ヌードから人物を書きはじめるという手法は、絵を描かない人には関係ないだろうけど、これがわりとオーソドックスで、今でもブルドック・ウスターソースみたいな手法であり、最近のマジプロでもその手法を採用している人は多いと思う。
ようするになんだけど。
はだかの人の絵を描いてから、そのはだかの人の絵に、服の絵を描いて着せていくということである。
この手法は昔からあるのだけれども、それを書物として完成させた、ルーミスさんの著書による影響は、現在のイラストレーターや漫画家にもわりとまだある。
だが、それは、はだかの人物の下書きをわざわざかくのは、絵描きとしての正しいデッサンを見極める為の手段であり、調子に乗って陰毛や乳首に臍まで描き込むのは時間の無駄であるし、全くの趣味にすぎない。
裸婦を描きたいんでなくて、コスチュームを着た人物の下書きにすぎないのだ。
その事を理解しないで着衣の人物を描くのに、ヌードをこりすぎるのは時間の無駄である。
ようするになんだけど。
はだかの人の絵を描いてから、そのはだかの人の絵に、服の絵を描いて着せていくということである。
この手法は昔からあるのだけれども、それを書物として完成させた、ルーミスさんの著書による影響は、現在のイラストレーターや漫画家にもわりとまだある。
だが、それは、はだかの人物の下書きをわざわざかくのは、絵描きとしての正しいデッサンを見極める為の手段であり、調子に乗って陰毛や乳首に臍まで描き込むのは時間の無駄であるし、全くの趣味にすぎない。
裸婦を描きたいんでなくて、コスチュームを着た人物の下書きにすぎないのだ。
その事を理解しないで着衣の人物を描くのに、ヌードをこりすぎるのは時間の無駄である。
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