まず、「自己愛」と「自信」はどう違うのだろうか?
好きと信じるは違う。
恋人同士、相手をいくら好きでも、いまいち相手を信じられない事が当然あるように、また、いくら自分を好きでも自分を信じていない人もいる。
好きって気持ちと、信じるという気持ちはまるで違う。好きと信じるってのは、本来は別々でイコールの関係ではない。
好きという気持ちはかなり感情的なもの。
だけど、信じるという気持ちはだいぶ理性的なもの。
相手を愛してさえいれば、自動的に相手を信じられるワケではもちろんない。愛しているから信じたいと願っているだけなのだと思う。
好きと信じるはまったく別の気持ちだ。
例えば、あなたが SMAP の木村拓哉の大ファンだと仮定する。
キムタクの事が死ぬほど好きなのだ!
三度の飯よりキムタクが好きなそんなあなた。
ある日突然、道を歩いていたらキムタクがむこうからスタスタやってきて、あなたの手をにぎり
「アイラブユー」
とささやくように愛の告白した。そうされたなら、あなたはそれをにわかに信じられるだろうか?
いや、この例はあんま良くない。
そりゃ、そう言われたら疑うもなにも、まずその告白を信じたいよな。
なら、キムタクに突然、
「俺、本当は M78 星雲から来たウルトラの国の住人なんだよ!」
とカミングアウトされたらどうだろうか?
たとえ、それが真実であったとしてもあなたは思わずこう言ってしまうはずだ。
「えっ、ウソ!」
とかたぶん、絶対にそんなような疑いの言葉を大好きなキムタクに向かってあなたが言うはずだと俺は確信する。
「わたしも本当はバルタン星人なの!」
とかなんとかすぐに切り返せる女性や、本当にバルタン星人の女性などは絶対にいないと思われる。
これ、すなわち、やはり、どんなに好きでも、全く妄信的に信じているのでは無いという事であろう。好きだから信じたいだけなのだ。
好きになるだけならストーカーにだって出来る。
下手するとスニーカーだって人を好きになる。
だが、相手を信じる気持ちは、相手との信頼関係の積み重ねによってのみしか成りたたない。
てか、なんて言うか、我ながらひどく強引な例え話だったなと思うが、だいたい、「好き」と「信じる」は別々の気持ちだなんてことは、例え話にして持ち出すまでもなく冷静に考えれば誰にでも分かるごく当たり前のことで、当たり前の事をなにムキになってキムタクまで持ち出して解説してるんだよとお思いの方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに俺の誕生日はキムタクと同じ11月13日であります。
俺は何が言いたいのだろう?
ようするに、自己愛と自信は違うモノだよってことです。
自己愛は、自分大好きって気持ちです。
かなり動物的な本能みたいなもんで、生まれながらにして身につけているものだと思います。
それに比べて、自信は自分で自分の行動を信じることが出来る気持ち。
これは、かなり理性的なものです。
自信は社会生活の中でコツコツと身につけていくもので、最初から自信満々の子供なんかどこにもいません。
自分の頭で考えてした行動が成功するという経験を何度も何度も積み重ねて、子供は自信をもって生きられるようになるのです。
とりあえずそんなん。
好きと信じるは違う。
恋人同士、相手をいくら好きでも、いまいち相手を信じられない事が当然あるように、また、いくら自分を好きでも自分を信じていない人もいる。
好きって気持ちと、信じるという気持ちはまるで違う。好きと信じるってのは、本来は別々でイコールの関係ではない。
好きという気持ちはかなり感情的なもの。
だけど、信じるという気持ちはだいぶ理性的なもの。
相手を愛してさえいれば、自動的に相手を信じられるワケではもちろんない。愛しているから信じたいと願っているだけなのだと思う。
好きと信じるはまったく別の気持ちだ。
例えば、あなたが SMAP の木村拓哉の大ファンだと仮定する。
キムタクの事が死ぬほど好きなのだ!
三度の飯よりキムタクが好きなそんなあなた。
ある日突然、道を歩いていたらキムタクがむこうからスタスタやってきて、あなたの手をにぎり
「アイラブユー」
とささやくように愛の告白した。そうされたなら、あなたはそれをにわかに信じられるだろうか?
いや、この例はあんま良くない。
そりゃ、そう言われたら疑うもなにも、まずその告白を信じたいよな。
なら、キムタクに突然、
「俺、本当は M78 星雲から来たウルトラの国の住人なんだよ!」
とカミングアウトされたらどうだろうか?
たとえ、それが真実であったとしてもあなたは思わずこう言ってしまうはずだ。
「えっ、ウソ!」
とかたぶん、絶対にそんなような疑いの言葉を大好きなキムタクに向かってあなたが言うはずだと俺は確信する。
「わたしも本当はバルタン星人なの!」
とかなんとかすぐに切り返せる女性や、本当にバルタン星人の女性などは絶対にいないと思われる。
これ、すなわち、やはり、どんなに好きでも、全く妄信的に信じているのでは無いという事であろう。好きだから信じたいだけなのだ。
好きになるだけならストーカーにだって出来る。
下手するとスニーカーだって人を好きになる。
だが、相手を信じる気持ちは、相手との信頼関係の積み重ねによってのみしか成りたたない。
てか、なんて言うか、我ながらひどく強引な例え話だったなと思うが、だいたい、「好き」と「信じる」は別々の気持ちだなんてことは、例え話にして持ち出すまでもなく冷静に考えれば誰にでも分かるごく当たり前のことで、当たり前の事をなにムキになってキムタクまで持ち出して解説してるんだよとお思いの方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに俺の誕生日はキムタクと同じ11月13日であります。
俺は何が言いたいのだろう?
ようするに、自己愛と自信は違うモノだよってことです。
自己愛は、自分大好きって気持ちです。
かなり動物的な本能みたいなもんで、生まれながらにして身につけているものだと思います。
それに比べて、自信は自分で自分の行動を信じることが出来る気持ち。
これは、かなり理性的なものです。
自信は社会生活の中でコツコツと身につけていくもので、最初から自信満々の子供なんかどこにもいません。
自分の頭で考えてした行動が成功するという経験を何度も何度も積み重ねて、子供は自信をもって生きられるようになるのです。
とりあえずそんなん。
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