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節電でしょうか、いいえ、灯火管制でした。

2011年05月18日 | 少し昔のお話
夜間の爆撃で狙われないように、家の明かりは外に漏れないよう真っ暗にした。
戦争も末期に各地で敵の爆撃が激しくなり、夜間の灯火が外に漏れないように灯火管制が行われた。
窓には黒いカーテンか黒い布をはり、電燈の笠も真下だけ照らすように筒型のものを用いた。薄暗い中で生活をした。
田舎でも白い土蔵の壁は真っ黒に塗られた。
しかし、実際の爆撃には全く役に立たなかった。
爆撃には、まるで大きなランプを吊るしたように、
照明弾が落下傘につるされあたり一面真昼のように明るくされた。
工場であろうと、何であろうと眼下の建物の所在は隠しようもない。

田舎も、爆撃は受けなかったが、戦後しばらく伝統の白壁は黒く塗られたままだった。


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2 コメント

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物量が圧倒的に違います。短期間で終戦にする予定... (kazuyoo60)
2011-05-18 17:46:26
物量が圧倒的に違います。短期間で終戦にする予定だったと聞いた気もしますが、負け戦は初めから分かっていたはずですね。
トップのメンツだけで多くの人命が失われました。
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kazuyoo60さん。 (吉天)
2011-05-18 20:03:12
kazuyoo60さん。
真珠湾攻撃したばっかりに、徹底的にやり返されて敗戦です。
竹やりとか、バケツリレーとか、強制疎開に、今では考えられない方法で戦争していました。
福島原発事故の、対応も後世になれば、何であんな事で、放射能漏れを防いでいたのかと、馬鹿らしくなるでしょう。
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