、had betterとshouldの違いは?という疑問には、単に抽象的な説明だけでなく、直観的に間違わないようにするための適切な問題が右ページにあります。しかし、何をどういう手順で学習するか、何を優先し、何を後回しにするかは示されません。まあ、たしかに、時と動詞を優先すべきだというメッセージは強く伝わりますが、具体的にどうカリキュラムに組むかは分かりません。英語の先生でマーフィーを知らない人が意外に多いということの理由の一つはそれかも知れません。

さて、当ブログの「新英語学習、教授法」の章は、マーフィーの文法書を常に念頭に置きながら、何をどういう順序で、それに、もっと本質的なことですが、英語学習の中で英文法をどう具体的に関連させるか、さらに、もっともっと本質的なことですが、日々の学習活動、言語活動のなかで、「英文法」の位置づけるかを考えて行きたいと思います。

註:米国で、銀行員のカーンさんが始めた、電子黒板を使った数学、理科教室サイト。