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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

シリーズ 日本人の英語:建築家、坂茂の英語 再び

2014年05月17日 | シリーズ:日本人の英語

シリーズ 日本人の英語:建築家、坂茂の英語 再び

坂茂2かつて、「シリーズ:日本人の英語:板茂」でも触れましたが(「板」は間違い。「坂」が正しい)、今日の産経新聞(5月16日。16日最終閲覧)に、建築のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞した、坂茂さんのインタビュー記事がありましたので、引用してみましょう。

以下のインタビューにおいては、「英語」だけではなく、もっと広い伝達能力の問題を扱っています。、記者の、「その行動力、交渉力はどう養われたのか」という問いに対する答えです。

アメリカの教育によるところが大きいでしょうね。高校時代にたまたま読んだ建築誌の特集記事がきっかけで、ニューヨークにあるクーパーユニオン建築 学部を目指しました。欧米ではプレゼンテーション力が重視されますから、大学でもみんなの前で発表、議論する機会が多い。語学力の差を補うべく、いろんな 手を使いながら、人を説得しなければならない。日本人は普通、そういう機会は少ないし、苦手ですよね。授業でも発言しない学生が多い。

 そ して、世界でも稀(まれ)なことに、日本の学生は授業をサボる。学生時代は楽しく過ごし、社会に出れば鍛えてもらえるとでも思っている。考えてみてほし い。野球でもサッカーでも、プロを目指す人は日々、厳しいトレーニングをする。建築も同じ。繰り返し課題に取り組みトレーニングしなければ、プロにはなれ ない。授業をサボるのは、練習をサボるのと同じです。

前回、「坂さんは建築家です。大工さんや市当局の人とすばやく、寸法や、法律に関する事柄について、正確に意思のやりとりをしなければ、建物が立ちません。ですから、オリンピックの招致演説よりもずっと高い言語能力が要求されます。」と述べましたが、「現実の問題にぶつかり、解決するためにどうしたらよいか考え、そのために言葉を鍛え、思考を深めるという過程を経てきた方だということが分かります。

言葉は、それ自体、学習の「目的」にはなりません。伝えなければならない、理解し紙管TED坂茂 紙管なければならないという場における努力が、初めて言葉の学習を手ごたえのある、楽しいものしてくれるのです。NHK、「旧」プレ基礎英語の監修者、小泉さんが、Let's enjoy English.、つまり「英語<を>楽しもう」という言い方に疑問を持つ。何かを英語で理解し、伝えることが面白のではないか、と書いていたことを思い出しました。 

参考:アメリカの美術関係のサイトによるインタビューです。「長いエッセイの倉庫」には、トランスクリプトと、簡単な語学的解説があります。

Spotlight on Design - Shigeru Ban interview
音声MP3版は、3分に編集 2.76MB

長いエッセイの倉庫

紙の教会 夜景写真:

①フランス、ポンピドーセンター美術館分館の天井をバックに。ベトナムか中国の帽子の編み方がヒントだそうです。

② 紙管を持って。TEDより。

③ 阪神大震災の際に作られ、今、台湾に移築されている「紙の教会」のは夜景。

以下のページもご覧ください。

ホンダジェット、技術畑の社長さんの英語力

 

 


英会話第一号、福澤諭吉と少女の写真

2014年04月29日 | シリーズ:日本人の英語

英会話第一号、福澤諭吉と少女の写真

福沢と米国少女岩波文庫の『福翁自伝』の扉にもある、有名な「福澤と米国少女の写真」を、英語スクールにホームページに拝借しています(もう著作権はなかろうと思います。)

この写真がどういう経緯で取られたか、『福翁自伝』(岩波文庫 p.145)から引用しましょう。ジョン万次郎のような特殊な運命で英語を習得したのではなく、自分で学習した英語で、少女とコミュニケーションを取れた のですから、福澤さんは「英会話」を学ぶ私たちの鑑のようなものです。気後れせずにどしどしアメリカ人と交流を深める福澤さんは、あっぱれです。

2008-2009に開催された『福澤展』にはこの写真の修復についての話が載っています。(最終閲覧:140429)

http://keio150.jp/fukuzawa2009/blog_t/2008/12/post-c10c.html

少女の写真

 それからハワイで石炭を積み込んで出帆した。その時に、一寸したことだが奇談遣欧使節がある。私はかねて申す通り一体の性質が花柳に戯れるなどということには仮 初めにも身に犯したことないのみならず、口でもそんな如何わしい話をしたこともない。ソレゆえ、同行の人は妙な男だというくらいには思うていたろう。それ からハワイを出航したその日に船中の人に写真を出して見せた。これはどうだ(その写真はここにありとて、福沢先生が筆記者に示されたるものを見るに、四十 年前の福沢先生のかたわらに立ち居るは十五、六の少女なり。)――その写真というのはこの通りの写真だろう。ソコで、この少女が芸者か女郎か娘かは、勿論 その時に見さかいのある訳けはない。――「お前たちはサンフランシスコに長く逗留していたが、婦人と親しく相並んで写真を撮るなぞということは出来なかっ たろう、サアどうだ、朝夕口でばかり下らないことを言っているが、実行しなければ話にならないじゃないか」と、大いに冷かしてやった。これは写真屋の娘 で、歳は十五とかいった。その写真屋には前にも行ったことがあるが、丁度雨福沢髷姿の降る日だ、そのとき独りで行ったところが娘が居たから「お前さん一緒に取ろう ではないか」と言うと、アメリカの娘だから何とも思いはしない。「取りましょう」と言うて一緒に取っ たのである。この写真を見せたところが、船中の若い 士官たちは大いに驚いたけれども、口惜しくしくも出来なかろう、と言うのは、サンフランシスコでこのことを言い出すと、直に真似をする者があるから、黙っ て隠して置いて、いよ/\ハワイを離れてもうアメリカにもどこにも縁のないという時に見せてやって、一時の戯れに人を冷かしたことがある。咸臨丸


シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語 (2)

2014年03月25日 | シリーズ:日本人の英語

  

シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語 (2)


千野境子さんの英語論についてのコラムに登場した本田圭介選手の英語について、数回前に述べました。基本的なことは既に述べましたが、教室での「本田ごっこ」と、本田選手の言語(英語)の特徴について2点触れます。


http://www.youtube.com/watch?v=sevJvlxet08


本田選手 2

教室では、トランスクリプトを参考に、ホンダ選手に扮してインタビューに答えてもらう遊びをしました。中級ぐらいの方だと、だいたい本田選手の言っていることの骨は直感的につかめるので、適当に補いながら、ちょっとえらそうに答える、という遊びでした。

初級上の方のクラスで試みたら、ちょっと難しかったです。まだ、本田選手の使う基本的なセンテンスもなかなか構成できないというということです。そこで、皆さんが、自分の英語力を認識してくだされば、それはそれで成功だったでしょう。


前回の本田選手に関するコラムで、本田選手の話していることは、英語というより、英語にも、イタリア語にも訳せる、ある意味での普遍的な言語だということを述べました。

もう一点は、世界中の「インタビュー」で使われる共通のレトリック(修辞法)を使っているという点です。こうしたレトリック、別の言い方をすれば、表現法を用いると、聞いている方は、ストンと腑に落ちるのです。また、記者は、読者が納得するような記事が書きやすい。

これを「媚びている」と言ってしまうこともできるでしょうが、マスコミという同じ土俵でお金をもらって生活してるのですから、このような「サービス」は仕事をスムーズに進めるためには必要なものです。日本人には、「誠は通じる」というところがあって、「ちゃらちゃらしたことは話さない」という主義の人も多いのですが、それでは通じません。「サービス精神」も、言語活動には必要なものです。

本田選手のインタビューから二箇所、取り上げて、その点を見てみましょう。


(09:53 in 17:06)

Q: 冬の間に多くのクラブからオファーがあったと思いますが、なぜACミランを選んだのですか?。
Oh, that’s easy. I just ask my little Honda in my heart. Which club do you want to play? I asked. Yeah…. He answer, I want to play in AC Milan.(聴き取ったまま)

おお、それは容易なことだ。ただ私は心のなかの子供の本田に尋ねただけだ。「どのクラブで君はプレイしたいのか」、と私は尋ねた。「そうとも」、と彼は答えた、「僕はACミランでプレイしたい」、と。


訳文を見てお分かりのように、日本語ではこんなことはきざで言えたものではありません。しかし、これを聞いて、頷いた記者は満足げにメモをしたことでしょう。「そうとも」と、その後に続くせりふの間に、「と彼は答えた」という部分を挿入するのも欧米語の基本的レトリック、と言いますか、お約束です。


(13:50 in 17:06)

Q: 友人の日本人記者は本田選手がACミランに侍の精神を運んでくると言っていますが。
Uh…… I never meet samurai. So I don’t know that is true, but I think Japanese men is….., uh…., never give up, and strong mentality….. And we have good discipline.So I think I have, too. (聴き取ったまま)

そうですね。私は侍にはあったことはないですが。(笑)で、本当かどうか分かりませんが、日本の男は、ううん、、決して諦めない...。強い精神力…、それに、私たちはよき規律を持っています。私も持っていると思います。


この部分が、「現在完了形を使うべきだ」というあら捜しがネット上にあったと、千野さんが述べているところです。文字では分かりにくいのですが、最初の文の後で笑いをとっています。その間(ま)で、話す方は、「通じているな」という自信を新たにしています。ここでの内容も、サービス精神がなければとても言えたものではないでしょう。


以上、本田選手の記者会見を通して、「発信」をする際に気を使うべき二点を見てきました。一つは、普遍的に通じそうな概念を用いること、二つ目は、サービスのためのレトリック。

が、それ以上に大切なのは、自信のあるところを態度で示すことかもしれません。









シリーズ 日本人の英語: 新渡戸稲造 (1)

2014年03月15日 | シリーズ:日本人の英語

 シリーズ 日本人の英語  新渡戸稲造

1月22日の産経に以下の記事がありました。

新渡戸に品格ある対外発信学ぶ 高崎経済大学教授・八木秀次
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140122/plc14012203190003-n1.htm

新渡戸稲造夫妻


この記事では、現在の、外国におけるわが国の「発信」に関する報告、分析と、1894年の日清戦争における反日プロパガンダに対抗するための対外発信を、 川上和久の書から紹介しています。


汚名を雪ぐについては、1900年の北清事変における、会津出身の柴五郎の水際立った指揮、統率に加え、新渡戸の『武士 道』(1900年)も大いに与っっていたのではないかと、八木さんは推測しています。


新渡戸の「発信」については、この記事には特に具体的には陳べていません。新渡戸の英語での言論活動についてはまた折があったら陳べたいと思います。「英語が見事」ということではなく、外国語を用いて深く思索を展開する力について。


今回は短いですが。


シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語

2014年03月14日 | シリーズ:日本人の英語

シリーズ 日本人の英語:本田圭佑選手のしっかりした英語


数回前に、千野境子さんの英語論についてのコラムに登場した本田圭介選手の英語は、下の番組で見ることができます。


http://www.youtube.com/watch?v=sevJvlxet08

 

千野さんは、こう書かれています。


(-----) ところが驚いたのは、ネット上の感想に「本田はサムライに会ったことがないという表現に現在形を使っていたが、現在完了形が正しいのではないか」との疑問が真っ先に上がっていたことだ。受験英語の弊害の見事な見本である。

本田圭佑 さむらい


「英文法」なるものが、目的化している滑稽さを指摘しているのですね。「手段の目的化」という、文明が発達すると陥りやすい現象です。


そこで、「本田選手が立派に受け答えしているのだから」、文法学習などは無意味だ、という結論がでそうになりますが、そうは問屋は卸しません。本田選手の英語が「非文法的」かというと、そう決め付けるわけにはいかないからです。

一言で「文法」と言ってもいろいろな意味、側面があり、実際外国語を学習したことがある人なら骨身に染みていると思います。

文法規則には、意味の伝達に不可欠な部分とそうでもない部分があります。たとえば英語以外の欧米語には、あらゆる名詞を男性、女性に分けて、形容詞、冠詞はそれに一致します。しかし、それは間違えても通じないというわけではありません。ただ「外国人が話しているな」とばれて、笑われてしまうだけです。フランス語なら、太陽は男性形なので、定冠詞は男性形のle。太陽は、le soleilです。月は女性形なので、定冠詞はla。la luneです。しかし、la soleilと言っても通じないわけではありません。

一方、間違えると、意味が通じない、あるいは別の意味に誤解される規則があります。I have a little money on me. / I have little money on me.この二つの文のaのあるなしで、意味が逆と言っていいほど違ってしまいます。


本田選手の英語は、前者の規則では間違えることが多いですが、後者の方はしっかりしているのです。ですから、通じるのです。笑いを取ることもできたのです。もちろん、複雑な英語の時制や、単数、複数など、習得しにくいものですから、しっかり教える、習う必要がありますが、正確に伝えるべきところでは自信を持って英語の文を作れるようになる、というのは、それに先立つ、外国語学習の基本的態度でしょう。

彼の受け答えは、単語や、yes / noで行っていない点に注目。主語+動詞+目的語という仕組みをしっかりはずさすに、ゆっくり考えながら話しています。正確に答えられるようにあらかじめ考えてから落ち着いて話しているのです。


では、なぜこのようにしっかりした英語で話せるのか。例の「シャラップ大使」などと対比して考えたいことです。それは、仕事で英語を正確に使う必要があるからです(シャラップ大使は英語は部下任せだったのでしょうか…)。

例えば「昨日右足に鈍痛を覚えた。その原因はおとといの試合の終了3分前の事故によるものだと考えるが、医師は今日試合に出ると直りが悪くなると言っている」というような複雑なことは日常的に伝える必要があります。こうした内容の構成には、「時制」などはそれほど重要ではないかもしませんが、それに、そんなに速く反応する必要はないかもしれませんが、「論理」を間違えると通じません。


今、論理という単語を二度使いましたが、「論理」とは普遍的なものです。いつ、どこでも、誰にも通じるもの。例えば、「それゆえ」とか「そうではない」などですね。ところが、外国語を学習する際、論理に関する部分と、その外国語の持つ文化的側面を、混同しがちです。「英語ができる」、と言った場合、向こうのスラングや、丁寧語などを適切に使えることをさす場合がありますが、論理表現には関係ありません。本田選手の英語を聞くと、今の流行語とかスラングとかそいうものはなく、ある意味で教科書的な英語です。しかし、言っていることは、日本語でも英語でも、イタリア語でも翻訳可能な要素です。その要素の伝達には、それぞれの国語の内部で意味をもつさまざま色合の違いを知っている必要がありません。ただ、論理自体は、正しい構文の組み立てで、正確に自信を持って伝えているのです。

インタビューでは、何が訊かれるか分かりません。安倍首相のオリンピック誘致演説のようにあらかじめ用意する原稿もないのです。よく自信を持って話せるな、という印象を持った人も多いでしょう(時々「文法」を間違えるのに…)。その落ち着きは、仕事を通じて、普遍的概念、論理は間違えなく伝えることができるという自信から来ているのだと思います。

次回、その具体例を本田選手のインタビューから挙げてみたいと思います。建築家、板茂さんの英語と似ている点にも触れたいと思います。

また、「言語は論理だけはないだろ!」という意見についてはまた折を見つけて語ることといたしましょう。