goo blog サービス終了のお知らせ 

日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

6月25日 命日

2011-06-26 02:46:47 | 命日
6月25日。

命日。

7年が経った。

7年か。

何があったかな。

長いような、短いような。

初めは、くよくよしてたが、ここ数年はそうでもないな。

今日は大学友人らがお墓参りに来てくれた。

午前に大学サークルのメンバー。

午後に大学学部の友人たち。

先日14日にも大学学部の友人たち来てくれた。

ただ、ただ、ありがたい。

感謝。

午後の友人はたばこに火をつけてくれた。

お線香の煙といっしょに昇っていった。



「亡くなった者が望むのは、遺された者の幸せ」

だと、どっかで聞いた。

だから、背中押してくれよな。

守りたい人がいるんだ。



まだまだ続く、我が人生。

受けた恩に報いるのが、人の道ってもんだろ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 命日

2010-06-25 22:18:46 | 命日
6年。

6年経った。

お墓参りに行ってきました。

手を合わせて、帰宅。

自宅の仏壇にも手を合わせました。

6年。

長いような。短いような。

もう31だぜ。

風邪ひいてるけど、元気でやってら。

何を想うか。

故人の冥福を祈るだけだ。

まだそっちには行けないから、見守っててくれ。

まだまだ続く、我が人生。

受けた恩に報いるのが、人の道ってもんだろ?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 命日

2009-06-25 22:20:50 | 命日
6月25日。

命日。

5年。

5年が経った。

今日は、髪を切って、お墓参りに行ってきました。

ここに来られない人の分まで、お線香に火をつけて、手を合わせてきました。

5年だってよ。

毎年思うんだが、俺はこの5年間で、どうなったか。

成長してるのか。

ただ歳を取っているのか。

5年か。

長いような、短いような。

25(歳)で、あいつはこの世を去った。

俺は30になった。

ま~だ生きってから、あの世とやらで見ててくれよ。



孤独に歩め 悪を成さす 求めるところは少なく 林の中の象のように



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 妻の命日

2008-06-25 22:21:13 | 命日
妻の命日。

素麺とスイカ。

を仏壇に供えました。

4年か。

4年って長いよね。

4年もあれば、環境も変わる。

俺は、この4年で、どう変わったかな。

目を閉じても、たいしたことは浮かんでこねえ。

俺はこの4年間、何をしてきたのか。

たいしたことはしてきてねえ。

だが、歳は重ねてる。

やらなきゃならんことも増えてきてる。

どっかで見ててくれてんのかな。

毎日こんな風に過ごしている俺を。

どんな想いで、見てくれてんのかな。

毎日大変だけど、なんとか生きてるよ。

忘れねばこそ、思い出さず候。

時間は1秒1秒過ぎていく。

限られた時間の中を、どうやって生きていくのか。

人生を完遂する。

俺に出来るのは、それぐらいだ。

だから、見守っててくれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 命日

2007-06-25 19:15:16 | 命日
6月25日 命日



仕事から帰ってきてから、花壇のグラジオラスを切り花にして、お墓参りに行って来ました。

墓苑に到着して、まずはお花の水を換えて、来られない人の分まで、たくさんのお線香に火をつけて、静かにお墓の前に座る。

墓石を見つめながら、

「3年経ったのか」

と思った。

「もう」なのか、「まだ」なのか、3年経ったのだ。

お線香の煙の舞う中で、目を閉じて、手を合わせる。

昨日に引き続き、近況の報告、あれから3年経ったこと、

亡くなった人に言うのも変だけど、「元気でやってるか?」などなど・・・。

長い時間、目を閉じて、手を合わせていた。

浮かんでくるものをすべて語りかけた。



3年か・・・。

お前から見て、今の俺はどう見える?

俺はあれから成長したか?

どう見えるかわからないけど、なんとか元気でやってるよ。



3年前のことを思い出す。

医師からあいつが亡くなったと告げられたとき、

ベッドに横たわるあいつの頬にそっと手を寄せた。

ただ、ただ、冷たかった。

言葉でなく、心で理解した。

冷たさがただ残酷だった。

病院で泣き叫び崩れ、拳を何度も床に叩きつけた。

痛みは現実だった。



結婚して3ヶ月後の出来事だった。

人がひとりいなくなっても、世界は動き続ける。

ただ私の認識は変わった。

あいつがいない世の中を生きなければならなくなった。

あいつが亡くなったことで、ひたすら自分を責めた。

まだ何かやれることがあったんじゃないか?

俺が医師や看護師だったら救えたんじゃないか?

あの時、こうしてればよかったんじゃないか?

まだ何かできたじゃないのか?

・・・

やがて鬱になった。

生きることにもう疲れてしまったのだ。

何もかもどうでもいいと。



あれから3年。

まだ生きてる。

なんとか。

あいつの命は終わってしまったけど、

おれが生きていれば、みんなはあいつを思い出すことだろう。

とか思ってる。

今の自分が成長したかどうかはわからないけど、

日々、なんとか生きているわ。



たばこを墓前に添えたいけど、俺、たばこ吸えないんだ、これが。

火のつけ方もわからん。

すまねえが、お線香で我慢してくれ。



帰り間際、墓石に右手をそっとおいてみた。

少しひんやりした。

「また来るよ」

と言いながらも、またしばらくそのままだった。

少しでも近づきたかったのかなぁ。

「また来るよ」

と二回目言って、帰ってきました。



3年か・・・。

何年経っても、

また来るよ。



だから、生きている俺を見ていてくれ。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日 命日

2006-06-25 22:02:36 | 命日
11時00分。友人ら(おとといの二人)と待ち合わせ。

妻の命日ということで、お墓参りに来て頂きました。

車に乗って、途中でお花とタバコを買い、お墓へ。

行くと、うちのお墓の斜め向かいのお墓の方の納骨式なのか、喪服を着たご家族とお坊さんがいて、どうもそれが終わらないとお墓参りができなそうだった。

いったん車に戻り、5~10分ほど待っていたのだけど、まだまだ終わらない様子だったので、先にお昼ご飯を食べに華屋与兵衛へ。

お昼を済ませて、再びお墓へ。

先ほどの団体さんはすでに居らず、お墓参りの準備。

購入した花を花瓶へ挿し、来られない人の分までのお線香2~30本に火をつけ、

そして、タバコにも火をつけ、供える。

そして三人で手を合わせて、お参り。

暗闇の中で、いろいろ語りかける。

「友人がお墓参りに来てくれたよ。」

「みんなあれから2年経ったよ。」

「サークルのみんなも結婚して、子どもが生まれた友人もいるよ。」

「来月も地元の友人らがみんなでお墓参りに来てくれるよ。」

「僕はまだここに生きているよ・・・。」

その他いろいろ。

ひまわりが見事に咲いていたよ。

あ、写真持ってくの忘れたな。^^;

友人らも、手を合わせる時間が長かったようで、いろいろ語りかけてくれたんだろう。

ありがたい。

今日で丸二年が経つ。

二年前の今日は、悲しみでいっぱいだった。

苦しみで心が壊れそうだった。

この世が、妻がいない世界が絶望だと感じた。



やがて時は流れて・・・

現在。

なんとかまだ生きてる。

皆は私がいることで、妻を思い出してくれるに違いない。

何年経っても。



三回忌も終わり、心もわずかに安らかになり、こうやってまだ生きていくんだろう。

生きているものには、生きているものの役割がある。

受け継いだものを、次へ、誰かへ、伝えていかなくてはならない。

私はこうやって、今日も生きていく。



6月25日 命日

                            ゆう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月25日0時07分

2005-06-25 01:21:43 | 命日
6月25日0時07分、妻が亡くなって一年が経ちました。
時間に合わせて、仏壇に手を合わせました。
長くて早かったような気がする。
この一年、いろいろ考えた。
今もまだまだ考えてる。
前述したけど、
今の自分は、まるでおじいちゃんだ。
静かに余生を過ごすかのように毎日を送ってる。
友人曰く、おじいちゃんは、

友人:「お茶とお茶菓子と盆栽とゲートボール。それから健康ランド。」

らしい(笑)

私:「そこにビールはないのかい?(笑)」

と聞くと

友人:「もちろん、風呂上がりにビールと枝豆。」

と返事が来た。
そんな何気ない会話の中から、
いつなんどきも、楽しみを忘れるなということだと勝手に受け取った。(笑)
そしてその時、僕は少しだけ笑った。
妻の大学の友人(今となっては私の友人)たちは、明日みんなでお墓参りに来てくれる。
ありがとう。

あの頃と変わらず、ふたりでお待ちしてます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする