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パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

エホバの証人とセクシュアリティーの続き

2007-09-30 23:52:18 | ●エホバの証人考
さて、まず、以前の記事について皆さんの率直なコメント、ありがとうございます。。いろいろ考えさせられました。

その記事でカトリック神父と同性愛についてちょっと触れましたが、

(あと、あらら果実さんへのコメントでもちょっと触れましたが)


私も同性とお付き合いしたことがあるんですよ~。


高校の時だったけれど、バリバリJW全盛期だったので、かなり決まりが厳しく、男女交際なって口に出すことさえ難しかった時代ですが、、、

やはり私もある意味でのセクシュアリティーがあったと思われます。


隣のクラスのちょっと男性っぽい女の子に熱を上げて、ちょっとの間ですがエクスクルーシブでデートとかしてました。

もちろん私もおぼこJWでしたから、高校生といえどもまだまだ子供で、ずばり「性」については何もしらず、このお付き合いや恋はほんと淡いものだったんですが、


お付き合いなんてそういうもんじゃないのかな。って今思います。ものみの塔がけしかける、デート→淫行、性の宴会(だからやめて。そういうヘンな想像は。)みたいな事が目的でお付き合いしたり、異性に興味を持ったりする人は少ないと思う。

私がその時彼女に求めていたのは、親密さとか、エクスクルーシブな安心した関係とか、大切にしてもらえるとかいった甘えみたいなものでした。

別に同性愛傾向があったわけではなく、女の子なら誰でもいい、と思ってたわけでもありません。シンプルにその子が好きだっただけだし、休み時間会いにいったり休みの日には映画にいったり、その程度。

映画にいくときは相手が女性なんだけど、男性の彼氏に見立てて目一杯おしゃれしたり、、といった単純なことがものすごく楽しかった。

それだけです。


何が言いたいのかというと、JW2世も異性交遊を始めるとき、こういった純な感情からだと思うのですが、組織に言わせると堕落した性への一歩とうわけなんですよね。

人間、悪い悪いと言われ続けてると、ほんとに自分が性悪な人間だと思い込んでしまうように、健全なセクシュアリティーもいつしか恥ずべき、隠すべき、治すべき欠点と思えてくる。

もちろん、組織は信者がそう思うと、淫行防止になり都合が言い訳ですが、囲いから出ないように羊を不具にする、そんな極端な措置だと思います。



さて、セックス以外のセクシュアリティーですが、

たとえば男らしさ。


ちょっと前はごついバイクを所有した兄弟が会衆でバッシングを受けることは珍しくなかったです。ごついバイクを所有することはシンプルに男らしさの象徴だと思いますが

会衆のお局的姉妹とかから、「○○兄弟はあんな世的なバイクを買って、反抗心や粗暴の表れだ」とか「慎みに欠ける」とか言われて、「移動に必要ならスクーターで十分」などと挙句長老から助言。

なんて事は良くありました。


こういう人はごついバイクとはセクシュアリティーだと敏感に感じてたんでしょうね。なんか分からないけど、いけない感じがするわ。って。

はは。


女性の場合は前にも書いたようにもっとシンプルですが、肌を見せる、メイクをする、こういうことが自己表現としてのセクシュアリティーの一部です。きれいに見せることで、自分の気分がいい。

こういうものもJW内では戒められます。男を誘ってるとか。ストレートにあばずれ(ほほほ。なんというお言葉でしょう。)であるとか、そこで自己否定されるわけです。


JWをやめてから、少し胸が開いた服なんかも堂々と着られるようになりましたが、胸があいてるときれいに見えますよね。そうすると(第三者の意見は無視。)気分がいい。気分がいいと人にも会いたくなる。どんどん開放的になるんです。

こんな簡単な事、そしてすごく大きなことがJWでは抑圧されていたことを考えると、セクシュアリティーの否定というのは単に不道徳云々の問題ではなく、簡単に「性、淫行」の問題でくくられるべきではないトピックではないかな、

と思いました。


また2世JWにとって、セクシュアリティーの否定が、大人になれないひとつの原因であることも否めないと思います。

セクシュアリティーを否定されるエホバの証人

2007-09-29 01:34:51 | ●エホバの証人考
セクシュアリティーと一言に言ってもかなり広範囲による意味合いがあるのであれなんですが、(←?)ここでは性的関心ということにします。

ふ~。

じゃ、いってみようか~。


さて。人間のセクシュアリティーを否定すると精神の不安定を引き起こすという研究結果があるそうです。あ、セックスはしなくてもいいんだそうです。ただ性的興味、性的表現を否定されるということは、人間そのものを否定されることなのだそうです。

ちょっと前までは常識だからということで一定の歳になれば結婚するという社会でしたが、晩婚化、ノー婚化が進むようになった今日ならではの研究だと思います。


エホバの証人は性がもたらす病気をめちゃ強調する一方で女性が子供を産まないですごす危険性とかは全く無視です。ものみの塔は医学に対して進んだ考えをしてるのか、と勘違いしてましたが、やっぱり自分の教理に都合のいいデータだけを取り上げるんですよね、


ところで、カトリックを見てください。神父が結婚できないという決まりのせいで、同性愛が盛んです。

あれはカトリックだから、世の協会だからソドムとゴモラのような退廃した精神が宿る。サタンの組織の証明。とかってエホバの証人は結論しがちですが、

実際はセクシュアリティーのゆがんだ仕方での抑制の結果だと思います。


女性との性がだめ、となるとどこかに逃げ道を求めるのが人間なんじゃないかな。それはカトリックの神父でもエホバの証人でも変わらないと思うんです。

教会の同性愛はそっちのほうのコアな性向を持っている人を別にして、イノセントな「愛」から始まったものも多いと思う。少年を女性にある程度見立てて愛情をかけたり感じたりする、

それに純に反応してゆくゆくは同性愛のようなものが成立してきた、、、なんて背景があるんじゃないかな。


結局カトリックが神父の結婚を禁じていなければこんなに神父の間で同性愛が増えることもなかったのでは?というのが私の意見です。


研究によると、このように(ここではカトリック神父が同性愛に走ること)いかなる形でも性の興味を殺さないことは自己の精神防御につながるそうですが、



エホバの証人はどうでしょう。


結婚以外では異性同性にかかわりなくダメ。


ストレートな「性」だけでなく、セクシャリティーには女らしく振舞う(ぴったりした服を着てみる。男性の視線を楽しむなど)男性らしく振舞うといった細分化された興味、欲求も含まれますが、

そういうものも一切ダメです。否定されます。不品行です。
貪欲さの現れです。みだらな関心です。エトセトラエトセトラ、、、。


こうやって自己表現というセクシャリティーも一切含めて否定されるわけです。



ついで唯一の例外であるかのように見える「結婚内」のセクシュアリティーですが、、

これも、、毎週毎週集会行って、雑誌読んで、JWの中で生活すれば分かりますが、

あっちにころんでもこっちにころんでも、不品行だの貪欲だので、審理委員会ものになる危険性がごろごろ。

なんか地雷を踏みそうでまともなセックスもできない。


そんな状態です。


あと、慎み深いセックスってなんでしょうかね。セックスって行為自体が慎み深くない性質があるんじゃない?


こうやって結婚外、内、異性同性、表現方法、振る舞い、密かなファンタジーやマスターベーション類まで、つまり、全てにおいてセクシュアリティーを否定されたJWは

外に飛び出してゆくか、死んだものとなって会衆内にとどまるか、苦しんである程度の意味で精神を病んでゆく、


究極的にはそう運命づけられてるように思います。





非現実的な考えを避けなさい・の続き。

2007-08-30 05:45:34 | ●エホバの証人考
この前の記事でのルリアゲハさんのコメントをちょっと取り上げたいと思います。

ルリアゲハさんのコメント↓です

●「お国柄?何も(奉仕に使える資格も含めて)挑戦するまえにあきらめるのが謙遜さと勘違いする人が多いですね!片手間でも挑戦出来ることは沢山あるとおもいますが?
第二外国語、大型車免許、危険物資格etc
若いJWには相談されたら考える暇があったら行動しなさい!とすすめてます。あと、ここの主題の問題点はプログラムより信仰のないままjwに命をかけろという‘二世問題 ’ですよね?
せめて、本当の意味で教理を理解するまで組織が暖かく見守ってくれれば被害者も減るはずですが…」



片手間でも挑戦できることはたくさんある。このご意見には賛成です。ちょっと後で取り上げたいなと思ってたトピックです。資格を取るとか言語を学ぶとか、ある程度機械的に勉強していけばいいことは、JWで悩んでる途中でも、圧力を受けながらでも、、、ほんとに「機械的」にこなせないこともないんです。

これはある程度、才能とかやる気とかよりも時間(どれだけ時間をかけたか)の問題だったりするので、、JWで悩んでる方、抜けたくても今は抜けられない方、(それから別にJWに何の問題も持ってない現役の方でも)言語を学ぶとか資格を取るとかの活動は身が入らなくともはじめていたほうがいいですよ。

それは貯金のようなものです。お金はいくらあっても、使えるよ。今入らなくても後で必要になったとき銀行に昔からこつこつためたお金がある、、っていいですよね。それと同じです。

なのでルリアゲハさんは懸命で現実的なアドバイスをされてると思います。

前の記事で言いたかった問題は、もっと全身全霊が必要なこと、、歌手になるとか運動選手になるとかですね、そういうことはJWやってたらできないと思う。ということでした。たとえば、、、マイケルジャクソンとか、離れてますよね、後誰だったかな、女性のテニス選手。彼女も現役って事になってるらしいけど、国旗敬礼に参加、メダルにキス、現役JWだったら踏み絵な行為も嬉々としてやってるわけだから、

多分自然消滅派でしょうと思います。伝道も免除されてるらしいし。

あと、前にも書いたように、機械的には出来ないこと、クリエイティブ系、アートなど、は、JWやってたらどうやったって、、ダメです。JWの人のアートは暗いです。何か怖いです。

別にJWの人のアートを批判するわけじゃないですよ。私の絵もめちゃ暗かったです。あと、熱心なJWで有名、、(っていうかJW内では有名)な画家の絵は気持ち悪いです。すみません。


アートには心の状態が出るから、ですよね。


それから競争が激しい部門(笑)の夢。他の人は必死で人生かけてがんばってるんだから、片手間では到底勝てるものも勝てません、
それだけの問題だと思うんです。人間、本当に何かやりたかったら、やりますよね。100%最初に描いた夢じゃなくとも。


私は、、今回の大会はかなり穏便なプログラムが多かったと同意します。中には組織を匂わせない正統派な話もあったし、

だけどこのプログラムひとつで以前のどの大会よりも嫌悪感を抱きました。これほどひどいことを言い切った大会のプログラムは今まで無かったと思います。

夢にまで規制?それはないだろうが~。

私はこの大会を最後に去る者です。

でも、、嫌々ながらでもいまだ扶養されているティーンだから残らなくてはいけない、またはJWが本当だと信じ込まされてるために苦しみながらも残っている人たちを考えると、、暗い気持ちになりました。憤慨しました。だからこんな記事もねちねち書いてしまいました。

JW親は言うでしょうね。2世の子供が何かに挑戦しようと言い出すときに。

「それは非現実的な考えだと協会も言っているでしょう。」


夢まっしぐらでどんな障害ももろともせず、、って人はやはりほんの一握りだと思います。ほとんどの人はラッキーにも挫折した時に立ち上がらせてくれる人がいる。(多くの場合それは親。普通の世の人の場合。)それでも何度も弱気になりながら夢を追っていくんですが、


JWの場合。

もう言わなくていいでしょう。まず親が夢を摘もうとする。それから周りの大人、JW,協会、そして現実。それに耐えていく人がどれほどいるのか、、というと、あまりいないですよね。私もそのうちの一人です。

組織ぐるみでやることが汚い。

そう思いました。

コメント引用です。↓

●あと、ここの主題の問題点はプログラムより信仰のないままjwに命をかけろという‘二世問題 ’ですよね?せめて、本当の意味で教理を理解するまで組織が暖かく見守ってくれれば被害者も減るはずですが…」



2世というのに、、ほんとの信仰が成立するのかどうか分かりません。ほんとの意味で信仰を確立するには、、子供の頃からそれがまるで真実であるかのように上手に味付けされた教理を教え続けられた2世というのは、、信仰を得る「立場」にいないと思うんです。

フェアじゃないんです。

本当に各自に信仰を確立してほしい、というのが協会の意思ならば子供に教える、2世を作ることをやめるべきだと思います。成員はもちろん減るでしょうけど、本当に信じる人たちだけが本物の信仰をもって神を崇拝するようになるはず。

それが神の望む崇拝だと思います。


(コメントくださったルリアゲハさんを批判するつもりではないです。話題提供してくださったので、という感じで自分の思うところを書いて見ました。)

非現実的な考えを避けなさい!-あんたにだけは、ホンッっと言われたくないからっ!

2007-08-28 22:49:20 | ●エホバの証人考
大会が終わってからも気になっていたプログラムがあります。

(いや~。私っていつのまにか霊的~。ははJW時代はホテルに帰る道すがらでさえプログラムなんて思い出せなかったのに。笑)


それはシンポジウムであった「非現実的な考えに従わない」だかなんだかのプログラムです。


「非現実的」って何かというと、大学に行ったらいい職についていい生活を出来るとか、あとロマンスだとかです。


っていうか、楽園で若くなって美男美女と結婚して永遠にしあわせに暮らせる

と本気で信じてる集団に言われたくないヮ~、いや、本当に。


と思うと笑えてしまって困りました。


が、!ほんとに言われたくないです。


思うのですが、JWの人って聞き分けがいいというか、都合がいい男女というか、、自尊心というのは一体どうなってるんだろう、と不思議に思うことが多々あるんですが、

たとえば自分の夢はプロの歌手になることだけど、なれなかった。でもJWだったからなれなかったというわけではない。とかJWのせいにしたくはないとか(つまり、自分の才能不足)

とか、そういう意見を言う人が多い多い。


聞いててむずがゆいです。


いや、歌手とか選手とか、パイロットとか俳優とかって


片手間になれるもんではないと思う。


だからJWで終始罪悪感に駆られたり、時間を気にしたり、周りから迫害されたり、そんな普通の人におこらないことに体力気力を費やしていると、

絶対普通の人に追い越されます。


普通の人だって時に、っていうかよく、「自分には出来るはずがない~」とかって挫折するのに、JWの場合、挫折しろ~、やめろ~という圧力が常に周りにあるわけだから、、、

結果は当然だめ。


それをJWだから出来なかったというわけじゃない。

なんて聞き分けのいい言い方をして欲しくないです。そんなことをすると子供が真似しますよ。


夢がかなわないのはものみの塔のせいである!


と、このプログラムを聞いて確信しました。


非現実的なことを考えないとは夢を持つなという事ですよね。夢は現実の種。

(ッて言ったのは誰?ちょっと忘れた。。)種をまかなければ(夢を持たなければ)その達成もありえないです。撒いた物は刈り取る。まかなかった物は刈り取れない。


こうやって何もチャレンジしない、させないという刷り込みをするものみの塔って一体なんなんでしょう。こういう事を子供の頃から聞かされてる子供は大人になって、一度も本気で何にも挑戦しなかったのに、

「※※になりたいなんて思ってた頃もあったけけど、今が現実を知ったし、JWだから出来なかったという思いはないですね。」なんて言うようになるんだろう。一度も本気で挑戦することがないのに、自分から終わってる大人になるんだろう。


考えれば考えるほど、無害な宗教団体と片付けられません。


あ~あと、蛇足ですが、、、

映画や小説のようなロマンスってものはありますよ。そこら辺にいっぱい。

要は人を想うか、ってことでロマンスなんていくらでも。あきらめてたり、セーブしてるからないわけで、、、恋だって片手間には出来ないんですから。JWの皆さん。。。

共依存とエホバの証人(ベロさんのところから話題借りました~)

2007-08-25 06:51:35 | ●エホバの証人考
ブログ「早く人間になりたい」のベロさんのところから勝手ですがお題をいただきました。

ベロさんのところで「共依存症」について(それとJWの関係も)書かれていたんですが、自分にとってはこれ、衝撃的でした。

全部が当てはまるとはいえないけれど、ところどころ激しく当てはまるところがありました。

(共依存症を分かりやすく説明した他のページも参考までに。  「共依存症とは」 )


ざっと見て、私に当てはまるところは

●他の人の世話をやくことで充実感を得、相手をコントロールしようとする。無意識に感謝とかの報酬を期待し、それが得られないと憤慨する、

これは私の場合、男性関係に限り!!ですがありました。これは男女関係では共依存でなくともありがちだと思います。過去これでいろいろ失敗した経験あり。この点に関しては前に問題解決してます。(笑)

これはJWとしての過去とは関係ないかな、、と思ってます。


問題はこれ、

●周りのリアクションが怖くて自分の意見を隠したり、うそをつく。

あ~、、これです。これです。まさしくこれです。

私は、JWで言われる「罪」を犯しても周りの反応が怖くてずっと隠してた、、ことがあるんですが、この傾向ですね。

今回の夫との話合いもずっと以前に持つこともできたんですが、その時は自分に向き合えなくて(リアクションが耐えられそうもなくって)うそをついたり、ごまかしたりして取り繕って時間稼ぎしてました。


ところで、共依存症の症状を読むと異常にJWの方々のやっていることに当てはまるので(ベロさんもそれを書いてます)ちょっと興味深いです。ぜひ読んでみてください。

でもこういう決め付けは悪いんですが、一世のJWの共依存症と2世の共依存症はちょっと違うような気がします。一世の方が共依存症ぎみな場合、共依存症だからJWが合っている。でも2世が共依存症の場合、

JWやってるから共依存症である。

というふうに。



たとえば、私がこの共依存症の症状の一部ですごく苦しんでる理由は絶対JWにあると思うんです。元の性格からだとは思えません。

なぜなら、迫害者の父に気を使い、迫害されてる母に気を使い、両方を立てるよう一生懸命だった頃からこういう風に考えるくせがついてしまったと思うんです。


つまりJWという問題を持つ両親(片親がJW,片親が迫害者という家庭あ、ある意味、アルコール中毒者がいるような家庭と似たような状況だと思います。)に気を使い、リアクションを避けるために自分の決定を隠したり、、決定そのものをしないで親のいいなりになったり

(この場合、「神」の後ろ盾があるJW教理が強いのでJW側の親につくことになる。一方で非信者の親に罪悪感を感じるので、さらにJW以外の問題を加えないようにと、プライベートで主張をしないようになる。)


そういうことの繰り返しがこういう症状を生んでるんじゃないか、と


思うんですが。

この問題を早く治したい!

この問題に関しては、、、かなり努力して戦わないとだめでしょうね。先が思いやられます。一番苦手なことです。

暇人をつくる開拓者制度

2007-08-12 06:08:35 | ●エホバの証人考
とか、いうと反論がありそうですが。

集会を休んでいると色々おせっかいを焼いてくれるのは、だいたい決まって「開拓者」です。

なぜなら開拓者はとにかく野外にいなければならず、そうすると「ふらっと」誰かを尋ねたりする時間があるのです。近くに「一軒」あれば時間を「切らなくても」いいので、継続して奉仕時間に入っているし、

だから、朝早くからアポなしで「このごろ来てないから心配で尋ねてみました」などといってやってきます。

どうして電話でいるかいないか確かめてから来ないのかというと、

それでは良心のうちに時間を費やすことができないからです。

車でやってきて、車を駐車し、歩いてアパートまでやってきてドアベルのならし「いないみたい。」といってまた来た道を去ってゆく。ちょっと電話すればどれも避けられるのに、

「あえて」

それはしません。

(実際に再訪問や研究の約束がある時は絶対電話で確かめないという開拓者がいました。そうすると断られやすくなって奉仕時間が入らないから。だそうです。それは避けられてるからですって…。ま、いいや。

なので、いないかもしれないとか、すっぽかされる可能性大、と思っていても現地に赴くそうです。)


不活発になりつつある人を気にかけるのも大抵開拓者です。

なぜなら彼らには会衆のことを話しあう時間がたっぷりあるし、大体落ちそうな人や問題を起こしている人の話題ほどエキサイティングな話題はありませんし。毎月毎月何十時間も仲間の開拓者と話す時間をつぶさなくてはいけない人たちにとって格好のネタです。

しかも「落ちそうな人」の話題というのは現役でいる自分たちの立場を喜ぶ優越感が感じられる絶好のチャンスだし、「組織から落ちる=死ぬ」人を目の辺りにするのは、このごろめっきり大会でも話されなくなって刺激がなくなってしまった「終わりの日」ににた緊張感を与えてくれるのです。信仰を鼓舞する材料なのです。信仰の炎を燃やす絶好の薪なのです!


開拓制度廃止希望!

だって開拓制度さえなければ2世だって人生をそこまで狂わさなくてもいいわけですよね。開拓とう制度がなければ2世だって日々ごろごろしているわけにはいかないから必然的に全時間のきちんとした仕事についたり、学校にいったり出来るわけです。

開拓というなまじやる事が用意されていると、組織のいう「高等教育をうけない。」「世俗の仕事を優先させない」という指示が当てはめやすくなります。

もちろん連続補助もダメよ。


エホバの証人やめて良かった事-JW的因果応報の考え方

2007-08-10 01:10:53 | ●エホバの証人考
エホバの証人辞めて良かったこと。

例えばバス停で、時間になってもいつまでも来ないバスを待ってる時。
バスが来るのかどうか悲しい気持ちになってる上に雨が降ってくる。
傘もなく濡れながらバスを待つ。

でも私の心は晴れてる。「バス来ないから時間に遅れるし雨にも降られた~」とは思ってるけど、それ以上でもそれ以下でもないから。

JWの頃は、例えばこれが集会にいく時だったりするとてきめんに「エホバの助けがない」「がんばってるのになせ?」という気持ちになる。祝福がないとか助けがないとか、ちょっと困った事や不幸な事がおこると、

やはり自分の行いが??

とか逆に行いをただしたのにどうして?

とかすごく納得がいかなかった。

うちは結婚してからいろいろ不幸なことが続いたから、多分私が悪行を隠してるからだろうと思っていてものすごく責任を感じていて、自分がいなくなればこの家庭や会衆とかはうまくいくんだろう、、と思うと集会に出ているのも怖くなって、周りの人に悪くて、いたたまれない気持ちになった。

子供の頃からヨナの話が妙に心に残ってたし、

エホバの証人の教えでは「神が現在人間に介入することはない」という一方で「神の助け」とか「導かれてやってきたみつかいの助け」(例えば神に祈っているとJWが伝道でやってきた。って類の。)とか、会衆に何か隠されてる悪行があると、物事がうまくいかない。

といったオカルト的因果応報があることを教えている。

あまりに不幸な一家を前に「何かある。何か隠している」といった長老がいたけど、そういうことはJWなら他人、自分にかかわりなくすぐ感じると思うんだけど、

世の中なんて上に挙げたようにバスが来ないとか、雨に降られたとかささいなことから、事故までいろんな不幸があるから、JWのようにいちいちそれに因果がある、エホバからのお告げとか罰とか考えていると、本当に窒息しそうだったわけ。

それがなくなった今、JWだった事にうけてた苦しみって本当、実質がなかったんだなあ、と考えると同時にものみの塔って迷惑な宗教だ、、と思います。

僻地のバス停で雨に濡れながら待つ私が今!どんなに幸せか!通り過ぎてゆく人にはわからないだろうな~~~。とひとり心のなかで笑って見る。

チャットルーム-どうすれば危険を避けられるだろうか

2007-08-08 19:12:56 | ●エホバの証人考
はい、こんなの見つけました。

これ、公式ですよね。なんかちょっと公式っぽくないな~。ブログ?


エホバの証人公式ウェブの「チャット-どうすれば危険を避けられるだろうか」の記事ページ。

見て見て、こここう書いてあります。

「「目ざめよ!」誌,9月22日号では,多くのチャットルームに潜む2種類の危険について取り上げました。つまり,性的搾取者と接触する可能性があることと,人をだましても構わないと考えてしまうことです。」

なんかいつもの事だけど、JWにネット使わしたら組織のだめさが分かってしまうから、なんか、つかっちゃいけない理由でっち上げないと。なんか理由考えといて。

っていって出来たようなコメントだけど、

それは置いておいて、性的搾取者と接触する可能性はJWの集会にいってもありますよね。あと、人をだましてもかまわないと考えてしまうのは、統治体の方が心配するべきことじゃないでしょうか。

さらにこう続きます。

「道徳的な腐敗を招く

タイラーという若者はこう言います。「僕は,エホバの証人と思っていた人たちとチャットをしていました。でもそのうちに,幾人かがエホバの証人の信条にけちをつけ始めたんです。やがて,その人たちが実は背教者だということが分かりました」。その人たちは,自分も仲間の信者だと唱え,証人たちの道徳観を故意に損なおうとしていたのです」

中略

「今日,そのような腐敗した人々にとってチャットルームは,自分たちの卑劣なたくらみを隠して活動するのにうってつけの場所となっています。それらの偽クリスチャンは水の下の隠れた岩のようです。証人の若者たちを気遣っているふりをしながら自分たちの本当の狙いを覆い隠しています。実のところ,不注意な人たちの信仰を破船させようとしているのです」

そうかなあ、、
証人の若者を気遣っているふりをしながら、本当の狙いを隠してる卑劣なたくらみを持ってるのはものみの塔のほうだと思います。


あと、ここに絶対注目!

「「目ざめよ!」誌やエホバの証人の他の出版物は,このような危険について繰り返し警告を与えてきました。# ですから,エホバの証人向けとされるチャットルームで出会う人たちは,少なくともそうした助言を軽視している人たちなのです。聖書に基づく指示をあえて軽んじる人たちと本当に友達になりたいと思いますか。―箴言 3:5,6; 15:5。」

現役でHPやブログ、掲示板でやりとりしてる人たちは、いくら善意でも、いくら自分個人の発言の場と言おうとも

少なくともそうした助言を軽視している人。聖書に基づく指示をあえて軽んじる人。JWは友達になっちゃいけない種類の人たち

なんですって!!!!

皆さん気をつけて!


エホバの証人とナチ

2007-08-04 01:43:32 | ●エホバの証人考
私にとっていわゆる「真理」から離れるきっかけになったものはたくさんあります。

ところで、JWから離れてもいまだ「もしかしてJWが正しいのかも。可能性はゼロではないかも」と思って不安を感じられている方もいると思いますが、

その点私は可能性はないと思っています。聖書が正しいか、エホバという名前であるにしろないにしろ神がいるのかなは別だし、神がエホバの証人も欠点はあるけど、信仰の手段の一つとして今は認めているとか、、そういうレベルでは可能性がゼロではないかもしれないけれど、

ものみの塔がいう「唯一の神の組織。絶対な組織」という意味ではゼロです。

これを読んだのがそう思う理由です。

ナチス・ヒトラーと「ものみの塔協会」との協調関係

ぜひ読んでください。


日本ではないかもしれませんが、外国ではJW宣伝を目的とするJW個人によるナチスからの迫害展なんかがたまにあります。

私も一度出向いてみたことがありますが、公共の場所で政府に許可を得てテントを建ててチラシを配ったり、スピーカーを招いたり、パネル表示をしたり、といったことです。

テントにはかなり一般の人も入っていて、話しての話(メインはナチの時代の話。経験者という老齢の婦人。)を熱心に聴いていました。

この後もちろんJW宣伝に入るわけですが、

ナチからの迫害をJW宣伝に使うエホバの証人。でも一方でナチを支持していた。
っていう事実。

どうですか。

もう、ものみの塔の裏切りには枚挙にいとまがない。。。。

これで組織についていけ、っていうほうが無理です。

1995年の世代についての教義変更

2007-08-03 05:25:31 | ●エホバの証人考
この物見の塔が出たとき、その時交わっていた会衆のT姉妹が奉仕の集まりで動揺して開拓者の姉妹たちに意見を求めていたのを思い出します。

この姉妹は、、、なんというかダークホース的(?)な姉妹で、生活に困窮してて、開拓者でもなく、控えめで、JWであるが故にご主人から反対され、別居され、子供も取り上げられてしまったというJW内ではいわゆる「立場の弱い」姉妹だったんですが、

いつもキチンと予習して、人を不快にするような詮索もしない、いい姉妹だったんです。他のお局的開拓者たちや、JWが仕事とばかり働いていなくって時間がたくさんある長老なんかよりずっと先にこの記事の「意味する重要性」ってのに気づいたんでしょう。今思うと感慨深いです。

私ですか?その記事予習してませんでした。


とにかく姉妹は「あのう、この記事の意味するところはなんでしょう?あの、私の理解が正しいとすると、、、これは大変なことなんじゃないでしょうか?」

他の人たちは返答に困ってました。きっとさっさと「スルー」してしまったんでしょう。


その姉妹は「つまり、、、ハルマゲドンはこの私たちの世代に来ないということですか?」


この頃はまだハルマゲドンが私たちが生きている時代にくると「確信」されてた時代ですから、それを聞いたとき、本能的にまずい!と思いました。

だって、何が辛くても、何をあきらめても楽園が来るんだから、ハルマゲドンが近いから、とがんばって来たんですから。

もちろん人生設計もばっちりそれを踏まえて決めてました。

から今さらそんな人生にかかわることを変えられても。。。。。


家に帰って早速該当の研究記事を読んでみると、、、なんだか、ものみの塔きっての一大事のうちのひとつのはずなのに、あまりにさらりとしてる。
「あ、言い忘れたけど、これも」みたいな感じに。


今でこそ、それこそものみの塔のやり方そのものなんですが、純真だった私はそれも理解できず混乱しました~。


会衆で討議する日が来て、固唾を呑んで説明を聞いてたんですが、結局「世代が特定されないということは、ハルマゲドンがいつ来てもいいことになる。世代が過ぎ去るまでOKという考えではなく、明日にでも来るという可能性があり、逆にその日は早まった」

みたいなな事でまとまりました。


私はどう思ったか、、というと、恥ずかしい話ですが、マインドコントロールの実例として載せときますね。

私はというと、、、人生設計をしてしまった後だから(今思えば、今より10歳以上若かったんだから、やり直しも全然OKだったんですけど)もうものみの塔が間違っているとか、ハルマゲドンがこないとかいう説を自分が受け入れる「選択肢」はない


と潜在意識的に思ってました。しっかり心の声に出して思っていたわけではないですけどね。そうすることさえ怖かった。人生設計というよりも、、、自分の世界観、つまりホント宇宙が崩壊する

ってことに向き合う準備がまったくできてなかったと思います。

そういうわけで、この組織の言い訳を、喜んで受け入れました。

それが私にとっての1995年でした。