Luna's “Tomorrow is another day”

生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ!

大阪から見えるイラク/9~12

2009年08月14日 | スクラップ
大阪から見えるイラク/9 恋も2度目なら…ハミッドの場合 /大阪 ラムの骨付き焼き肉一皿およそ1200円。割り勘などせず、豪勢に振る舞うのがイラク流  ■スイスに妻子を残しながら  アルビル市内のレストランで、ハミッド(56)は言葉を継いだ。「思い切って、愛している、と伝えたら、彼女も同じだと……」。声が少し震え、目も潤んでいるではないか。  相手は役所勤めの30代の女性。数 . . . 本文を読む
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大阪から見えるイラク/5~8

2009年08月14日 | スクラップ
大阪から見えるイラク/5 武装勢力から届いたビデオテープ /大阪 「バグダッドの獅子」のビデオ映像。左から2人目がリーダー=04年5月  ■日本は友人、出て行くべし  武装勢力から届いたビデオテープは、壁に張られたイラク国旗のアップで始まり、対戦車ロケット砲や遠隔操作爆弾などが雑然と置かれた室内が映し出された。続いて、イラク国旗の前に、武器を手にした覆面姿の4人が現れた。地区の . . . 本文を読む
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大阪から見えるイラク/1 誇りを傷つけられた /大阪

2009年08月14日 | スクラップ
大阪から見えるイラク/1 誇りを傷つけられた /大阪 この日の戦闘で死んだ武装勢力メンバーは、地区の「殉教者の墓地」に埋葬された(04年4月)  イラクと大阪。なんだか無関係に思える。だが、知らない所でつながっていた。例えば、イラク特産の棗椰子(なつめやし)は、大阪名物のたこ焼きやお好み焼きに欠かせないソースの原料でもあった。イラクは意外に近いのだ。現地取材で出会った遠くて近いイ . . . 本文を読む
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平和のバトン:島根・語り継ぐ戦争 山陰中帰連・藤原助男さん/上 /島根

2009年08月14日 | スクラップ
   ◇古参兵の姿で考え方に変化--藤原助男さん(88)=雲南市三刀屋町 ◇拷問、やるんだったら徹底的に  元日本軍の第39師団歩兵第232連隊に所属し、中国で戦闘に参加した、山陰中国帰還者連絡会の藤原助男さん(88)=雲南市三刀屋町=は、戦犯容疑者として6年間、撫順(ぶじゅん)戦犯管理所で過ごした。この収容所で、藤原さんは自分が中国人に対して犯した行為を「供述書」に書きつづった . . . 本文を読む
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969分の1の戦争責任:/上 生木の重さ知り悔い続け /島根

2009年08月14日 | スクラップ
  ■仲間に64年目の謝罪--帯刀強一さん(86)=出雲市多伎町  今年6月9日、松江市内の旅館に県内の80~90代の男性8人が集まった。近況を報告し合う中、帯刀(たてわき)強一さん(86)=出雲市多伎町=は堰(せき)を切ったように謝罪の言葉を述べ始めた。「わしは皆よりまじめじゃなかった。すまじゃった(すまなかった)」。言葉を絞り出すように語る帯刀さん。他の7人は黙って聞いていた . . . 本文を読む
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シベリア抑留:大崎の梁川さんが抑留記執筆 冷戦下、戦後史の一端かいま見え /宮城

2009年08月14日 | スクラップ
  ■帰還後、米軍がソ連の動向聴取  1945(昭和20)年8月の終戦から64年。大崎市田尻の梁川(やながわ)繁夫さん(84)は旧ソ連軍の捕虜として4年余にわたるシベリア抑留の模様を地域の文集に執筆した。日本帰還後、米進駐軍から、一時期を過ごしたウラジオストクでのソ連海軍の動きについて聞き取り調査を受けたことを明らかにした。東西冷戦を背景に米軍が極東ソ連軍に関する帰還者情報を . . . 本文を読む
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語り継ぐ夏:09京都/1 被爆体験を語り続ける米澤鉄志さん /京都

2009年08月14日 | スクラップ
   今年も夏が巡ってきた。終戦から64年、戦争体験者は確実に減りつつある。「記憶をとどめねば」。若手記者がそんな思いで、府内の体験者の話に耳を傾けた。■悲惨さ訴え40年「戦争は絶対にいけない」--米澤鉄志さん(74)=宇治市  「爆心地から750メートル。路面電車に乗っていた私が生き残れたのは奇跡でした」  今月3日、中京区の同心児童館。小学生約70人を前に、広島市の原爆 . . . 本文を読む
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満州移民:「戦後も過酷な開拓」 神大教授が調査--あさって終戦の日 /神奈川

2009年08月14日 | スクラップ
 若い人、悲惨さ知って  命からがら帰国した満蒙開拓団員たちは、戦後どのように暮らしたか。64回目の「終戦の日」を前に、「満州移民の戦後史」を研究する森武麿神奈川大教授(63)は「戦前も戦後も過酷な開拓に追われた」と指摘する。  旧満州(現中国東北部)などに入植した開拓団は約27万人で、終戦前後の混乱で約8万人が犠牲になり、残留孤児も発生した。大陸からの引き揚げ者のうち、約7万5000人が . . . 本文を読む
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靖国神社には行かないよ ―― ある特攻隊員の遺書

2009年08月14日 | スクラップ
  ヒロシマ・ナガサキの日が終わり、今週は「8.15」がやってくる。今年の8月6日には、平和公園にも近い会場で、田母神俊雄元空幕長による「ヒロシマの平和を疑う」という講演が行われた。8月1日のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のなかで、私はこう指摘した。「田母神氏は『アメリカの核を国内に持ち込むだけでは効果が薄い。核兵器の発射ボタンを共有する“ニュークリアシェアリング”に踏み込む必要 . . . 本文を読む
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広島原爆の日:きょう 犠牲者の無念、受け継ごう /広島

2009年08月14日 | スクラップ
 5日は広島市を中心に、原爆の犠牲になった人を悼む式典やイベントなどが開かれた。高齢を迎えた被爆者から、被爆体験を受け継ごうとする若者や子どもまで、多くの人が犠牲者の無念を思いながら、この世から核兵器をなくすことを固く誓った。6日は「広島原爆の日」。  ■争い続けた国へ批判の声 原爆症訴訟原告ら中区で集会 原爆症認定集団訴訟の原告や支援者らが全国から集まり、5日に中区で開かれた集会。麻生太郎首相 . . . 本文を読む
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長崎原爆の日:犠牲者悼み、反核訴え ここを最後の被爆地に(その1) /長崎

2009年08月14日 | スクラップ
   64回目の原爆の日を迎えた9日、長崎は鎮魂の祈りに包まれた。長崎市松山町の平和公園で営まれた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、被爆者や遺族、市民、観光客らが平和への誓いを新たにした。市内各所では、早朝から夜遅くまで、さまざまな追悼や反核の行事も行われた。オバマ米大統領の登場で、核兵器廃絶の機運が盛り上がる中、「ナガサキを最後の被爆地に」の声は一段と高まった。■後世に伝える被 . . . 本文を読む
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原爆の日、麻生太郎の「舌の根」

2009年08月13日 | スクラップ
長崎原爆の日:麻生太郎首相あいさつ(全文)  長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の意を捧(ささ)げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞い申し上げます。  六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失 . . . 本文を読む
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被爆の国から:オバマ大統領へのメッセージ/8 「原爆の子」との約束~10止 祖父母の願い胸に

2009年08月13日 | スクラップ
  日本の原子力政策を振り返る森一久さん=東京都港区で、小出洋平撮影  ◆原爆の怖さを知った日本は、平和利用に努めてきました。  核技術を手にする国には品格が求められています。                                     森一久■品格持ち平和利用を  被爆した広島市の少年少女の手記を集めたベストセラー「原爆の子」(岩波書店、1951年)で、何人 . . . 本文を読む
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被爆の国から:オバマ大統領へのメッセージ/4 8月6日に生まれて~7 偏見で凍った心溶け

2009年08月13日 | スクラップ
  ◆家族にも被爆体験を語れずに亡くなった人もいる。  その苦しみや悲しみを思い、原爆投下を反省してください。                                       工藤恵康■軍医・父の無念、後世に  軍服の上に白衣をまとい、軍用犬の背をなでながらほほ笑む若き日の父。06年秋、91歳で亡くなった父の遺品を整理していた医師、工藤恵康(よしみち)さん(61)=京都府城陽 . . . 本文を読む
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被爆の国から:オバマ大統領へのメッセージ/1 「ノーモア核」~3 見つけた「友の写真」

2009年08月13日 | スクラップ
■「ノーモア核」全世界が唱えてほしい 原爆ドーム前にたたずむ新関顕さん=広島市中区で、西村剛撮影  オバマ米大統領は4月のプラハ演説で表明した。「核兵器を使った唯一の核保有国として米国には行動する道義的責任がある」。核廃絶に向けた兆しが見え始めた。64年前の夏、原爆を投下された日本。悲しみを背負い生きた被爆者、あるいはその2、3世たちの思いをオバマ大統領に届けたい。被爆の国から、 . . . 本文を読む
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