ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

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今日の見もの(みきおとミキオ)

2011年03月28日 22時45分36秒 | 見もの

みきおとミキオ 藤子・F・不二雄 デジタルデータ

別にこの作者のマンガが好きな訳ではないのだが、この本は読んでみようかと思った。と言うのは、自分のよく見ているブログの作者が最近読んだと書いていて、自分も読んでみようかと思ったわけだ。最近は本の保管が面倒になったので多くはデジタルデータ。この本も例外ではない。私はページをめくって読むのが(それもベッドに寝転がって)好きなのだが、それを椅子に座ってパソコン画面で読むのはどうもイマイチだ。まぁ全一巻だから我慢できた。5巻以上になったらやはり本を買うだろう。手軽とは言え、デジタルで買うのはやはりイヤだなぁ。

『小学生のみきおの家で変なことが頻発していた。物が無くなるのだ。そんな時、丸い毛むくじゃらの何かを見つけた。それを追いかけて洞窟に入っていくとそこでタイムトンネルに出くわす。1974年から2074年に行き来できることがわかった。あちらの世界にはみきおそっくりのミキオがいて、お互いに一日入れ替わって生活を楽しむ・・。』そんな話が18話。それで一巻が終わり。どうやら二巻へと続く予定だったらしいがそのまま終わってしまった。自分のとは違うが、19話入っている本もあるようだ。マニアならそちらを買うといい。

読んで気になることもいくつか。100年後の世界には自然と呼べる物はほとんど残ってはしなくて、昆虫館に行ってやっと昆虫を見ることができる。そこには土もあるが、普段の生活では土にも木にも生き物にも触れることはできない。人工的な道路に偽物の木、プラスチックの緑と高度な科学。風邪の菌もなくなったらしい。空を飛べる機械があったり月に旅行できるなど、科学文明は進歩しているのだが、人はもう自力で計算すらできなくなった。それは機械でするもの。紙と九九で答えを出すことはできない。筋肉は萎え、20世紀のみきおは超人的筋力を持っていることになる。機械に頼った結果はこんなものか・・。

いま東日本が自然の力で壊滅的被害を被った時、電気、ガス、ガソリン・・がなければ人が生きていくことさえままならなくなっている。それはきっと私も同じ。縄文人なら生きるたくましさを持っていたかも知れないが、今の私たちは誰もが持っていないだろう。文明とは人間という生き物から生物的強さを奪うものなのかも知れない。そんなことを考えた。

今の人間の強さがどうであれ困っている友人を助けるのは人としての使命だ。できることは少ないかも知れないが、いま自分にできることを考えている。勇敢に作業を続けてくださっている方たちのためにも、どうにか原発の心配が無くなることを祈る。それがなくなったら復興に力が注げるだろうから。無能な官邸、役に立たない政府の時にこんな大災害が起こるとは。パフォーマンスだけの民主党は害でしかない。これは間違いなく人災だ。唯一がんばっているのは枝野首相だけか。菅?あれはただのデストロイヤーだ。

ランク:是非お買い上げください。本屋にはないかもね。通販がいいだろう。

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