goo blog サービス終了のお知らせ 

墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 弟二百三十段

2006-02-25 21:14:26 | 徒然草

 五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。
 未練の狐、化け損じけるにこそ。

<口語訳>
 五条の内裏には、妖物(ばけもの)いた。藤大納言殿語られましたは、殿上人ども、黒戸で碁を打ってたら、御簾をかかげて見るものある。「誰ぞ」と見向いたらば、狐、人のようについ居て、さし覗いてるのを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑い逃げた。
 未(熟)練の狐、化け損じたからこそ。

<意訳>
 藤の大納言様が語られますには、かって五条の内裏には妖怪がいたそうだ。
 夜に黒戸で殿上人たちが碁を打っていると、御簾をかかげて覗いているものがいる。
 「誰ぞ?」
 と見向けば、狐が人のように突っ立って覗いていた。
 「あれ狐よ!」
 と、みな叫んで逃げだした。

 未熟な狐が、化け損じたらしい。

<感想>
 背筋を伸ばし2本足で直立する千葉市動物公園のレッサーパンダ「風太君」。
 ほどには狐は直立出来ないだろうから、犬がチンするかんじで立っていたのだろう。

 例えるなら、深夜に仲間が集まって徹夜で麻雀していたら、ふすまのカゲから誰かが覗いている気配がする。
 「誰だ?」と振り向いたら、狐。
 そしてそれは狐が人に化けそこなったものであるらしい。

原作 兼好法師   


徒然草 弟二百二十九段

2006-02-24 20:13:38 | 徒然草

 よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観が刀はいたく立たず。

<口語訳>
 よき細工師は、少し鈍い刀を使うと言う。妙観の刀はひどく立たない。

<意訳>
 良い細工には、少し鈍い刃物を使う。妙観の小刀はまるで切れない。

<感想>
 当時の「細工」には3つの意味があった。

 ひとつは、細かい手仕事のこと。
 ふたつは、細かい手仕事の末に出来上がった完成品。
 みっつは、細かい手仕事をする職人の事。

 みっつめの意味は、岡本太郎である。グラスの底に顔なのだ。
 「『大工』がいるなら『小工』がいたっていいじゃないか!」
 そのとおりではあるが、だが「小工」はいない。
 「細工」と呼ばれた職人さん達はいた。
 次第に、「細工」職人のような細かい仕事や、「細工」職人の造った作品なども「細工」と呼ばれるようになったらしい。

 今回の訳では、
 <口語訳>では、「細工職人」として。
 <意訳>では、現代風の意味の「細工」で訳してみた。

 次に「妙観」とは何者だろう。
 テキストを引用させていただく。

○ 妙観 未詳。『元亨釈書』二十八に、摂津の勝尾寺の観音・四天王の像を刻んだ人として見える人をさすかという(『野槌』)。ただし、彼は奈良時代の人で、あまりにも古く、『類纂評釈』のいうように兼好の時代の同名異人の名工かと思われる。なお、彼のような仏師を「細工」と呼ぶ例は知られないが、「妙観」の名からすると、指物師より仏師らしい。』徒然草(四) 全訳注 三木紀人

 ようするに、妙観は現在では誰だか特定できない。
 兼好法師に直接に生ダイレクトにでも聞かなきゃ「妙観」は誰だかわからない。

 俺にただ言える事があるなら、妙観はみょうかんで食べなさい。という、そんな駄洒落ぐらいである。

原作 兼好法師


徒然草 弟二百二十八段

2006-02-23 20:20:44 | 徒然草

 千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを始められけり。

<口語訳>
 千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人、これを始められた。

<意訳>
 千本の釈迦念仏は、文永の頃に如輪上人が始められた。

<感想>
 「千本」は、京都市上京区千本にある「大報恩寺」のこと。
 兼好が良く参拝した寺であるらしい。

 「千本の釈迦念仏」は、「大報恩寺」で2月9日から15日間に行われる行事。お釈迦様の「涅槃」にちなんだ行事で、涅槃とは、簡単にいうと人間のお釈迦様が仏様になられたこと。
 ようするに、亡くなられて仏になったお釈迦様にあやかろうというのが、千本の釈迦念仏の趣旨であるらしい。
 この時に、「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかあむにぶつ)」と唱える。この経の意味は、仏になられたお釈迦様にナマステしちゃいますよという意味。

 なんで、兼好法師がわざわざこんな事を書いたのか、意図は不明。
 たぶん、なんとなく書きたかったのだろう。

原作 兼好法師


徒然草 弟二百二十七段

2006-02-22 19:20:49 | 徒然草

 六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。その後、太秦善観房といふ僧、節博士を定めて、声明になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讃も、同じく、善観房始めたるなり。

<口語訳>
 六時礼讃は、法然上人の弟子、安楽といった僧、経文を集めて作って、勤めにした。その後、太秦の善観房という僧、節博士を定めて、声明になされる。一念の念仏の最初である。後嵯峨院の御代より始まった。法事讃も、同じく、善観房始めたのである。

<意訳>
 六時礼讃は、法然上人の弟子の安楽という僧が経文を集めて作って、お勤めにした。
 その後、太秦の善観房という僧が節や調子を定めて声明にした。一念の念仏の最初である。後嵯峨院の御代より始まった。
 法事讃も、同じく善観房が始めたものである。

<感想>
 この段はテキストによると、注記に「是もみせけし也」と書いてあるそうだ。「みせけし」は、後で削除しよっかなってこと。

原作 兼好法師