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「部下はあなたの思うようには動かない」恩師の言葉で救われた。見学殺到の工場、リーダーシップの本質

2024年02月11日 | スクラップ

 

 

 

事務職しか経験のなかった「小娘」が赤字転落の危機の中、いきなりの事業承継で経営者に。待ったなしの場面で、真っ先に手を付けたのは組織づくりでした。5S運動に始まり、社員との接し方で大きな転機となったのが「社員が社長の言うとおりにやらないのは、普通のこと」という恩師の言葉。そこで考え方を変えた所からV字回復、会社の飛躍が始まります。株式会社田野井製作所 代表取締役の田野井優美さんに話を聞きました。

 

 

 

□こんな小娘に任せて大丈夫か?社長就任に周囲は猛反発

 


――経営に携わるようになった経緯について教えてください。

 

田野井優美さん(以下、田野井): まず、2009年の正月に社長だった父から「お前を役員にしようと思っている」と言われ、取締役副社長に就任しました。当時の私は33歳。主任という立場で、経営の「け」の字もわかりません。周り以上に私が驚きました。その後、2013年に社長に就任することになります。当時はリーマンショックの真っ只中。売上が8割も落ちていました。父としては、今までの体制を続けていてもどのみち厳しい。「100年に1度」の変化に対応して次の一歩を踏み出すには、全く違った考え方でもっと若い人が活躍できる組織に変えたほうがいい、という思いもあったのでしょう。そこで私が抜擢され、社内改革に奔走することになりました。

 

 

―― 社員や取引先の反応はいかがでしたか?

 

田野井:「こんな小娘に任せて大丈夫か?」「経営なんてできるわけがない」と、反対の嵐 でしたね。当然、改革を進める中ではさまざまな反発に対峙しました。経営者として未熟だった私が、そういった境遇を乗り越えられた大きな要因として、 環境整備の徹底や、師と仰ぐ小山昇さんからの数々のご指導 がありました。

 

――そもそも、田野井さんは4人きょうだいの2番目で唯一の女性です。お兄様と双子の弟お2人も会社に在籍しています。なぜ、田野井さんだったのでしょうか?

 

田野井: 家族で食事をした時、父が「会社を継ぐのは誰が適任だと思う?」と皆に聞いたんです。母をはじめ「そりゃ優美でしょ」「優美しかいない」と、皆がすぐに反応しました。振り返ってみれば、私は男兄弟の中で育ったせいか、男勝りで目立ちたがりの性格で、周囲もそれを認めていたんですね。私も躊躇しましたが、最後には「やらせてください」と前を向きました。

 

 

 

□環境整備だったら、自分にもできるかもしれない。

 

――リーマンショックの危機下の社内改革、何から手を付けたのですか?

 

田野井: まず父からは「製造、技術、営業、管理。これら4部門を統括しろ」と命じられました。私は海外部門の事務しかしたことがなく、4部門すべてが全くわかりませんでした。ですので 「感覚的に社内にとって良さそうなことには、とりあえずチャレンジする」 と考え方を変えてみました。そこで見つけたのが 「環境整備」 。環境整備とは、掃除や整理整頓をはじめ、仕事をやりやすくする環境を日々整え続ける活動のことを言います。当時、ホッピービバレッジ株式会社の石渡美奈社長の本をよく読んでいたんです。内容がまさにうちの社内とそっくりなんですよ。もうそのまんまなんじゃないかな、というくらいに類似していました。その本の中で石渡さんが重要性を説いていたのが「環境整備」でした。環境整備に取り組むことで、会社が少しずつ変わっていったと。「よくわからないけど、それって一体どういうことだろう?」と私の中にアンテナが立ちました。

 

さらにきっかけがもう一つ。石渡さんは中小企業のコンサルタントで著名な小山昇さんに師事されて改革を行っていました。偶然、小山さんの出版記念講演があって私も話を聞きに行ったんです。そこで、小山さんが環境整備の大切さをお話しされました。小山さんのお話を聞くや、 「そのやり方だったら現場経験がない私でもできるかもしれない」 とやる気が出てきました。私は熟練の技術者と同じように機械を動かして物を作ることはできませんし、アイデアを持って技術開発することもできません。でも環境整備なら、私にもすぐにできる。仕事をやりやすい環境を作る取り組みであれば、社歴の長さや技術力などと関係なくできる。社内改革に持ってこいじゃないかなと思ったんです。副社長就任の翌年には5S・環境整備を導入することを決め、また私自身も小山さんに師事するようになりました。

 


――当時の会社はどのような状態だったのでしょうか?

 

田野井: 恥ずかしながら、今とは比べ物にならないような惨状でした。「おはよう」も言わない社員がほとんどでしたし、コミュニケーションはなくて、陰鬱な空気が漂っていました。工場内や事務所内の整理整頓も全然ダメ。暗いし、物は多いし…。わかりやすい問題点でいえば、「時間を守る」ができていませんでした。会社としては「3分前集合を行動の基本とする」と掲げてはいるものの、当時は「何時から朝礼・昼礼を始めます」と言っても、だらだら…バラバラ集まってくるという感じでした。

 

――5S・環境整備を進めて変わりましたか?

 

田野井: 活動を始めて3年ぐらい経った頃には、始まる時間の3分前にはビシッと揃うようになりました。 やはり粘り強く言い続ける、根気強く働きかけ続けることが大事 ですね。それがだんだん習慣になって、今では会社の文化になったと言えます。毎日、始業後の20分間は整理整頓の時間です。もちろん、給料も発生しています。日ごとに計画表を作成して、場所ごとに担当を振り分け。月に1回、私や幹部がチェックするという運用です。整理整頓というと黙々と作業をこなすイメージですが、うちは「おしゃべりOK」。コミュニケーションを取ることも目的の一つだからです。陰鬱だった空気がだんだんと明るい空気に変わっていきました。

 

 

 

□「なぜやってくれないのか?」ではなく「どうすればやってくれるのか?」

 

――改革を進める中で、壁にぶつかることはありましたか?

 

田野井: やはり社員との関係性は難しかったですね。ただ、小山さんに教えを請う中でいくつか救われた言葉がありました。その一つは、 「会社が変化する時、一定数の社員は辞める」 。何もわからない小娘がいきなり経営者になって改革を進めることに、「やってられない」と感じた社員もいたでしょう。反発だってありました。しかし私自身の中では、会社にとって良くなると信じたことを実行しているだけですので、反発自体に対してへこむことはありませんでした。そして退職者が出た時にも、小山さんのこの言葉で、前を向いて進み続けることができました。

 

また、小山さんから言われてすっと腹落ちしたのが「社長が『やれ』と言って、やらない社員がまともだよ」 という言葉。社長が一方的に命令しても、社員はまず反発するか、あるいは何か他の目的があるんじゃないかと勘ぐるのが普通。だから「やらない社員がまとも」なんだと。続けて 「大事なことは、いかにやらせる仕組みを作るかだよ」 と教えられました。それ以降は「社員はなんでやらないんだろう?」と一瞬思っても、 「じゃあどうすればやってくれるんだろう?やり続ける仕組みが作れるんだろう?」と思考の転換 ができるようになりました。

 

 

 

□会社の調子が悪い時にこそできること

 

――リーマンショックの危機に際して、財政面ではどのような方策を?

 

田野井: 今振り返ると、本当にやっておいて良かったと思えるのが株の集中です。 小山さんとの個別面談の際に「実はうち、株主が200名ぐらいいるんです」と内実をお話ししたんです。創業者が上場を目指していたことがあり、株主が拡散していました。すると小山さんから「決算書を見せてください」と言われお見せしました。リーマンショックの時なのでひどい内容なのですが、小山さんからは思いがけない一言が返ってきました。「今が株を集中させる千載一遇のチャンスです。業績が悪い時だからこそできることもありますよ。今すぐ動きなさい」 とアドバイスをいただきました。「中小企業は経営判断が俊敏にできて、迅速に対応できるのが一つの強み。株を集中させて、経営者が大きな意思決定をスムーズにできるようにしておきなさい」、と。私は「なぜ今なのか?」が理解できていませんでしたが「赤字の今は株が安いからですよ」と説明いただき納得。すぐに株を買い集め始めました。その後、多くの株主の皆様にご理解・ご協力をいただいたお陰で、今では持株比率は100パーセントになりました。リーマンショック後、当社はさまざまな経営の舵取りをしていくのですが、それが本当にスムーズになりました。株が散らばったままだと、当社は中小企業としての経営のスピード感を発揮できず、今の姿はなかったかもしれません。小山さんのアドバイスには本当に救われました。

 

 

 

□社員がお客様を意識できる。見学希望者の絶えない工場

 

――売上などの数字についてはいかがですか?

 

田野井: 社内を良くしていけば、「仕事がやりやすい環境」ができる。そうすれば数字は自ずと上がってくる、という感覚ではいました。逆に言うと、数字だけを追い求めてしまうと、おそらく一過性の数字で終わってしまっていたと思います。実際、赤字転落から約3年で黒字転換し、V字回復を果たしました。粗利益率も大きく向上。現場の感覚としても「不良率が下がっている」「残業が減った」など目に見えて生産性が改善していきました。社員の意識としても、「お客様・市場にどう対応すべきか」「うちはどこで勝負するのか」という点について、 全員で同じ目標を考えられる組織 になりました。はじめは職場環境の改革だけでしたが、その積み重ねを経て「全体が変わった」という実感があります。

 

例えば、当社の何よりの強みともいえる「ドクターセールス」は、まさにその賜物かもしません。文字通り「営業マンの医者化」を進めたもので、お客様の課題に寄り添い一緒に解決していく活動です。これは確固たる知識・技術・経験だけでなく、お客様への思いや丁寧な対応力がなければ決してできないサービスです。近年どんどん生まれている新製品・オンリーワン製品の開発についても、まずはお客様のニーズを把握し、それを先取りする企画力や、形にする技術力・チームワークが必要です。それらすべての礎にあるのは、環境整備から始まった組織づくりだと感じます。

 


――今では「見学希望者が絶えない会社」になっています。

 

田野井: 以前だったら考えられない光景ですね。営業の社員がお客様に「よかったら工場を見に来てください!」なんて、絶対に言えませんでした。だけどいつの間にか、自分から「見に来てください!」って口にするようになっていたんです。そして見学の機会が増えれば増えるほど、工場の社員の意識も変わっていきました。最初は「見られるから、工場をいつもきれいに」というレベルだったものが、「お客様をお招きできるくらいきれいに」と。ここでもお客様に対する思いが根付いたことが、私としては本当にうれしいですね。最近では「人から聞いたんだけど、見学できますか?」と、人伝で興味を持っていただくお客様も増えています。実は、今日も工場にお客様がいらっしゃっているんですよ。これからも、 どんなお客様に見られても恥ずかしくない会社を、みんなで作っていきたいですね。

 

 

 


(取材・文:加藤 陽之 撮影:岡戸 雅樹)
BizHint 編集部
2024年1月26日(金)掲載

 

 

 

 

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