小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

伊勢正三LIVE2007東京―「一番うしろで見てました」

2007-05-08 16:24:34 | 音楽
連休明け、週明けですが、先週日記は後回しにして休みの最後のとびきりのプレゼントの話を。6日に行った伊勢正三さんのコンサートです。ブログでずっと書くと宣言してアナログのに所有のCDまで何枚も揃え、内容もほぼできている伊勢正三さんとの30年近くを記す大作は後回しにして、ここは数年ぶりで出かけた単独公演の話だけ。つまり、帰りの電車や寄ったもつ焼き屋で、Y君に話したことの採録です。

競馬好きでもあったらしい伊勢さんが、今も興味があるかは知らないが、OBのY君と三鷹~府中競馬~新宿を経て会場の品川プリンスステラボールにたどり着いたのは約20分前の静かな雨の中。彼が好みそうなおしゃれで新しいホールは“伊勢さんと歩いた青春”を過ごしたと思しきかつての若者が主流で、よく行く先鋭的な欧米ロックのコンサートと違った、穏やかな日常の雰囲気があふれています。ビールは競馬観戦までにして駅で買ったお茶を出して、携帯電話のスイッチを切る。そして少しすると星影の会場に、白いジャケットとギターの星が上がりました。
1曲目は『月が射す夜』。サウンド指向が最高潮に達していた風ラストアルバムの名曲が、4人の熟達のサポートで雨の今夜は見えない月の光のように会場を照らします。バックはキーボードとギター、パーカッション兼サックスというミニマムな編成でした。
クールな『月が射す夜』以降は、『海岸通』『あいつ』『置手紙』といったかぐや姫~風初期の歌が中心。一時はあまりやりたがらなかったこれらの曲も、最近では昔のままのイメージで歌っています。その歌い方は、まさに抱きしめるように。レコードやテレビ、ラジオしか知らなかった風時代には、こういう歌い方はなかったはずです。
それは伊勢さん自身のMCにも表れていました。昔は勝手でひどいやつだったけど、こんなにもたくさんのみなさんが忘れないで集まってくれる、歳をとると感謝の気持ちが自然に出てくるようになるんです、そしてそれは楽曲そのものにも反映されています。
元赤い鳥、ハイファイセットの山本潤子さんとのユニットで99年にリリースされ今は廃盤になっている『青い夏』は、中学時代の友人にきかせても、「これは20年前だ」とうなったほど。当時の「青い夏」の「ミカンの白い花」の香りに満ちていました。とはいえ当時はなかったCメロを持つこの曲は、その一節を渾身の伊勢正三論のタイトルにしようともくろむほど私にとっても重要。はじめてきくセルフカバーで歌った後に、そういうわけで今ではこういう曲を書けるようになりました、なんて嬉しくも切ないことをいってくれます。伊勢さんは確か93年頃、こう語っていました。「せつなさ」こそ僕の世界なんだ。そしてその「せつない」は、ここ10年くらいで意味を少し変えてしまっていて、今の若い人は「悲しい」や「はかない」を「せつない」といい、伊勢さんが大事にしていたやるせないけど引き寄せられる「せつない」は、時代の陰に隠れてしまったと私は思っています。
そして、昔を知るファンにはたまらないプレゼントとなった風のパートナー大久保一久さんの登場。映画化もあり今でももっとも期待される『22才の別れ』を、今は薬剤師だというクボやんのコーラスつきに用意してくれていて、オーディエンスはこの旧友の再会にこの夜一番の大きな拍手を送っていました。もう1曲の『アフタヌーン通り25』は、時々ホテルの紹介などでも使われる隠れた名曲です。
どうしても昔の曲を望んでしまうファンに申し訳なさそうに、これは渋いことをしようとしていた時代の歌です、こういうのもあったんですと新しめの引き出しを披露していく伊勢さん。最近はずっとアンコール前の定番になっているジャンク化する社会を撃つ、きっとかぐや姫なら『あの人の手紙』にあたるメッセージソング、これは私は年寄りの冷や水と尊敬を込めて呼ぶ『レミングの街』でいったんメンバーはステージを去り、アンコールに『ささやかなこの人生』『海風』。そしてもう一度『そんな暮らしの中で』ですばらしい『Moony Night』は過ぎました。

では、全体的な感想です。
昨年のかぐや姫再結成でも、変わりない南こうせつさんに対し、声が出なくなった伊勢さんに失望したという声はネット上などできかれました。実際にたとえば『22才の別れ』では、これは確か私の観察ではすでに90年代の後半から3カポGmから1カポFmに、つまり全音1つ落としていますし、とくに初期の曲では苦しい部分もあり、それがとくに前半部に多かったこともあって少しさびしい気もしました。しかし最近の曲では今の自分の声に合わせているためかそんなことはなく、しかもだんだん声は出るようになり、終盤には苦しさをほとんど感じなかったといえましょう。
それでも『星空』などを歌ってくれたことは、ファンにとってこれほど嬉しいことはなく、これは生できくのははじめての『お前だけが』なんて、自身「評判悪かったですね」という『古暦』の枯れたセルフカバーより、30年近くたっているはずなのにそれより若々しい、つまり素直に歌っていて驚きました。さすがに「夜がとても短過ぎてーっ」のフェルマータは苦しかったですけど。
そして、歌声以上に伊勢さんそのものといえるギター。これをきいて昔の方がよかったなんていう人は、まずいないでしょう。驚くことに今回はすべてフォークギター。サウンド指向時代の象徴だったBCリッチ、93年当時はよく弾いていたガットギターのアルペジオもなし。『涙憶』でさえフォークギターでした。そしてそのフレージングは、サスティンは、カッティングは、これも伊勢さんの象徴たるハーモニックスは、10年前に比べてもさらに磨きがかかって雄弁です。
たとえば、この天候で追加されたらしい『雨の物語』は、これも枯れの極致だった『古暦』版にはない、イルカさんのシングルに入っていた泣きのエレキギターをフォークギターで見事に再現していてびっくり。そして理解しました。確かに機材の発達もあるでしょうが、もう伊勢さんにエレキのやわらかい弦は要らないんだ、スチールのフォークさえあればすべてのフレーズが思いのままなんだ、これがミュージシャンの進化でなくて何だろう。余計なことをいえば、今も声の変わらない南こうせつさんは、関心もないでしょうがギターの技術も今も昔も変わりません。そういえば、大久保さん登場の時に伊勢さんは、昔はできなかったスリーフィンガーが今はできるようになったんだよと話していました。
ポール・マッカートニーはこの間とその前、2回みました。その時、クリス・ペプラーさんが、あの声をあの歳で出すにはいくら使ってるかわかりませんねといっていたように、歌手にとって筋肉である声を維持することは重要です。でも、それがすべてではない。かつて読んだ玉村豊男さんのエッセイであったように、新ジャガばかりありがたがるのは幼い、芽の出たジャガイモは煮込んだら新ジャガよりおいしく食べれるとあって、食の名人は違うと舌を巻きました。フォーク界で達人といわれることの多い伊勢さんに新ジャガの味わいを期待するのは、むしろ未熟なファンなのかも知れない、歌舞伎のファンを見習おう、そう思います。

そして、この夜のスペシャルがもう一つ。1階1番後ろの席の私の左となりに座った一人で来ていた、これも失礼ながら新ジャガとはいえない女性をみて、何が今の伊勢さんをかたづくったのかがよくわかったような気がします。
『君と歩いた青春』など人気の高い中期までの曲が始まると決まって下を向いてハンカチに手をやる、その姿はまさに30年前の名曲『あの唄はもう唄わないのですか』の「去年も一人で誰にも知れずに 一番後ろで見てました」のヒロイン。私も一度しか生できいたことがなく、この夜ももっともききかたった曲であるこの唄は、次の機会の楽しみにしましょう。その代わりこの夜は、ファンの間では『あの唄はもう唄わないのですか』の続編といわれる『Musician』をやってくれましたから。そういえば、『Musician』のサビのフレーズは、「それより君のポテトサラダ またすこしどこかちがうというのかい」でした。
「冬の朝 目覚めた時のあと五分の幸せを 誰もが知ってる」と伊勢さんが歌ってステージの月が去っていた後、せめて「いいコンサートでしたね」といいたかったけれど何となくやめました。なぜだろう、たとえば Mixi などで伊勢さんのファンダと知ればすぐメールを送るのに。この夜も、その後行ったもつ焼き屋でとなりのおっさんと900万馬券の話をしたのに。
それはひょっとしたら、「君の唇がさようならと動くことが こわくて下を向いてた」頃を、私自身も思い出していたからかも知れません。

(Phは会場の品川プリンスの雨上がり。BGMはもちろん伊勢さんで93年の復活作『海がここに来るまで』から、『Musician』収録のソロ第1弾『北斗七星』に)
コメント (7)
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