3月30日(水)
所沢文化センターミューズで開かれた、アリーナ=イブラギモヴァのソロコンサートに出掛けた。
パニック障害になってから、演奏会に行くのは久しぶりだ。
以前、合唱の演奏会に行き、パニック発作寸前まで具合が悪くなってしまったことがあった。
映画鑑賞はできるのに、どうして音楽鑑賞ができないのか不思議でならないが
客席の明るさとか、見渡す劇場の人の多さとか、演奏前後のざわつき加減とか
きっといろいろな要素が微妙に影響しているのだと思う。
昨年末あたりから、パニック障害の寛解が見られて薬も徐々に減らしていて
日常でも発作の不安感なく過ごせていることで、演奏会も行けるのではないかと希望が湧いた。
会場の所沢文化センター ミューズ マーキーホール。
この日のプログラムは
ビーバー:『ロザリオのソナタ』より パッサカリア ト短調「守護天使」
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV1004
***休憩***
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 二短調op.27-3「バラード」
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
曲の好みはいろいろあるので、バルトークで気が遠くなったことはお許しいただきたいが
ビーバーとバッハ、殊にバッハには涙した。
ライブ収録ではないCDの場合、CDよりライブの方があまりにすごく絶句したのは
イギリスのヴォーカルアンサンブル、ザ=キングス=シンガーズの公演が初めてだったが
(ただし、残念ながら、現メンバーの演奏ではない)
イブラギモヴァもその驚きに匹敵する音を出した。
彼女の出す音色は真っ直ぐで、力強く、表情豊かだ。
高音域になっても、ピアニッシモになっても、あくまで真っ直ぐ、充実した音である。
支えの足りない女声が、無理に高音域を出す時のような苦しさや
技術の乏しさをごまかすために、ビブラートを見せびらかすかのような過度の揺らぎは、そこにはない。
安定した男声バリトンのような、明るい女声アルトのような音色で
その心地よさと言ったら、まるで会場全体がヴァイオリンになってしまったかのようであった。
この素晴らしい演奏会の興奮はしばらく冷めやらず
どのようにブログに書いて良いのかわからなかったくらいだ。
自分の表現力のなさをもどかしく思うが、イブラギモヴァの生演奏をぜひ聴いてみてほしい。
きっとこのお気持ちを、少しは分かっていただけることと思う。
演奏会前に、所沢航空公園内を少々お散歩。
春爛漫といった景色に、大勢の人が花見を楽しんでいた。
オオシマザクラ
オオイヌノフグリ
ヒメオドリコソウ
ずっとホトケノザかと思っていたが、葉が先端に向かって紫色であるのがヒメオドリコソウの特徴。
ホトケノザは、葉が緑色で、花は細長く上に立っているようだ。
皆、思い思いに陣取って、楽しそうにお花見。
園内をぐるりと回ってみたが、子供広場には、溢れかえるほどの子供がいて
これでは遊具で遊べないのではないかと思うほど、ごった返していた。
ソメイヨシノ
コブシ
コンロンツバキ
ボケ
所沢は、1911(明治44)年に日本で初めて飛行場が開設された「航空発祥の地」である。
所沢航空公園は、その所沢飛行場の跡地を県営公園としたものである。
園内には航空発祥記念館もあるが、興味がないので入館しなかった。
演奏会後は、清瀬の叔父の家に寄り道。
航空公園駅まで車で迎えに来てくれた叔父に、演奏会の興奮冷めやらず
滔々とその感激をまくし立てたぴすけであった
そこは映画鑑賞とは大違い。
聞く時も、演奏する時も、緊張します。
ただ、生演奏の場合、客席と演奏者の波長みたいなものが一致した時、とんでもない空間変化が起こる経験をしているので、それが魅力であるとえなくもないでしょうか。
それは、会場全体が球体のように歪んだかと思うと、自分は空に浮かんだような感覚で、自分で演奏しているのではなく、何かに操られて演奏しているような感覚です。
まだ2回しか体験したことがありませんが、その空間変化についてはルネサンス時代から音楽的論考で度々論じられているそうです。
あれは、不思議だ…。
それから、大佐飛山に行かれるのですか。
すごいですね
積雪期でないと登れないという山ですよね。
しかも、芝刈り爺さんのコメントが面白いったらなかったです。
絶対よくない相手に惚れちゃうとか、少し毒があっても食べたいとか、もう抱腹絶倒です
とにかくお気をつけて。
天候の安定を祈っております