墨汁日記

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虚栄心と自信

2007-11-21 20:05:33 | 駄目
<お詫び>

 この先の記事には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
 申し訳ありません、誠に勝手ではありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。
 死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。
 ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
 亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。

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 日本人がプライドと言うのと、本来の意味でのプライドでは、もはや、ぜんぜん別物となっている。

 良く、
「あの人はプライドが高い」とか言う。
 それは、古い人が言うところの、
「あの人は気位が高い」
 と同じ意味だろう。
 良い意味ではない。

「己のプライドに賭けて戦う!」
 の時のプライドの意味は、自身の尊厳とか価値のこと。
「自分の首にかけて」
 と、だいたい同じ意味だ。

 だいたい、日本人は適当だから、生活感覚や言語感覚を変えないでいながらも、新しい言葉で古い言い方を言い換えちまう。
 なんでかってっと、そうすると、かっこいいからってだけの理由だ。
 もちろん、かっこいいだけで、適当だから、本質はぜんぜんない。
 好きに言い換えているだけで、言い換える前の和語に直せば、誰でも、たいていなーんだとなる。

 プライドは、使われ方しだいで、気位と首の意味を表す。

 気位と首はぜんぜん別物だ。

 気位は、その人が、そう扱われたいという望み。煩悩である。

 首は、自信。
 自身の命そのもの。
 自分の生きている可能性を信じる心。

 で、宅間守は、気位(虚栄心)が高いだけで、まったく自信がないチンピラだったと思う。最期にやっと命をかけたが、自分の可能性はまるで最期まで信じていなかった。だから、平気で死刑になることを選んだ。
 自分を信じない者に、自信はない。


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