小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

人生の新たなステージ/すっぱい葡萄

2007-12-13 03:47:54 | 週間日記
これでなんとか3週間前日記に。08年までに追いつきます。

19日(月)原稿や電話取材~たぶん、のび太でカレーうどん~塾
20日(火)橋本屋で高清水辛口買う~晩は塾でテスト勉強~夜、おおぎやできのこラーメン+餃子~蔦屋書店でミュージックマガジン、レコードコレクターズ、ブルータスの映画特集~さんま2尾ほか
21日(水)塾はしご~同級生Mト君宅に
22日(木)晩、はなまるうどん~塾
23日(金)午後からOB・M本君結婚披露宴に。今回は中2のM本君作“22世紀のピカソ”オン・英語のプリント裏を印画紙にプリントで進呈のほか、スピーチはあんちょこが行方不明になったこともあってまいるが何とか~2次会から3次会はカラオケでは、定番のクイーン『愛にすべてを』のほか、何となく20代の十八番で15年ほど封印の『ロックンロール・ウィドウ』を歌うというグレイトな一日。おめでとう、ミスター&ミセスM本
24日(土)撮影~浦和へ行き、レッズ戦帰りの同級生M君らと飲む
25日(日)撮影

11月の後半は、テストだの何だのであたふたしつつ楽しい日々。競馬の秋のGⅠシリーズも終盤が近づき、この前の日曜9日は、2歳戦朝日杯フューチュリティステークスだった。
競馬について、熱心に取り組んでいる人々にきいたり、さまざまな資料を調べたりして文字を連ねることも仕事の一つにしているのだが、馬券に関しては結果も熱意もそれほどではない。今は1レースの投資額は3連単で1500円というのがもっとも多く、パターンは「1)狙った穴馬で1・2・3着、2信頼する人気馬1・2着、3)次に信頼する/狙う馬2・3着、4)その他外せない馬/ひょっとしたら来る馬×3が3着」の「フォーメーション」という馬券で計1500円。時々当たって払い戻されるから、するとそのお金で馬に感謝しつつ何か買う、というのが20年以上競馬をやってきての現在の楽しみ方だ。たとえば塾のメイン石油ストーブには、「プレゼンテッド・バイ・スペシャルウィーク&インディジュナス、イン・ジャパンC99」と書かれている。

さて、端的にいって、私に「ギャンブラー」の資質はない。
記憶違いかも知れないが文化人類学者植島啓司によれば、ギャンブルに強いとは強い方から順に、1)大きく賭けて負ける、2)大きく賭けて勝つ、3)小さく賭けて勝つ、4)小さく賭けて負ける、だった。この論が正しければ小額ギャンブラーは、どんなに楽しんでも「強いギャンブラー」ではあり得ないのであり、これまで見てきた人々から考えると、まったくその通りと思う。
だが、それはしかたない。私とて、ウン十万とはいかなくてもウン万円程度の賭けで心臓がばくばくさせたことはないではないが、もともと信じにくい懐疑派なのだから、「絶対来る」なんて思って馬券を買うことはなく、「もしかしたら来るかもな」程度に買って、当たればそれなりに嬉しいし、外れればちょっとだけ悔しい、そんなギャンブラーである。

そこで日曜の朝日杯。仕事でつき合いのある、信頼できる競馬好きが推薦した馬は、私も気になる馬だった。ゴスホークケン。ちょっと名前はいただけないが、父の名がバーンスタイン、私がもっとも好きな指揮者レナード・バーンスタインと同じ名を持つこの馬の産駒はまだ日本では2頭しか走っていない。
このゴスホークケンを1)に、2)に1番人気で最近もっとも好きだったローエングリン最後の勝利で泣いた後藤騎手のアポロドルチェ、3)にやはり競馬好きがすすめるレッツゴーキリシマ、4)3頭を人気馬、人気薄をちりばめて予想は決まった。
では、ビール、今日はもどきでいいかと冷蔵庫に行くが、でもちょっと待てよ、「もう一ひねりしようか」と、4)の3頭を再検討。結局、4番人気のキャプテントゥーレを消して、11番人気ながらまだ3着以下になったことのない吉田隼人騎手のドリームガードナーにして買った。

……数分後、ビールもどきとともにテレビの前にいた私は、直線ばてかかっていたキャプテントゥーレが、前を行くレッツゴーキリシマをかわしてくれることを祈っていた。そうでなければ、これがきたらまいるよな、のその組み合わせになってしまう。
テレビカメラの位置からは外キャプテントゥーレに見えたが、アナウンサーのいうには「2着レッツゴーキリシマ」。そんなことはないよ、フランスGⅠ2着の名牝の息子の芦毛の方が先だったよと思ったが、掲示板にはすぐに2着は3番で「首差」と出ている。テレビは3連単の配当は13万なんとか円と告げた。

ひょえ、と思ったのはほんの一瞬である。
不思議なことに感じたのは、「意外なほど悔しく思っていない自分」だった。長く競馬をやっていれば、ああ、もう少しで粘れたのに/届いたのに、と思うレースはもちろん、ああ、どうしてこれを買わなかったんだ、ならまだしも、あれ、うっかりこれ買い忘れてた、なんてことはいくらでもある。イングランディーレが勝った天皇賞では、5万円の馬連が当たったのに、あと500円買っていれば獲れた20万の3連複を買わなかったことを悔やんだ。遠くロンドンアスコットで、マークシートをもう一塗りしてロックファルコンという馬を買っていれば数百ポンドだったと悔やみ、わかっちゃいるのに窓口の英国レディに確認したことも忘れない。
そう、的中の喜びより、外した時の悔しさの方に、競馬の、さらにいえば人生の、本質のような何かを感じるのは私だけでないはずだ。だが奇妙なことにこの時、感じていたのはそういうものから遠い、新たな見地である。

思い浮かんだ言葉は、「人生の新たなステージ」。
くやしいとか、かなしい、にくいなど、ネガティブな感情から解き放たれるかも知れない。その代わり、少しばかりの喜びも味わえなくなるかも知れないが、それが何だというのか。遥か彼方の、自分ではどうしようもない夕陽の美しさの前にたたずむように、悠々としてすべての前に立つことは、それはそれで悪いことでないのではないか。そう、これは「人生の新たなステージ」かも知れないのだ。

では、「人生の新たなステージ」で、ささやかな喜びはどうなるのだろう。そう思って、まずねこと遊ぶ。
大丈夫だ。今までと同じように楽しいじゃないか。
では、ちょっと料理でもつくってみようと、前回話題になった煮ぼうとを製作。今回は、じゃがいも、さつまいも、さといものトリオ・ザ・いものほか、前回忘れたごぼうもプラス。がんがん煮込んで、この見事さをどう残そうかと、湯気が暗闇に映えるようにと鍋のまま冷え切った庭に向かう窓を開けていすを置き、ズームを調整した上でふたを取って撮影する。構図がいまいちだったが、まあいいや、煮ぼうとは写真に撮るものでなく食べるものだと、土佐鶴新酒とともに味わう。こいつは「うまい」ではなく、「すげえうめえ」という段階だ。酔ったついでに寝て、翌朝、姉の息子が温めて食っていたので、これ「すげえうめえ」よなというと、やつも感動して「うん、スゲーウメー」といっていた。
OK。「人生の新たなステージ」でも、ささやかな喜びはびくともしない。
やるじゃないか、「人生の新たなステージ」。

月曜には、仕事関係で電話した人々に「競馬どうでした」ときかれても、「いやあ、当たらなかったのですけど、『人生の新たなステージ』に達したんですよ」と答え、人生の何たるかはまだわからぬ中学生にも参考までに話しておいた。「へえ、ついに脱却しちゃったんですか」という声もないわけではなかったが、「ええ、どうやら脱却できたみたいなんですよ」と応える。
どうやら「人生の新たなステージ」は無敵だ。そう、ねこやつらなんか、ずっと前から「人生の新たなステージ」だから、悔しがったりなんてしないもんな。立派なもんだ。おお、44歳でこの地点に達してよかった……

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wikipediaより「すっぱい葡萄」

すっぱい葡萄(すっぱいぶどう)はイソップ寓話の一つ。狐と葡萄とも。

あらすじ
ぶどう畑で、たわわに実ったおいしそうなぶどうをキツネが見つけた。食べようとして跳び上がるが、ぶどうの房はみな高い所にあり、届かない。何度跳躍してもついに届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去ってゆく。

解説
手に入れたくてたまらないのに、いくら努力しても手が届かない対象(人、物、地位、階級など)がある場合、その対象を価値の無いもの、低級で自分にふさわしくないものとみなす事であきらめ、心の平安を得る。フロイト心理学において防衛機制、合理化の例として有名。

(Phは11月19日、青空の下でティーと。BGMはなぜかアイルランドの与太れ者どもポーグス)

【カウンターは後日補修】
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