日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

新しい日々を開くのは

2006-04-21 22:24:49 | 日常
新しい日々を開くのは自分。

そう思いたい。

なんだかさ、毎日ため息ついちゃうんだけどさ、

朝日はまぶしくて、青空はとてもキレイで。

毎日は走り去っていくんだけど、何か感じるものがあって、

でもうまく表現できなくて、時々涙が頬を伝って。

『我思う、ゆえに我あり』

デカルトさんはそう言ってるわけさ。

世界の全ての存在を疑ったとしても、

そう思ってる自分がそこに存在しているというのは事実なわけさ。

過去を振り返ると、あなたにもいろんなことがあったことでしょう。

混沌とした心で、悩んで、苦しんで、悲しんで、それらは底が見えなくて。

でもそんな中で感じる喜びやうれしさはなんとキレイなことだろう。

そのキレイなものが、そっとあなたを支えているんだろう。

新しい日々を切り開くのは自分。

そこにいる自分なんだ。

だから、そこにいてもいいんだよ。



と、誰となく、訴えてみる。(自分にか!?)

悲しみは優しさへ

2006-04-21 03:24:21 | 日常
チョコバナナパフェを食べて、おなかがいっぱい過ぎて、消化するまでもうちょっと起きてようと思って書いてます。





悲しさって、いつ消えるのかな?

こんな夜にふと思ってしまったわけよ。

もちろん、悲しいことは過去になっていっているんだけど。

もうすぐ妻が亡くなって2年が経つわけです。

まだ悲しいというか、寂しいというか、ココロにポッカリ穴が開いてるような。

淡々と過ごしてきたようにも思えるし、とっても必死だったようにも思える。

でもココロがわずかに変わりつつある。と思う。

ほんのわずか、前向きになってきてるのかな。

今の私にとって、関わっている人全員が全てだったりするわけさ。

世界に何人いるのかわからないけど、私と関わっている人全員が。

その人たちのおかげで、前向きになってきてるんだと思う。

私は悲しみを乗り越えるものだと思っていたんだけど、

悲しみが優しさに変わってきているような気がする。

確かに失ったものは多くて大きい。

そしてそれから得たものも多くて大きい。

人のココロってさ、鏡とかで映せないから、

一体どうなってんのかわからないけど、

きっとわずかに優しい色になってるんだろうな。

なぜか浮かんでくるのは笑顔の妻。

もう過去じゃなくて、今と未来を見ていけってことかな。

よく妻の友人らと会う機会がある。(今となっては私の友人でもある。)

妻の友人らは、私と会う度に妻のことを思い出してくれるんじゃないかなと思っている。

それだけでも充分うれしいと思う。

妻の分も背負って生きてるのかな。

妻は私の幸せを願っているのかな。

いろんなことを考える。

綴ってる詩も、ちょっとずつ変わってきている。

今でも言葉は難しいんだけどさ。





あーやっぱり難しい!

気持ちを文章にするのって。

もう眠いから寝る!(ふて寝)