市立図書館で借りてきた筒井康隆(文庫)数冊
先日星新一を借りた。ノスタルジックな気分と、もう一つは寝る前に短い話を読みたかったからだ。読んではみたのだが、物足りなかった。これを読んだ子ども当時に面白かったオチも、今はありきたりというか、余韻とか高級さが無い。自分の年のせいか、昔たくさん読んでその記憶が頭に陽炎のように残っているからか、それはよくわからない。だけどいくらか読んで、最後まで読まずに返してしまった。
星を読みながら思った。
久石譲の音楽が好きで、CDを借りてきてよく部屋の中に流していた。曲もいい。ピアノもいい。落ち着くし、旋律は名曲だと思う。ところが、いい気分で聞き終わって次にショパンを流して驚いた。ものすごい落差がある。ショパンがフランス料理のフルコースだとしたら、久石は飯屋のチキン南蛮定食に感じる。おいしいし、文句をつけるのではないのだけど、高級感が違うと言うか、料理人の腕とか味云々以前の、素材の質自体が違うと言うか、とにかくそのような落差を感じた。私はむしろショパンよりも久石の方が好きなのだが、それを感じたのは事実だ(家人も同じだった)。結局、どちらも聴く気にならなくなって、スイッチを切ってしまったのを思い出した。星と筒井にも同じことを感じたのだ。それからは寝る前に筒井ばかりを読んでいる。
今日はこれらの中の性的余韻のある物語を書いてみようか。
エロティック街道
タクシーの運転手に「帰りのガソリンが無くなるからこの町で降りて乗り換えてくれ」と下ろされた町での話。隣の大きな町へいく交通手段を探していて『温泉に乗って行かれたら』と言われた作者。トンネル状の温泉が流れる川(?)、天然のウォータースライダーと言うようなもの、を下っていく話。裸の湯女が一緒に行ってくれる。その女性が魅力的に描写されていて心が和む。若いときにも読んだものだが、自分が一番印象に残っているのは、そんな性的な内容ではなく町の酒屋(飲食した場所)の描写だった。不気味というか、異界にもぐり込んだような怖さがあって、作者は無事ここから抜け出せるのかと怖かった。店での料理名がヤセサソリ。干物みたいなものらしいが、もし本当にあっても絶対目にしたくない。そんな恐怖をいまだに残していた。読み返してみてもあのあたりが怖い。すごい文筆力だよなぁ。
薬菜飯店
支那料理付きの作者が神戸で見つけた薬膳料理屋の話。身体を治すための料理だが、食べれば身体から毒がどんどん排出されて健康になっていく。頭から初めて上半身→下半身へと。排出される描写が素晴らしく、最後に若い孫娘と部屋に上がるシーンも心惹かれる。こういうのをファンタジーと言っていいのか?幻想小説とファンタジーって、自分の中では同じではないなぁ。
あのふたり様子が変
私と婚約者が性行為をしようとするのだが、どこへ行っても邪魔が入り、また次の場所を探してうろうろする物語。まるで自分が夢の中で逃げ惑っているようで、もどかしい気分になる。ホント、夢を現実にした描写だよな。
さて以上は全て上の写真の本。これから下のやつを読みます。明日は休みだし、時間もある。至福の時かもね、こういう時間って。