ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

あなたと二人

2007年06月02日 08時24分05秒 | 写真

自分が年をとってきた。イヤ、自分たちがの間違いか。家人が、家族でいられるものもう少しねと言う。子どもが大学を卒業して数年後にはもうこの家にはいないだろう。そうしたら延々と二人の生活が続く。もうしばらくはわんこたちも生きるだろうから、二人と2匹か二人と1匹の生活になるだろう。

最近家人はひどく料理の腕を上げた。子どもが弁当を作り始めて、いつも同じじゃ見られて格好悪いからと新しい料理に挑戦したのもある。学費貧乏になって外食しなくなったから料理をする機会が増えたことも、子どもの友だちが良く来るので少し意識して料理を作り出したのもある。理由はともかく最近の料理はその辺の店の料理よりは味が上になった。良くご飯を食べるので米の消費量が増えた。お米は田舎がくれるのだけれど、今までは「一体何を食べているんだ。(この前上げた米が)いつまであるんだ?」と言われていたのに、今年は「足りなくなるかも」と言うぐらいだ。

田舎は農家ではないので近所から数俵の米を買っている。これを私たちや家人の実家にあげるのが彼らの楽しみになっている。戦前生まれの両親は「米が足らなくなるのはつらい」と言い、いつも余るぐらい買っている。食糧難の時代を生きた人には、米が家に余っているのが一番ホッとすることらしい。でもさすがに古米を1月まで食べるのはイヤなので、「今年は(買うのを)一俵減らした」と言っていた。それがこの状態なので、「足りないかもしれんなぁ」と笑う。たくさん米を食べてくれるのが嬉しいみたいだった。

今年の米はヒノヒカリと言う品種で、今まで食べていたコシヒカリよりいい。もちろん今までのコシヒカリは魚沼産ではない。

米はとてもおいしいのだけれど、同じ米でも、二人のためだけにご飯をつくるようになったら家人は張り合いが出るだろうか。子どもがいて、おいしいと言ってくれるのは、二人で食べておいしいというのと違うだろう。

ふと思った。ひょっとしたら人生とは子どもを幸せにすることだけのものなのかも知れない。自分も幸せになりたいが、それはついで、おまけかも知れないとね。

本当に子どもがいなくなったときはそうじゃないのかも。そのときが来たときどう感じるのか、今からちょっと楽しみにしている。

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