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非常時の寺子屋

2011年05月17日 | 少し昔のお話
昭和20年の4月、新学期は、防空頭巾(ボウクウズキン)を、かむって近くのお寺で勉強した。
小学校でなく、国民学校と言ったが都会から疎開している子供たちも、一緒にお寺に通った。
ひっきりなしに警戒警報がでる。とても学校まで登校、下校出来ないからだ。
こんな田舎も敵の飛行機の出入り自由だ。
爆撃こそなかったが、近くの飛行場の残り少ない我が軍機は警戒警報がでると飛び立つ。
迎え撃つのでなく、山中に樹や草で覆うた格納庫に隠すためだ。

ある日の早朝、バリバリと大きな音がした。ついに爆撃が始まったかと思った。
国民学校の校庭に、大きな木製の飛行機が先生方の手作りで作ったのが置かれていたのだ。
上空から見つけた艦載機が急降下して機銃掃射を仕掛け、おまけの小型爆弾を見舞って飛び去った。
早朝で誰も巻き添えになる人はいなかった。
ただ校庭のうらにあった田圃に農作業のお爺さんが、あわてて伏せて難を逃れた。
小型爆弾は、理科室をぶっ壊した。運動場のシャワーのコンクリートの厚い壁は、
直径3センチほどの穴が開いて機銃弾のすごさを物語っていた。

それから、お寺での授業もほとんど無く夏休みを迎え、8月の終戦となった。


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2 コメント

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機銃掃射は奈良でもあったそうです。その時お近く... (kazuyoo60)
2011-05-18 09:15:29
機銃掃射は奈良でもあったそうです。その時お近くにはおられなかったのでしょうね。木製の飛行機でも邪魔に見えたのか、からかったのでしょうか。
1兵士の行動まで、それも戦争中ですし、子供や民間人の区別も適当だったのでしょうね。
ベトナムでも、村人とゲリラの区別がつかずに、ずいぶんと殺されたようですから。
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kazuyoo60さん (吉天)
2011-05-18 16:46:34
kazuyoo60さん
米の航空母艦から発進した艦載機は性能がよく攻撃に優れていたのです。機銃掃射も半端じゃないので、民家が狙われたらたまりませんが、学校の木造飛行機を標的にしたのでしょう。朝も早かったので人的被害は幸いなかったのです。
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