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境界を生きる 性分化疾患/4 告知…娘は命を絶った

2010年03月01日 | スクラップ

 

 ◇「いつ、どう伝えたら」悩む親、医療現場 重い事実、求められる心のサポート


 一昨年9月、西日本で一人の医学生が自ら命を絶った。自分に性分化疾患があると知って間もなくのことだった。悲しみの中にいる父親が「あの子が生きた証しを残したい」と、一人娘の21年の人生を記者に語った。

 由紀子さん=仮名=は生後6カ月の時、卵巣ヘルニアの疑いで手術を受けた。自分も医師である父正継さん(54)=同=は手術に立ち会い、執刀医の言葉にぼうぜんとした。「卵巣ではなく、精巣のようです」

 検査の結果、染色体や性腺は男性型だが外見や心は女性になる疾患(完全型アンドロゲン不応症)と分かった。夫婦は迷わず女性として育て、本人には「小さい時に卵巣の手術をした。生理はこないかもしれない」とだけ伝えた。

 「出産も結婚も望めない。せめて一人で生きていける力をつけてやりたい」。両親の願いに応え、由紀子さんは医学部に合格。正継さんは「これで体のことを理解できるようになる。医者になるころにすべてを知るのが一番いい」と思った。だが、そうはならなかった。

 大学1年生のクリスマス。由紀子さんは同級生から告白され、交際が始まった。翌春、初めての性交渉がきっかけで生理に似た出血が1週間続き、母親に相談した。正継さんは「昔の診断は間違っていたのではないか」と淡い期待を抱いた。改めて診察を受けようと、娘に初めて病名を伝えた。夏、由紀子さんは「誰にも知られたくない」と、遠くの病院で検査を受けた。

 そこで告げられたのは、親子のわずかな望みをも断ち切る残酷なものだった。

 染色体は男性型の「XY」。子宮や卵巣はなかった。「あの医者、どうしてさらっと『子宮はないね』なんて言えるの?」。そう憤る娘が痛々しかった。

 診断から1カ月後。由紀子さんは下宿の浴室に練炭を持ち込み、自殺した。室内に遺書があった。「体のこと、恋愛のこと、いろんなことがあって……」。携帯電話には自殺直前に彼氏とやりとりしたメールの記録が残っていた。

 由紀子さんは自分の疾患のことを彼氏に打ち明け、距離を置こうと切り出されていたという。まだ若い学生が抱えるには重すぎる事実だったのだろうか。

 娘を失って2年。正継さんは今も「もし過去に戻ってやり直せるなら」と考えてしまう。思春期を迎える前に病気のことを話し、異性との付き合いを制限すべきだった。そのせいで多感な思春期に道を踏み外し、医学生の夢をかなえることも、恋をすることもできなかったかもしれない。「それでも、生きていてほしかった」

     *

 95年から性分化疾患の自助グループ「日本半陰陽協会」を主宰する橋本秀雄さん(48)は部分型アンドロゲン不応症で、心身が男にも女にもなりきれない。親からは何も聞かされずに育った。

 自分の中の違和感に苦しんできた橋本さんは32歳の時、覚悟を決めて母親を問いただした。母親は一瞬たじろいだ後、言葉を絞り出すように話し始めた。

 3歳になっても外性器が小さいままで、国立大学病院を受診すると「半陰陽」だと言われた。男性ホルモンを投与したが、効き目はなく、治療をやめてしまった--。

 それを聞いた橋本さんは「半狂乱になって母をののしった」。自分の体がどう診断され、何をされたのか。病院に問い合わせたが、30年も前のカルテは残っていなかった。大切なことが分からないままになった。

 母親への思いが変わったのは、自助グループを作ってからだ。多くの親たちの苦しみに触れ「母も精いっぱいのことをしたのだろう」と思えるようになったという。

     *

 本人への告知をいつ、どのようにすべきなのか。医療現場も揺れている。医師たちは親に「本人には絶対に黙っていて」と口止めされる一方で、成長後に自分の疾患を知った子からは「なぜもっと早く教えてくれなかったのか」と非難されることも多い。

 東京都内のある専門医は、前の主治医から引き継いだ20歳の女性に「中学生になったころ手術を受けた記憶がある。私には睾丸(こうがん)があって、それを取ったのですか?」とストレートに聞かれたことがある。言葉を選んで説明したつもりだが、女性は言葉に詰まり、ぼろぼろと泣き出した。

 「詳しく知らないまま楽しく暮らせている人もいる。すべてを話すことがいいことなのか」。あれから10年近く、医師にはまだ答えが見つからない。

 大阪府立母子保健総合医療センターの島田憲次医師は「思春期にはある程度話さねばならない。でも、どこまで明かすべきかは常に迷う。悩みは深い」と話す。

 立ち遅れてきた性分化疾患の医療。心のサポートも急務となっている。【丹野恒一】=つづく(次回は性分化疾患とスポーツについてです)




 ■ことば
 ◇アンドロゲン不応症

 精巣などから分泌されたアンドロゲン(男性ホルモン)は受容体と結びついて初めて外見や心を男性化させる。受容体の一部が機能しない「部分型アンドロゲン不応症」は心身ともに性別があいまいになる。全く機能しない「完全型」は外見上女性のため出生時に気づかず、生理が来ないことなどを機に染色体が男性型であると知る人も多い。







境界を生きる 性分化疾患/5 金メダリスト、さらし者に

 ◇陸上の南ア・セメンヤ選手 薬物と偽り性別検査 「染色体、すべてではない」


 8月25日、南アフリカ・ヨハネスブルクのオリバー・タンボ国際空港。到着ロビーはベルリン世界陸上選手権女子八百メートルで優勝したキャスター・セメンヤ選手(18)を励まそうと駆けつけた市民でごった返した。その数、数千人。大歓声に戸惑いながらも、セメンヤ選手はVサインを高く掲げ「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。

 セメンヤ選手が優勝後、並外れた競技能力と筋肉質の体格などから性別を疑われた問題は祖国南アを揺さぶった。政府は「彼女が黒人であり、欧州勢をしのぐ活躍をしたためだ」と声明を出し、国連人権委員会に申し立てる意向も示した。アパルトヘイト(人種隔離)政策を克服した国民が人間の尊厳を侵す問題に敏感に反応したのは当然の成り行きだった。地元紙ザ・タイムズは「彼女の外見を創造したのは神様」との祖母マプシさん(80)の言葉を紹介した。

 だが9月に入り、海外メディアが「医学的検査の結果、男性と女性の生殖器を持つ両性具有であることが分かった」と報道、性分化疾患の疑いを指摘した。南ア陸連が禁止薬物使用(ドーピング)検査だとうその説明をして性別検査を実施していたことも発覚。国際陸連は11月までは最終的な決定をしないとの姿勢で、真相はいまだ定かでない。

    *

 「なぜ彼女は世界のさらし者にされなければならなかったのか」。日本陸連医事委員の難波聡・埼玉医科大産婦人科講師(臨床遺伝学)は「スポーツの世界では繰り返されてきた問題。本人の尊厳のためにも情報がオープンにならないよう徹底されていたはず」と憤る。

 難波医師によると、女性選手に一律の性別検査が行われた最後の五輪は96年のアトランタ大会だった。この時、検査した3387人のうち8人に男性型を示すY染色体があったという。それでも、全員が女子競技への参加を許された。なぜか。

 女子競技では主に性別をめぐる二つのケースが問題になる。一つは男性が女性と偽って出場したり、何らかの事情で女性として育てられ紛れ込んでいる場合。もう一つが性分化疾患だ。メダルはく奪などの処分が下されるのは「偽り」がほとんどで、性分化疾患の場合は必ずしも処分されるわけではない。「染色体は判断材料の一つにはなるが、すべてではない。重要なのは男性ホルモンがどれだけ競技能力に有利に働いているかの判断」という。

 世界陸上のように最高レベルの身体能力を持つ選手が集まる大会では、性分化疾患によって男性ホルモンが強く働いている女子選手が一般社会以上の割合で見つかるのは必然だ。難波医師は「世界の目が集まる場で女性選手が精神的に傷つけられることが繰り返されてはいけない」と話す。

    *

 セメンヤ選手の故郷は南アフリカ北東部にある小さな村だ。「プアレスト・プア」(最貧困地区)として知られ、電気、水道などの整備も進んでいない。親族の一人は「女の子として生まれ、育ててきた。私たちの自慢の子なのに、何が問題なのか」と訴える。

 9月上旬に発売された地元の雑誌「YOU」はセメンヤ選手を特集した。表紙には黒いドレスにネックレスをつけた写真を掲載。本人はインタビューにこう語っている。「私は私であることが誇り」

 海外メディアが「両性具有」と報じた翌日、セメンヤ選手は国内レースの出場を取りやめ、その後は公の場に姿を見せていない。【丹野恒一、ヨハネスブルク高尾具成】=つづく(次回は性別をめぐるさまざまな議論についてです)







境界を生きる 性分化疾患/6止 存在、認める社会に

 ◇「男と女」だけなのか 決定にモラトリアム必要 「個性…でも疾患」


 「人間を男と女だけに分けるのは時代遅れ」「真ん中の性を認めれば、丸くおさまる」

 日本小児内分泌学会が性分化疾患のある新生児の性別を判定するためのガイドラインを策定することが明らかになった先月末以降、インターネット上には性別を男女だけに分けるという大前提に疑問を投げかける書き込みが相次いでいる。

 一見、非現実的にも思えるが、かつて同様の考えを論じた文章が医師や法律家の間に波紋を広げたことがある。日本生命倫理学会初代会長の星野一正・京都大名誉教授が00年に法律雑誌に載せた論文「性は『男と女』に分けられるのか」だ。

 星野氏は日米両国で産婦人科医として数多くの分娩(ぶんべん)に携わり、性分化疾患の新生児にあいまいな性別判定をせざるを得なかった過去の反省に立ち「研究の進歩によって、ヒトを男女に二分して性別を正確に決定する基準を設定しようとすること自体が不可能に近いことが分かってきた」と指摘。そのうえで「男か女かのいずれかの性別のみを記録することを義務づけている現行の法律は即刻改正すべきだ」と言い切った。

 星野氏と親交があった日本半陰陽協会主宰の橋本秀雄さんによれば「男にも女にも違和感を覚えてしまう多くの当事者の実態に即した考え方だったが『アメリカかぶれの机上の空論だ』と一笑に付す学者もいたようだ」。

 この「空論」がすぐに受け入れられるほど社会は柔軟ではないが、患者が置かれた状況がこのままでいいとはいえない。

 性分化疾患や性同一性障害がある人の診察経験が豊富な「はりまメンタルクリニック」(東京都)の針間克己院長も、性の男女二元論には懐疑的な立場だ。性分化疾患の患者が自ら感じる性別は、男女半々だったり、7対3だったりする。さらにそれが時々入れ替わる人や、年とともに変わる人もいるという。

 こうした人たちを男性か女性か、明確に分けることはできない。でも社会生活を営むにはどちらかの性別を割り当てる必要がある。そこで針間院長は「性別判定には時間がかかるとの前提に立ち、性別が決まらないモラトリアム(猶予期間)の必要性を社会に訴えることこそが、今医師に求められているのではないか」と提言する。

    *

 こうした議論は当事者自身の目にはどう映っているのか。

 男性ホルモンの不足で第2次性徴が全く来なかった大学3年生、裕司さん(22)=仮名=は女性と間違えられる外見を「ある意味で自分の個性」と感じつつも、もっと男性らしくなりたいと思い、男性ホルモンの投与を受けている。声が低くなり体毛が濃くなると、今度は予期しなかった喪失感を覚えたという。

 そんな複雑さを抱える裕司さんだが「第三の性があってもいい」「そのままの自分に誇りを持って」との意見には違和感がある。「患者を気遣ってくれているのかもしれない。でも社会は男か女かの区別を前提として動いている。男性として生きたい自分にとって、今の状態は『疾患』以外の何物でもない」

 性分化疾患の患者や家族たちは長い間、孤独な状況に置かれてきた。社会はどう向き合うべきなのか。「まずは存在を知ってほしい」。当事者の多くは訴える。【丹野恒一】=おわり


 

 ◆作家・精神科医、帚木蓬生さんに聞く
 
◇「無関心は恥になり、罪になる」

 作家であり、現役の精神科医でもある帚木蓬生(ははきぎほうせい)さん=写真=は昨年、性分化疾患をテーマにした小説「インターセックス」(集英社)を刊行した。このテーマに挑んだ動機や伝えたかったメッセージを聞いた。【聞き手・丹野恒一、写真・渡辺亮一】

 --なぜこの病気を取り上げたのですか。

 ◆先端医療を手掛ける天才医師の暴走を描いた小説「エンブリオ」の続編テーマとして性転換について調べるうちに、この問題を知りました。資料を集めてみると医師の私でさえ知らないことばかり。これは書かねばならないと思いました。

 --反響は?

 ◆この疾患を持つ30代と思われる女性からの手紙が衝撃的でした。男性の外性器があり、誰にも知られないように生きてきたけれど、作品を読んで「自分だけではない」と知ったとのこと。母親でさえ気付いていなかったようで、物心がついてからは裸を見せないようにしているそうです。彼女は死ぬまで秘密にしていかねばならないのだろうと思うと、つらくなりました。

 --医師の立場で思うことは?

 ◆医学の世界で現状を変えていこうという声が大きくなっていかないのは、横のつながりが少ないからでは。そもそも医者というものは薬が効かない病気は初めから存在しないと思いがち。性分化疾患は医療のアキレスけんとも言えます。取り巻く状況は、放っておいたら50年変わらないでしょう。

 --読者に伝えたかったことは?

 ◆ある登場人物がこう語る場面があります。「無関心はとてつもない恥になり、ついには罪になる」。知らないことはいけないことで、知ろうとしないのは最もいけないことです。


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1 コメント

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性分化疾患と自覚 (マロ)
2021-06-29 14:49:40
両親は子供に本当の事実を教えておくべきであった。
性分化疾患の人が過酷な人生を歩みだす前に、本人に相当な自覚と覚悟が必要なのである。
私自身は高校の時に自分の性分化疾患を知ったので、恋愛も結婚もあり得ない人生を歩むことが出来た。
子供時分に本人に自分の立場を理解させるべきである。
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