地域班の見回り、というPTAの活動の後、
夕暮れの街の古本屋でボ~
死生学に傾倒しつつある私としては
見過ごせないタイトルの上記本を発見。
読み始めたら止まらず、ティッシュの箱を抱えながら
結局、最後まで読みきってしまいました。
マリー・ド・エヌゼル著「死にゆく人たちと共にいて」白水社刊読みました
著者の感じる力のすごいこと、すごいこと。
末期とされる患者(?)さんたちの
「死ぬ」とわかってから本当に「死」を迎えるまでの
間にたくさんの意味を見つけたり、作り出したりする
パワーのすごいこと。
私のカウンセラーとしての仕事は末期ではないけれど、
心の一部分がもしかすると「死にそうになっている」ところ
に立ち会っている、というような面があるのではないか。
自分のなかの一部分に「さよなら」を言ったり、
なくしてしまったものや、
もしかしたら自分のものになったかもしれないものに、
存分に愛惜を感じる場でもあるんじゃあないだろうか、
というようなことも思ったりしました。
しょっちゅう、クライエントさんの語ることに
感動するのだけれど、この本から伝わってくるものと
この感じとは、とても似ていると思った。
顔を洗うときに鏡を見たら、
寝不足と泣きすぎ
のせいで、
まぶたがブンブンに腫れちゃってました。
また、息子に
「みちゃらんないよ~
」って言われそうです。
夕暮れの街の古本屋でボ~

死生学に傾倒しつつある私としては
見過ごせないタイトルの上記本を発見。
読み始めたら止まらず、ティッシュの箱を抱えながら
結局、最後まで読みきってしまいました。

著者の感じる力のすごいこと、すごいこと。
末期とされる患者(?)さんたちの
「死ぬ」とわかってから本当に「死」を迎えるまでの
間にたくさんの意味を見つけたり、作り出したりする
パワーのすごいこと。
私のカウンセラーとしての仕事は末期ではないけれど、
心の一部分がもしかすると「死にそうになっている」ところ
に立ち会っている、というような面があるのではないか。
自分のなかの一部分に「さよなら」を言ったり、
なくしてしまったものや、
もしかしたら自分のものになったかもしれないものに、
存分に愛惜を感じる場でもあるんじゃあないだろうか、
というようなことも思ったりしました。
しょっちゅう、クライエントさんの語ることに
感動するのだけれど、この本から伝わってくるものと
この感じとは、とても似ていると思った。
顔を洗うときに鏡を見たら、
寝不足と泣きすぎ

まぶたがブンブンに腫れちゃってました。
また、息子に
「みちゃらんないよ~
