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パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

世の友を避けなさい!考

2007-04-19 02:31:22 | ●エホバの証人考
ちょっと前、奉仕会で世の友を割けるという話があった。

この会衆は若い子が少ないから、若者に向けての話がある時は時に名指しで話されることもある。

もう何度も聞いた話だけれど、改めてびっくりするような内容が演壇から話される。

「時に世の友達は良い人のように思えることがある。では何が問題なのでしょう。
その人はエホバの友ですか?エホバの友でないなら、それは敵対しているのです。神の敵と交友したいと思いますか?」

「友を見分けるいい方法がある。早いうちに証言するのです。それであなたの友人の心が見分けられる。本当の友達なら、あなたと聖書研究をするでしょう。そうなって初めてその友と友情をはぐぐむのは懸命なことです。

結びつきが深くなってからJWであることを話して、反対され、友情に信仰をためされるようなことがあってはなりません。」

「それでは真理には友好的でも行動(研究)しない友人をもつことはどうでしょうか。親の皆さんはどう思われますか?その友達は”とてもよい”人です。お子さんがこのような”世”の子の家を訪問したり、その子をあなたの家に招くことを許しますか?(注解を求める)」

静まりかえる会場

「つきあってはいけない理由がない場合でもエホバを信頼するのはどうでしょうか。

今、理由は分からなくとも、エホバを信頼し、組織の助言にしたがい、世の友達を持たないことは賞賛されるべきことです。」

「もちろん、若者に友達が必要なのはわかります。大人にだって友だちが必要なのです。それでは会衆にいる年の違う仲間たちと知り合うようにしてみてはどうですか。」


この話録音したかったです。

協会を訴える時ちょっと使えるかなって、思って。(笑)


ものみの塔の悪の中で一番大きいものの一つはこの「世の友を避ける」教えだと私は思います。

人生で一番美しいことは人との関わり。それをたとうとするJW。その代わりに与えられるものはJW内だけで有効な偽の人間関係。そんな”世界的なブラザーフット”なんてものは本当の友人ひとりにさえ値しない。

JWでいた時は協会のすすめに加え、JWとしてできないことが多くて、世の人を避けていた。親しくなればクリスマスだのなんだの誘われるわけだし、そのたびに冷や水をかぶせられるような感覚(いわゆるいきなり信仰を試されるってやつでしょうか)と、

協会側への気兼ね、罪悪感でこっちが疲れてしまって、最初からこっちがそっけないか、疎遠になるのを望んでいたから、、、、。気付いてみたら


友達いない。

(笑)

友達って銀行口座高のようなものだと思うんです。はいってこなければ減るだけ。(笑)友達ってお互いの環境が変わったり、単に住む地域がかわったりで仲がよくっても疎遠になっていくものだから、新しい友人ができないと、どんどん友人がへってゆく。もちろん、その中で動かない財産になるような友達もできるんだけど、

そういう友達は100人いて1人できるかどうか。

砂金探しのようなものなんです。


つまり、協会の言うとおり、友達を作らない方向でがんばってると・・。

本当、みごと友達いない。


だから、人を避けるよう若い人に勧告し続けている協会の悪が許せない!
これは本当にものみの塔を許せない部分の一つです。
もちろん、脱JWをさせにくくさせる要因であり、そこがうまいというか、汚いというか、なんだけれども、

人生で一番美しいこと、人間関係-を人に味わわせない権利が誰にあるんだろう。

協会はダビデとヨナタンの友情を美化するけれど、あれだって、ヨナタンはサウル側の人だったんだから、敵そのものだったはず。徹底するなら、それも悪い例だって糾弾するえばいい。と思う。

年齢の違った友達を会衆内でもて。

とはいうけれど、若い子の友人層がみんな年配というのもおかしい。年配の人は年配の人と、ティーンはやはりティーンの友人が必要だし、そうるする権利があると思う。

精神疾患の扱いかた

2007-04-14 20:44:01 | ●エホバの証人考
これは何をいまさら感があるかもしれませんが、

エホバの証人は精神的な疾患も組織内で解決しようとします。今はそれでも良くなって専門的な助けを求めても「表向き」は個人の決定ということで何も言われませんが、

10年くらい前の日本はそうはいかなかったですよね。

それでもまだJW内のよく事情に通じていない、妙にポジティヴ開拓者なんかが「精神科にかかる場合、よく医者を考慮したほうがいい。もし霊的健康を損なうような提案をする医者がいれば、すぐに通院をやめ、理解ある医者を探すべきです。」

なんて

言ったりして。そしてこういうことを研究生や新しいJWにすすめている。

(こういう発言で思い出すのは耳をくすぐる話を求めて指導者を変えるってたとえです。JWを肯定する医者だけにかかるとは。いつまでたっても治りませんよ。)


よく最近はものみの塔も精神疾患関係をよく勉強して長老を教育してる、とか聞きますが、第一にお医者さんでもカウンセラーでもない人たちが数時間の長老の集まりと称するセミナーで得た知識でアドバイスするというのは危険だと思います。


とはいえ、それは問題になりません。

だってJW提案は答えが決まってるから。
「霊的に忙しく、霊的に成長するよう」すすめるんでしょ

これって夫婦の問題の助言でも同じアドバイス、精神疾患でも同じアドバイス、
会衆内の人間関係問題でもこの答え、

同じなんですよね。


それを受けて成員も精神疾患も霊的なら治ると思っている。

会衆にかなりポジティヴ思考の開拓者がいて、この人こそ、躁鬱の躁状態なかんじで、「あ、やだなあ。こういうJW」と思わせるような人なんですが、(ポジティヴ思考でハイになっていっちゃてる感じ、、、)

うつ病の人を霊的に援助することで救えると思っている。しかも総合失調症なんかの素人がアドバイスしてどうなるものでもない重大な疾患も一緒くたにして考えてる。

相手をさわやかにするどころか、大体の場合その訪問が人をつらい気持ちにさせたり、時には精神的に拷問のような作用をすることをわかってない。

こういうJWたちはもともとJW以外の出版物を読まないから正確な知識がないのはわかるとして、、、

根本的にはこういうおせっかいをする人には「私はJW。JWはあらゆる問題を解決できる。そんな私はすべての人から感謝され歓迎され愛されてる」的勘違い自己愛があるような気がする。

「すべての人から好かれている」お姫様気分の小学生みたいな。実際はクラスの嫌われ者。


誰も何にも言ってないのに、「Aさんのこと太ってるからって馬鹿にしちゃだめ」などという発言をして、Aさんを傷つける(笑)タイプ。


こういう勘違いや幻想ってものみの塔でかなり「思い込み」を助長され、どんどん大きくなって、いらぬおせっかいで人を悩ませる。こういう強引な援助は結局エホバの名を借りた個人のエゴのようなものだと思っています。

バプテスマのすすめ・その2

2007-04-12 23:32:42 | ●エホバの証人考
先日の「バプテスマのすすめ」記事にはたくさんコメントいただきました。みなさんの意見についてちょっと考えてました。

バプテスマはエホバにするもの。

でもバプテスマを受けるときにエホバの証人になることを宣誓させられるのは、研究生にとって寝耳に水のようなものでは?と書きました。

コメント欄にも書きましたが、もう一度ここにバプテスマ宣言を載せたいと思います。


1 あなたは、イエス・キリストの犠牲に基づいて自分の罪を悔い改め、エホバのご意志を行なうため、エホバに献身しましたか。

2 あなたは、献身してバプテスマを受けることにより、自分が、神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。

ここでの問題は2の宣言文です。


なぜまた同じトピックをここで蒸し返すのか、というと、

JW問題というのは2世問題、虐待問題、会衆内での問題、その他の問題がこの

「エホバが用いているエホバの証人という組織忠誠を誓う」

ということに問題を発していると思うんです。


つまりコメントにあったように献身はエホバだけにするもの、そして一番大切なのはエホバとの個人的関係というたてまえがが守られていれば、長老により冤罪で排斥されることもないし、ローカルルールでつらい思いをさせられたりしません。

冤罪排斥やローカルルールで苦められるのはひとえに、組織がエホバの名を使ってその行いに正当性を持たせているからだと思います。いつのまにかものみの塔と組織がエホバにすり変わっている。

エホバが許しておられるとか、エホバが是認しておられる、任せておられるといういいかかたは現在エホバが人間に直接関与されない、というわけでハルマゲドンがきてJWだけが生き残るとい出来事がこれから起こらなければ、証明できませんよね。

宣言文に戻ります。


宣言といのは広辞苑によると、

「個人や団体、国家などが自己の主張や考えを外部に表明すること」

ってなってます。

バプテスマ自体が神への公の信仰の証だと思うので、第一に、バプテスマを受ける人になんらかの「宣言」をさせる必要はまったくない。

第二に 宣言とは人に対してするものなので、この宣言自体いくら神に献身した、悔い改めたという言葉をつらねても、結局は人(組織)に対する宣言に変わりない。


この2つの理由から、やはり私はエホバの証人のバプテスマというのは組織への忠誠宣言なのではと思うのです。

つまり、ものみの塔のやっていることはずばり

組織崇拝

ではないでしょうか。

バプテスマのすすめ

2007-04-11 01:01:35 | ●エホバの証人考
ある程度研究してるのにバプテスマを受けないと研究生でも2世でも圧力を受けるとおもいます。

協会がよく出すたとえは、、、

「婚約者があなたを愛しているといい続けますが結婚はしません。婚約者はあなたのことを本当に愛しているといえるでしょうか。」


ってやつ!!

これはそのとおりだな、、、って素直に納得してました。

「婚約者=あなた」「結婚=バプテスマによって公にJWであることを宣言すること」

ってわけですね。

今思えば、このたとえで結婚を要求してる組織のことがたなにあげられてます。
組織はなにかとあなたに「自分も愛してるし、結婚してほしい、とは言うけど、それは

自己責任でしてね。

結婚したいけど、自分は責任取らないからね、そのスタンスは最初からクリアにしてもクリアにしきれないって感じなんで、よろしく!

って常にいってるような奴なんですよね。

そんな奴との結婚に二の足を踏むのはわかるなあ。


さらに加えると、

この求婚者(組織)は、排斥という仕方でどんなささいな理由でもあなたを離婚できることになっています。

本当にこの求婚者はあなたを愛してるといえるでしょうか。

って逆に聞きたい!!!


個人の不祥事は組織の責任ではないという考え方

2007-04-10 02:46:58 | ●エホバの証人考
エホバの証人が起こした事件や会衆内のいじめ、冤罪排斥、長老の権力乱用、、こういった一連の問題を問題視すると

霊性が弱い

といわれる。

それは「海」の波にたえず揺らされて不安定な弱い人だ、

と聖句が当てはめられる。


いかに「心を広く」周りで起こってることを冷静に無視できるか、それが揺るがぬ霊性のしるし、、、

とは私も思っていました。


だから心とは裏腹に協会の理論で協会を弁護したりした。


ところで、人間は不完全、神の組織も不完全な人間を用いているから不祥事は起こる。

とは心の広い考え方だけど、

一方でJWが目のかたきにしているカトリックも、問題を起こしてるのは個人。教会が全体で罪を犯しているわけではない。

だとしたら、「罪を犯すのは個人。組織全体に罪はない」

というJWの理論をカトリックににも当てはめるべきだと思う。


個人の罪をカトリック教会全体の罪として断罪するならば、JWの個人の罪もJW組織の罪として取り上げられるべきだと思います。

おこっている問題の数ではカトリックのほうが多い。だってカトリックのほうが人口が多いからで、JW人口がカトリックくらいになれば、同じように事件が目立つようになる、と思います。

どうでしょうか。


不祥事がエホバの証人を揺るがさない理由

2007-04-09 01:50:15 | ●エホバの証人考
JW組織内で不祥事があってもだいたい、会衆は動揺しない。

やり方がたくみだと思うんですが、先の記事に挙げたように、教会は先周りをしますよね。

会衆内の性的虐待のTVが全米で放送される「前」に会衆に手紙がすでに行き渡っていた。JWも不完全だから罪を犯す、というのが一貫した姿勢ならば、こういった手紙が特別回ってくることはないと思います。

教会の意図は別なところにあると思うんです。

教会は事前にこういう手紙を出すことで、

●協会員が反対者の意見を聞く前に教会の意見を聞かせる
●成員を納得させ、さらに反対者の意見に対して教会の味方をするよう準備

することに成功してます。

これ、ちょっと例えると、暴力的な夫が妻に「ストレスが高じて時に荒々しくなってしまうかもしれないけど、本心でない、理解して欲しい」なんて日ごろから言っておくような感じかな。

そうすると実際何かおこったときに、被害者は加害者の都合のいいように考える。でも自分で結論をだしたような気分。周りからの忠告も無視して、根はいい人だから、などと自分から夫のもとにとどまる・歪んだ関係なのに気付かない。

みたいな図。


こうして災いを転じて副とするものみの塔。

矛盾に対処する

2007-04-06 05:02:38 | ●エホバの証人考
群れの司会者の話です。

この人は2世だったそう。ものすごく熱心で、今も会衆の若い男の子を援助中。
ヒルのようにくっついて離れない。集会中も一緒に座り、注解を促す。

そんな彼がこの若い子に話してるのを聞いてしまいました。

記念式に集まった車をみて

中学生2世「おお、みんないい車乗ってるなあ、」

司会者「王国を第一にしていれば必要なものは全て与えられるよ、心配しなくとも。君も車を持てるようになるさ、王国を第一にしていれば」

中学生2世「へえメルセデスに乗ってるJWもいるんだ~」

司会者「…。ある人は自分に頼りこのように富を得る人もいる、ある人は神にたよる宝を天に蓄える、それは自分自身のチョイスなんだよ、」

メルセデスから巡回監督がおりてくる。

中学生「え、巡回監督メルセデス乗ってんだ~」

司会者「…」

言葉が続かなくなり、司会者は言葉を濁した。

聞いてると司会者も自分が何を言っているのか、何を言いたいのか混乱してるように思えました。自分の言ってることの矛盾に気付いて口を閉ざしたものの、熱心なJWであるこの群れの司会者兄弟は別にこの後なにも考えないと思う。

JWは矛盾を飲み込んでしまうことが上手。私もかなり訓練したからそこはまあまあ、うまくできてたと思う。

その理由は、まあ、考え始めちゃうと自分の宇宙が崩壊しちゃうから、それ以上考えちゃいけないから。

なんですけど、

そういう理由で矛盾を感じても無視できるんだと思う。

だから反対する人や、心配する人がいろんな矛盾やJWの間違いをつきつけても全然受け付けない。のは自分にJWによって作られた世界観が壊れることへの用意ができてないからだと思います。

でも会衆で嫌な目にあったり、自分のしたいことをいよいよふさがれるような状況にたった人は、JW世界が壊れる用意ができている。だからもう一歩進んで、なぜ矛盾を感じるのか、知りたい、って思えるんだと思う。

だから熱心なJWも”だめなJW”も同じ矛盾を感じている、要はそれを受け入れる用意ができるかどうかでしょう。
その違いだけでは、と思います。

自分のことを考えてみると、同じような反対意見(例えば血)を何度も聞いてきたけど、1年前だったらそれを考える用意が全然できてなかったと思う。



「良心の問題」の意味

2007-04-06 04:29:33 | ●エホバの証人考
「妻たち-夫に深い敬意を抱きなさい」2月15日号2007

にこんなエピソードが載ってました。


「どうすれば夫を引き寄せられるか」
の見出し

14節

「中略)夫は声を荒立て「アグネス、もしそのドアから出てゆくのなら、もう帰ってくるな」と言いました。

妻のアグネスは「そのドア」からではなく、別のドアから出てゆきました。

って…

なめとんのか~~~~

って言いたくなります。

この手の話昔っから聞きませんでした???反対する夫が出てゆくように妻に言い渡す。妻は「機転をきかせ」出てゆくからこの家から一つだけ物を持ち出してもいいか、と聞く。夫は了解する。

すると妻、ふろしきを広げ「あなたを持っていきたいです」

などと、、、

未信者は必死です。人生がかかっているから。それをとんちでごまかそうって、そうはいかないよ。

って思うんです。腹立たしい。

でもこういう話がでるたびに、聴衆は感嘆の声をあげるんですよ!!!

この前の集会でもそうでした。

全く腹立たしい!!!

こういう「小ざかしい」言葉のあや、ってこれだけにとどまりません。
これはJWの典型的な思考パターンを現してると思います!!!!(笑)

電話ぐちで「私はいないといってくれ」といった上司に

「私は嘘はつけません。あなたはオフィスにいるのに、いないとは言えません。だから一旦部屋からでてください。そうすれば私は上司はいないと言えるでしょう。」

っていう人いませんか。うちの会衆の姉妹はこうやってオフィスで「良心」を保っている。といいました~。

そうなんです、JWの良心って言葉のあやだったり、テクニカルタームの問題だったりしますよね。

なんか上の姉妹ですが、上司はいちいちこの姉妹の「良心」のために部屋をいったりきたり(笑)なんですよね。でも変な話です。嘘をつけないなら、嘘はつけないって断ればいいけど、部屋にいなかったらOK.

なんですよね。

これって原則を守っているってよりも、良心がOKなら原則もなにもなくって全てOKなんじゃないかと思うんです。


私ですか?JW時代から卑怯者だったので、こういう場合は上司がいてもいないって言いました。

だから上の姉妹よりもダメだというと、今考えるとたいして違わないような気がします。

自分の良心に言い訳がつけば実際自分が何をしてるかは、問題ではないって考え方は輸血にも現れてると思います。

フレグメントが血であるか、血でないか、は結局のところ問題ではないんですよね。”良心”がOKかそうじゃないか、が問題なんです。

もちろんこういう私もその一人で、セックスじゃないからハンドジョブはいいか、って良心がゆるしたんだけど、(笑)これはアウトでお縄になったというなさけない過去がありますから、ひとのことは言えません。



でも反省してます。これからはちゃんと考えよう。って。ちゃかしてませんよ。(笑)真面目にそう思ってます。