以前、JWのマイコンを解くには「自分で考えるように仕向ける」ため褒めるのがいいらしいと書きました。
色々みなさん事情が違うと思いますが、そんな時間がない!という方に、、
参考のひとつにしていただければと思い、エホバの証人を揺るがす質問の仕方について書いてみたいと思います。
「こういう質問がいい。」「効果があった」など情報を持っておられる方はぜひぜひコメントください。
●注意事項:質問に対して「自分の意見を言わせる」ためには普段から褒めるという下ごしらえがやはり必須だと思われます。
1:質問の種類
どうでもよいトピックをあえてピックする。
いきなり「輸血問題」とかはいくら突っ込みどころ満載でもしちゃだめですよ~。
理由はこういう世間で問題になるような話題はエホバの証人として「つっこまれるだろう」ともっとも構えているトピックだからです。
協会も「反撃」を用意してくれてますし、色々煙に巻く方法を知っています。輸血についていままで意義を唱えてきた人はあなただけではないはずだからです。
そして、JWはこういう「いかにもおかしく、世間から批判されるような」教理については「世の人にはどうせ理解してもらえないだろう。信仰がかかわっている問題だから。」などと普段から思ってますから、
質問に答えられなくても、あなたに納得ゆく答えを提示できなくっても、
心は全然揺るがない~
のです。
じゃ、質問する意味ないよね!!!
もうひとつの理由は大きいトピックはいくらでも論議がずれてゆくので心を揺さぶるどころか「論議」に焦点がいってしまいますから、やはり避けたほうがいいです。
具体的な例:
誕生日。
どうして祝っちゃいけないの~?
こういうと、JWはあまり緊張することなく、聖句を挙げたりして話してくれると思います。
2:質問の結論
どの質問でも必ず質問の行き先を
統治体またはものみの塔協会に持ってゆくといいです。
理由は先ほどと同じ、あちこち枝葉末子論議の行く先がまちまちだと質問で心を揺さぶるほどは何も感じてくれないから。
例:誕生日
聖句を見せられた後
あなた:「あれ~でも聖書に祝うな!とははっきり書いてないんだね~。ここからだと誕生日が悪いって自分では分からなかった~。」
JW「神が統治体を用いて聖句の当てはめ方を教えてくれてる。うんぬん。’」
あなた:じゃあ、誕生日がいけないって統治体が言ったの?統治体(またはものみの塔協会)は神の霊感を受けてるの???
JW いいえ、神の導きを受けているだけです。
あなた:じゃあ神が直接テレパシーを送ってる、ってわけではないんだ。でも、どうして統治体は、、例えば誕生日がダメとか分かったんだろう、、
JW 祈りのうちに聖句を考慮してこうなりました
あなた:じゃあ、○○さんとかが祈って聖書読んで聖句の当てはめ方を啓示うけちゃうとかいうこともあるのかな
JW いいえ、神は思慮深い奴隷を任命してそのものたちを通して霊的食物を備えるようにしてますから。
あなた:その神から任命された思慮深い奴隷がものみの塔協会という証拠というか、、聖句とかあるの?
JW はい。聖句提示、1919年の説明などなど
あなた: う~ん。ごめん!!いまいち理解できない!
JW じゃあもっとシンプルな聖句を。愛があるなら真のクリスチャンとかかれてます。
あなた:なるほど~。JWはとってもいい人たちですよね。でも、、愛があるなら真のクリスチャンなら、、、他の宗教でも愛があればそれも真のクリスチャンなの。。
JW いいえ。
あなた:でも、、愛があるなら、、、って書いてあります。
JW:神は以前にも特定のグループに属することで信仰をためされ、救われました(ノアの例やイスラエルの例を出してくる)
あなた:で、、現在ではそのグループはエホバの証人なんだ。
JW:そうです。
あなた:では、神がこの組織を用いているっていう確信はどこからどうやったら得られるんですか。
以下同文
「JW解約」サイトで書かれていましたが、
輸血や予言や排斥、体罰、教育拒否などなど、こういったことはそれ自体とってもセンセーショナルな内容だからついつい突っ込みたくなりますが、それらは単に「木の葉」に過ぎず、そういう部分を話あってもあまり効果はない。
ものみの塔のマインドコントロールという木の「根っこ」はものみの塔(統治体、思慮深い奴隷級、神の組織などなど名称を変えた同一の団体)が神の組織なのかどうか、
という点だと思います。
ものみの塔が神の組織ならば彼らのいう事は正しいし、従わなくてはいけないけれそ、ものみの塔が神の組織でないならば言ってる事は、、、
たわごと!!!!
というわけです。
これを私たちはつい「ものみの塔の主張が間違っていることを証明できたら、ものみの塔がうそつきという事が分かってもらえる」と思いがちですよね。
本当は
「ものみの塔が神の組織であることを証明できないなら、ものみの塔の主張はうそである」
なんですよね。
ただ逆にしただけなんですが、大きな違いだと思います。
間違いをひとつひとつ指摘してゆくよりも、大本「ものみの塔って何?誰?誰からお墨付きをもらっているの?証明できるの?」という本題だけをついたほうがいいような気がするんです。
どうでしょうか。。。。
最近は変更が相次いでるから
さらに効果がありそうですね!
長老とかにも持っていくと
普段の鬱憤とかもあいまって
疑問が噴出しないですかね
心を揺るがす質問ですが、私としては、難しいですねどんな神も~科学的でないのでね~ひとの捉え方で変わりますから~私の基本は、人間が中心、ひとを無視した神は信じられませんね~どの神も人を殺しても良いとは、説いて無いはずだから~あべ
奉仕会で訓練されています、しかし、家に人に、「キリスト教」とは決して言わず、「わたしたちは、将来の希望をお伝えしています、とかいいます、
又は「ものみの塔」ですが・・とか、実にあいまいな
自己紹介、自分の名前をいったり、
はっきり、「キリスト教」ですといった方が、家の人も
断りやすく、網羅が早いのに、奉仕会では、研究しまるり、ああ言えばこう言う、方法を研究している。
これは、雑誌や書籍の売り込みです。
家の人も効果的な断り方を研究しましょうね。笑い!
:誕生日をしないのは、ヘロデの娘のサロメの例と
創世記のあの例の2つを引き合いに出しJWはさせない
のだから、無意味。
身分を教えなかった、こちらも、人が悪いですね。もっと、勉強してから伝道してね。証人さま。
それに何をしても禅問答にしかならないでしょう。
自分が信じきっているものを否定されるのは人間として辛いですからね。
でも日々自分だけで「黙想」してしまうとどう考えても矛盾が生じる、それを人間の不完全さで片付けて協会の出版物に頼って黙想したと勘違いさせるのがJWの狙いじゃないでしょうか??(意味不明な文ですみません。)
良心に焼印を押してるのはどっちなのか??と問いたい気分ですね。
はいそうです。
私はJWではないのでいつも見ていますよ。見るとトップの実態がわかってしまい、マインドコントロールが解けてしまうのをトップは知っているのです。
なんていうのはどうでしょうね?(笑)
こうやって使うんですね。
すばらしい!
パターン1
①神⇒②聖書(新世界訳)⇒③ものみの⇒④教理
パターン2
①神⇒②聖書(新世界訳以外も含む)⇒④教理
明確な教理はパターン2で聖句をダイレクトに反映して他の宗派でも同じ解釈している。これは文句ないのだと思います。
問題は怪しい教理でパターン1ですよね…ものみの的聖書解釈。「聖書をこう解釈しました!」と、言ったもん勝ちという凄まじいパターンです。「だって聖書にあるじゃん。っていうか、お前聖書(おれ[ものみの])にたて突くの?」という残虐極まりない恫喝ですよね。
PWさんのおっしゃるとおり、パターン1・2に限らず解釈の信頼度は雲泥の差があるにせよ「そうだと解釈できる可能性がある」限り、後は個人の心の問題ですよね。もはや「実在しない神をあなたは信じますか?」と同じレベルの考えをさせられているのだと思います。
上記内容は②⇒④、③⇒④を質問内容としてあげ、JWの心を動かせるか否か、という話ですが、やはり信じているということは実在しているということと同義なのでしょうから、かなり心が弱っていなければキツイのですよね…
ですから、PWのおっしゃるとおり②⇒③をつぶす、「霊感をうけた組織がものみのである」をつぶす必要性があるのだと思いました。確かに、聖書に誠実なJWの方々が他宗派の聖書と並べて学習することで、真のクリスチャンの生き方をみつけるという方も多いと知りました。ただし、頭では分かっても心がついてこないと…
だから、「理屈ではないものみのに対する熱い感情・思い出もろもろもすべて凝縮した質問が必要なのではないか」、と思うのです。入信しない人の方が圧倒的(世の中では当たり前)なのですから、入信しない理由がネット上にあること自体は当然なことだと思います(ネットの世界がここまでこれたのは本当に多くの方のご尽力であるというのは言うまでもありません)。
問題は入信してしまった人がどうやったら、その状況と向き会えるような、機会や質問をつくるのかなのだと思っています。
皆様は様々な経験をされて、脱JWを図ったと思うのですが、それを如何にスムーズにできるようにするかが、これからの課題であると思うのです。
壁]。∂)ノ こんにちわっ♪
興味深い説明を,図入りで分かりやすく,ありがとうございます。
個人的な感想では,「教理」というのは,それほど単純ではない,と思っています。というのは,聖書の同じ箇所を読んでみても,その「受け取り方」や「感じ方」は,一人一人異なるからです。
「教理」という観点から言えば,「他の宗派でも同じ解釈」というものほど(;¬д¬) アヤシイと思います。たとえば,「三位一体」などです。
私個人は,象徴的,比喩的な意味で,イエスとは「I AM」,つまり,「神」だと思っています。しかし,それは,ファンダメンタルの人たちが言うような意味での,イエスは神という意味ではありません。
私が思うに,「解釈はいろいろあっていい」のだと思います。ただ,自分たちの教理こそ絶対正しい,というその姿勢が間違ってるのです。それは,それぞれの人が聖書をじかに読み,自分の心が素直に感じるままに解釈できるという,その「自由を奪う」ものだからです。
●自分たちの教理こそ絶対正しい,というその姿勢が間違ってるのです。それは,それぞれの人が聖書をじかに読み,自分の心が素直に感じるままに解釈できるという,その「自由を奪う」ものだからです。
「ものみの」はそれを行っているということですよね?私としては、論理が演繹的に正しいかとか、内容が事実に即しているかとか、どの点で詭弁を使っているかとか、には関心がありません。ただし、JWと関わった非JWには話をするために、理屈が必要です…
「ものみの」はどうやって「自由を奪っ」ているのでしょうか?そこが知りたいです。そして、どう伝えるべきなのでしょうか。「頭」と「心」に同時に語りかけてこそ、思考ははじめられます。