前回もお話しましたが…前回のお話はコチラからどうぞ~
春夏秋冬で呼び名の違うお菓子
その秋の呼び名の「おはぎ」のお話が前回でした
で…長くなってしまって収まらなくなった分のお話は
春の呼び名の「ぼたもち」のお話です(笑)
子供の頃に我が家に巣くうていた「梅干バー様」は
多分…当時でも…70歳はゆうに超えた年だったと思うのですが…
私と密接に付き合いのあったのは…
私が小学校の3年生位から中学2年生位まででした
亡くなったのが私が25歳で…バー様は92歳だったので
当時の年齢を計算するって~と…
ほ~っ、やっぱり…梅干バー様だったんだ~(笑)
まぁ~何せズーっと一緒に居ましたね
少しボケをかましていましたが…本当にボケていたのか
テキトーに周りを騙していたのか解らないバー様でした
晩年90歳を過ぎた頃に本当にボケてましたから…
あれをボケと言うのであれば…私と付き合って遊んでいた頃は
騙しボケっとでも言うのでしょうか
本当に、おもろいバー様でした
っと…また思い出に耽ると話が長くなるので
ここいら辺で「ぼたもち」の話へ行きましょうか~(笑)
色々な食べ物の作り方を教わりましたが…
まず…教わってからこの方、一度も作っていないのがこの「ぼたもち」です
梅干バー様の作り方は小豆を前の晩に浸すところから始まるので
現在、時間に追われ家族の人数も少ない我が家では
いや~勘弁してくださいよ~の部類に入っています(笑)
少子化やら核家族やらが取りざたされている昨今ですが
こういう食べ物に関しても古き良き作り方が廃れて行くのが
少し悲しいような~寂しいような~気がします
小学校の高学年だった、ある日
その日は朝から大忙しでした~
小豆を煮て、ご飯を炊いて、もち米も炊いて
台所を占拠しての梅干バー様の奮闘が続いていました
大鍋でグツグツと音をたて、覗き込むと何故か爆ぜる小豆を
焦がさないように見張る役が、この日の私の役どころでした
思いのほか大量の砂糖が投入され
小豆のアリ地獄に沈んでゆく白い生き物が、何だか哀れを誘うようで
大きなヘラで突付いては見とれていました
そこへ梅干バー様より「ナニ、遊んどるんじゃ~!」との喝が入り
私は米と餅米を半々に炊いたモノを
すりこ木で叩いて潰す役目に変換されました~
「潰し過ぎるなよ」っとクギを指され
結構、力仕事だな~っと思いながらもドシャドシャっと叩いておりました
材料が揃うと「さらし」を使って形にして行きます
熱くて旨く作れない私を尻目に梅干バー様の分厚い手は
本当は「さらし」なんかいらんだろうっと思う程に
手早く「ぼたもち」をこさえて行きました~
さて、完成した「ぼたもち」を私が美味そうに食べていると…
私の父親がヒョッコリと顔を覗かせました
バー様がそれに気付いて「ほれ、食え」っと
「ぼたもち」を差し出しても「いらん」っと言います。
あれ~?「ぼたもち」好きなのに変じゃの~?っと見ていますと
父が私に向かって小さく手招きをします
「何じゃ~?」っと思い、父の手招きに「ぼたもち」を頬張りながら応じますと
廊下の窓より外を見ながら父が言いました。
父「美味いか?」
私「うん。」
父「お前に注意しておきたい事がある…」
私「んっ?」
父「少し前にも…バーさんは牡丹餅を作ったんだ」
私「うん。」
父「その時、甥っ子の○○がウ○コをオムツからこぼして…」
私「………。」
父「バーさんは…あれ、こんな所に牡丹餅がっと言って…」
私「」
父「そいつを牡丹餅の入った重箱に入れやがった…」
(私の…口をモグモグさせる動作が止まりました)
父「バーさんは…ボケてるぞ
ここんところ見ていたが…トイレから出て来ても
手を洗ってない!」
(口の中の牡丹餅を飲み込む私…)
父「だから…オレはそれ以来、バーさんの作る牡丹餅は食ってない」
私「でも…今日は私が見てたけど…ウ○コは入ってないよ」
父「あの…気持ち悪さは…見たモノでなきゃ解らん
バーさんの作ったモノを食う時は注意して食べなさい」
っと言いながら去って行く父。。。
梅干バー様の元へ戻った私は…
一部始終をバー様に話し真実かどうか聞いてみました
「あ~あった、あった。
そんな事もあったね~あの時は皆に怒られた~ハハハハ」
や・やっぱり…事実だったんだ~
んでついでに…トイレに行って手を洗っているかどうかも聞いてみた…
「何も汚いモンなんて触ってないんだよ~洗う必要なんかないっしょや~」
あ・洗ってないんだ~
「お前も、もう大きいんだから牡丹餅とウ○コの違いくらい
見たら解るっしょ、ホレ、良く見て食え」
その後…他の家族が見向きもしない牡丹餅を
頑張って食べつくした私なのでした~
まだまだ…世間には…大腸菌がウヨウヨしていた時代のお話です
春夏秋冬で呼び名の違うお菓子
その秋の呼び名の「おはぎ」のお話が前回でした
で…長くなってしまって収まらなくなった分のお話は
春の呼び名の「ぼたもち」のお話です(笑)
子供の頃に我が家に巣くうていた「梅干バー様」は
多分…当時でも…70歳はゆうに超えた年だったと思うのですが…
私と密接に付き合いのあったのは…
私が小学校の3年生位から中学2年生位まででした
亡くなったのが私が25歳で…バー様は92歳だったので
当時の年齢を計算するって~と…
ほ~っ、やっぱり…梅干バー様だったんだ~(笑)
まぁ~何せズーっと一緒に居ましたね
少しボケをかましていましたが…本当にボケていたのか
テキトーに周りを騙していたのか解らないバー様でした
晩年90歳を過ぎた頃に本当にボケてましたから…
あれをボケと言うのであれば…私と付き合って遊んでいた頃は
騙しボケっとでも言うのでしょうか
本当に、おもろいバー様でした
っと…また思い出に耽ると話が長くなるので
ここいら辺で「ぼたもち」の話へ行きましょうか~(笑)
色々な食べ物の作り方を教わりましたが…
まず…教わってからこの方、一度も作っていないのがこの「ぼたもち」です
梅干バー様の作り方は小豆を前の晩に浸すところから始まるので
現在、時間に追われ家族の人数も少ない我が家では
いや~勘弁してくださいよ~の部類に入っています(笑)
少子化やら核家族やらが取りざたされている昨今ですが
こういう食べ物に関しても古き良き作り方が廃れて行くのが
少し悲しいような~寂しいような~気がします
小学校の高学年だった、ある日
その日は朝から大忙しでした~
小豆を煮て、ご飯を炊いて、もち米も炊いて
台所を占拠しての梅干バー様の奮闘が続いていました
大鍋でグツグツと音をたて、覗き込むと何故か爆ぜる小豆を
焦がさないように見張る役が、この日の私の役どころでした
思いのほか大量の砂糖が投入され
小豆のアリ地獄に沈んでゆく白い生き物が、何だか哀れを誘うようで
大きなヘラで突付いては見とれていました
そこへ梅干バー様より「ナニ、遊んどるんじゃ~!」との喝が入り
私は米と餅米を半々に炊いたモノを
すりこ木で叩いて潰す役目に変換されました~
「潰し過ぎるなよ」っとクギを指され
結構、力仕事だな~っと思いながらもドシャドシャっと叩いておりました
材料が揃うと「さらし」を使って形にして行きます
熱くて旨く作れない私を尻目に梅干バー様の分厚い手は
本当は「さらし」なんかいらんだろうっと思う程に
手早く「ぼたもち」をこさえて行きました~
さて、完成した「ぼたもち」を私が美味そうに食べていると…
私の父親がヒョッコリと顔を覗かせました
バー様がそれに気付いて「ほれ、食え」っと
「ぼたもち」を差し出しても「いらん」っと言います。
あれ~?「ぼたもち」好きなのに変じゃの~?っと見ていますと
父が私に向かって小さく手招きをします
「何じゃ~?」っと思い、父の手招きに「ぼたもち」を頬張りながら応じますと
廊下の窓より外を見ながら父が言いました。
父「美味いか?」
私「うん。」
父「お前に注意しておきたい事がある…」
私「んっ?」
父「少し前にも…バーさんは牡丹餅を作ったんだ」
私「うん。」
父「その時、甥っ子の○○がウ○コをオムツからこぼして…」
私「………。」
父「バーさんは…あれ、こんな所に牡丹餅がっと言って…」
私「」
父「そいつを牡丹餅の入った重箱に入れやがった…」
(私の…口をモグモグさせる動作が止まりました)
父「バーさんは…ボケてるぞ
ここんところ見ていたが…トイレから出て来ても
手を洗ってない!」
(口の中の牡丹餅を飲み込む私…)
父「だから…オレはそれ以来、バーさんの作る牡丹餅は食ってない」
私「でも…今日は私が見てたけど…ウ○コは入ってないよ」
父「あの…気持ち悪さは…見たモノでなきゃ解らん
バーさんの作ったモノを食う時は注意して食べなさい」
っと言いながら去って行く父。。。
梅干バー様の元へ戻った私は…
一部始終をバー様に話し真実かどうか聞いてみました
「あ~あった、あった。
そんな事もあったね~あの時は皆に怒られた~ハハハハ」
や・やっぱり…事実だったんだ~
んでついでに…トイレに行って手を洗っているかどうかも聞いてみた…
「何も汚いモンなんて触ってないんだよ~洗う必要なんかないっしょや~」
あ・洗ってないんだ~
「お前も、もう大きいんだから牡丹餅とウ○コの違いくらい
見たら解るっしょ、ホレ、良く見て食え」
その後…他の家族が見向きもしない牡丹餅を
頑張って食べつくした私なのでした~
まだまだ…世間には…大腸菌がウヨウヨしていた時代のお話です