half moon bay

酒と釣りの友 天国の mさんヘ

僕の中学時代の母

2020-11-30 13:59:17 | 日記
僕は中学生の頃、鳩を飼っていた。

どうして飼い始めたのか覚えていないが子供の頃から鳥が大好きで

十姉妹、セキセイインコ、文鳥なんかも飼った。



鳥屋に行くのが楽しみで大人になってもデパートの屋上の鳥売り場には必ず立ち寄った。

母の父がメジロ捕りの名人でその血を継いだのかも知れない。

最初はつがい一組からだったと思うがやがて子を産み離してやるとどこかから

仲間が加わり十羽以上の集団となって帰ってくる様は壮観だった。

ころ頃の母はまたもや髪型が変わっている。




愛犬 タイニーと共に


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フランスでの母

2020-11-29 10:03:41 | 日記
1992年10月当時フランスで仕事をしていた僕のところへ両親がやってきた。

パリに10日間滞在しシャルトルやベルサイユなど郊外にも出かけた。

親父の目的はオーヴェール・シュール・オワーズを訪ねることだった。

ここは画家のゴッホが自殺する直前の1か月ちょっとを過ごした場所でその間

ほぼ毎日1枚の絵を仕上げている。

若い頃から絵を描くのが好きだった親父らしい希望であった。



この絵は弟のテオと並んで葬られているビンセント・ヴァン・ゴッホの墓を訪ねた時の

親父の作品だ。墓石は極めて質素で友情の印である蔦に覆われていた。





またこの写真と絵はゴッホの有名な絵画「オーヴェール教会」と同じ構図で描かれている。

車椅子に乗っているのが親父で押しているのが母だ。この時親父72歳、お袋は70歳である。

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僕の知らない母

2020-11-28 14:29:27 | 日記
今回、母の死をきっかけに古いアルバムを整理していてつくづく感じたことがある。

それは写真とはタイムマシンのようなものと云うことだ。

今日の写真はどれも僕が生まれる前のお袋である。

へえ、お袋はあの頃あんな髪型をしていたんだ。

父がカメラに凝っていたお陰で僕の今まで知らなかった母がアルバムの中に居た。

よく写真を撮ろうとすると嫌がる人が多いが、子や孫に今の自分のイメージを

将来に伝えられるツールとしてできるだけ残しておくべきだと思った。






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母のスナップ写真

2020-11-27 15:28:58 | 日記
アルバムには多くのスナップ写真がある。

母だけではなく多くの女性の写真があるのには驚かされる。

海水浴場での水着を着た写真まである。

だいたい好みの女性は3人だったようだ。

この内の一人は親父が亡くなるまで帰省するたびに訪ねてきてお袋とも親しく付き合っていた。

妻は夫の彼女にやきもちを焼くのが普通だが、どういう訳かお袋は違っていて彼女に会うのを楽しみにしていた。。



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家族勢ぞろい

2020-11-26 20:27:35 | 日記
親父とおばあちゃんの初登場。

セーラー服の娘さんは親父の従妹(訂正)だ。

ここまで顔出しをしてしまったらもはや匿名ブログと云えないかもしれない。

それは母の顔を出してしまった故の結果であってもはや引き返せないのだ。

自分から名乗ることはこれからもするつもりはないが分かっていても内緒にして下さいね、気が付いた皆さん。伏してお願い致します。



この写真、僕の覚えていない女の子が二人います。--->姉からのメールで誰だか判明。安心できました。

撮影場所は親父の盆栽場。

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母とお花畑

2020-11-24 10:50:14 | 日記
僕にはこの時の記憶が一切ない。

いったいどこに行った時だったのだろうか?

シャッターを押しているのは父に違いない。

父の母と息子に対する愛情が感じられる一枚で気に入っている。



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姉妹ツーショット写真

2020-11-22 14:39:51 | 日記
母は姉に容姿において相当な劣等感をいだいていた。

確かに母がやや太めなのに対してお姉さんはほっそりとスタイルもよく都会的で

華やかな雰囲気を感じはするが・・・




左から二人目が母の姉




要は好みの問題で劣等感を感じるほどではないと思うのだが

「お姉さんはそれはそれは綺麗でそれにひきかえ私は・・・」 が口癖であった。

一歩引いた控えめな性格は娘時代にすでに形成されていたようだ。

【 既出記事 】

あの頃きみは若かった 月丘夢路さん

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母の見合い写真 その四

2020-11-19 15:07:25 | 日記
ずいぶんたくさん見合い写真を撮ったのだなと不思議に思っていたら

長女からのメールで謎が解けた。

撮ったスタジオは三次の宮脇写真館。母の実家の親戚筋だ。

姉によると写真館からの依頼で見合い写真のモデルを頼まれて母の姉ともども引き受けた

と母から聞いたことがある由。たぶん見合い写真のポーズのカタログかなんか

に必要だったのだろうか。確かに着ている衣装は全部異なっており

自分ひとりの見合い写真撮影にしては金がかかりすぎている。

実際に見合い写真として使われたかどうかも不明である。

話は突然かわるが・・・

母と三次に墓参りに行ったときいつもこの写真館の前を通ると

必ずしてくれる母の幼いころの経験談あった。

この写真館の裏手の方には当時遊郭があったそうである。

中学生の頃、友達と興味半分で探検に出かけたところ何故か遊女が

2階から降って(落ちて)来てびっくりしたそうである。

「そりゃ、びっくりするでしょうね。」

信じられないかも知れないが僕はこれに似た話を突き落とした本人から聞いたことがある。

昔務めていた会社の先輩の実話である。

彼がナンパした女性を誘って旅館でことに及ぼうとしたところ

女と思っていたらオカマと分かり二階から突き落としたそうである。

話がとんでもないところに逸れてしまった。お許しあれ。


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母の見合い写真 その三

2020-11-18 15:31:04 | 日記
戦争末期、広島に原爆が落ちて三次も危ないと云うことで三次からさらに北に位置している

君田に母は長女を連れて疎開した。

母の家は食料品を扱う商店を営んでおり、お手伝いのおばちゃんの実家に移り住んだのだ。

母は長女をおんぶして何故か柱時計を背中に背負ったおばちゃんの後をついて三次から

君田まで歩いて行ったそうだ。

三次に墓参りに行った折、2度ほど君田の疎開先の家を訪ねたことがある。

一度は姉も一緒に三人でお菓子を持って訪ねたがご主人は病気入院中とかで家人がこれから病院に行くところで急いでいたため

家には入らせてもらえず挨拶だけして帰って来た。

最近では君田はひまわり畑がどこまでも続く観光名所になっているようである。


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母の見合い写真 その二

2020-11-17 11:35:28 | 日記
父は母のことを「メヌレン」と呼んでいた。

「なんじゃそれ?」

はい、お分かりにならなくて当然です。

洗面器で顔を洗っても「目が水で濡れない」顔と云う意味。

どちらかと云うと彫りが深く外国人の血が混じっているハーフっぽい顔立ちだった。

お袋の親父は尾道から婿に入った養子だが僕の姉によると

外国人コメンテーターのモーリー・ロバートソンにそっくりだったそうだ。

僕はまだ小さかったのではっきりとは覚えていないが身体のがっしりした

西郷隆盛のような雰囲気を持ったおじいちゃんだったような気がする。

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母の見合い写真か?

2020-11-16 11:02:47 | 日記
お袋の娘時代のアルバムを発見!

これは写真館で撮っているので恐らく見合い写真の一枚だろう。

広島県立女学校に通っていた17~18歳頃の写真か?

当時彼女は県女の陸上部に所属しており走り高跳びの選手だった。

大正生まれの女性としては比較的大柄な方で身長は160センチ近くあり

靴のサイズは24センチだった。盆地だった三次ではスキーもしていた

ようで結婚の折持参した愛用品の中にスキー板とストックがあった。

スポーツウーマンだったせいか下半身ががっしりとしており今年9月に

入院するまで歩くことに何の問題もなかった。

【 既出記事 】

1 dune そして風紋

妹と焼き場で骨を骨壺に入れる時、大腿骨の大きさに思わず声をあげて

感心したものだ。

母が体育系の丈夫な身体だったお蔭で我々兄弟姉妹全員

体育の成績は良かった。


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母と次女

2020-11-15 16:15:18 | 日記
前の写真とは異なりお袋がずいぶんほっそりしたように見える。

ひょっとすると前の写真の時は妹がお腹の中にいて妊娠太りをしていたのかもしれない。

髪型も変わっていて何かイメージチェンジをしたように見えるのは僕だけだろうか?

妹は幼児の頃、林檎のような真っ赤なほっぺをしていた。



今や孫が二人もいるおばあちゃんである。

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母と僕

2020-11-15 08:37:46 | 日記
露台の上で何をしていたのだろうか?

後ろには立派な松があったが僕が中学か高校の頃、残念なことに松くい虫にやられて枯れてしまった。



昔は洗濯機もなくお袋は毎日大勢の家族の汚れ物を洗濯場でごしごし洗って

2階の露台に上がって洗濯物を干すのが日課となっていたのだろう。

まだ幼かった僕は目が離せなかったはずで一緒に露台で時を過ごすことが多かった

のかも知れない。親父が亡くなって25年、お袋と花見の度に一緒に時を過ごした

この場所は青空の下で360度周りが見渡せたわが家の特等席だったんだなと思う。

いまだに悲しくて涙の止まらない僕は70年近く経つと云うのに

当時と変わらない泣き虫のままだ。

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母と長男

2020-11-14 10:33:52 | 日記
縁側でくつろぐ母と兄貴。

坪庭に面した縁側の正面には「 不浄門 」と門の左側には見越しの松が植えられている。



わが家がある通りで不浄門があるのはお寺の住職によれがわが家だけであるらしい。

この門が正式に開いたのは25年前の親父の出棺の時だ。

神道では死を穢れとみなすからお棺を運び出す時にだけ開く門のことを「 不浄門 」と呼ぶ。

実際には松の手入れの時、庭師が出入りするので一年の内、数回は開けざるをえないのだが・・・

お袋は病院で亡くなったのでわが家には帰って来ずこの門をくぐることはなかった。

遺体を不浄なものとみなす宗教観には僕は違和感をおぼえる。


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母と長女

2020-11-13 09:47:19 | 日記
桜の木の下で。こちら側でシャッターを押したのは親父だろう。

親父はとにかく花見が好きだった。

桜が咲けば酒と弁当を持って花見。梅が咲けばやはり花見。中秋の名月も団子より酒。

要は理由を見つけては酒が飲めればよいのだ。

親父が亡くなってからも年に何回もお袋と二人で花見をしたものだ。

桜や梅の名所にも出かけたが、わが家の露台から庭に咲く梅や桜を愛でながら

何度も楽しんだ花見は貴重な想い出としていつまでも忘れられないだろう。

【 既出記事 】

1  露台で花見 2019


2 Spring has come.


3  三度目の花見


4 酒なくて何の己が桜かな



今年梅見は楽しむことが出来たが何故か桜は一輪も咲かず楽しむことが出来なかった。

来年もはや母と花見をすることは叶わない。

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