KIN31青い倍音の猿(輝き 力を与える 指揮する/魔術 遊ぶ 幻想)
冷えとりについて考えたりワークしていると、ときに興味深いことが起こります。
その人のとても重要な部分、敏感な部分があぶり出されるように浮上します。
あ、何かがひっかかった!という感覚。それは一瞬の反応でわかります。
ここでちょっと書きましたが、私は冷えとりの「冷え」が、創造主の「冷え」という言葉の定義を超えており、あえて言うなら「滞り」かな~?と近年感じていました。
それは、言い換えれば「執着」「こだわり」だと思います。良くも悪くもです。スルーできない何かがある、という意味で。
執着がないと、この世に生まれることさえできません。すごく根本的なことなのです。そしてこだわりがあるからこそ、個性が生まれます。
…と、思ったら「ブルーだ!」とつながりました。スコーンと!
何のこっちゃ?と思うかもしれませんが、執着やこだわりはオーラソーマのブルーの質なのです。
海や空の色であるブルーは最初に生まれた色であり、全ては一つであるということを象徴します。
「取り入れる」色であると同時に「手放し」でもあるという、本質的な矛盾さえ包括しています。
そして個を超えた神聖な意思でもあります。
冷えとりが「根本療法」であるのは、オーラソーマで言うプライマリー オブ プライマリーカラー、つまり最も大切な色であるブルーの「天の意思」と関係しているからだ、と私の中でつながったのでした。
(なおオーラソーマで五臓と対応する色は、東洋医学の五臓の色とは違います。そこが混乱しがちですから、こだわらないでくださいね~)
前記事に書いた方はとても頭が良い人なのですが、先読みをしてしまうが故の恐れが浮上したと感じます。(ゴールドと関係していそう)
脾胃が滞る方はすごく暝眩を恐れます。安楽を求めるがゆえかもしれません。(イエローですね)
肺が滞る人は、感情を何でものみこんでしまいがちで憂鬱になってメソメソします。(ブルー系でしょう)
肝が滞る人は批判精神が強くカリカリと怒りがちで、頭を抑えられることが嫌いです。(レッド、マゼンタ系)
…私がこれでした。自分で楽しんで冷えとりをしていますが、人から「もっと靴下を重ねなさい」などと指図されるのが嫌いでよく反応してました。自分のペースを乱されるのが嫌いなのは、レッドの補色のグリーンのスペース感覚だと思います。
ちなみに私はジャッジ好きで、同時にされることにも敏感です。時々理由もなく鬱になります。ゴールドやマゼンタ、そしてバイオレットとも関係してます。つまり五臓ほぼ全て滞ってます…自分のことなのでよ~くわかります
そして先日、私のブログを読んで作家の宮本いつかさんが寄せてくださった文章が以下です。了解をいただいたので掲載しますね。
私が感じる「冷え取り」のふしぎ、それは名前にあるようです。「『冷えがなくならない』ということにフォーカスしてしまうと、解決よりも問題に意識を向けてしまう」と私も思います。だとしたら、「冷え取り」じゃなくて「あたため」のほうがよくないですか?
内容ではなく表現に注目しているのでした。そして、名前ってすご~~く大事だと思っています。例えば最近流行の「毒出し」に「?」と感じます。 逆の例で言うと「反原発」が「脱原発」という言い方になったのは、すごく画期的なことだな、と思っています。
抽象的で申し訳ないのですが、今って「第3の道を探す」って時代なのかな~と個人的に感じています。「冷え:冷え取り」 という二元を越えた視点を見つけたいのです。(しつこいですが「表現」の話です。つまり新たな名前を生み出したいという気持ちです)
わたしも人間の日々(靴下履く、風呂入る、ごはん食べる)以上に大切なものはないと思います。私もそこを大事にしていきたいのです。そこから、色んな名前、新たな名前を生み出していきたいなと感じています。長々と失礼しました。(了)
私もこの方が内容ではなく表現にひっかかっているな?とずっと感じていました。
それが表現する人である作家さんのこだわりなわけです。ネーミングによる制限に敏感なのはまさにターコイズであり、二元性を超えた第三の道を探すというビジョンはグリーンやオリーブも感じられます。(心・心包、肝・胆です)
そう、私も冷えとりに「冷えとり」という名前以上のものを感じているわけですが、滞りの解放という意味では「あたため&手放し」かな~?とも思います。(語呂がイマイチだ~;;)
でもとにかく冷えとりが浸透してきた今、きちんと実行するために多くの方に進藤先生の著書を読んでいただきたいという観点で、先生が名付けた「冷えとり」という言葉が、現時点では大切だと思います。
本腰をいれて取り組む人は、先生の著書は是非きちんと読んでくださいね。
冷えとりについて考えたりワークしていると、ときに興味深いことが起こります。
その人のとても重要な部分、敏感な部分があぶり出されるように浮上します。
あ、何かがひっかかった!という感覚。それは一瞬の反応でわかります。
ここでちょっと書きましたが、私は冷えとりの「冷え」が、創造主の「冷え」という言葉の定義を超えており、あえて言うなら「滞り」かな~?と近年感じていました。
それは、言い換えれば「執着」「こだわり」だと思います。良くも悪くもです。スルーできない何かがある、という意味で。
執着がないと、この世に生まれることさえできません。すごく根本的なことなのです。そしてこだわりがあるからこそ、個性が生まれます。
…と、思ったら「ブルーだ!」とつながりました。スコーンと!
何のこっちゃ?と思うかもしれませんが、執着やこだわりはオーラソーマのブルーの質なのです。
海や空の色であるブルーは最初に生まれた色であり、全ては一つであるということを象徴します。
「取り入れる」色であると同時に「手放し」でもあるという、本質的な矛盾さえ包括しています。
そして個を超えた神聖な意思でもあります。
冷えとりが「根本療法」であるのは、オーラソーマで言うプライマリー オブ プライマリーカラー、つまり最も大切な色であるブルーの「天の意思」と関係しているからだ、と私の中でつながったのでした。
(なおオーラソーマで五臓と対応する色は、東洋医学の五臓の色とは違います。そこが混乱しがちですから、こだわらないでくださいね~)
前記事に書いた方はとても頭が良い人なのですが、先読みをしてしまうが故の恐れが浮上したと感じます。(ゴールドと関係していそう)
脾胃が滞る方はすごく暝眩を恐れます。安楽を求めるがゆえかもしれません。(イエローですね)
肺が滞る人は、感情を何でものみこんでしまいがちで憂鬱になってメソメソします。(ブルー系でしょう)
肝が滞る人は批判精神が強くカリカリと怒りがちで、頭を抑えられることが嫌いです。(レッド、マゼンタ系)
…私がこれでした。自分で楽しんで冷えとりをしていますが、人から「もっと靴下を重ねなさい」などと指図されるのが嫌いでよく反応してました。自分のペースを乱されるのが嫌いなのは、レッドの補色のグリーンのスペース感覚だと思います。
ちなみに私はジャッジ好きで、同時にされることにも敏感です。時々理由もなく鬱になります。ゴールドやマゼンタ、そしてバイオレットとも関係してます。つまり五臓ほぼ全て滞ってます…自分のことなのでよ~くわかります
そして先日、私のブログを読んで作家の宮本いつかさんが寄せてくださった文章が以下です。了解をいただいたので掲載しますね。
私が感じる「冷え取り」のふしぎ、それは名前にあるようです。「『冷えがなくならない』ということにフォーカスしてしまうと、解決よりも問題に意識を向けてしまう」と私も思います。だとしたら、「冷え取り」じゃなくて「あたため」のほうがよくないですか?
内容ではなく表現に注目しているのでした。そして、名前ってすご~~く大事だと思っています。例えば最近流行の「毒出し」に「?」と感じます。 逆の例で言うと「反原発」が「脱原発」という言い方になったのは、すごく画期的なことだな、と思っています。
抽象的で申し訳ないのですが、今って「第3の道を探す」って時代なのかな~と個人的に感じています。「冷え:冷え取り」 という二元を越えた視点を見つけたいのです。(しつこいですが「表現」の話です。つまり新たな名前を生み出したいという気持ちです)
わたしも人間の日々(靴下履く、風呂入る、ごはん食べる)以上に大切なものはないと思います。私もそこを大事にしていきたいのです。そこから、色んな名前、新たな名前を生み出していきたいなと感じています。長々と失礼しました。(了)
私もこの方が内容ではなく表現にひっかかっているな?とずっと感じていました。
それが表現する人である作家さんのこだわりなわけです。ネーミングによる制限に敏感なのはまさにターコイズであり、二元性を超えた第三の道を探すというビジョンはグリーンやオリーブも感じられます。(心・心包、肝・胆です)
そう、私も冷えとりに「冷えとり」という名前以上のものを感じているわけですが、滞りの解放という意味では「あたため&手放し」かな~?とも思います。(語呂がイマイチだ~;;)
でもとにかく冷えとりが浸透してきた今、きちんと実行するために多くの方に進藤先生の著書を読んでいただきたいという観点で、先生が名付けた「冷えとり」という言葉が、現時点では大切だと思います。
本腰をいれて取り組む人は、先生の著書は是非きちんと読んでくださいね。
私も冷えとりまきちゃん先生じゃなくて、温めまきちゃん先生のほうがいいなあ~(笑)
心も体も温める。そんなフレーズを全面に出していきたいです。
越智啓子さんが「自分温暖化」とかおっしゃってたのが面白かったですね
私も「冷え」という言葉をできるだけ使わずに表現する方向へ、シフトしたいと思っています
先生のブログはいつも、「そうそう、そうなのよー、そうなのねー。」の気持ちで読むのですが、
(まきちゃん先生のブログも楽しく読ませて頂いてます♪)
今回のお話は???です。
なんでやろ?面白いですね。
冷えとりという名前に違和感を持ったことがないし、
瞑眩はつらいときもあるけれど、
それ以前がもっと悲惨で、しかも出口が見えなかったので、
冷えとりも毒出しも瞑眩も、私にはとても有難い、
心が温かくなる言葉です。
あ、先生やそう感じる方に反発?しているわけではなく、
すごく単純に不思議に思ったので、
思わずコメントしました。
関西は、瓦礫焼却と黄砂でもやっている日も多いです。
また遠距離セッションお願いすると思いますので、
その時はよろしくお願い致します。
木蓮、綺麗ですね!
金木犀さんこんにちは。
はい、いいんです
これはあくまで「言葉」の問題で、内容ではないんです。
人の感受性って本当に様々です。
「冷え」と言っただけで冷えてしまう人さえいます。
逆に自分の冷えに気づく人もいます。
何にせよ、原因より解決に意識を向けることが大切です。
でも原因を突きつめたい方もいらっしゃいます。
これはもう個人のカラーですね(笑)
金木犀さんは進藤先生のおっしゃる本質をきちんと受けとっていらっしゃるのでノープロブレム、っていうか素晴らしいです
私も元々それほど気にしてはいなかったのですが、いろんな方の反応を受けて、なるほどと感じるようになった次第。言葉だけでこんな反応が起こるのです。
それが面白いところでもあります。
先日は東京も煙霧が出ました。西日本の大気汚染に負けないよう、冷えとり(やはり^^;)を強化してくださいね。遠隔も随時お受けしています。
なんか、そういった、反、ではなく、ただそうである、状態のことにフォーカスしたかったのです。
ただそうである、ってことかなあ、と思います。
あったかい、という状態。
冷えていない、ではなくて、あったかい、ただそうである、ということ。
あったかい、あたたまる環境と状態を作ればいい、ということですが、これだと、気にとめる・・・興味を持ってくれる人が、少ないかもしれませんね。広がる時、広げていく時には、インパクトも大事なので。
そのうち、変わっていくかもしれませんね~。楽しみですね♪
ホントに「ただそうであること」を言葉で伝えることほど難しいことはない、とオーラソーマでも思いますよね(笑)
だから「そうである」自分になって「ただある」しかないですけどね。
ただ普通に温めてケアしていれば、こうなるのよ、っていうことを示せるであろうと思ってます
今私が名付けるなら「循環」かなと思います。
気血水を巡らせること、これに尽きるので。
滞りはフォーカスするところはそこではないので、「循環」
循環健康法「冷えとり」
こんな感じかと
青の水に循環は相当すると思うのです。
古い記事にコメントありがとうございます。
そう、すべては循環の滞りから起こりますので、それもひとつの表現ですね。
冷え、滞り、を自覚していただきたいのだけど、フォーカスするところではない、ということがわかればいいと思っています。
青=水は循環しなければ澱みますからね!