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パーフェクトワールド

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エホバの証人が道徳を教え損ねる理由

2007-07-30 21:03:47 | ●エホバの証人考
血に関して少し思うことがあったので書きたいと思います。

まず、エホバの証人は「高い道徳基準」を持ってるといつも宣伝してますが、どうでしょうか。

特にエホバの証人2世は婚前交渉はしない、うそはつかない、良識の模範のようだけれども裏を知れば、多くのJWが「淫行」の定義にひっかからなければセックスぎりぎりまでしてるし、裏表ある生活をしているという点においては世の人よりよっぽど良心が鈍い。

(それを攻めてるわけではありません。JWの禁止事項自体どうかなと思っているので、裏表は必然的ともいえます。)

エホバの証人は良い人だけれど、それはエホバの法律で禁じられていることをしないだけで、本当に良い人だから、良いことをしたいからしているという人は、

とても少ないと思う。

淫行はしてはいけないからしない。と、したくないからしないのでは大違いであるし、

輸血に関しても同じで、本当にしたくないからしない、という人は少ないだろうし、決まりでなければ生か死かと言われたときの判断が大きく違うと思う。

また私をはじめとして、世一般で悪いと言われていること、、つまり殺人とか、不倫とか、うそをつくことなど、JWの中ではあまりピンとこない人も多いと思う。

それは浮世離れしている環境で育ったということもあるけれど、つまるところ、

エホバの証人は「復活がある」ことを本気で信じ、信じるだけならともかく、それを生活の基盤にして考え、決定し、日々を生きているところに問題があると思う。


ある時私は医師である友人と映画を見ていて、映画の最後に主人公が刺されて死ぬというようなシーンがあった。

主人公は短くお別れを言って死んでゆくんだけど、私は友人に「こんなのって映画だけの話だよね~」と言ったら

そんな事はない、血を大量に失えば現実でもこんな風にあっけなく死んでしまう。

と言われた。

私の発言はもう、典型的はJW発言だったと思う。

はっきりした実例も文献も知らずにものみの塔のいうこと(人は結構な量の血を失っても生きられるとか、代用で生きられる例とか、、)を事実として信じていたんで、死、とか死に至る危険性とかシリアス性とかに鈍感だった。

友人はいい機会だと思ったんだと思う。普段は冗談ばかり言ってる人だったけど、私がJWであることも知っていて、

自分は病院でエホバの証人にあうし、血の問題で出版物にも通じているけれど、JWの用意している資料はたいていが古く、中にはまったく間違っているものもある。。第一代用だけでは間に合わない場合がたくさんあって、

代用血液で間に合うなら、どうしてみんながそれを使っていないと思う?医師も馬鹿ではないから輸血の危険をしっているけれど、あえて使うには理由があり、

血でなければ命が救えないからに他ならない。輸血の害というのは

命があるからこそ生まれてくる問題で、死んでいたら治療の可能性もない

輸血でおこる害については「後で」考える。なぜなら医者は死んだ命を戻すことはできないから。

というような事を言われた。

結局、彼からは「命に危険がある場合は輸血をすると約束して欲しい」

といわれたわけだけど、JWだった私は「約束はできない、」と言った。約束すると言っただけでエホバを裏切るような気がしたから。

と、友人は

「自分はたとえば蝿をできるだけ殺したりはしたくない。どうしてかというと、蝿くらい精巧な飛行機を作るとしたら、人間には作れない。しかもそれを殺して、同じものを作れといわれたら、絶対にできない。

自分が戻せないものは取らない。

医療も同じで、患者さんを生き返らせる事はできないから、その場で命をつなぎとめる最善の事をするまで。」

と加えた。

エホバの証人は命はいくらでも戻せると思う。

いくらでも取り返しがきく、悔い改めさえすればやり直しがきく、命でもなんでも。

だって全能の神が「リプレイス」してくれるんだから。

私はこのとき、どうしてエホバの証人が道徳教育に失敗するかその根本が分かったような気がしたし、同時に輸血に対する医師と(それから一般の世の人と)JWの間に理解できない溝があるわけも分かったような気がした。

命は戻せない。

エホバの証人がよく言う「ハルマゲドンを意識しつつも、今ある生活を精一杯生きる」だとか「この世代にハルマゲドンが来なくても納得できる人生設計を」

などが大抵現実には成り立たないわけは、
JWの根本をなす、復活と、やり直しの教理にあると思う。

いつでもやりなおせるPCゲームにある意味真剣勝負がないのと同じように、エホバの証人の道徳や人生に真剣勝負はありえない、
と思う。

善行を宣伝するエホバの証人

2007-07-12 18:27:39 | ●エホバの証人考
だいぶ前になるのですが、NY近くの川でおぼれた白人男性を黒人男性が助けたというニュースがありました。白人男性はそのときすでに気絶してたかで、「あの時助けてもらわなかったら確実に死んでいた。彼は命の恩人です。」といい、助けた男性は「当然のことをしたまでです。」といって抱き合った。

という報道。

もしこの黒人男性がエホバの証人だったら、、、、さぞかしものみの塔は宣伝するだろうな~と思いました。雑誌の裏とかで。(笑)

JWだった頃はなんとも思わなかったんですが、エホバの証人って善行を宣伝しますよね。エホバの証人だからできた。というふうに。

お金に困っているJWの姉妹が財布を拾った。そのには姉妹が家賃を払うのに必要な額が入っていた。しかし姉妹はそれを警察に届ける。

姉妹は「私はエホバの証人なので正しいことをしたい」とか何とか警察にいい、それを聞いた財布の持ち主が感動し「皆さんのようなすばらしい人たちは見たことがありません」とかなんとか

っていう話をよく読まされた。けれど、良く考えてみると

先にあげた黒人男性のように、善行を行っても普通「自分はカトリックなので助けた」とはいいません。「自分は仏教徒だから正しいことをするよう訓練されています。」ともいいません。

今思うと、こういう一連の「経験」を読むことによって、確かに子供の頃から「エホバの証人として正しい事をしなければいけない。」と思ってきました。

が、それはしなければならない「義務」の善行であって誰かが困ってるから助けてあげたい、とかそういう動機じゃないんですよね。それからエホバの名において良いことをすれば祝福される。はず。という期待。

だってそういう経験談っていつも姉妹や兄弟はお金をくすねようか(笑)って一瞬考えたみたいなこと書いてあったり匂わせてあったりするんです。でもがんばって正しいことをした。

みたいな。

絶対落とした人が困ってるに違いない。

とかって書いてないんです。

私は結構「エホバの証人の良い宣伝にならなければ」と思って良いことをした経験があります。でも心からしたかというと違うな、、っと思っていつも罪悪感があったんだけれど、

教育のされ方が間違ってたんだな、と思います。

これからは良いことは純粋に人のために。もうエホバの証人として善行を宣伝しなくてもいい。

しかも善行は隠れてしろ、って聖書にも書いてありますし。

エホバの証人とクリエイティビティー・JWを抜けて良かったこと

2007-06-29 05:57:48 | ●エホバの証人考
旧友の訪問があり、すこし更新が遅れてしまいました。

ちょっと時間を取って、友人と近所を散歩したり最寄の町を歩いてみたりして気晴らしになりました。

特別なことはしなかったのですが、エホバの証人のマインドコントロールを抜けた後はじめてゆっくりした時間を取ったということと、エホバの証人でない人と時間を過ごしたということでいろいろ考えるところが多かったです。

さて、今日のお題ですが、2世、3世問題の続きです。

エホバの証人として育つ弊害に創造性の圧迫(って表現おかしいですか。)があると思っています。エホバの証人という社会はアート、クリエイティブ関係で才能を持っている子には辛いところです。

才能を伸ばすための時間が取れないということの他に、JW組織による限りない制限や罪悪感や思想の取り締まり、それからアートやその他の個人アククティビティは神や神の計画の前には全て価値がなく、むなしく、取るに足りないものという後ろ向きの精神のすりこみ、周囲からの圧力、

というマイナス要因がありますよね。

でもアート性を発揮したい、という願いは若いうちはあるので、その両挟みになって子供は辛い思いをします。

大人になると、、、大体の場合はそういう才能は摘まれてしまい、無気力、無表情のJWになっているという子が多いんじゃないでしょうか。


こう書くとかならず「JWでも芸術性を生かすことは何も規制されていない。平行を保ちながら好きなように楽しめばいいし、そうしてる人もいる。芸術はエホバをさんびすることにもなる」

という意見を言われる方がいると思うのですが、そういう意見をいう方は大抵アーティストじゃありません。

というのも、アートというものは「平行」とって創作できるもんじゃないんです。没頭して、熱中して、平行をかいてこそ出来上がるものなので、そもそもエホバの組織の言っていることとあらゆるところでコンフリクトします。

その証拠に私の知っているアーティストたちはエホバの証人になった後、活動を”休止”しています。

そうせざるを得ないんです。

自分はJWになる前は絵をかいていました。これも私に一応短いながらJWでなかった時代があった時の遺産です。JWになってから、特にバプテスマを受けた後は全くかかなくなりました。描くものが周囲の問題になるのもうんざりだったし、油絵なんかは準備もあり、JWの忙しい日程の中では時間がとれなくなったこと、

そして第一に自分に「かきたい」という意欲が全くなくなったこと、が理由でした。

かきたければかけばいい、とよく言われますが、そういう問題ではないんです。JWの抑制された心では何も表現するものが出てこない。

出てこなくなった。

今辞めて周囲を見渡すと美術館のアートからチョコの包み紙のイラストまで、いろんな創作が目につきます。

JWだったころは自分がそういうものに没頭するのが許されていないことと、その失望から、そういうものを見るのもおっくうだった。心を封じて無理やり、こういうことは時間を取る、むなしい、無駄なこと、と考える傾向がありました。

今は素直に「あ、こんな絵もある」「これはいいな、」と興味が戻ってきました。
自分でもかきたい、表現したい、という意欲が戻ってきました。

夫の問題や、会衆、それから親、まだ取り組み初めてもいない大きな問題があり、本当に圧倒されています。

でも一方で本当に今の自分は希望や興味や意欲にあふれていて、これからの人生にわくわくしています。

JWを辞める代償は大きい。多分おおきなダメージも受けると思う。

それでも心の自由には変えられない。

そう実感する今日この頃です。

3世問題 その1-三世は将来の適確な判断ができるか

2007-06-10 05:56:10 | ●エホバの証人考
最初に…。

この記事はいわゆる3世をもつ親を責めるものではありません。お子さんを持つJWのことを考えるとなかなかこの記事を書く気になれませんでした。ストレートに言ってしまえばオフェンスになりかねないし、親自身葛藤していらっしゃる場合、そんなこと言われても!という気持ちさせてしまうかもしれない。。

自分もJWをやってきて両ばさみの気持ちが一番辛いのは分かっています。なので、、、今回の記事は「JWが子供に100%益になってる!うちの子は3世でラッキーなことだ!」と思っている人限定ということにします。


2世の親。
協会はいまだ公に子作り解禁をしていない(といういか、公式の禁止もなかったから公の解禁もないという非常にあいまい)のでこれ自体少ないのですが、やはり格会衆にちらほらと二世の親がいます。

二世の親の特徴として「将来は子供に自由に判断させる」と公言すること。があるんじゃないかな。子供の将来は子供自身が決めるのは

あたりまえ

なのはおいといて。

多分どこの2世親も同じようなことを言うのは、「自分たちがいくらかJWである親から抑圧されてきたから、子供には同じ苦労をさせたくない」という思いが共通しているからだと思う。

そういう2世親たちにやはり共通するのは自信。なんとなくどこのカップルも自信満々、という感じがする。多分すいも甘いも経験しきったJW親として「バランスのとれた」子育てができるという自負から来てる自信なのでしょう。

興味深いことに子供のほうはというと、JWに邁進する3世は「霊的で高慢」タイプの2世と全くかわらず、JWで葛藤する3世は悩める2世と全く同じ運命をたどっていると思う。

さて、子供の権利を尊重し、JWにとどまるも、自分の道を行くのも良いといういう理解ある親のもとにある3世はそうでなかった2世と比べて有利なのかというとそういう事はない。

子供は楽なほうへ流されてゆくもの、だからです。


JW生活は楽。(自分の葛藤がなければ)
例えば開拓奉仕だけれど、金銭が関係してないし、時間さえ入れれば仕事もバイト程度で(JW世界では)面子が保てる。奉仕時間の内容も入れ方も自己申告で、その内容が悪いからといって首になったりしない。

疲れれば休めるし、時間さえ入れば好きな時に、好きなように休暇もとれる。

霊的なことを第一にしていれば親や周りから”必要なものは与えられる”のであって、生計をたてること、将来のことなど気にしなくてもいい。

遊びたいさかりの学生時代にこういう選択肢を与えれば、子供はついつい楽なほうにながれ、とりあえず卒業後バイトに開拓、とりあえずJW、という選択をするのではないかな。と。

(途中で「恋愛」が入れば別です。そうすれば目がさめるか、あるいは組織から強制退場。)

よく大学に行かず、開拓をした2世がJWを辞めても「自分で選択したから組織を責められない」と言うけれど、

JWじゃなくとも人生に終わりが来るなんて信じられないくらい若い子供たちに、
「こういう楽な道もある。そしてそれが神の誉を受ける道である。」と、日暮をする生活を美化する大人(親)がいれば、子供は容易にその道を取ると思う。

JWに交わらせる親は、自由選択と口ではいっても知らずある道をとるよう誘い水をしていることになる。


例えば日系の3世を考えて見ると、

日本を出てきた1世にくらべ、2世は日本を知らず、3世にもなればアメリカで生まれアメリカで教育をうけた親をもつアメリカ人。二十歳になると日本は二重国籍を認めていないので、アメリカ国籍か日本国籍か本人が決定しなければいけない。

この「選択」は1世が国籍を選択する条件とは絶対同じではありえないですよね。
こうした3世のどれだけが日本国籍を取るか。というとほとんどない。また日本で生まれた日本人が日本国籍を選ぶ条件とも違いすぎる。

JWに当てはめてみると、
JWの親を持ち、JWの教育をうけ、JW友達、コミュニティーの中で生活した3世が世とJW、どちらかを選べといわれて適確な判断ができるかというと、またそれは少数だと思う。世で生まれた子がする判断とは違う。

適確な判断をする材料を与えられていないから。日系3世はアメリカ国籍を選択してもそれが一番自然で楽だからであり、自分が選択してアメリカ人になった、というよりもアメリカ人として育てられた。
なるべくしてアメリカ人になっただけ。

JW3世も自分からJWの道を選ぶというよりも、それが一番葛藤のすくない道であり、水が低いところに流れるくらい自然にJWを選ぶ。選択ではなく、JWとして育てられ、なるべくしてJWになる。というだけ。

一方世の道は険しく、世の子でも親や教師から「今しておかないと、将来困る」と押されながら仕事や学校をえらび大人になっていくのに、JWの子はそれをしてもらえない。

子供に本当にフェアな判断土壌を与えるには、JWの中で育ててから判断させるのではなく、幼児、すくなくとも小学生まではJWコミュニティーに交わらせるべきではないと思う。

子供はとにかく素直に教えられたことを吸収してしまうので、その時にJW教義が入ってしまうと世の子とはもちろん、世の親をもち、一時は世の子供として育ったタイプの2世にくらべどうしても判断におおきなハンデがでてしまう。

2世の親は自己満足ではなく、子供に将来に本当の意味で有利な教育をさせてあげてほしい。本当にそう思います。





子離れできないエホバの証人の親たち

2007-06-06 03:53:58 | ●エホバの証人考
みなさん「毒になる親」という本をご存知ですか?

エホバの証人二世なら知ってる人が多いと思います。


親子関係で悩む二世が読む裏バイブル()な本でたいていどこの会衆でもこの本がぱ~っと


流行ったり

するんですよね。

中にはメンタル系ブックスを箱で買いこんで、「この本読んでみて。心が楽になるから。」などと言い、会衆の若者に配る、というつわものもいます。

満ちたり、喜びに満ちているJW内でこういう本が流行るのはなぜ?

という素朴な質問は置いておきます。





「毒になる親」という本に話を戻しますが、この本は大人げない親により苦しめられている人がそれに気づき、自分の人生を調整してゆくというメンタル本ですが、


読んでると



ここに出てくる人は全員エホバの証人?と思いたくなります。

この本に出てくる親たちは一言でいうと大人げなく、自分の感情を満たすためなら子供の将来や感情などは一切考慮にいれない。恐るべし人間たちなんですが、

こういう親がJWには異様に多いのはなぜなんでしょう。


多分、親も人間。どんな親も自分勝手なところ、理性より感情を先走らせてしまう時もある。

でも普通の家庭の場合、子供は巣立ちして行きます。子供が家族をもって親になればさらに大人になったわが子を「自分の配下」に置き続けることは常識でできないのがこの世のなか。


でも。

エホバの証人は

●物理的に集会、奉仕、大会などで生きている限り親子の活動フィールドが同じである、

●子供が経済的に自立しないので親が援助。金も出すから口も出せる、で親が幅を利かせられる立場が長く続く。

●子離れしたくない親が使える教えがJWにはたくさんある。

こんな条件がそろってます。


一番の親子の関係のゆがみ原因はそのうち「子離れ」したくない親に有利な組織、ってことでしょう


動物の親は子供が親離れする時期になると急に子供を攻撃したりして、無理に子供を巣立ちさせる。(えらい!!!JW親、爪のあかほども見習って欲しい)

人間の場合はもうちょっと複雑で、十代の頃に反抗期、というのがありますが、あれが親がわが子に一歩距離を置かざるを得ない状況をつくり、親に子離れの心理的準備をさせる役割があるそうです。子供が親を離れるよりも、親が子を離れるほうが難しいようです。


が。


親に絶対服従、従順を勧めているエホバの証人にはあからさまな反抗期ってのがありません。

いつまでも何も自分でできない幼児と親、の関係が続きます。っていうか子離れできない親にとってはパラダイスのような宗教だと思います。


それに加え、閉鎖された家庭でおこりがちな不条理な怒りや理不尽な要求も

「霊的」なことや「組織の方針」や「神のご意思」

とういう言葉を使えばあっという間に正当化できるので、

親はますます暴走できます。


普通は「お母さんが悪かった」となるところ、「神の名において正しいことをしている」となるわけですよね。


普通の親は子供が成人するにつれ、自分の思い通りにならないことがあっても、それを受け入れていかなければなりません。

でも!

エホバの証人は親の思い通りとは大体教理に沿ってること(不道徳を犯さない、集会を仕事のため犠牲にしないなど)なので、思い通りにならないと

暴れます

組織や神をたてにして暴れるわけですから、心おきなく暴れられる、そして反省なんてしなくてもいい。


こうしてJWの親はどんどん「大人」である部分を失ってゆくんだと思います。


子供の気持ち、子供の選択、子供の人生。

はあ?なんでそんなものに気をつかわなきゃなんないのぉ?
なんであたしが子供の言うこと聞かなくちゃなんないのぉ?


まるで手のつけられない馬鹿ティーンエイジャーですね。


こうやってJWの場合、子供が親に対して「大人」な対応を強いられることになります。

大体の親が「子供に幸福な家庭を」「子供によい未来を」と思ってはじめる聖書研究。それがいつのまにか「自分の思うようにならないなら、あんたなんかハルマゲドンで滅ぼされればいいのよ。」

と平気でいえるようになる。

エホバの証人ってどんな宗教??



欲しがりません、勝つまでは -JWと清貧

2007-06-04 18:22:40 | ●エホバの証人考
自分の中でのエホバの証人のイメージはというと、、ひとことでいうと

貧乏


協会の「成員は生かさず殺さず」の生活をさせておいたほうが、霊的必要を
感じるだろう

という思惑からすべて来てるとは思いますが、


とにかくこのご時世にあって、時代錯誤的に貧乏なのがエホバの証人です。


貧富の差があるアメリカではさすがにお金もちのJWもいますが、
彼らは生活水準の違いから貧乏なJWと付き合うのを避けます。そうざらにミリオネアレベルのJWがいるかというと、、、そうでもないので、

ざっと見たとこ大体リッチなJWは世の友達とよく付き合ってます。そのほうが気が楽なんでしょう。


そういった一部のJWを除いて、いわゆる霊的に活発なJWはホントに貧乏。


自分でも比較的豊かな国、日本にいたころでもよくおなかをすかせてましたね。(笑)

というのも、奉仕、その合間にバイト、という生活スタイルから必然的に貧乏になるわけですが、何を思ったか、大体のJW親はそういう子供から家賃や食費を請求しますよね。

みんながそうしてる、という理由でうちもそうでした。奉仕の合間のバイトなんて
時間が細切れだから効率もわるく、肉体労働のできない、しかも学歴のない姉妹とかだったら、月平均5万円からどうがんばっても10万以下の収入。

下手をすると、人手がいらないJW商店なんかでしょうがなくつかってもらうケース(最初の職場がそうでした。)もあって最低賃金で交通費なし、というボランティアのような仕事だったりして、

これでパートナー生活をしている人はもう、曲芸級貧乏です。

一ヶ月の食費が二人合わせて一万円。

これ、パートナー生活の開拓者の常識。


野菜なんかはペットにあげるといってやさいくずをもらってきて自分で食べたり、
パンやさんにつとめて、パンはただ、とか、コスメは100円均一。

極貧エピソードはつきません。


協会がくちをすっぱくして言うあの、、

簡素化


ですが、禅でいう簡素、を考えてみると


●簡素-煩雑でないこと。高度に素朴で、単純の美


なるほど。奥が深い。

よく欧米では、日本の洗練されきった、無駄なものを最大までシェイプした
空間はこの物があふれる世のかなにあって一番高価なものではないか。

なんていわれるあれですね。


しかし、エホバの証人のいう簡素とは


単に節約のこと



最近の雑誌(も、か目か忘れた)にあった記事によると

生活を簡素化するという項に

バーゲン品を利用する

電気製品の使用を控える


とありました。


ああ、、エホバの証人の生活は乾いている

怪しい経験その2

2007-05-21 02:15:28 | ●エホバの証人考
経験続きです。

これは今年の年巻に載ってたらしい経験です。


ところで私は年巻をまともに読んだことがありません。


これだけは敬虔なJW時代からの自慢。

周りの圧力にもまけず、本当に一度も読まなかった。


だって、あれって副教材っというか、おまけというか、学研でいうなら別冊読み物みたいな、(学研の別冊は読んでました。)

やつだから、読まなくてもエホバの天罰はあたらないだろうと良心が許したので。


さてさて。

だからこれが今年の年巻に載ってるかどうかは知りません。

が、英語のさだかでない姉妹が熱心に話してくれました。

「ある地域は水道がなく、水の配給が一週間に一度あるのみ。ある時、水の配給がある日に特別集会だか、大会だかがあたった。

この地域のJW家族は王国を第一にしていれば他は与えられるという信仰のもと、その日村をでて、集会に出席した。

その日家をにいなければ水の配給がうけられず、一週間水なしで生活しなくてはいけないのに、である。

夜、帰ってくると家族は
家のまえにいくつもの水の配給ボトルが置いてあるのを発見した。
不思議に思っていると

近所の人があなたたちが留守だったので、運んでおいた

のだと伝え聞いた。

エホバに感謝しています。おわり」


って、隣人の人に感謝した???


最近経験をきいて思うことは

●1 周りの人に迷惑をかけたりすることによって、JWにいいように事が運ぶ

●2 経験談のほとんどが発展途上国で起こっている


ということです。

この、「2」ですが、

もの見の塔の研究記事で出てくるエピソードのほとんどがやはり発展途上国のものです。気をつけてみてください。

つまり、、、欧米の都会などの先進国ではこういうエピソードは得られなくなった、それから発展途上国の人は周囲の教育体制や女性の地位などがととのっていないので、エホバの証人が喜ぶ種類の経験やコメントがうまくあつまるんでしょう。

大体、、水の配給の話自体、、近所の人に単に迷惑をかけてる話でしかないし、、

水道がない国の人の生活とNYで生活している人に同じスピリチャルな導きが必要でも、経験が当てはまるわけでもないと思う。。。

断絶のすすめ

2007-05-08 21:38:02 | ●エホバの証人考
最近、スモークさんのブログで自然消滅中だったスモークさんに審理委員会の招集がかかったって記事がありました。

うちは兄が10年以上前から自然消滅中です。今考えてみると仕事が忙しい、就職した地元の会衆でうまくいかなくて疲れた、という理由以外の理由があったのかもしれないです。

自分の兄弟なのにお互い一切そのことは話していません。母にはいつか組織に帰るといっているらしいですが、今の私としては兄がきっぱり組織から離れていることを願ってます。

ところで、10年以上自然消滅の兄ですが、その間にガールフレンドの一人や二人、できるわけです。

でもそのたびに不品行が周りの世間(って誰だろう、兄の宗教なんて同じ職場の人でも知らないだろうし。)にも悪い証言になるので、PW兄兄弟には近々白黒つけてほしい。と長老が話し合っている。

といううわさを人つたえにきくことがあります。

世界的組織なんで、うわさはいろんなところをたどって実家であるうちの母のところにうまくたどりつくんですね、、、。

でもそのたび、母は食事ものどを通らないくらい心配して、毎日兄に電話攻撃したり、周りのうわさ(心配のあまり兄を信じないでうわさを信じるほう)を聞いてまわったり、大騒ぎなんです。

もちろん、JWから抜けてないころの私も、兄が断絶、絶縁状態になるわけですから、そろそろか、と何度も覚悟を決めて、それでもやっぱり見逃してもらえないんだろうか、、と心配して心配して、、、、

断絶の話がでるたびに母と寿命をすり減らす毎日でした。

JWを信じていない今となっては、母が悲しむということを除けば、(そして兄がJWを信じていれば、彼へのダメージも)私の心は少しも何も感じないけれど、


信じていたころは兄の死刑執行を待つ気持ちだった。


大げさかもしれませんが、JWとして排斥や断絶は神からの疎外、命の見込みのない、信仰上の一時的死刑です。復帰があるといってもその間にハルマゲドンがきたら終わりでしょ、、。

そんな風に思っていました。

母はそれこそがちがちのJWなので、悲しみながらも、やはり組織の評判が落ちるといけないので、女性とデートしているところを近所に見られてはまずい。ここは自分が息子と縁を切ることを我慢して断絶をすすめるべき、、、

なんて思っているようです。

不品行っていえばそれで排斥にもできるので、訴えるのに現場目撃証人が必要な淫行よりずっと使い道がありますね、

兄がアパートにガールフレンドをつれこむ(??表現が変。)現場を地元のJWが奉仕中に何回か目撃してる、(奉仕は区域内での不品行を防ぐのにも有益です。)

姉妹たちが長老にそれを相談。

長老はそれに応じて兄の断絶意思を会衆にあらわすことを本人に促す。

そんな状況が数年ごとにおきます。

兄も後ろ冷たく思っているのか何度か断絶か復帰のどちらかの選択を迫る話会いに同意してるんですが、そのたびに彼女と別れたり、周りに不幸があったりでお流れになっているので断絶にはいたっていません。

でもまた数年すれば同じような話が持ち上がるだろうし、そのたび母はまた寿命をすり減らすくらい悲嘆するんだろうな、、、。


長老は愛よりも、悪(?)を正す正義感に燃えてしまうんだろうか、長老にも、誰にも人を裁く権利はないと書いてあるのに、人を裁く権利があると錯覚してしまうんだろうか。

大体、断絶することを成員にすすめることができるんだろうか。

それって信仰上の自殺のすすめじゃないだろうか。

疑問です。

問題はなかったという見方

2007-04-29 18:41:19 | ●エホバの証人考
先の記事の続きです。

JW2世の問題(進路妨害や恋愛の自由、子供をもうけることの心理的制限、体罰などなど)に対して

問題はなかった、組織に責任はない

とする人がいます。

私はこういう意見を持っている人が実は大半なんじゃないかなと思います。

ところで、問題を体罰とか性的虐待とか具体的になればなるほど、焦点が狭まり、
具体的な一例を論破することでイコール組織に問題はない、

なんて極端な結論にとびがちなので、ここでは一般的な2世弊害としますね。


●問題はなかった派のうちわけ


同じ「問題はない」といっている人でも、そう思う理由はいろいろだと思います。


グループ1:正規エホバの証人(笑)

完全に感化されていて、疑問を感じていても、感じていなくても、最後には組織の教えどおりの結論しか出せない。(数ヶ月前まで私はこれでした。)自分で考えることはできないから「意見」としては意味をなさない。から却下します。

うちわけすると、問題は神がただしてくださる、そのためには歩調を乱さず組織に従うのが成員にできる最大なことと思っている信仰派や単に無意識無存在な人、
組織の要求している模範回答を読み取ることができるってことで優等生ってことを示したい人などなど様々。



グループ2:自分勝手な人


といっていいのかどうかわからないけれど、今の自分さえよければ他の人の不幸があまり身近に感じられない。昔に起こったことだから勝手に時効って考えるか、これからおころうとしている虐待もはっきりいって無関心。もちろん、そんなんだから、他の人の気持ちなんかとうてい考えた発言ができるとは期待できない。のでこういう人からは暴言に近い発言が最初から予想される。

グループ3: 問題をぜんぜん知らない人

世間を知らず資料も読んでないことが多いから単に問題外。とんちんかんな意見をいいがち。


グループ4: 物分りのよさを演出したい人

問題はありますけど、まあ、そんなに騒ぐことないんじゃない?というスタンスの人。結局は問題を考えるよりも、物分りの良い大人な自分や、あえて問題を問題視しない、おとなな自分をアピールしたい。

こういう人は究極的に「自分」に話題を向けたい人。端的にいうと、問題視してる人=弱い人と位置づけることによって自分を高めたい。

なので意見が話す相手によって変わる。

グループ5: 本当に本気で問題がないと思っている人。

それってど~いう人???


●殺しがなければ警察は動かない

って言葉がありますよね。

JW問題も輸血や体罰で人が死ななければ問題視されない
なんてことは避けたい。

実際害を受けたと思っている人には害があったと思うし、それに対して当事者以外の人が「害はなかった。」というのは

おかど違いな発言だと思います。

傷ついたために、もうそのことは話したくないという人が沢山いるなか、あえて話続ける勇気をたたえたい。

組織に残された2世3世のために。


3世問題

2007-04-21 18:24:48 | ●エホバの証人考
自分は2世で不幸だと思っている。

けれど3世の不幸に比べたらどうなんだろう、と思う。

2世の中には幼稚園や小学校低学年時代を普通に過ごした人も沢山いると思う。きっちり生まれた時からJWでした、という人のほうが私のわまりにには少なかった。

(私の母は研究はかなり前に始めていたけど、本格的にJWを実践し始めたのは結構あとで、私は小学校2年生に上がったくらいまでは本当に普通の子供として生活していた。)

その6、7年間の間、集会時間に縛られることなく子供としての時間を送れたことは本当にラッキーだったと思う。

つまりは集中したい時に集中してやりたいことをやらせてもらえた。興味とか集中とか、子供の頃から時間をかけて集中してやらないと習得できないことの類をだいたい網羅させてもらったと思う、、、。

JW時代、あの6,7年の成果で生きている、あの6,7年を食いつぶしながら生きていると感じたことがよくあった。

だから、もしあの時間がなかったら、自分が生まれながらのJWや3世だったら、いったいどんな人間になってだろうと思うと、、、

想像がつかない。

自分の長所や特技は全てあの6年間に培ったもので、

あとの30年近くは全て「負」だった。自分を責めることしかしなかったし、内で苦しむことしかなかったし、なんの特技も身につけなかった。

自分は非JWだった6年の財産でやりくりしていると良く思う。


近所のJW2世の子を見ながらよく思う…。
シンプルに「かわいそう」としか思えない。

この子は生まれながらのJWでまだ幼稚園の年代だけれど、朝7:30には奉仕に連れてゆかれる。帰ってくるのは時に9時近く。神権家族なので、こんな生活でも誰からもチェックが入らない。

奉仕がない時は集会。少しでも遊びたい年頃だから30分、15分という小刻みな時間をぬって公園にひとりで出てくる。

すぐに親が迎えにくる。この後はお風呂に入って、食事して、きがえて集会だから!いつもばたばたしている親と過密スケジュールの子供。こんな中で何かに集中したり、興味のあることを追及したり、

ということが出来るのかどうか、というとすごく疑問だ。

子供には、感性を育てるために「無駄」な時間が沢山必要だと私は思う。
親がゆったり、時間を気にせずに横にいてくれることが必要だと思う。

それは集会や大会で一緒に座ってることとは違うし、集会中、絵を書くことも、本を読むことも禁じられて、ただひたすら「無」の時間をすごすことでは

代用できない。

それは同じだと思っている親が沢山いるけれど、、(私は他の親と違って子供といつも一緒に過ごしています。とかいう人。単に集会奉仕に連れまわしているだけ。)

本当は後者のような状態(集会の「無」の時間や、奉仕や集会に親の集中力をとられているのに、”クオリティータイム”に数えること)は子供に悪影響を及ぼすと思う。「無」の訓練は子供を無気力にするし、奉仕や集会は親と一緒にいても孤独感を感じるきっかけになると思う。

生まれながらの2世や3世は全員不幸、かわいそう、といいたいんじゃないんです。

JWとして幼少時代を過ごすということが、どのくらいそうでない場合にくらべ子供にハンデを与えるか

ということを言いたいんです。


JWの生活を送るようになってから、夢や興味は芽を出した時につまれ、批判され、あきらめざるを得なかった。そういうことが続くと、何もやる気がなくなって、新しい夢やアイデアが浮かんでも、それを取られないように、ただ「夢想」することを学んで、

結局何もしなかった私。

何度も活動的でいて、内面は廃人、みたいな状態になって

それでもそのたびになんとか自分の中に喜びを見出せるようになるまで復活できたのは

あのJWじゃなかった6年のおかげ。あの6年がなかったら、今の私はいないし、
JWから生還することもなかったかもしれない。