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  <title>Luna&#039;s “Tomorrow is another day”</title>
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  <dc:date>2025-03-23T20:38:45+09:00</dc:date>
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  <copyright>&#9400;NTT DOCOMO, INC. All Rights Reserved.</copyright>
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   <title>Luna&#039;s “Tomorrow is another day”</title>
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   <description>生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ！</description>
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  <description>生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ！</description>
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   <title>「人間・斎藤元彦」が浮き彫りに…第三者委報告が明かした斎藤知事の「怒り」と「理不尽」【西脇亨輔弁護士】</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>元テレビ朝日法務部長「重い真実を白日の下にさらした」</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を調べていた第三者委員会が、今月19日に調査報告書を公表した。斎藤知事のパワハラを認定し、告発者への対応を違法とする内容は大きく報じられる中、元テレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士は、報告書に書かれた斎藤知事の「肉声」に注目した。</p>
<p> </p>
<p>その報告書に隙はなかった。</p>
<p> </p>
<p>斎藤元彦知事を巡る第三者委員会の報告書は、元裁判官の藤本久俊委員長が「厳しい意見を言っているつもりはない」と説明した通り、パワハラや公益通報者保護などについて裁判の判決のように、冷静に認定していて内容に異論の挟みようはないだろう。一方、私が報告書を読んで驚いたのはその本論とは別の部分だった。</p>
<p> </p>
<p>それは第三者委の聴取に対する斎藤知事の「弁解」の数々。その不合理な内容が斎藤知事の「人間性」を浮き彫りにしていたのだ。</p>
<p> </p>
<p>例えば県立考古博物館を訪れた際に「約20メートル歩かされて激怒した」というパワハラ疑惑。この件については、知事の車が玄関から離れた場所までしか入れなかったのはその先が歩行者用通路だったためで、「怒る方がおかしい」と判明したはず。だが、斎藤知事は第三者委にこう述べたという。</p>
<p> </p>
<p>「歩行者用通路が車両通行禁止であると知らされていない当時の認識の下では（中略）不適切であると考えたことは誤っていない」</p>
<p>「自分はその認識のもとにロジ（運営）のあり方を注意し指導したものであるから、その行為は適切である」</p>
<p> </p>
<p>「自分の認識」が間違いだったと判明したのに、「オレが知らなかったんだから、悪くない」という姿勢だ。こうした弁解に対して第三者委は「斎藤知事は、公用車が車止めの前で止まると事情を聞くことなくX氏らを叱責した。知事が誤った認識に陥ったのは、事情を聞かずに叱責を始めたためである」と認定し、こうも書き添えていた。</p>
<p> </p>
<p>「注意・指導が必要かは、事情を聞いて初めて判断しうるものである」</p>
<p> </p>
<p>これはもう「法律論」以前の「当たり前」の話だ。しかし、こんなことまで書く必要があると第三者委が考えたことは納得できる。というのも、この「事情を聞かずに怒る」斎藤知事の姿は他のパワハラ事案にもたびたび登場するからだ。</p>
<p> </p>
<p>県立美術館の修繕による休館に「聞いていない」と激怒した件でも、この修繕はすでに前年度の予算で決められていて、約3か月前には改めて知事に資料も送られていた。それなのに美術館を所管する教育委員会側を激しく叱責したことについて斎藤知事は「予算の細目までは熟知できないし、覚えてもいない」などと弁明したが、第三者委は「事情を聞くことなく、最初から教育長を叱責し、教育長が事情を説明しようとしても、その説明を聞こうとしなかった」と指摘した。</p>
<p> </p>
<p>大阪万博に向けた「空飛ぶクルマ」事業の新聞記事に怒ったとされる件についても、第三者委は「担当職員に対し、事情や説明を聞くことなく、この記事は何なのかと問い詰めた」と認定した上で、こう断じた。</p>
<p> </p>
<p>「感情的に怒りをぶつけることは指導ではない」</p>
<p> </p>
<p>この第三者委報告書からは「自分の意に沿わないことが起きると、担当者が悪いと決めつけ、事情を聞かずに、怒りをぶつける」という斎藤知事のパワハラのパターンが浮かび上がる。だがそれは「成熟した大人」の振る舞いなのか。もし、そうでないなら「成熟した大人」ではない人に「公権力」という武器を預けることは、安全なのか。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>報告書は「すべて受け入れる」ことが大前提のはず</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>報告書の最後には「調査を通じ、最も述べたいところ」として次のように書かれている。</p>
<p> </p>
<p>「組織のトップと幹部は、自分とは違う見方もありうると複眼的な思考を行う姿勢を持つべき」</p>
<p>「組織の幹部は、感情をコントロールし、特に公式の場では、人を傷つける発言、事態を混乱させるような発言は慎むべきということである」</p>
<p> </p>
<p>学校の先生が生徒を諭すような「当たり前」すぎる内容が書かれていることに私は驚いたが、さらに驚いたのはこの報告書への斎藤氏の反応だ。斎藤氏は報告書公表から2日後の今月21日、「読み続けている」とした上で、こうコメントしたのだ。</p>
<p> </p>
<p>「受け入れるべきところは、受け入れていく」</p>
<p> </p>
<p>この発言は論理上、こう読み替えることができる。</p>
<p>「受け入れるべきでないところは、受け入れない」</p>
<p>そして、それを決めるのは斎藤氏自身ということか。</p>
<p>しかし、厳しい認定だろうと耳が痛い指摘だろうと、斎藤氏自身が設置を表明した第三者委である以上、結論はすべて「受け入れる」のが大前提のはず。それなのに「受け入れない」可能性を示す発言は、第三者委が指摘した「事情を聞こうとしない」斎藤氏の姿そのものなのではないか。</p>
<p> </p>
<p>170ページにおよぶ報告書は「斎藤元彦」という人物を浮き彫りにしている。そこに政治家としての資質をどう見るか。報告書は重い真実を白日の下にさらしたと思う。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>□西脇亨輔（にしわき・きょうすけ） </p>
<p>1970年10月5日、千葉・八千代市生まれ。東京大法学部在学中の92年に司法試験合格。司法修習を終えた後、95年4月にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社。『ニュースステーション』『やじうまワイド』『ワイド！スクランブル』などの番組を担当した後、2007年に法務部へ異動。社内問題解決に加え社外の刑事事件も担当し、強制わいせつ罪、覚せい剤取締法違反などの事件で被告を無罪に導いた。23年3月、国際政治学者の三浦瑠麗氏を提訴した名誉毀損裁判で勝訴確定。同6月、『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』（幻冬舎刊）を上梓。同7月、法務部長に昇進するも「木原事件」の取材を進めることも踏まえ、同11月にテレビ朝日を自主退職。同月、西脇亨輔法律事務所を設立。昨年4月末には、YouTube『西脇亨輔チャンネル』を開設した。西脇亨輔</p>
<p> </p>
<p><a title="" href="https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%BA%BA%E9%96%93-%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%85%83%E5%BD%A6-%E3%81%8C%E6%B5%AE%E3%81%8D%E5%BD%AB%E3%82%8A%E3%81%AB-%E7%AC%AC%E4%B8%89%E8%80%85%E5%A7%94%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%81%8C%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%96%8E%E8%97%A4%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE-%E6%80%92%E3%82%8A-%E3%81%A8-%E7%90%86%E4%B8%8D%E5%B0%BD-%E8%A5%BF%E8%84%87%E4%BA%A8%E8%BC%94%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB/ar-AA1Bt9Cd?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=bda006527e2b4f648161e70974fa802d&ei=16">こちら</a>より転載。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>------------------------</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>「感情的に怒りをぶつけることは指導ではない」。</p>
<p>このことばは、自分の会社のパワハラ上司に、自分の学校のパワハラ教師にも言い返すのに使えますよね。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2025-03-23T20:31:54+09:00</dc:date>
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  <item>
   <title>「ぼくは将棋の天才です」</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/2abb1421437748f5e779a9b5afb7278e?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p>画像拡大してお読みください。</p>
<p> </p>
<p><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/1e/8d64aa14864019db00ddedb800ed6f68.jpg" /></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2025-02-03T21:43:59+09:00</dc:date>
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  </item>
  <item>
   <title>母親「子どもを診察してください」病院の受付「お子さんは何歳ですか？」→ 返ってきた答えは...</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/0d26748ff22bab59efe80dc1ca832a82?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>親はいくつになっても、子どものことが心配になるもの。特に子どもが体調不良のときは過保護になりやすいけれど、やりすぎは問題ですよね。今回は、歯医者で働く知人から聞いたエピソードをご紹介します。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><br />■歯科にかかってきた母親からの電話</p>
<p> </p>
<p>A子は歯科クリニックで事務の仕事をしています。ある日、彼女が働く病院に予約の電話がかかってきました。</p>
<p>「子どもが歯が痛いって言うんです。すぐに診てもらえませんか？」</p>
<p> </p>
<p>それは、子どもの診察を依頼する母親からの予約の電話でした。A子はいつものように、予約状況を確認しながら患者さんのことを尋ねました。</p>
<p>「お子さんは何歳ですか？」</p>
<p>母親の回答は……</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■母親から返ってきた答えは……</p>
<p> </p>
<p>「32歳です」</p>
<p> </p>
<p>本人の状態によっては、自力で予約の電話をかけられないこともありますよね。A子は続けて、「どのような症状ですか？」と尋ねました。電話口の母親は「今、息子に聞いてきますね」と、電話を保留状態に。息子に確認した後に母親が回答しましたが、症状を聞く限り緊急性が高い状態ではありません。</p>
<p> </p>
<p>その後も、「痛みはいつから？」「予約の日時は？」とA子が尋ねるたびに、「息子に確認します」と、その都度保留にして母親が回答してきました。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■過保護すぎません？！</p>
<p> </p>
<p>A子は、『これは、あのパターンか……』と、内心でため息をつきました。過保護な母親が息子を心配するあまり、代理で電話をしてきたことに気付いたのです。自分で電話をかけるのが難しい場合以外は別ですが、病院側としては代理の電話は避けて欲しいことなのだとか。又聞きで回答しているため、診察の際に本人から聞くと事実が異なり、トラブルが起きる場合もあるそうです。「病院の予約くらい自分でできるのでは？」と思ってしまいますが、A子によると、「大人でも、子どもの代わりに親が電話してくるケースは意外と多いよ」とのこと。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>病院は緊張をしやすい場所ですが、親に甘えすぎですよね。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>ちなみに、代理の予約をさせているのは、大体は息子だそうです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>【体験者：30代女性・会社員、回答時期：2024年10月】</p>
<p> </p>
<p><br />※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。</p>
<p>ltnライター：江田愉子<br />団体職員を経て、ライターに転身。男性が管理職、女性多数が一般職の職場にて、女性と仕事、男女平等参画に関する様々な理想と現実に直面し、それを記事にすることを志す。以来、組織に所属する女性を中心にヒアリングを重ね、女性が生きやすい社会生活に関するコラムを執筆中。<br />ftn-fashion trend news-</p>
<p><br /><a title="" href="https://www.msn.com/ja-jp/health/other/%E6%AF%8D%E8%A6%AA-%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%82%92%E8%A8%BA%E5%AF%9F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84-%E7%97%85%E9%99%A2%E3%81%AE%E5%8F%97%E4%BB%98-%E3%81%8A%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AF%E4%BD%95%E6%AD%B3%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B-%E8%BF%94%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E7%AD%94%E3%81%88%E3%81%AF/ar-AA1wHp5T?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=2265485329944dc7b91083ccab302c72&ei=10">こちら</a>より転載 </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-12-31T08:33:11+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/0d26748ff22bab59efe80dc1ca832a82</guid>
  </item>
  <item>
   <title>斎藤元彦はなぜ再選されたのか 「情報の空白」期、立花孝志参戦後に起こっていたこと</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/cb8e60638fdf1b96ea56d0e0d5e07817?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><br />　2024年兵庫県知事選には、さまざまな争点がありました。パワハラやおねだりはあったのか、公益通報者保護法違反の疑い、百条委員会の調査は適正か、そして、選挙後も続く公職選挙法違反の疑い――。しかし、選挙の流れを決定づけたのは、個々の争点というよりもSNSや動画など「ソーシャルメディア」の威力でした。そして、マスメディアは選挙後もその結果に苦悩しています。</p>
<p><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ce/4a547f43320adae6ea6f965756c7205f.jpg" /></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■ソーシャルメディアが変えた選挙の「語り口」とは</p>
<p> </p>
<p>　今回の選挙はもともと、パワハラなどの疑惑や告発者を調査し、処分を出した後に告発者が自殺したことで、斎藤元彦・兵庫県知事への批判が高まり、県議会が不信任決議を全会一致で可決したことによるものでした。</p>
<p> </p>
<p>　テレビは連日、「パワハラ・おねだり疑惑」「公益通報者保護法違反疑い」など斎藤知事を批判的に取り上げ、神戸新聞社とJX通信社の7月の世論調査では支持率は15.2%。斎藤氏の再選は不可能とみられていました。</p>
<p> </p>
<p>　しかし、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏の参戦で状況は変わります。「自分の当選は考えていない。選挙運動をしながら、合法的に斎藤氏をサポートをしたい」と述べて立候補した立花氏は「職員の自殺は不倫をバラされるのが嫌だったから」「斎藤知事はパワハラなど」していない」など、選挙演説や自身のYouTubeで繰り返しました。</p>
<p> </p>
<p>　パワハラなどの疑惑を調査する兵庫県議会の百条委員会は都合の悪いデータを隠している。斎藤知事をおとしめるためで、メディアも一役買っている。立花氏の主張は「マスメディアを含む既得権益層VSおとしめられた斎藤知事をソーシャルメディアで支える我々」という構図になっていました。</p>
<p> </p>
<p>　2024年11月14日配信の立花氏による動画「テレビとネットの戦い 正義vs悪 真実vsデマ 正直者がバカみない日本へ兵庫県知事選挙」がそれを顕著に示しています。これらの動画は本人のアカウントだけでなく、引用されたり、ショート動画に転用されたりして拡散しました。</p>
<p> </p>
<p>　「パワハラ・おねだりをし、告発者を自殺に追い込んだ斎藤前知事」から「無実の罪を着せられた斎藤知事」へ。ソーシャルメディア上での選挙の語られ方は急激に変化していきました。ある物語がどのように語られるのか。これを「ナラティブ」といいます。直訳では「物語」ですが、たんなる事実の羅列の「ストーリー」ではなく、そこに物語の話者の視点が加わります。</p>
<p> </p>
<p>　ソーシャルメディアで、それまでの新聞やテレビになかった「ナラティブ」を見聞きした人たちは、この新しい語り口を受け入れていきました。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■選挙における「情報の空白」を埋めた</p>
<p> </p>
<p>　なぜ、人々は新たなナラティブを受け入れたのか。考えるべきは「情報の空白」の存在です。</p>
<p> </p>
<p>　選挙戦が始まると、新聞やテレビからは個別の候補に関する情報が減ります。公平性を重んじ、特定の候補が有利・不利になるような情報発信を控えるためです。</p>
<p> </p>
<p>　確かにテレビには放送法4条の「政治的公平性」、新聞も公職選挙法148条の「選挙の公正を害してはならない」という規定はあります。しかし、これらは報道自体を抑制せよというものではなく、事実の歪曲や虚偽報道を抑えるためのものです。</p>
<p> </p>
<p>　ところが現実には、選挙戦が始まり、有権者がまさに候補者に関する情報を必要とするタイミングで、具体的な報道が減ってしまう。その「情報の空白」を埋めたのがソーシャルメディアでした。</p>
<p> </p>
<p>　YouTubeだけを見ても、選挙戦が始まるまでは、民放各局のアカウントの動画がよく見られています。しかし、選挙の告示から投開票日という最も重要なタイミングで、民放アカウントの発信は弱まり、立花氏のようなインフルエンサーや独立系メディアの動画が見られるようになります。</p>
<p> </p>
<p>　選挙期間中にGoogleやYouTubeやTikTokなどで関連する情報を検索してみれば、その傾向は明白です。NHKの出口調査によると、今回の投票の参考にした情報として「SNSや動画サイト」が30％で、「新聞」や「テレビ」の各24％を超えました。</p>
<p> </p>
<p>　投票率は55.65%で、斎藤氏が初当選した2021年の前回選挙を14.55ポイント上回りました。注目を集めて盛り上がる中で、ソーシャルメディアで選挙関連の情報を検索した人は多いでしょう。そのときにどのような情報をより多く目にしたか。「SNSや動画サイトを参考にする」というのは、有権者にとって情報の空白を埋める合理的な判断だったといえるのではないでしょうか。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■情報の権威の交代</p>
<p> </p>
<p>　ソーシャルメディアの影響力拡大は不可逆的な変化です。日本に関していえば、むしろ遅すぎたともいえるでしょう。</p>
<p> </p>
<p>　アメリカではまだ新参の候補者だったバラク・オバマ氏が勝った2008年の大統領選はフェイスブックの活用に注目が集まり、すぐにソーシャルメディアが選挙戦で重要な位置を占めるようになりました。大統領選で2016年のドナルド・トランプ氏が勝利した際には、「フェイクニュース」が伝統的な大手メディアの発信以上に広がる状況に世界が驚愕しました。</p>
<p> </p>
<p>　トランプ氏が再選された2024年の大統領選では、フェイスブック、X、YouTube、Instagram、Podcastなどあらゆるソーシャルメディアで選挙情報が飛び交っており、日本もそうなることは間違いありません。</p>
<p> </p>
<p>　歴史的に見れば、新しいテクノロジーの誕生とともに、情報の流通を握る「情報の権威」は交代してきました。中世までの口コミ中心の時代から、活版印刷術によって紙に印刷された文字情報の大量流通が可能になり、印刷インフラを持った出版社・新聞社が情報の権威となりました。</p>
<p> </p>
<p>　ラジオ、テレビと人々の情報消費の中心は移り変わり、いまはインターネット、とくに人々が双方向につながり合い、誰でも投稿できるソーシャルメディアがその中心となっています。</p>
<p> </p>
<p>　博報堂DYメディアパートナーズ「メディア定点調査2024」を見ると、2014年は1日あたりのメディア総接触時間は385.6分でテレビ156.9分、新聞23.4分、携帯/スマホ74.0分ですが、2024年はメディア総接触時間432.7分、テレビ122.5分、新聞9.2分にまで減る一方、携帯/スマホ161.7分と倍以上に増えています。</p>
<p> </p>
<p>　いつでもどこでもすぐに見られる。自分の撮影した写真や動画をすぐにアップできて、位置情報とも同期できる。生成AIで複雑なビジュアルも簡単に製作できるようになり、便利になる一方のソーシャルメディアは今後も拡大を続けるでしょう。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■調和のある情報空間を築くために</p>
<p> </p>
<p>　便利なソーシャルメディアですが、偽情報・誤情報が大量に拡散し、誹謗中傷が広がり、社会の分断が深まる場でもあります。私は日本ファクトチェックセンターの編集長をしていますが、たんに誤っている情報を検証（ファクトチェック）すれば、状況が改善されるというものではありません。</p>
<p> </p>
<p>　国連やG20では「インフォメーション・インテグリティー」の重要性が叫ばれています。日本語に直訳すると「情報の誠実性」「情報の公正性」などとされますが、しっくりきません。</p>
<p> </p>
<p>　国連はインテグリティーのある情報空間について、5つのポイントを挙げています。「社会的信頼性とレジリエンス（強靱性）」「健全なインセンティブ」「人々のエンパワーメント」「独立した自由で多元的なメディア」「透明性と研究」です。</p>
<p> </p>
<p>　これらを通じて保障される「調和のある情報空間」こそがインフォメーション・インテグリティーの本質でしょう。実現のためには4つ目のポイントである「独立した自由で多元的なメディア」の存在は不可欠であり、「情報の権威」がソーシャルメディアに移ったとしても、専業のジャーナリストや報道機関の存在意義がなくなるわけではありません。</p>
<p> </p>
<p>　むしろ、果たすべき役割はさらに大きくなったといえるでしょう。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>（日本ファクトチェックセンター編集長・古田大輔）<br />【2024年を振り返る】</p>
<p><a title="" href="https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%85%83%E5%BD%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%86%8D%E9%81%B8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E7%A9%BA%E7%99%BD-%E6%9C%9F-%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AD%9D%E5%BF%97%E5%8F%82%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%81%AB%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-2024%E5%B9%B4%E3%82%92%E6%8C%AF%E3%82%8A%E8%BF%94%E3%82%8B/ar-AA1wFN9R?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=2265485329944dc7b91083ccab302c72&ei=19">こちら</a>より転載</p>
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   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-12-31T08:25:17+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/cb8e60638fdf1b96ea56d0e0d5e07817</guid>
  </item>
  <item>
   <title>ＤＶ被害女性の転居先、市が夫に漏洩　携帯に「住所がわかったぞ」</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/01251d6f821cc3f4f264ec230c304e8a?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>　夫の家庭内暴力（DV）から逃れるために夫に隠れて転居した女性の住所を、大阪府大東市が誤って夫に漏洩（ろうえい）していたことがわかった。女性が転居届を出した2日後だったという。夫からの直接の接触はないというが、市は府警に女性の安全の確保を要請した。</p>
<p> </p>
<p>　市が取材に対して明らかにした。市は「完全なミス」だとして女性に謝罪した。</p>
<p> </p>
<p>　市によると、女性は10月15日、同居の夫の暴力を理由に、夫に気づかれないように転居した。府警にも対応を相談し、市に対しては、同17日に転居届を出した際に「DV等支援措置」を申し出た。</p>
<p> </p>
<p>　支援措置は総務省が所管する全国共通の制度で、DV被害者の申し出により、加害者が被害者の住民票や戸籍付票の写しの交付を申請しても、自治体側が拒否できるというもの。適用が正式に決まるまでの間も同様の暫定措置がとられる。</p>
<p> </p>
<p>　市では申し出を受けた際、住民票と戸籍の情報を開示できなくするシステム上の手続きを、当日中にパソコンで個別に行う運用になっていた。だが女性のケースでは、担当者が戸籍関連の手続きを失念していたという。このため2日後の同19日、コンビニエンスストアの端末からマイナンバーカードで戸籍付票の写しの交付申請をした夫に、転居先の住所が伝わった。市が漏洩に気付いたのは同31日、システム上のデータを確認していた時だったという。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■市は「弁明の余地がない」</p>
<p> </p>
<p>　漏洩後、夫から女性の携帯電話に「住所がわかったぞ」との趣旨のメッセージが送られてきたという。市は女性に謝罪し、府警には経緯を報告してパトロールの強化などを要請した。</p>
<p> </p>
<p>　大東市の中村知則・市民課長は取材に「完全な人的ミスで弁明の余地がない」と話した。再発防止策として、開示制限の手続きは1人ではなく、複数人で確認し合いながら行う運用に変えたという。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■自治体の漏洩、4年で38件</p>
<p> </p>
<p>　DV等支援措置の対象者の住所漏洩（ろうえい）は各地で相次ぐ。総務省によると、自治体が誤って加害者側に伝えたケースは、2020年4月から24年11月1日までに全国で少なくとも38件あった。</p>
<p> </p>
<p>　東京都日野市は23年5月、措置対象の女性と子の住所を加害者とされる夫に漏らした。児童手当の受給書類を申請者の夫に送る際、住所を伏せる作業を怠ったという。埼玉県所沢市も24年8月、措置対象の男性の住所を加害者とされる妻に漏洩した。戸籍付票の写しの請求を受けた際、夫が対象者であることを確認できていなかった。</p>
<p> </p>
<p>　訴訟に発展したケースもある。加害者とされる元夫の代理人弁護士の請求で、戸籍付票が2度にわたり交付されたとして、措置対象の女性が22年に香川県三木町を提訴。翌年、町が解決金35万円を支払うことなどで和解した。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■「人生を狂わせるという危機意識、何より大事」</p>
<p> </p>
<p>　DV被害者の支援団体「エープラス」（東京）の吉祥（よしざき）真佐緒・代表理事は、人為的ミスはいつ、どこででも起こりうるとの前提で、住所が記載された書類の交付申請を受けた場合は、複数人で開示の可否をチェックする態勢が欠かせないと考える。</p>
<p> </p>
<p>　その上で吉祥さんは「何よりも大事なのは、漏洩が被害者側の人生を狂わせる、という危機意識。身の危険だけではなく、再転居や転職、子の転校などを迫られ、精神的にも大きな負担を強いられる」と強調する。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><br />2024年11月30日 7時00分</p>
<p><a title="" href="https://digital.asahi.com/articles/ASSCY25C2SCYPTIL00GM.html?ptoken=01JDYGMF728JX2G2PHGMMRQ5EQ">朝日新聞デジタル</a></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>-----------------------</p>
<p><br />コメントプラス</p>
<p>みたらし加奈<br />（臨床心理士・NPO法人mimosas）<br />2024年11月30日11時21分 投稿</p>
<p> </p>
<p>【視点】心理支援において、「絶対にしてはならないこと」「細心の注意を払わなければならないこと」は一貫している。それは守秘義務も同じであり、相談内容だけではなく、個人情報も絶対に漏れてはならない。その立場からすると、こうした漏洩の報道が不思議でならないのだ。ここまでくると、ヒューマンエラーというよりも組織の体制の問題でもあるのかもしれない。</p>
<p> </p>
<p>　DVの被害に遭われた方の中には「漏洩が怖くて、新しい住所の住民票の届出が出せない」ケースがかなり多い。またDVをおこなう側は操作的であり、一見「気さくで信頼できる人」に見えることもあるため、窓口の職員が問題に気づかない場合もあるのかもしれない。</p>
<p> </p>
<p>　だからこそ、個人の裁量で「伝えるかどうか」を決定するのではなく、個人情報保護の観点をルールとして組み込むことも必要だ。そしてDV被害というものを透明化せず「この事例はこう対応する」といったマニュアル化も必要である。</p>
<p> </p>
<p>　どうか「命に関わることだ」という認識をいま一度持った上で、2度とこのようなことが起きないような組織改革をしてほしい。</p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-12-04T15:55:15+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/01251d6f821cc3f4f264ec230c304e8a</guid>
  </item>
  <item>
   <title>斎藤元彦氏再選の裏に「勧善懲悪のストーリー」 「時代劇と同じ」谷口真由美氏が分析</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/0d251780e13c113711f82c2c5c75e344?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d2/abab0023532fa59ec045914ee901d8b9.jpg" /></p>
<p>谷口真由美・神戸学院大学客員教授</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>　兵庫県知事選挙で、前知事の斎藤元彦氏が再選を果たした。なぜ斎藤氏は勝利できたのか。谷口真由美・神戸学院大学客員教授に聞いた。</p>
<p>　AERA 2024年12月2日号より。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>＊　　＊　　＊</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>　稲村（和美）さんの「斎藤候補と争ったというより何と向き合っているのか違和感があった」という言葉を、そうだろうなと思って聞いていました。</p>
<p> </p>
<p>「エコーチェンバー（意見を発信すると似た意見が返ってくる状況）」とか「フィルターバブル（自身の価値観の中に孤立する情報環境）」と言われますが、入り口はわかりやすいストーリーだと思うんです。ストーリーテラーがいかに多くの人々に伝わりやすいストーリーを作り上げたか。時代劇と同じように勧善懲悪ものが受ける。「既得権益」という言葉を使って、どこかにすごく悪い奴がいて、そういう悪い奴らに陥れられたんだというストーリーをうまく作ったということはあるでしょう。そしてアディクション、熱狂の状態を作り出す。新しい手法のようで、実は古来からあるやり方です。</p>
<p><br />私も大阪府知事選で痛感しましたが、例えば赤信号で1、2分しか足を止めない人たちに、今の現職はこう言ったけどこれはやれていないなどというのは、非常に伝わりにくいんです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■市長の支持はマイナス</p>
<p> </p>
<p>　今回、兵庫県内の22市長が稲村さんを支持するという異例の表明を出しましたが、あれは大変なマイナスになったと思います。「既得権益」のど真ん中、つまり、悪い奴と簡単に位置づけられてしまう人の集合体が稲村さんを担いでいるように見えた。無所属という立場で出たにもかかわらず、「これだけの人が応援してるんだぞ」ではなくて、「これだけの人のしがらみの中でこの人はやらなきゃいけないんだ」というように見えてしまった。斎藤さんには興味がないけれども、そんな人たちに担がれているならろくでもないやろ、と。一度作られたわかりやすいストーリーは、打ち消す方が難しいんです。</p>
<p> </p>
<p>　「既得権益」という言葉で維新が大阪で特に批判したのは教員でした。嫌いな先生って誰でも一人は思い出せるから、それをうまく使ったんです。それから公務員。役所で待たされたとかたらい回しにされた経験は、誰もがしている。それ以外の人の溜飲を下げるために、人口の1割いない程度の公務員を叩く。公務員は叩かれても文句が言いづらいから叩きやすい。</p>
<p> </p>
<p>　非常にわかりやすい敵の作り方だけれど反論しにくい。なぜなら相手の抽象度が高すぎるから。こういうレッテル貼りは、うまくできた時にはものすごく機能するんです。人々は過去の事例や自分の経験則、ネットからの情報をいいあんばいで繋ぎ合わせて、それを真実だと考える。でも現実社会での敵とか味方って、そんなにはっきりしていないものです。</p>
<p> </p>
<p>　今回、立花孝志さんが斎藤さんを応援するという立場で立候補しました。まさかそんなことをする人はいない、という前提で進んでいた社会がガラガラと崩れているという状況に、法律が追いついていません。法改正も検討するべきだと思います。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>（構成／ライター・濱野奈美子）</p>
<p><a title="" href="https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%85%83%E5%BD%A6%E6%B0%8F%E5%86%8D%E9%81%B8%E3%81%AE%E8%A3%8F%E3%81%AB-%E5%8B%A7%E5%96%84%E6%87%B2%E6%82%AA%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC-%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8A%87%E3%81%A8%E5%90%8C%E3%81%98-%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E7%9C%9F%E7%94%B1%E7%BE%8E%E6%B0%8F%E3%81%8C%E5%88%86%E6%9E%90/ar-AA1uWBR2?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=51d17ef4b9004bdb86c2415efb654727&ei=18">※AERA　2024年12月2日号</a></p>
<p> </p>
<p> </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-11-29T11:06:19+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/0d251780e13c113711f82c2c5c75e344</guid>
  </item>
  <item>
   <title>「恨んでるよ」 妻の一言で気づいた不平等 別姓のため離婚した夫婦</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/ca96448759c32ea66ff514ccd59b8804?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>　「恨んでるよ」。そう言われるまで、妻に1人で背負わせた「改姓」の重荷が見えなかった――。札幌市の会社員、西清孝さん（32）は、妻の佐藤万奈さん（37）と結婚後1年足らずで離婚した。そこで初めて、女性の95％が改姓する不均衡に気づいた。「男性こそ当事者だ」。2人は今、パートナーとして同じ歩幅で人生を歩む。</p>
<p> </p>
<p>　法律婚を希望したのは西さんの方だった。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/31/49cb977f5f73522801b70812ff45cee0.jpg" /><br />選択的夫婦別姓を求めて国を提訴した西清孝さん（左）と佐藤万奈さん＝札幌市中央区で2024年11月3日午前11時41分、後藤佳怜撮影</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><br />　医療専門職だった2人は2015年に勤務先の病院で出会い、19年に結婚することになった。西さんは「結婚と言えば婚姻届を出す法律婚」と漠然とイメージしていた。</p>
<p> </p>
<p>　一方、佐藤さんは悩んでいた。「佐藤」はありふれた名字かもしれないが、「西万奈」では自分が自分でなくなるように感じた。だが、これから一緒に生きる好きな人に改姓を強いたくもなかった。「私は名字を変えたくないし、あなたに変えてほしいわけでもない。事実婚でもいい」と伝えた。</p>
<p> </p>
<p>　そんな葛藤を西さんはあまり理解できなかった。親族から「事実婚って結婚といえるの？」と心配されたこともあったといい、「名字を変えたくない気持ちは分かった。けど、『最後は変えるでしょう』と思い込んでいたのかもしれない」と当時を振り返る。</p>
<p> </p>
<p>　結局、佐藤さんは「私が改姓すれば丸く収まるのかな。私のせいで困らせてしまっているのかな」と揺らぐ気持ちを抱えながら、婚姻届を書く日を迎えた。名字を選ぶ項目で「夫の氏」の欄にチェックを入れながら、結婚をうれしいと思えていない自分自身にショックを受けた。門出の日を迎えた2人の心は、すれ違っていた。</p>
<p> </p>
<p>　名字を失ったストレスは、佐藤さんの心身に影響を及ぼした。職場では旧姓の通称使用が認められておらず、名札やカルテ、データベースから「佐藤万奈」が次々と消えていった。これまで通り佐藤と呼んでほしいと言うと、1人の上司に「君はもう西だろう。どうして旧姓にこだわるんだ」と言われた。書類の確認印を佐藤で押し、「西で押し直して」と指導されたこともある。食事ができなかったり、仕事中に涙が止まらなくなったりすることが次第に増えていった。医師の診断は適応障害。10年以上勤めた大好きな職場を退職せざるをえなくなった。</p>
<p>　</p>
<p>「恨んでるよ」。どうしようもない思いは、強い言葉になってこぼれた。西さんは衝撃を受けた。</p>
<p> </p>
<p>　「僕は一番大事にしたい人に、恨まれるようなことをしてしまったんだ」。寄り添うためにすぐに事実婚に変えることを決断。法律婚から約9カ月後、2人は「ペーパー離婚」をした。</p>
<p> </p>
<p>　そこから西さんは変わった。選択的夫婦別姓制度を求める動きについて調べ、佐藤さんと話し合うようになった。佐藤さんがSNSで知った、地方議会に働きかけをする運動「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」にも参加し、2人で議員事務所を巡った。家庭では、政治や社会問題に関する会話が当たり前になった。</p>
<p> </p>
<p>　いつの間にか、2人の心は同じ方向をむいていた。佐藤さんは、西さんの変化に「分かってくれたから、ずっと一緒にいられると思えた」と信頼をにじませる。「女性の改姓が当たり前の社会では、名字を変えたくない気持ちに気づけない構造的な問題もある。2人でできることから行動していきたい」とほほえみあった。</p>
<p> </p>
<p>　今年3月、2人は選択的夫婦別姓を求める訴訟の原告になった。夫婦別姓が選べない民法と戸籍法の規定が、個人の尊重を定める憲法13条などに違反するとして、国に損害賠償を求めている。</p>
<p> </p>
<p>　西さんは札幌地裁に提訴した時の記者会見で「男性が当事者意識を持てていないことが、この問題が進まない原因の一つ」と話し、世の男性に呼びかけた。</p>
<p> </p>
<p>　「『自分は名字を変えたいか？』と考えてみてほしい。僕は変えたくなかった。自分が改姓したくないのに『女性は変えたいはず』と思うのは幻想。制度上は男女平等に見えても、非対称な問題だと知ってほしい」</p>
<p> </p>
<p>【後藤佳怜】</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><a title="" href="https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%81%A8%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%8B%E3%82%88-%E5%A6%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A8%80%E3%81%A7%E6%B0%97%E3%81%A5%E3%81%84%E3%81%9F%E4%B8%8D%E5%B9%B3%E7%AD%89-%E5%88%A5%E5%A7%93%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E9%9B%A2%E5%A9%9A%E3%81%97%E3%81%9F%E5%A4%AB%E5%A9%A6/ar-AA1u30N9?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=1d478df852264fcea1dd96180dd3549d&ei=10">こちら</a>より転載</p>
<p> </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-11-14T12:09:10+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/ca96448759c32ea66ff514ccd59b8804</guid>
  </item>
  <item>
   <title>子どもに対する体罰を禁止するために  厚生労働省のHPから　（3）</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/5bc17d516bed0eb8b326f057bec60cc9?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>＜あらゆる体罰の禁止がおよぼす影響に関する質問＞</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰が禁止されると、わがままで自制心が欠如した子どもになってしまうのではないですか？</p>
<p> </p>
<p>それは断じてありません。しつけとは、罰を与えることとは違います。本来、しつけは、力に頼るものではありません。しつけは、理解、お互いの尊重、忍耐、効果的な相互のコミュニケーションから成り立つものです。生まれたばかりの頃に完全に依存した状態にある乳幼児は、大人たち、特に親や養育者の導きや助けに頼りながら、自制心を身につけ成長をしていくものです。体罰が、子どもにどのように振る舞うべきかを教えることはありません。むしろ、子どもをたたく行為は、してはいけない行動を教えることになります。体罰は、親や養育者が問題や対立の解消のためには、暴力を使うことを容認するという事実を子どもに伝えてしまうことになるのです。</p>
<p> </p>
<p>また、子どもをたたくという行為は、子どもに混乱をもたらします。子どもたちは他の子どもや大人をたたいてはいけない、もちろん大人が他の大人をたたくのもいけないと教えられます。一方、体罰が許されるということは、自分たちより大きくて強い大人が、小さくて力の弱い子どもをたたくことは許されるということになります。子どもは、大人が言ったことだけでなく、大人の行動からも学びます。</p>
<p> </p>
<p>さらに、尊敬することと、恐れを抱くことは混同されるべきではありません。罰を避けるための「良い」行いは、子どもの尊敬の表れではなく、ただ罰を避けるための行動に過ぎません。子どもたちは、人やものごとの真価を理解して初めて、心から相手やものごとを尊敬できるのです。親がしつけの名の下に子どもをたたくとき、子どもが学ぶのは、罰を避けるためだけに「良く振る舞う」ことです。そして、衝突を解決するために暴力を用いることは許されることだと学習します。しかし、親や養育者が子どもや他者の人間としての尊厳や身体的不可侵性を尊重するなら、子どもも尊重することを学びます。親や養育者が子どもを前向きで非暴力的な方法でしつけるなら、子どもは、尊重する気持ちを失わずに、対立を解決することができるものであると学習するのです。</p>
<p> </p>
<p>体罰や、その他の品位を傷つけるような形態の罰は、しつけにはなり得ません。体罰によらない子育てとは、子どもを甘やかすこととは程遠い、他者への配慮や、自分の行動の結果をよく考えることを子どもに教えるものです。国には、体罰によらない子育てを推進する義務があります。この体罰によらない子育てや、<br />非暴力的な教育を推進する有効な手段は多くに存在し、すべての国でそれらの手段を導入し取り入れることが可能です。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰が禁止されると、心理的な虐待、屈辱を与える行為、監禁など、子どもはもっとひどい扱いを受けるのではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>子どもたちには、体罰だけでなく、その他すべての残虐なあるいは品位を傷つける罰や扱いから守られる権利があります。法改正は、社会啓発活動、良好で非暴力的な子どもとの関係づくりの推進と連動しながら行われなければなりません。親や養育者は、子どもが人生の最善のスタートを切ることを願うものです。子どもをたたいたり、対応を間違えたりする親や養育者は、そうした行為を良いことだと思っておらず、悩んだり、また罪悪感を覚えたりしています。ほとんどの親や養育者は、身体的あるいは精神的な暴力を用いずに、子どもとの衝突を解決するためのアドバイスや支援を歓迎するでしょう。子どもを私たちと同じ、権利を持つ一人の人間として捉え、たたいたり屈辱を与えたりすることに終止符を打つことは、すべての人にとって家庭生活の改善を意味するのではないでしょうか。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰が犯罪とされれば、何千人もの親が起訴され、子どもは親や養育者と暮らせなくなるのではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>法律で体罰を禁止する目的は、多くの親を刑務所に入れるためではありません。子どもの権利を保障し、社会が良好で非暴力的な子どもとの関係づくりを進めることが目的です。体罰を犯罪として扱う国は少しずつ増えていますが、それらの国で起訴される親が増加したという報告はありません。子どもの権利を保障するという国の義務は、体罰を禁止することにより果たされます。体罰禁止の第一の目的は、教育的なものなのです。プライベートな空間である家庭内であっても、私たちが他者に手をあげることを認めないのと同様に、子どもに手をあげることは許されないことであり、同時に違法であるという確固たるメッセージを届けるという目的です。警察や検察を含む、子どもを守る立場にある関係者は、「子どもの最善の利益」のために法律を運用しなければなりません。重大な危害から子どもを守る唯一の方法でない限りは、起訴やその他の司法介入が子どもに利益をもたらす可能性は低いと言えるでしょう。国連子どもの権利委員会は、一般的意見 8 号を通して、法的禁止が大勢の親や<br />養育者の起訴をまねく事態に陥らないよう、以下の 2 つの原則を述べています。</p>
<p> </p>
<p>1. 些事原則―法律は些細な出来事には関与しないというこの原則により、大人同士でも軽微な暴力の場合、法廷へ持ち込まれることはほとんどありません。この原則は、大人による子どもに対する「軽微な」暴力にも当てはまるとされています。</p>
<p> </p>
<p>2. 子どもが世話を必要とする存在であることや家族関係の親密性からくる特性を踏まえ、親や養育者に対する訴追や家族の生活への介入にまつわる決定は、細心の注意の下で行われる必要があります。それらの決定は、重大な危害から子どもを守るため、また「子どもの最善の利益」にかなう場合に限り、行われなければなりません。<br /><br /></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■子どもがけがをするのを防ぐために、親が子どもをたたくことは許されるのではないですか？</p>
<p> </p>
<p>子どもがけがをするのを防ぐためになら、子どもをたたこうという議論は意味を成しません。子どもが危険にさらされたときは子どもをたたくべきだ、と親や養育者にアドバイスすることがあり得るでしょうか。もちろんそれはあり得ないでしょう。親や養育者が、子どもを守るために物理的な行動を起こすのは当然のことです。特に、乳幼児や幼児期の子どもは、常にその必要があるでしょう。子どもが火に向かってハイハイをしたり、危険な道路へ走って行ったりしたなら、親は当然のことながら、子どもをつかまえ、抱き上げ、危険について諭し、教えます。しかしながら、子どもをたたいて痛みを加える行為は、子どもが自分の身は自分で守れるようになるまでは親や養育者が子どもの安全を守る、という前提をくつがえしてしまいます。国連子どもの権利委員会は、以下のように説明しています。</p>
<p>「委員会は、子ども、とくに乳幼児の養育およびケアのためには、子どもを保護するための身体的な行動および介入が頻繁に必要とされることを認識する。これは、何らかの苦痛、不快感または屈辱感を引き起こすために意図的かつ懲罰的に行なわれる有形力の行使とは、まったく別である。私たちは、大人として、保護のための身体的行動と懲罰的な暴行との違いを承知している。子どもに関わる行動との関連でこのような区別を行なうことは、決して難しいことではない」。</p>
<p> </p>
<p>子どもの安全を守るために力を行使する行為と、子どもを罰し意図的に傷つける行為は、明らかに異なるものです。すべての国のどのような法律も、人を守るための、非懲罰的かつ必要な力の行使は、明示的にまた黙示的に、認めています。罰のための力の行使を禁じるということは、これらの既存の法律に影響をおよぼすものではないのです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>以上。</p>
<p> </p>
<p>転載元は<a title="" href="https://www.mhlw.go.jp/content/11907000/000565078.pdf">こちら</a></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>子どもに対するあらゆる体罰を<br />終わらせる時代が来ました。子どもは、<br />尊重され、あらゆる形態の暴力から<br />平等に守られる権利を持っているのです。<br />子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアチブ</p>
<p> </p>
<p>子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアチブは、体罰の普遍的な<br />禁止と根絶を推進し、法改正のための技術的な支援やアドバイスを無料で行っています。<br />http://www.endcorporalpunishment.org<br />info@endcorporalpunishment.org<br />www.twitter.com/GIendcorpun<br />www.facebook.com/GIendcorporalpunishment<br />セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデン</p>
<p> </p>
<p>セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデンはあらゆる場面における体罰の禁止に関する提言<br />活動を行っています。セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデンによる貢献もあり、1979 年に<br />スウェーデンは世界で初めて明確に体罰を禁止する国になりました。法律による体罰の禁止<br />とその根絶を実現するために、この問題が各国の政治課題に加えられるように団体として<br />取り組んでいます。</p>
<p> </p>
<p>info@rb.se<br />www.raddabarnen.se<br />resourcecentre.savethechildren.net<br /><br /></p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-10-30T06:12:39+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/5bc17d516bed0eb8b326f057bec60cc9</guid>
  </item>
  <item>
   <title>子どもに対する体罰を禁止するために  厚生労働省のHPから　（2）</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/63e913705648957ec8ff723ea779ac36?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>つづき</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■あらゆる体罰を禁止するのではなく、安全なたたき方を定義したらどうでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>「安全な」たたき方というものは、存在しません。すべてのたたくという行為は、子どもの身体的不可侵性を侵害し、人間としての尊厳を傷つけるものです。多くの研究は、親による軽微な体罰が虐待と称されるような厳しい暴力のリスク要因となることを示しています。それは、前述の通り、自分で考えるより強い力が加わること、そしてその力は徐々に強くなる傾向があることも、研究が明らかにしているのです。 (p.20「子どもを殴ることと愛情を込めてたたくことには大きな違いがあります。体罰の禁止はやりすぎではないですか？」参照 )。</p>
<p> </p>
<p>かつて、年齢、たたく体の部位、たたくときに使用する道具を決めることによって、容認できるたたき方を定義しようとした国がありました。これらは、子どもへの暴力に対する社会の態度に大きな混乱をもたらすだけでなく、恥ずべき試みとさえ言えるでしょう。女性、高齢者などある特定の人たちに容認される暴力を定義しようとは考えないはずです。暴力から守られる権利は、子どもたちも平等に持つ権利なのです。子どもたちと私たち大人に異なる点があるとすれば、彼らは身体的により小さく、その分、弱さを備え持つ存在であるがために、むしろ大人以上に暴力から保護される権利があるということでしょう。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■私が信仰している宗教は、体罰を用いるよう求めています。体罰の使用を禁止することは、差別ではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>思いやり、平等、正義、非暴力を掲げる世界の主だった宗教にとって、子どもをたたくことがその宗教の教える考え方、価値観、信念に合致することはないでしょう。これらの宗教の信者は、その創始者の教えや人生を規範としています。研究者や神学者は、主流な宗教のどの創始者も子どもをたたいていたことを裏付ける記録は存在しないと強調しています。子どもへの体罰を許す宗教的見解は、概して、子どもを力で支配しようとする権威主義からくるものであるとされています。これは、盲目的服従が徳とされ、「反抗的」とみなされた子どもへの身体的な罰の行使を認めるといった考えに関係すると考えられています。</p>
<p> </p>
<p>一方、世界の宗教指導者は、子どもの体罰を根絶するための国際運動に参加しています。2006 年に京都で行われた世界宗教者平和会議では、体罰を含む子どもに対するあらゆる暴力を禁止する法律を策定することを各国政府に求める、「子どもへの暴力に取り組む諸宗教の決意表明（京都宣言）」を採択しています。これは、世界の800 人以上の宗教指導者の支持により宣言されたものでした。国連子どもの権利委員会は、一般的意見 8 号において、信仰の自由は「他者の基本的人権や自由を保護する目的に照らし、合法的な制限を受けることがある」と明確に述べています。また、委員会は、「宗教的文書の解釈によっては体罰の使用が正当化されるのみならず、体罰を用いる義務が定められている場合もあるとして、信仰にもとづいて体罰を正当化しようとする者もいる。宗教的信念の自由は、市民的および政治的権利に関する国際規約においてすべての者に認められている（第 18 条）ところであるが、宗教または信念の実践は、他の者の人間の尊厳および身体的不可侵性の尊重と一致するものでなければならない 」としています。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■なぜこの問題に法律を持ち込むのでしょうか？体罰を使わないように親を支援すればいいのではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>体罰やその他の残虐な、または品位を傷つける罰を根絶するには、支援（教育）と法的禁止の両方が必要です。どちらかを選択するということではありません。人権を保障するために、子どもたちには大人と同様の法的保護が必要です。そして、その保護は、家庭内であっても、それ以外の場所でも同じに適用されるものでなければなりません。法律はそれ自体が強力な教育の手段になり得るのですが、法改正は、社会や親や養育者への支援（教育）と相互補完的でなければなりません。法律による禁止が、親や養育者の体罰によらない子育てへの高い関心を抱かせ、また、専門家、政治家、メディアによる体罰によらない子育ての普及や、そのために必要な支援の整備を促し始めるのです。法で認められている行為を止めようとする試みを推進するのはとても難しいことで、戸惑いを生みます。法的禁止がない社会では、「法的に問題がないなら、問題はない」という仮説が成り立ちます。法も同じメッセージを発しているときの方が、親への支援の効果はより高まります。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■ほとんどの体罰が家庭という閉ざされた中で行われているので、完全に禁止することはできません。だとしたら、禁止することに意味はあるのでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>どうせ取り締まることはできないから、家庭内の大人に対する暴力を禁止しなくて良いと言う人はいないでしょう。なぜ、子どもの話になるととたんに、法律による保護が難しくなるのでしょうか。法改正によって体罰を禁止する一番の目的は、子どもを傷つける暴力行為を未然に防止することです。どのような法律も、その第一義的な意図は予防であり、明確な基準を示すことにあります。それらの基準が家庭では適用されないということにはなりません。しかし、家族に関する事柄を法律で禁止することは、慎重である必要もあります。なぜなら、本誌の40ページにあるように、子どもの最善の利益を考慮する必要があるからです。また、体罰の禁止は、親や養育者が暴力によらない子育てへ転換できるよう、情報やサポートを提供する適切なキャンペーンと同時に行われなければなりません。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■親や養育者、教師のストレスが増加しないように、日々の状況が改善するまで、体罰の禁止を見送るべきではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>このような主張は、体罰が子どもを教育するためではなく、大人が鬱積した感情を晴らすために行われているのではないかという議論を暗に認めています。たしかに、家庭を含むあらゆる場面で子どもに関わる大人が、より多くの支援を喫緊に必要としているのは事実です。しかしながら、たとえ大人がそのような状況に直面をしていたとしても、子どもをそのはけ口とすることは正当化できません。子どもたちが、大人の置かれている状況が改善されるまで、保護されるのを待つべきではありません。それは、女性たちが暴力から保護されるのを、男性が置かれている状況が改善されるまで待たなくても良いことと同じです。子どもをたたくことは、どのような場合でも、ストレスを軽減することにはなりません。感情に任せてたたいたとき、親は自責の念を抱きます。冷静にたたいたとしても、腹を立て、憤りを覚えた子どもに向き合わなければならないことに気が付くのです。体罰が禁止され、体罰によらない子育てが実践されている家庭や施設では、誰もがストレスの少ない日々を送っています。紛争下にある国では、親や養育者、教師を含めた、子どもに携わる大人が、暴力や屈辱の被害を受けた当時者でもあります。彼らは、子どもの権利を保障することに賛同をしますが、同時に彼ら自身の権利については誰が闘ってくれるのかと問うことがあります。当然、彼ら大人の権利侵害は是正されなければなりません。しかし、大人の権利が保障されるまで子どもたちが待つ必要はありません。すべての人が、尊厳、身体的不可侵性、そして法の下の平等を尊重される権利があり、それは子どもも同じなのです。<br /><br /></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰の禁止は、ヨーロッパを中心とした白人社会の考え方です。体罰は私たちの文化であり、伝統的な子育てです。法的に禁止するのは差別ではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>子どもをたたくことが文化であるという考えが認められることはありません。子どもをたたくことは元来白人社会の伝統で、奴隷制度、植民地支配、宣教活動を通じて世界に広まったと考えられています。英国で見られる「合理的な折檻（懲戒）」という弁護は、世界中の国の法律に反映されています。子どもがほとんど、あるいはまったく身体的に罰せられることがない文化は、諸説あるものの、あらゆる文明のなかでもっとも「自然な」、小規模の狩猟採集民族の社会に見られると言われています。ただ、現在はそれらの文化も、都市化やグローバリゼーションの影響によって急速に失われつつあると言われています。</p>
<p> </p>
<p>しかし、人権は普遍的であり、世界中の子どもたちはあらゆる形態の暴力から守られる権利を持っています。すべての文化は、かつて伝統として認められてきた他の人権侵害と決別したように、体罰にも同様の対応をする責任があります。国連子どもの権利条約は、すべての子どもがあらゆる形態の身体的および精神的な暴力から保護される権利を持つことを謳っています。そしてその保護は、決して人種、文化、伝統、宗教によって差別されないのです。現在、地球上の全大陸において、多くの国が、子どもに対する体罰を終わらせようと動き出しています。学校や司法制度における体罰については、世界中のあらゆる地域で、多くの国が既に法的な禁止を実現しています。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■子どもをたたくことをやめるのは、なぜこんなに難しいのでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>仮に政治家を含めた大人が、この問題を容易に解決できると捉えていたなら、子どもが大人と同様の、尊厳、身体的不可侵性、法の下の平等を尊重される権利を持っていることを、私たちは、はるか昔に認めることができていたことでしょう。それどころか、とても小さく脆弱な子どもたちが大人よりも手厚く保護される権利があることも認めていたのではないでしょうか。大人が「しつけ」の名目で、子どもをたたいたり、痛みを加えたりすることを「権利」として主張し、それを諦めきれない背景には、いくつかの理由があるようです：</p>
<p> </p>
<p>i.　自身の経験。ほとんどの人は、子どもの頃に親や養育者からたたかれた経験があります。ほとんどの親や養育者は自分の子どもをたたいたことがあります。私たちの誰もが、親や自らの子育てを悪く思いたくありません。その気持ちが、政治家、オピニオン・リーダー、子どもを守る立場にある人たちまでも含む多くの人々にとって、体罰が平等や人権を脅かす根本的な問題であると認識することを難しくしています。ただ、この問題は誰かを責めても意味がありません。親や養育者は社会の考え方にならった子育てをしてきたのです。しかし、今こそ、子どもと肯定的で非暴力的な関係性を築く時代が到来しています。</p>
<p> </p>
<p>ii.　大人はしばしば、怒り、ストレス、我慢の限界を超えたことによって子どもをたたきます。多くの大人は心の奥底で、たたくことは「しつけ」をするための理性的な行動というより、その場で起きていることに対する感情的な行動であることを認識しています。このような行動は繰り返されるほど、たたくという行為が手に負えない言動への対処法として確立してしまいます。確立してしまった行動を変えるのは簡単ではありません。しかし、変えることはできます。政府が、体罰によらない、非暴力的な子育てや、子どもの尊厳や身体的不可侵性が尊重される権利に関する公教育や啓発活動へ投資をしていけば、親や養育者は自分たちが良く思わない子どもの言動への対応として、暴力を振るう必要性を感じずに、さまざまな方法を考えていけるようになるでしょう。<br />i</p>
<p> </p>
<p>ii.　代わりの方法に関する知識の欠如。法改正は、親、子ども、社会全体を対象とした体罰によらない、非暴力的の子育てに関する支援（教育）活動と同時に行っていく必要があります。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>転載元は<a title="" href="https://www.mhlw.go.jp/content/11907000/000565078.pdf">こちら</a></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
]]></description>
   <category>スクラップ</category>
   <dc:date>2024-10-30T05:50:00+09:00</dc:date>
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  </item>
  <item>
   <title>子どもに対する体罰を禁止するために  厚生労働省のHPから　（1）</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/76302652e7b94ca02d0d1fb11b26f5e6?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰は子どもを本当に傷つけるのでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>もちろん体罰は子どもを傷つけます。体罰は、身体的にも、精神的にも子どもを傷つけます。世界中で行われている調査を通して、子どもたちは、体罰がどれほど自分たちを傷つけるかを語り始めています。2006 年に発表された、「子どもに対する暴力に関する国連事務総長調査報告書」は、世界で初めて包括的にこの問題の深刻さを明らかにしました。この調査を率いた専門家であるパウロ・セルジオ・ピニェイロ氏は、報告書の中で以下のように述べています。</p>
<p> </p>
<p>「調査の過程で、子どもたちは直ちにこの暴力をすべて終わらせる必要があると繰り返し訴えました。子どもたちは、大人たちが黙認のみならず、容認さえしてきた暴力によって、身体的にだけでなく、『内面的にも傷ついてきた』と証言をしているのです。<br />体罰は、新たに発生した緊急性をともなう課題ではありませんが、政府は事態が危機的な状況にあることを認識しなければなりません。子どもたちは、何世紀もの間、大人たちによるこの暴力に、誰からも気づかれることなく苦しんできました。しかし、子どもに対する暴力の規模やその影響が明らかになりつつある今日、これ以上、子どもたちを待たせ続けるわけにはいきません。子どもたちが暴力から守られるための、実効性の高い権利保障が必要なのです。」</p>
<p> </p>
<p>子どもを身体的に傷つけること自体、暴力から保護されるという子どもの権利を侵害しています。そのうえ、子どもが受ける痛みは、大人が意図するよりも大きいということはあまり認識されていません。大人と子どもの間には、大きさや力など、大きな差があるのです。ある大規模調査では、5 人に 2 人の大人が、意図した強さと異なる強さで子どもをたたいていたことが明らかになりました。また、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン精神医学研究所(Institute of Psychiatry and University College London) の研究では、懲罰を与える状況において人間の脳の活動状態は変化し、使用する力の加減は強まり、また実際にどの程度の力が使われたかについて誤認する傾向にあることが証明されました。</p>
<p> </p>
<p>さらに、大人たちは、体罰によって生じる心の痛みに注意を向けないことがよくあります。それだけでなく、子どもの尊厳に与える影響、個人や社会全体に与える短期的あるいは長期的なダメージについても目を向けてきませんでした。「子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアチブ」は、体罰の影響に関する 250 以上の研究結果に注目しています。それらは、成長してからも子どもを苦しめ続ける可能性のある、健康、発達、行動への影響（たとえば、メンタルヘルスや認知発達の不調、学業成績の低下、攻撃性の増加、道徳心の低下、反社会的な行動の増加 ) など、広範囲におよびます。</p>
<p>1. Pinheiro, P. S. (2006), World Report on Violence Against Children, Geneva: <br />UN Secretary-General’s Study on Violence against Children. <br />http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRC/Study/Pages/StudyViolenceChildren.aspx（英語）<br />2. Kirwaun, S. &amp; Bassett, C. (2008), Presentation to NSPCC: Physical punishment, British Market <br />Research Bureau/National Society for the Prevention of Cruelty to Children<br />3. Shergill, S. S. et al (2003), “Two eyes for an eye: The neuroscience of force escalation”, Science, <br />vol. 301, 11 July 2003, p. 187<br />4. 参考 : www.endcorporalpunishment.org（英語）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■国連子どもの権利条約とは何ですか？また、子どもに対する体罰はどのように規定されていますか？</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>国連子どもの権利条約は、歴史上世界で最も多くの国が批准した人権条約です。また、子どもの権利をとりまとめた文書として、最も完成度が高いものです。この条約は、全部で 54 条あり、子どもの生活に関わるすべての要素を取り上げ、すべての子どもたちが生まれ持つ、市民的、政治的、経済的、社会的、文化的権利を保障しています。国連子どもの権利委員会は、条約を署名・批准した締約国において、条約上の義務が正しく履行されているかを監督する役割を担っています。委員会は、締<br />約国が体罰を法律で禁止する義務を負うとし、またその範囲は家庭、社会的養護、保育施設、学校、司法制度などすべての環境を含むことを明言しています。国連子どもの権利委員会の一般的意見 8 号「体罰その他の残虐なまたは品位を傷つける形態の罰から保護される子どもの権利 ( とくに第 19 条、第 28 条 2 項および第 37 条 )」が、この義務を明らかにし、続く一般的意見 13 号「あらゆる形態の暴力からの自由に対する子どもの権利」においても、このことが改めて主張されています。</p>
<p> </p>
<p>委員会は定期的に条約の履行状況を審査し、総括所見を通して、体罰の禁止に関する勧告を各国政府に対して行っています。その他の人権諸機関も体罰の禁止を推奨し、国連人権理事会の普遍的定期的審査でも体罰の問題が常に問題提起されています。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■世論調査によると多くの人が体罰の禁止に反対しています。その人たちの意見を聞くべきではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>女性に対する暴力や人種差別に立ち向かったときと同じように、体罰の問題についても世論に従うのではなく、政治家が主導する必要があります。子どもが人間として持つ尊厳を、大人と同様に法的に保護をしなければならないという、政府の責務が問われているのです。体罰を禁止したほとんどの国は、世論に先行して法改正に着手をしています。そして、法改正後に、世論が後から支持に回るようになることは経験から明らかになっているのです。数年後には、子どもをたたくことが法律で容認されていた時代を不思議にさえ思い、恥ずかしさを覚えるようになるのではないでしょうか。</p>
<p> </p>
<p>通常、世論調査の結果は設問のあり方と回答者が持つ情報量に左右されます。もし、暴力から守られる権利の不平等や体罰を法律で禁止する本来の目的など、子どもたちが直面する課題について、人々が十分な情報を有していたなら、体罰の禁止を支持する人は増えるかもしれません。繰り返し行われる世論調査では、質問の仕方を変更したことにより、大きく異なる結果を得たという例もあります。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■体罰に賛成する子どもや若者の意見を耳にします。彼らの意見を聞くべきではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>身体的な罰を受けることが、彼ら自身にとって良いことだと発言する子どもがいるのは事実です。体罰は、しつけのためだから、親の愛があるのだからといった理由で、彼らはそう言うのです。もちろん、私たちは子どもや若者の意見に耳を傾けなければなりません。しかしながら、私たち大人は子どもの言っていることをうのみにするのではなく、子どもが話したことを理解する責任があります。前述の通り、体罰による身体的な痛みを子どもたちが打ち明け始めたのは事実です (p.8「体罰は子どもを本当に傷つけるのでしょうか？」参照 )。子どもが体罰は良いもので必要だと語るとき、体罰を受けることが当たり前で正しいとする環境で育てられていることがあります。体罰は自分のためであると自身に言い聞かせることで、親や養育者の態度や行動を受け入れ、受けた痛みを正当化し、また納得しようとした結果とも言えるのです。</p>
<p> </p>
<p>子どもには、あらゆる暴力から保護される権利があります。これは、人間としての尊厳と身体的不可侵性*が尊重されるということです。これらの権利を法律で保障することは政府の責任です。そして、親や養育者、周囲の大人たちは、子どもが自身の持つ権利について知り、自分や他人との関係のなかで権利を尊重することを学ぶように育てる責任を負っています。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■子どもの頃に私はたたかれていましたが、何の悪影響もありません。私の親がたたいて育てたからこそ、今の自分があるのでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>たたかれたり、屈辱を与えられたりすることがなかったなら、私たちがどのように育っていたのかは、誰にも知る由がありません。体罰による害はなかったと言う人の多くは、自分の経験した痛みを否定しようとします。最も身近にいた大人が、自分を痛めつけて教育しようとしていた事実に気づくとき、多くの人が当時の痛みを否定するのです。しつけの名の下に子どもをたたく大人は、子ども時代に自分がたたかれた経験があるから、たたき始めるようになることがあると言われています。研究は、体罰を使うことにときに罪悪感を抱き、また辛抱強くあろうとしてもなお、わが子をたたき続けてしまうことがあることを報告しています。体罰を容認していた世代を批判することは建設的ではありません。人々は当時の時流に従っていたにすぎないからです。しかし、親の世代を批判することを恐れるあまり、変化を受け入れないことは間違っています。時代は流れ、社会は前進します。子どもの権利を認めるためには、法律で、また社会全体で、子どもへの暴力の容認に終止符を打つことが必要なのです。それは、私たちの社会が女性に対する暴力を容認した時代を終わらせたときと同じです。</p>
<p> </p>
<p>「子どもの頃にたたかれたけれど、私は普通の大人になれました」と言う声を聞きます。たしかに、私たちの社会には、あらゆる苦い経験を重ねても「普通の大人」になる人がいます。しかし、彼らはその経験そのものが素晴らしいものだったとは言わないでしょう。実際には、苦い経験にどのように向き合ったかが、彼らを「普通の大人」にしたのであって、苦い経験そのものが彼らを「普通の大人」にしたわけではありません。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■子どもが直面する権利侵害にはもっと深刻なものがあります。なぜ、この些細な問題に注目するのでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>子どもに対する暴力の中で最も多い形態は、暴力をともなう「しつけ」であるとユニセフは発表しています。世界中で、体罰により、毎年何千人もの子ども、特に幼い子どもたちが命を落としています。また、体罰により、毎年数百万人もの子どもがけがをしています。体罰は、取るに足らない問題ではないのです。さらに、これは単なる子どもへの暴力に関する問題ではありません。これは、子どもたちがどんなに軽んじられた存在であるかを象徴しています。多くの国で、いまだ体罰が合法である実態こそ、子どもたちが大人と同じ権利の保有者でなく、ひとりの人間に満たない、まるで所有物であるかのような扱いをされていることを暗に物語っています。世界の大多数の子どもたちが、日々体罰を経験しています。そして、その一つ一つの事例において、子どもたちの尊厳や身体的不可侵性が侵害されています。女性に対する家庭内暴力を禁止し、この問題に挑むことが女性のエンパワーメントと権利擁護の中心にあったように、子どもに対する暴力にも同じアプローチが必要です。体罰の禁止は、子どもたちの軽んじられてきた地位を向上させ、私たちの社会における子どもの捉えられ方や扱われ方の改善へ貢献するものです。どんな国も、法で子どもに対する暴力を容認しておきながら、子どもを権利保有者として尊重しているということは言えません。法による禁止がなければ、十分に効果的で安全な子どもを守<br />る制度を確立しているとは言えないのです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■親は子どもをそれぞれの方法で育てる権利があります。極端な虐待のケースでなければ、とがめられる必要はないのではないでしょうか？</p>
<p> </p>
<p>私たちの社会は、子どもは親の所有物ではなく、固有の権利を持つ個人と見るように変わりつつあります。子どもには人権があり、それは家に一歩足を踏み入れた途端に失われてしまうものではありません。子どもの持つ権利は親などの誰もが有する権利と同じです。子どもが家庭における暴力から守られることは、大人が親しいパートナーによる暴力から守られることと同じで、プライバシーの侵害や家庭生活への介入にはあたりません。</p>
<p> </p>
<p>国連子どもの権利条約は、「子どもの最善の利益」が親や養育者の基本的関心事であり、その達成に努めることは親や養育者の責任であるとして、家族の重要性を掲げています (18 条 )。これを理由に、しつけのために子どもをたたくことは、長期的には子どもの最善の利益になると主張する人がいます。その議論に関して、子どもの権利委員会は次のように述べています。</p>
<p> </p>
<p>「子どもの最善の利益に関する解釈は、条約全体（あらゆる形態の暴力から子どもを保護する義務および子どもの意見を正当に重視する要件を含む）と一致するものでなければならない。子どもの最善の利益のためだとして、子どもの人間の尊厳、および身体的不可侵性に対する権利に抵触する慣行（体罰その他の形態の残虐なまたは品位を傷つける罰を含む）を正当化することはできないのである」</p>
<p> </p>
<p>そして何より、親や養育者に対して、家族関係の悪化に代表されるように、体罰が子どもにとってどんな利益もたらすこともなく、多くの悪影響を生むものであるという明確なメッセージを届けるが必要です。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>■子どもを殴ることと愛情を込めてたたくことには大きな違いがあります。体罰の禁止はやりすぎではないですか？ <br /><br /></p>
<p>「愛情を込めてたたく」より、殴る方が子どもの受ける身体的な痛みは大きいのかもれません (p.8「体罰は子どもを本当に傷つけるのでしょうか？」参照 )。しかし、程度の違いはあってもどちらも暴力であり、子どもの尊厳や身体的不可侵性を侵害するものであることに変わりはありません。私たちの社会は、高齢者への暴力に対する議論において、その程度を問うことはありません。ではなぜ、子どもへの暴力については、程度の議論が生じるのでしょうか？　</p>
<p> </p>
<p>また、人を愛することと痛めつけることを結びつけようとすることは明らかに危険です。「愛情を込めてたたく」の議論は、子どもに対する暴力に関する議論の中で、最も大きな矛盾を生むものです。このように、一見すると、子どもへの悪影響が緩和されたかのような表現を使うことは、子どもの権利を侵害する暴力行為を包み隠してしまうのです。</p>
<p> </p>
<p>一方、「軽くたたくことと虐待は大きく異なる」と主張する人がいます。「愛情」があるか否かでなく、暴力の程度が問題であるという主張です。しかし、大人が暴力の程度を正確にコントロールすることができるという前提に立つこの主張は、既に反証されています。研究によって、通常、意図していたよりも強い力が使われており、その力は次第に強まるということが立証されています。</p>
<p> </p>
<p>そして、繰り返しになりますが、たたく力の程度の問題ではなく、行為自体が、尊重されるべき子どもの権利の一つである、身体的不可侵性を侵害していることを忘れてはいけません。伝統的に、議員や政府は、「子ども虐待」と「体罰」を区別しようとしてきました。しかしながら、多くの虐待の実態は体罰です。大人が子どもを罰するために暴力を用い、支配する行為です。高齢者に対する暴力の議論では、このような境界線をめぐる議論は存在しません。どのような暴力も一切認められないということは、明確になっているのです。しかし、子どもに対する暴力の議論となると、大人たちは恣意的な区別を作り出そうとしてきました。懲罰的な暴力であれば容認されるが、「虐待」となれば認められないと言うのです。現実的には、子ども虐待と体罰を区別することはできないのです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>転載元は<a title="" href="https://www.mhlw.go.jp/content/11907000/000565078.pdf">こちら</a></p>
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