日韓歴史共同研究:第2期報告書 対話の難しさ露呈 当初から感情的対立
23日公表された第2期「日韓歴史共同研究」の報告書は「次の100年」に向けて出発点になるはずだった。しかし、報告書の中に「『近くて近い』日韓関係の基礎をつくるのが委員の使命だが、『何でも解決できる』わけでもない」との文言が見られるなど、歴史対話の難しさを浮き彫りにして終わった。
第2期研究は、保守色の強い安倍晋三政権の下で準備をスタートさせた。委員選考にあたって、日韓関係の中心にいた進歩派学者に代えて保守派を重用するなど、保守的な理念を先行。一方の韓国側も左派色の強い盧武鉉(ノムヒョン)政権下にあり、従来の主張を強弁した。2年半に及ぶ議論は「当初から感情的対立が生まれ、信頼関係の構築から程遠かった」(有識者)という。
報告書について、岡田克也外相は23日の記者会見で「議論することで(共通理解が)増えていけば、相互の認識が近づく。共同研究は意味のあることだ」と指摘。アジア重視の姿勢を鮮明にする鳩山由紀夫首相に対し、韓国側は歴史対話を通じて教科書記述や戦後補償などで柔軟な対応を期待している。韓国側委員の多くが共同研究の継続を求めるのは、そのためだ。一方、日本側は歴史の溝を乗り越えた先に何を見据えるのか、明確な外交戦略に欠けている。
現在の日韓は年間476万人(08年)が往来するなど、隣国関係は深まる一方だ。「近現代」の章で初めて触れられた「大衆文化」で、韓国側は「植民地の記憶と日本文化を統合せずに別々に認識する。文化交流で否定的要因を減少させることで、日韓関係はより安定的に維持される」と指摘している。
以前と比べ、日韓関係は成熟期に入り、歴史問題でこじれても、即座に外交が閉ざされる環境にない。こうした状況下で、異なる歴史認識を互いに受容できるような粘り強い対話が求められている。【中澤雄大】
■任那日本府を「否定」 韓国メディア「成果」と報道
第2期研究報告書で韓国で、研究成果として報道されたのが任那(みまな)日本府の扱いだ。23日の発表を前に韓国メディアは一斉に「日本の学者も『任那日本府はなかった』(と認めた)」などと報じた。任那日本府は、6世紀までの日本による朝鮮支配の拠点とされ、韓国では植民地支配を正当化するものとして反発が強かったが、近年は日本でもその役割に疑問が持たれ始めている。
韓国側委員から指摘を受けた日本側委員が「軍事的な性格や政治機関としての性格はほぼ否定されている」とし、「その用語も使わない方がいい」との意見に同意したことが「成果」として大きく報じられた。
一方、近現代史では認識の差が目立った。竹島(韓国名・独島)の領有権など両国にとって敏感な問題は基本的に議論から外された。
歴史教科書では、委員の発言や行動を巡り謝罪や辞職を求めるなど研究以外でのバトルもあった。「主題選定をめぐり論争を繰り返す過程で疲れ果て……」と、論文のコメント欄に記す韓国側委員もいたほどだ。
それでもなお、韓国では「3期、4期と続けていくべきだ」(韓国政府関係者)との意見が強く、積極姿勢が目立っている。これほど強い意欲を見せるのは「歴史認識の差を埋める努力を続けていれば、何か問題が起きたときのクッションになりうる」(韓国紙記者)との考えのほか、合意事項を少しでも教科書に反映させたいと考えているからだ。韓国側委員長の趙〓(チョグァン)高麗大教授は23日、韓国外交通商省での会見で、「相互理解を増進させ、長期的な共通の歴史認識拡大に寄与することを期待する」と述べた。【ソウル西脇真一】
毎日新聞 2010年3月24日 東京朝刊
日韓歴史共同研究:歴史認識に溝 教科書記述対立--第2期報告書
日韓両国の有識者による「日韓歴史共同研究委員会」は23日、第2期研究の報告書を公表した。第1期で激しい議論となった「近現代」など3分科会に加え、歴史教科書に取り組むため新たに設けた「教科書小グループ」でも従軍慰安婦問題の記述などで歴史認識の溝が浮き彫りになった。委員間には「国益に有害」との意見もあり、今後も政府レベルによる共同研究を継続できるか不透明だ。
報告書は「古代」「中近世」「近現代」「教科書」の各章で、日韓双方の委員論文と批評文などを掲載する。
報告書で韓国側は、従軍慰安婦問題について、96年に日本の全7種類の中学校教科書で言及していたが、05年には2種類に減り、強制性を示した記述がなくなるなど「縮小の一途をたどっている」と指摘。理由について「政治・社会的状況の保守化」と断定した。
これに対し、日本側は「韓国は従軍慰安婦と女子挺身(ていしん)隊とを混同している。挺身隊はあくまでも軍需工場での勤労動員に限定される用語だ。青少年に『戦場と性』という難題は教えるべき事項なのか、教育現場のためらいもある」と反論した。
また、日本側は、韓国の教科書で多用される「日帝」の概念が「あいまい」と批判。戦後日本の「平和憲法」に関する記述がないことを指摘し、「戦後の日本を理解するには絶対に必要な要素だ」として、韓国の教科書に明記するよう求めた。昭和天皇以降の反省の「お言葉」や、植民地支配と侵略に対する反省とおわびを表明した95年の村山富市首相談話についても記述を求めた。【中澤雄大】
■ことば
◇日韓歴史共同研究
01年教科書検定で「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史教科書が合格したことに韓国が反発し、日韓関係が悪化。事態を打開するため、同年10月の小泉純一郎首相と金大中(キム・デジュン)大統領(当時)の首脳会談で、歴史共同研究の開始で合意した。第2期研究委は07年6月から教科書の記述ぶりなどを議論していた。
毎日新聞 2010年3月24日 東京朝刊
日韓歴史共同研究:第2期報告書 山口県立大講師・浅羽祐樹氏の話
◇総合、相互的な取り上げ方を評価--山口県立大講師(韓国政治)・浅羽祐樹氏
一読して感じたのは「合意しないことに合意した」ということだ。個別の論点でいくつかの点は先鋭に対立したが、それでも公表した。合意できないものを残せる段階に来たのは、双方が自由民主主義国家だから。日中歴史共同研究(戦後部分)は異論があると最後は報告書を公表しなかったが、日韓は出して異論をさらしても全体の関係は悪化しない成熟したパートナーのはずだ。また日韓の歴史を総合的、相互的に取り上げたのは評価できる。共同研究が1期、2期と続き、相互に真摯(しんし)な誠実さに基づく学問共同体ができつつあるのでは、と期待する。
ただ韓国側が敏感な問題について主題の選定が困難だったと評しながら、「外交」の韓国側論文については解せない。竹島(独島)という用語はほとんど用いていないとしても、巧妙な形で終始一貫領土問題を扱っている。図らずも、「合意しないことに合意しない(できない)」ことも依然として残っていることが露呈している。
毎日新聞 2010年3月24日 東京朝刊
日韓歴史共同研究:第2期報告書 東京学芸大教授・坂井俊樹氏の話
◇「未来志向の教科書」、今後に期待--東京学芸大教授(韓国歴史教育)・坂井俊樹氏
国家を代表して共同研究が進められたこと自体、意義深い。特に「教科書小グループ」の「記述ぶり」は具体的な戦争、近代的法秩序などの問題点が洗い出され論議された点は評価できる。しかし、「教科書とは何か」「植民地支配とは何か」という重要な前提部分の議論がなされないままに進められた感が強い。
そのため教科書とは実証的歴史学の単なる薄墨なのか、それとも日韓の友好親善のためなのか、研究目的と方法論が不明確なまま進められ、歴史認識の違いばかりが目立った。
日本側の論文批評に「生産的なものがなかった」との否定的結論も見られた。論文と批評によって歴史事象の誤りを攻撃しあうのは後ろ向きだ。会議で質問するなりして解決されるべき問題もあったはずだ。この点は日本側の問題と感じる。
それでも客観的な歴史事象検証を踏まえながら未来志向の教科書を、という意見が複数あり、今後の研究の継続が期待される。
毎日新聞 2010年3月24日 東京朝刊
社説:日韓歴史研究 対立乗り越える努力を
23日公表された第2期日韓歴史共同研究の報告書は、歴史認識で相互理解を深めることの困難さを改めて認識させる。
共同研究は両国首脳の合意を受けたもので、07年6月から2年半かけ双方の有識者34人が67回の会議を重ね、その成果を論文などの形式でまとめた。古代史、中近世史、近現代史の3分野と、今回新たに加えられた歴史教科書を研究対象にした。
目的は「歴史認識について共通点を明らかにし、相違点を把握して相互理解を深める」ことだった。古代史などではいくつかの合意点を見いだすことができたが、近現代史や教科書の分野ではむしろ見解の相違が際だつ結果となった。
一つの例として教科書小グループの報告書の中から対立ぶりの一端を紹介する。日本側のある委員は両国教科書の現代史の記述ぶりを分析し、韓国の教科書の問題点として「『日本人はすべて悪』とするナショナリズムを克服できない状況がある」「日本国民が戦争を反省し平和憲法を制定した事実に触れていない」「過去に対する反省と謝罪に関する天皇陛下の『お言葉』と『村山首相談話』を記述していない」などと指摘した。
一方、韓国側委員は「韓国社会は日本の歴史教科書問題に対日過去清算の側面から接近するが、日本の歴史教科書にはこうした観点が非常に弱いか、初めから抜け落ちている場合が多い。侵略責任と戦争責任をまったく自覚できないでいるためだ」などと主張した。
また、「複数の歴史認識の共存を認め合う社会の方がはるかに自由で魅力的だ」との日本側委員の意見に対しては、韓国側委員が「日本が過去の侵略と戦争、植民地支配をいかに認識しているかが核心だ」と反発するといった具合である。
今回は竹島(韓国名・独島)や日韓併合の問題などについては本格的な議論は行われなかったという。それでもこれほど対立すること自体が歴史認識問題の難しさを物語っているといえる。
同グループでは一時、合同会議を開催できない事態にも直面したという。そうした経緯もあり、関係者からは「共同研究はもう限界だ」との声も聞かれる。
しかし、ここは冷静に考える必要がある。確かに、一向にかみ合わない論争には歯がゆさを感じざるをえないが、双方が率直に意見をぶつけ合うことの意義を否定することはできない。特に、教科書をめぐる問題を議論し報告書にまとめたのは初めてだ。共同研究を継続するなら議論が前向きに進む仕組みを工夫すべきだろう。
毎日新聞 2010年3月24日 2時30分
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