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視点論点 「コミュニティと地域再生」/千葉大学教授 広井良典

2010年03月28日 | スクラップ

2010年02月23日 (火)

 

 こんにちは。本日は、コミュニティと地域再生というテーマについて考えてみたいと思います。

 戦後の日本社会とは、一言でいえば"農村から都市への人口大移動"の歴史だったと言えますが、農村から都市に移った日本人は、カイシャと核家族という、いわば"都市の中の農村あるいはムラ社会"を作っていったと言えるのではないでしょうか。そこではカイシャや家族といったものが "閉じた集団" になり、それを超えたつながりはきわめて希薄になっていきました。

 ひとつ図をご覧いただきたいと思います。これは、人々の「社会的孤立」の度合いを国際比較したものですが、残念なことに、日本は国際的に見てもっとも「社会的孤立」度の高い国であることが示されています。この場合の「社会的孤立」とは、家族以外の者との交流やつながりがどのくらいあるかという点に関するもので、日本社会は、"自分の属するコミュニティないし集団の「ソト」の人との交流が少ない"という点において先進諸国の中で際立っているのです。

 少し前から「空気が読めない」といった言葉がよく使われるようになっていますが、現在の日本の状況は、そうした言葉に示されるように、集団の内部では過剰なほど周りに気を使ったり同調的な行動が求められる一方、一歩その集団を離れると誰も助けてくれる人がいないといった、いわば「ウチとソト」の落差が大きな社会になっています。このことが、人々のストレスと不安を高め、自殺率がずっと高い水準でとどまっているといった点を含めて、生きづらさや閉塞感の根本的な背景になっているのではないでしょうか。

 したがって日本社会における課題は、個別の集団を超えて、「個人と個人がつながる」ような、いわば「都市型のコミュニティ」というものをいかに作っていけるか、という点にあると思われます。これについては、挨拶や「ありがとう」といった御礼の言葉、見知らぬ者同士のコミュニケーションなど、日常的なレベルでのちょっとした行動パターンが重要であると同時に、先ほどの「空気」といった、ともすれば集団の「ウチとソト」を分けてしまうものではなく、ルールや原理・原則で物事が動く社会を作っていくことが大きな課題といえます。




 ところで、これからの時代のコミュニティというものを考えていく上で無視できない要因として、少子・高齢化という人口構造の変化があります。

 この図をご覧ください。これは、人口全体に占める「子どもプラス高齢者」の割合の変化を見たもので、現在をはさんで1940年から2050年という100年強の長期トレンド (ルナ註;趨勢) が示されています。赤い線が子どもと高齢者の合計ですが、それがほぼきれいな「U字カーブ」を描いていることが顕著ですね。つまり、人口全体に占める「子どもと高齢者」の割合は、高度成長期を中心に戦後一貫して低下を続け、それが世紀の変わり目である2000年前後に「谷」を迎えるとともに増加に転じ、今後2050年に向けて今度は一貫して上昇を続ける、という大きなパターンが見て取れます。

 これは、地域コミュニティということとの関連で非常に大きな意味を持っているのではないでしょうか。というのも、人間の「ライフサイクル」あるいは人生というものを眺めた場合、「子どもの時期」と「高齢期」という二つの時期は、いずれも地域への "土着性" が強いという特徴を持っているからです。つまり、戦後から高度成長期をへて最近までの時代とは、一貫して "「地域」との関わりが薄い人々" が増え続けた時代であり、それが現在は、逆に "「地域」との関わりが強い人々" が一貫した増加期に入る、その入り口の時期であるととらえることができます。

 こうした意味において、「地域」というコミュニティがこれからの時代に重要なものとして浮かび上がってくるのは、ある種の必然的な変化であるとすら言うことができます。加えて、現役世代についても、これからのポスト産業化の時代には、職住近接あるいはローカルなものへの関心の高まりといった方向が強まり、地域との関わりが確実に増加していくと考えられます。飛行機にたとえると、高度成長期のような、地域からのいわば"離陸"の時代から、成熟社会という、地域への "着陸" の時代をいま私たちは迎えつつあると言えるでしょう。


 

 ところで、「GAH」という言葉をご存じでしょうか。これは、東京都の荒川区が数年前から掲げている目標で、「グロス・アラカワ・ハピネス」、つまり「荒川区民の "幸福" の総量」という意味であり、これを増大させることを区政の目標にしようという考えです。

 もちろんこれは、近年多くの人々の関心を集めるようになっている「GNH」をもじったものです。「GNH」とは、グロス・ナショナル・ハピネスつまり国民総幸福という意味で、ブータンが掲げている国の目標であり、いわゆるGNPではなく、経済の規模に還元できない人々の「幸福」を増大させることを国の目標にするというものです。

 似たような動きとして、先日、全国の信用金庫の研究会に参加させていただく機会がありましたが、そこでもやはり、これからの地域再生や地域活性化を考えていくにあたり、そもそも地域の「豊かさ」を何で評価するか、あるいは地域再生という時の目標は何なのかということを、「幸福」といったことを含めて根本から検討していくとのことで、新たな動きが始まりつつあると感じました。

 単に経済の規模が拡大・成長すればよいという単純な発想だけでは立ちゆかないということは、人口の動向を考えてもそう言えます。周知のように、日本の総人口は2005年から減少に転じており、2055年には9000万人を割ることが予測されています。これを都道府県別に見ると、既に過半数の都道府県が人口減少に入っており、2025年以降はすべての都道府県が人口減少となることが予測されています。

 こうした大きなトレンドの中で、それでは「数十年後の日本において、一体どれだけの人がどこに住み、どのような暮らしを営むのか」という大きなビジョンを私たちはどう描けばよいのでしょうか。そうした展望を国もまだ示しえていませんが、私はひとつの手がかりとして「多極集中」ともいうべきコンセプトが導きの糸になるのではないかと考えています。

  「多極集中」とは「一極集中」と「多極分散」のいずれでもないありようを示す言葉で、今後、地方を含めて人々が住む場所は「多極化」していくが、しかし単純に"拡散"するのではなく、それぞれの地域毎の「極」となる都市や町そのものは、集約的な構造になっていくというものです。たとえば道路でコミュニティが分断されたような街ではなく、中心部に老人ホームなどの福祉施設や公的住宅等を誘導し、様々な世代がふれ合える、歩いて過ごせる街にしていくといった方策で、それはいわば"コミュニティ醸成型の空間"を作っていくということでもあります。

 また、都市の中心部の人口密度と、ガソリンなどエネルギーの消費量とは明瞭な反比例の関係にあることがわかっており、集約型の街をつくっていくことは、環境保全という面からも重要な意味をもちます。

 したがって、これからは、従来タテワリだった「都市政策」、「福祉政策」、そして「環境政策」を融合するような新たな取り組みが必要になります。そうした方向が、人々の「コミュニティ感覚」や「つながり」の意識の醸成という点からも、また地域経済の活性化という点からもプラスの意味をもつと思われます。

 幸い、大学で20代前後の学生に接していると、若い世代の間で地域の再生や「愛郷心」といったものへの関心が高まっていることが様々な面で感じられ、まちづくりや福祉・環境・文化などの関連の「社会的起業」やソーシャル・ビジネスといったものへの動きも広がりつつあります。限りない経済成長と拡大の時代から、成熟社会という新たな時代を迎えつつある今、これまでよりひと回り大きな発想でコミュニティや地域再生のあり方を考えていくことが重要ではないでしょうか。

 

 

NHKオンラインより/投稿者:管理人 | 投稿時間:23:16

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