意志のなかにいる

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Programming for fiction(アニメ感想)

2009-08-07 22:38:48 | アニメ感想(07・08・09年)


ティアーズ・トゥ・ティアラ
第18話 帰還 △



ここにきて大して気にもしてなかったことの
ネタばらし、アルサルを「小さな王」に
するためのデキレースだったんだと。

ま、とは言っても「ゲーム」の性質上
「大きな王」にはどうひっくり返っても
なれないのよねえ、KOEIのゲームじゃないし
小さな王を作るための小ぢんまりとした
おはなしってとこで、目指していたのは
もうちょっとスケールの大きいおはなし
だろうけどさ。







うみねこのなく頃に 
episodeⅡ-Ⅰ middle game △



「記号殺し」も飽きてきたので
ちょっとキャラクターに血肉づけ
そして多分ヒントとミスリードのバラ撒き


ところで「今回」のおはなしのくだり
うんぬんは例の大量殺人事件前のステータス
して共通の地盤のものなのかはたまた
個別にそれが存在してるのか
記憶をハッキリ保持している人とちょっとだけ
それを持っている人がえんえんとループ
してるって設定はちょっと食傷気味だけどなあ







涼宮ハルヒの憂鬱 第19話
「エンドレスエイト」 △+



∞→8→エンド



「宿題」ってのが「課せられたもの」と
認識していなかった人にとって「娯楽」で
あったということは否定すまい
「すすんでやる」か「いやいややるか」が
問題だったわけで


「アニメーション」っていう
「いちれんの流れ」が強力な媒介において
「あえて」おんなじ話のスジを8回やってみせた
わけで、大概の人達にとっては「退屈」では
あったろうとは想像に難くない、では
「そうではない」少数の人達ってのはどんなのか
よっぽど京アニに心酔してるとか、アニメの話の
スジよりも個々の演出に注目してるとか
長門がでてれば細かいことはどうでもいいとか

あるいは、これは逆転的に「送り手側」の
為のおはなし、ともいえなくはない
簡単な意味なら反面教師的な側面
勘ぐるなら「こんぐらいやってもいいのか」
というドン・キホーテ的な勇気づけ
そう考えるのなら「受け手側」が何かを
「強いられている」と感じるのも正当ではある
そしてそうした「損な役回り」をキョウトさんが
自覚的に引き受けたのだとしたら
それは単なる「娯楽提供装置」であることに
対する青々しい異議なのかもしれない。




コメント (1)
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