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パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

集団圧力とエホバの証人

2007-12-10 06:15:07 | ●エホバの証人考
JW文書を読んでいて「異議有り!」と思ったこと、どれくらいありますか。
その時、疑問や異議をみんなの前で言えましたか?

私はマイコンがかかっていた現役時代にも疑問を感じたことや確信をもてなかった教えが結構ありました。でも疑問を口にしたことはありませんでした。


なぜかっていうと、その時は口に出すほどそれが間違っているという確信がなかったからです。 なぜ確信がなかったかというと、JWについて調べることが禁止されていたというのもありましたが、みんながこんなに信じているのだから正しいのでは、という考えも正直いうとありました。

特に外国にでてべテル派遣講演だのでお話が上手な兄弟なんかを見たり、反対にJW肩書きがなくても世で立派に成功している人たちが会衆にしっかり交わっていたりするのをみて、「こんな立派な人たちが信じているのだから確かだろう」


と思っていたんです。


エホバの証人が研究生を早いうちから集会につれてゆくように言われている理由は日本ではいわゆる「ラブシャワー」と言われる愛の大歓迎を受けさせ、気持ちよくさせるため、と思われています。

が、外国では研究生に対するラブシャワーというのはほとんどありません。数人が声をかけてくればいいほう。


なので私は、協会は研究生に「普通の、まともな、うまく行けば立派な人々がちゃんと信じている教理」=真実だと確信させるためではないかと思います。



みんながやっていることは正しい。


いわゆる一種の集団圧力にかけようというのでは。と思うんです。


その証拠に雑誌でどの宗教が本当の宗教か、なんていうトピックがでると、もちろんそれはJWだ、と書きたいのだろうけど、「証拠」がない。なので、遠まわしに「みんなが真実だと言っている」みたいなあいまい~な書き方をしますよね。

たとえば「アグネスはエホバの証人のクリスチャンの集まりに出たとき、あふれる愛を感じました。そこにはきちんとした身なりの礼儀正しい人たちがにこやかに、平和に会話を楽しんでいて~中略~ 私は人々の間に愛があふれているのをみてエホバの証人が正しい宗教だと確信しました、と興奮して語りました。」

な~~~んていうのが載ってますよね。


アメリカの心理学者・ソロモンEアッシュという人が集団の圧力についてこんな実験をおこなっているそうです。


6人にまず、長さ10センチの線を見せ、「次に表示するボードの書かれた3つの線の中から同じ長さの線を探してください。」といいます。


ボードには

A 5センチ
B 10センチ
C 15センチ

の線が書いてあって、答えはBだと誰が見ても簡単に分かるようになっています。でもこの被実験者6人のうち5人は「さくら」で、わざと違った答え(A)を選択するよう前もって決められています。

何もしらない6人目の被実験者はテーブルの最後につかされて、最後に発言をするようにセッティングされてます。


なんかもう分かってきたと思いますが(笑)、そうなんです。5人がわざと間違った答えをすると、それが明らかに間違っていても約3分の1の人がその意見に従って間違った線を選択するようになるそうです。


これが「絶対正しい答えが明らかな」知覚問題ではなく、白黒がつきにくい社会的テーマになると約70パーセントの人が意見を変えるそうです。



エホバの証人の集会に行くとき、「世間」の人数からいくとほんと少数ですが、大勢→みんなと認知されるだけの数は集まっていますよね。その人たちが一致団結して同じことを唱え信じている。


ものみの塔研究の朗読は無駄だとか、注解は自己マインドコントロールに一役かっているのではとも言われますが、そのほかに集団で同じことを唱える→みんながきちんとこれを信じているという安心感を得させるための役割があるのかもしれません。

これはJWを好意的に思っている研究生とか、確信を得ようにも経験なさから確信が得られない2世を熱心なJWにする後押しには、、、十分である時もある、

と自分の経験から思います。




これが真理である!!!

2007-12-06 00:28:21 | ●エホバの証人考
以前小売の仕事をしていた時、「業界一番の売り手」というセールスマンに会う機会がありました。

話を聞いてみると、売り上げ一番の秘訣は、、、、。


薦める商品を断定する


だそうです。


やり方は簡単。数ある同じような商品の中から一つを選び、「実はこれが一番なんです。他の商品はここだけの話ですが、よくないですよ。」と断定する。

こうすると、損得を考えず、自分だけに本当のことを教えてくれる誠実なセールスマンであるというプラスの評価と、同時に自分だけが得な情報を知っているという優越感をお客さんに与えられる、わけです。


ついで、先ほどあげた商品の長所を説明します。


ここが一番の売りポイントなんですが、ここで商品を絶対的に「一番良い」「これしかない」と断定すると、ほとんどのお客さんが拍子抜けするほどあっさりその商品を買うそうです。




私も違う商品でこの方法を試してみました。これがやっぱり面白いほど売れるんですよ!


たとえば化粧品だとします。私はその「自分が決めたベスト商品」をいつも手元に持っていて、同じ種類の商品を見てるお客さんに話しかける際におもむろに取り出し、これが一番ですよ。というだけです。2、3、他の商品を理由を挙げてけなし、2,3推している商品をほめる。

ポイントは断固として確信をこめること(笑)自分の好きな商品であると確信をこめる時もぐっと力がでます。


言っている事はウソではないのでこちらも良心はとがめません。でも絶対的に真実かというと、違う。真実は他の商品もいい所があるし、推している商品も使う人によっては悪いところもある。つまりは相対的なんです。でもそれをあえて、絶対的であるかのように断定すると、お客さんはかえって安心するんです。

本当は「この商品は絶対に一番いい。」ではなくって「この商品は私からみたら絶対一番いい。」のですが。そう言うと絶対売れません。(笑)


私はこの方法でそのお店でトップセラーだったし、私の推してる商品は店長に前もって注文を増してもらってました。

ところで蛇足ですが、この商法は言語が出来なくても効きます。(笑)私はあまり英語が出来ない頃セールスを手伝っていたことがありますが、「これ、ベスト」っていうだけ(あと、数点のセールスポイントと他の商品の弱点を暗記しておくだけ)で日本人に日本語で売るのとほとんど同じくらい売れます。老若男女国籍問わず。




良く考えてみるとエホバの証人も知ってか知らずかこの方法を使っていますよね。

聖書の解釈を断定する。という事だって、めちゃくちゃな解釈でも断定しているからこそ妙に説得力がある。たとえば啓示の本ですが、クリアな頭ではバカバカしくて笑ってしまいますが、ちょっとマイコンがかかっていると、こんなに奥深い事柄(笑)を次々と断定して明かせるんだからすごいなあ、神の導きなんだろうな。

と逆に私は感銘を深めました。


啓示ほどぶっとんだ本じゃなくても、家に来たJWが何でも聖書から答えを「断定」する様子をみて、確かな確信やこの人が真理であると言う事は真理である、という印象を受けた人も多いはずです。

しかも「これが宇宙の真理である!」とまで言っちゃうんですから、そこまで壮大なことをこれだけ断定するのにはなにか理由や証拠があるんだろうな、とか、常々人生や哲学や存在意味なんかに悩んでいた人には雷にでも当たったように感銘を受けてしまうことだってありえるわけです。逆に「これも真理かもしれません、いや!一部真理が含まれているでしょう。他の教会にもいい所がありますし、JWにも悪いところがあります。人により向き不向きがある宗教です。ご自分で調べてください。」とか言われたら?


ぐっとインパクトが弱まりますよね。正直で誠実で、それこそ「真実」だとしても。


JWは他の宗教、無宗教一般をけなし、その上でJWが一番!と宣言する。

ここに秘密があるような気がします。



蛇足ですが、私は2世として「真理」だとか「真理を探す」「真理を得る」とかいう表現になれてしまっていて、真理とは一つ、存在するもので、それを知るまでは人生が始まらないような印象を持っていました。

ものみの塔でよく「一生真理を探究して、それを見つけられない人たちも多くいます。」なんていわれると、自分は人生を無駄にしないで、すでにラッキーにも真理を知っている、なんて思っていました。

辞めてからは真理、というものは普通みつからないものなんだ、と思うようになりました。というか、真理、というものがそもそも存在するのか、みつからないから真理といういうのではないか。自分で探してゆくから真理というのではないか、探す過程が真理ではないか、

そんな風に思ってます。


真理というのは「はい、これです。」と差し出せるものではない、と。






参照聖句は参照になるか

2007-11-16 06:38:39 | ●エホバの証人考
エホバの証人はよく、JWとして子供を育てる利点の一つに「読み書きがよく出来るようになる」「理論だって考えられる」ことがあるといいます。

が、私は小学校低学年まで世の子供として育ちましたが他のJW2世と同じくらい普通に読み書きができます。世の人もJW2世と変わらず読み書きができます。

と、いうことは別に利点ではないですよね。では「理論的に論じられる」は?


重要なことは子供が読み書きが堪能になることよりも、子供の頃、何を読ませるかだと思うんですが、私はものみの塔の読み物は「読み書き」のためにも「理論だって考える」ためにもあんまり良質ではないと思うのです。


もちろん文章サブリミナルだとか、悪霊にレイプされた姉妹の話だとか(私のブログはこればっか。)フェラチオだとかフェラマチオだとか小さな子供に聞かせたくないような内容がいっぱいのっている、というのはもってのほかです。


が、

それとは別にものみの塔の出版物は


文章がなんか変


質問の意味が分からない。何を聞いているのかが分からない、というのは100歩ゆずって、質問したい質問がないんだけど、章の質問しないといけないからでっち上げたからだ、というのはなんとなく分かります。


でも出版物の本文で「それなので」「だから」「つまり」などの接続詞の使い方が間違っていることがいっぱいあります。(啓示の本参照)接続詞が全くその本来の意味を無視して使われているどころか、それと同じ用法を割り当てでやっても演壇からほめられる、という、子供には言語教育上よろしくない場面がいっぱいです。


もちろん、最近は接続詞の誤用は「間違い」では決してなく、統治体が書きなぐったどうでもいい文章だから(啓示の本参照)、ということが自分でも分かってきて納得することができました。


でも学生時代は出版物を読んでいてものすごく混乱しました。


出版物の文章(特に研究記事)が理解できないのは、私が限りなくバカだからか!と不安になったし、理解しようとして読めば読むほど理解できず、挙句「サタンにベールをされてる」被害妄想とか、読むと頭が混乱するので精神の不安定ささえ感じたものです。


中には「理由」づけ、証拠がないまま結論付けられているもの(例えば、「背教者のいう事には信憑性がないので真実ではないとわかります。」という表現。啓示の本参照。なぜ背教者がこの章で出てきたのか、背教者のいう事とは、一体何か。なぜ信憑性がないのか。なぜ信憑性がないと真実でないとすぐ結論できるのか。などなど。)もあって、生真面目だった私は理解できないことを注解できず、「一度も注解しなかった」といって親からなじられる日々が続きました(笑)


意味不明の翻訳聖書をひたすら読んで、解読不可でもものみの塔の質問から答え部分を察することが「理論的な考え方、話し方をする」教育になるとは思いませんし、逆に混乱を生む害になると思います。


偉い2世の中には「研究記事の引用、参照聖句は全部引くのが当然。あなたは引いてないの?」などといってくださる方がいたんですが、


一部の主題、主要聖句を除いて、多くの参照されている聖句は全然ものみの塔本文を支持したり裏づけたりしてません。

だいたいのところ

本文の中に見られる単語の一部が聖句にみられる

というだけです。


なぜかあまり多くのJWはそれに気づいていません。ためしに参照されている聖句をどれかとって、それが全然本文に関係がない聖句でも、聖句を引用したあと、ものみの塔本文をつなげて注解してみてください。

全然意味不明でも



「聖句からの注解ありがとうございました。」



といわれるはずです。


本文にいっぱい聖句が書かれていると「これは聖書から論じられた考えだ」「聖書の裏づけがある」と勘違いしてしまいますが、


勘違いしてくれたらうれしいな。

というのが執筆者の心でしょう。



ものみの塔の主張には信憑性がないのでそれは真実でないと分かります。



あんたにだけは言われたくないからっシリーズその2 「喜びなさい!」

2007-11-14 08:32:53 | ●エホバの証人考
喜びなさいって、、、言われてもぉ~

葬儀屋さんにいてよろこべない。


っていうわけで、「喜びなさい!」についてです。


エホバの証人ってよく「喜びがない」とかって人を批判するんですよ。

世の中には色んなことを批判する人がいるけど、喜べないからって批判するする人は少ないと思う。

なんでエホバの証人は人の感情まで指図するんだろう。


大体規則ずくめ、集会奉仕に、家族から迫害。将来はこれからナチ以上の迫害がまっている(らしい)ただでさえ暗くなるよ!っていうのに、何をそんなに喜べっていうの~。将来の個人的な夢もなし、結婚も家庭を持つこともかなりラッキーでなければありえない、っていうのに、何よろこんでられるんじゃ~!




喜べ喜べといえば暗示にかかるかもしれません。でも私としてはイエスが喜べ喜べといったのは、、単に啓発セミナーのさきがけであって、「見よ!」とか「喜びなさい」とかいうのは調子を盛り上げるための掛け声のようなもんでしょう。と思います。

それを文字通りに取るのはJWくらいです。いい迷惑です。


人をうつ病にしておいて喜べとはなんですか。落ち込んでるときに「喜びがない」からって罪びと扱いされる辛さといったらありませんでした。ハッピーハッピーじゃないと罪悪感を感じさせられるんです。

世の人への良い宣伝のために外では空元気を装いました。「エホバの証人は幸せそう。なぜなんだろう。」と思わせてjwにおびき寄せるためです。

家では父が迫害者だったのでなおさらがんばりました。


この強制ハッピーについて、いつも思い出すんですが、イギリスのコメディ番組に「モンティパイソン」というシリーズがあって、その中で「ハッピー王国」っていうコントがあるんですよ。


昔、昔、ハッピー王国という国がありました。ハッピー王国の臣民は皆毎日ハッピーに暮らしていました。

賢い王様が不幸な人を全て処刑していたからです



というコントなんですが、


妻が死んで嘆いている人が「公の場でアンハッピーだった」罪で捕まるんですが、裁判で「ハッピーになるまでつるし首」の刑を言い渡されるんですよ~

ハッピーになるまでつるし首、神に立ち返るための排斥。
ハッピーなjwというイメージ維持のための喜びの強制。なんかエホバの証人社会ではこれって、現実なのであまり笑えません。


モンティパイソンとういと、そのメンバーにテリーギリアムという人がいて、この人は一貫してこういうむちゃくちゃな宗教裁判みたいなものを題にブラックコメディーを作っています。

彼の後の作品に「未来世紀ブラジル」という映画があり、こういう不条理な宗教裁判テーマを膨らませたもので、私的にはいつもエホバの証人世界を思い出します。

(ちなみに「ハッピー王国」のコントでハッピーになるまでつるし首の刑を言い渡された人の役はテリーギリアムが演じてました。)



不条理。これエホバの証人。

怖がりのエホバの証人

2007-10-30 00:38:05 | ●エホバの証人考
エホバの証人についてよく思うことは


エホバの証人ってどうしてこんなに怖がりなのかな~~

と、いうことです。



自分も現役時代は本当に怖がりでした。「怖い怖い」という表現がよく出てきますよね。


淫行を恐れるあまり、心配ではなく「恐怖」が高まり、子供の手紙や日記を勝手に読み出したり、異性から電話がかかってくるだけで、淫行淫行となりふりかまわず発狂する(・・・)そんな母親が多いのも、

ひとえに「恐怖」(英語にするとホラーという恐怖でしょうか。)のため。


エホバの原則に従っていないと「神は事をあらわにされる」っていうんで、超自然的な力により、ばれることになっています。なので、デートをしていても、「え!こんな遠くで○○姉妹に会ったよ~」などという偶然が神の業になり、エホバからは逃げられないという話になり、広まっていきます。

隠れてデートしているJWはまるで自分を脱走囚のごとく見つかる恐怖に駆られます。


輸血・医療。

輸血するとかならず悪い事がおこる、死よりも恐ろしい病気になると思う。終わりの日に出産するとろくな事にならない、(危険な目にあう)病院、医師は役に立たないなどの恐怖。


世俗の人、仕事。

JW以外の人は怖い。怖い怖い怖い怖い。とにかく邪悪。仕事場は不倫、不道徳の温床で危険危険危険危険。不正、うそがまかり通っていて、JWにとっては信仰が常に試される戦場である。という考え方。


なぜJWはこんな不健全な恐怖に囚われているんだろう。。。


背教者についてはサタンの化身、悪霊の仮の姿がごとく怖がられます。仲間の間でもすこしでも「疑問」がくちにされると、怖い怖い怖い怖い怖い


そういう事をくちにする仲間の信者も悪霊がついてるなんて思われたりして、村八分にされたりして、、。


JW怪談の中で「ある兄弟が背教者の文章を隠れて部屋で読んだら、その時、壁がもりあがり、人間の顔になり、読んだな~~と言った。」というのがありますが、


これもエホバの証人の背教者に対する「恐怖」がよく表れてると思います。


本当に、JWの教理が真理ならば、誰の論弁も反対意見もきちんと、あっさり論破できるはずで、どうどうとしているべきであって、「避ける」という指示自体がおかしいはずなんですが、

実際にはこういう怪談がはびこるくらい背教に対するエホバの証人の「感情」は恐怖!の一点張りなんです。


大体どうして「論じるの本」なんかが出ているのに、元信者からの疑問や論議には答えちゃいけないの?
真理を持っているならば「背教者の質問に答える」本くらいあってもいいはず。

どのレベルの信者でもバプテスマを受けているならば、こういう質問や論議にもきちんと答えるようにするのが「真理」「神の唯一の経路」を持っていると主張する宗教の勤めではないでしょうか。


そうするかわり、エホバの証人は、背教者の文章には何か普通を越えた悪魔的な()力が備わっていて、読んだとたんに、サタンにやられる。なんていう超自然的な恐れを感じるよう教育されています。


怖い、という感情は「感情」の中でももっとも理性が入り込めない領域ですよね。恐怖を感じている時に理論的な考えはできません。ものみの塔は信者に恐怖心を植え付けることで、それ以上は決して考えないようにさせてきた、のではないでしょうか。


エホバの証人の言う「霊性」とは?

2007-10-21 05:19:06 | ●エホバの証人考
前回の記事「冷たい人間をつくるエホバの証人の教育」の続きです。

世でいう霊性とは心霊とか、精神とかを表しますが、、

エホバの証人のいう霊性とは組織への忠実度のことです。



何かを考えたり、話したりする時に、いかにものみの塔という組織の見解にそって考えるか、がエホバの証人のいう霊性です。ものみの塔出版物以外の書籍や考えかたから感銘を受けたり、会話の中でとりあげたりすると、、

いくらそれがいいことを言っていても、やはりものみの塔路線から外れるので霊性のほどが「疑問視」されます。


お年寄りを助け、目立たない人を助け、やさしい心を持っている兄弟や姉妹であっても、ものみの塔が「罪」としていることをすると、とたんに「悪人」となります。

一方でプライドの高い、思いやりのない、人を傷つけることも平気な兄弟姉妹たちも、ものみの塔が罪と定めている事をしなければ、そして組織の方針に従っていれば霊性の高い、立派なクリスチャンなのです。




たとえばある兄弟は集会へ一人の老齢の姉妹を車で連れてゆくことを約束していました。その老齢の姉妹は約束の時間に少しだけ遅れてしまいました。

その兄弟は「集会の時間を支持することは大切だから」とその姉妹を待たず、一人で集会に行ってしまいました。


ある兄弟は同じような約束を子連れの姉妹としていました。子連れの姉妹は子供に支度させるのに手間取ってしまい、約束の時間に遅れました。

しかしその兄弟は自分が集会に出席する時間を遅らせて、その姉妹を待ちました。




老齢の姉妹を寒空に置き去りにした兄弟は時間内につき、模範とされ、子連れ姉妹を待っていた兄弟は「時間の点でリスペクトが足りない」とバッシングされたのです。(実話です。)


こんなことはJW世界では日常茶飯事です。

このように、JWにとって「人間性」は組織への忠実度が薄ければ何の価値もありません。なので、JW内の暖かさや愛は、必然的に組織の決まりの隙間を縫ったような、しるしだけ、または珍しいものとなるのです。



また組織はアブラハムが息子イサクをささげようとした聖句を例に出して、組織への盲信を要求します。


アブラハムはその命令を受けたとき、息子をささげてしまったらどのように種を供給することになるのか理解できなかった。しかし神は自分の知らない方法で事を行われる、息子も復活させられると信じて息子をささげようとしました。


私たちも組織の要求が理解できないとき、理不尽だと感じるときもアブラハムの信仰に見習って、ただ従ってみるというのはどうでしょう。





てな感じに、です。


こうして一見(そしてその通りに)愛がない行いも、理不尽なルールも、全てひっくるめて疑問を口にするべきではない、JWにとって霊性(組織への忠実度)は愛を示すことよりも重要だと教えられているのです。


エホバの証人の口にする「霊的」「肉的」という言葉は組織への忠節度をお互い探りあい、スパイしあい、告発しあうための便利な言葉です。



「霊性」「霊的」という言葉をよく口にする人には注意しましょう!!






冷たい人間をつくるエホバの証人の教育

2007-10-12 21:43:38 | ●エホバの証人考
エホバの証人の中には愛がない

とかっていうと「あ~言えばこう言う」現役JWに不完全さがどうのこうの、と反撃されそうです。


しかし、日本の場合、外国と比べると比較的お互いをささえあう精神が見られますが、これはJW教育のおかげというより、単に国民性だと思うのです。

大抵同じ国民でささえあうフィリピン系のJWもなかなかお互いの面倒見がいいようです。ヨーロッパ系となるとJW内でも全然他人です。



2世を見ると「国民性」ではなく、JW教育の成果が分かると思うのですが、


いや~、JWの2世、3世は全体的に冷たいですよね。


これはやはりJW教育の賜物だと思うのですが、「冷たい」というのには自然の情に欠けるとか、仲間同士でさえ助け合いの精神がない(常に自分の利益優先)、

または人間性に欠けるとか、そういうことです。


顕著な例はウィズダムさんのブログであった例。「ハルマゲドンで滅ぼされた死体は鳥が片付けてくれるので私たちは何もしなくてもいい。」という司会者の言葉に聴衆が笑う。こういう例はJW内ではごろごろありますね。

こういった不気味な光景が普通に、誰も疑問を感じず繰り広げられている。


物質的援助が必要な人となると、もう顕著ですが、ほとんど誰も助けません。

「プレゼントがあります。」とかって言って


聖句をプレゼント


とかまた、小ざかしい言葉のあやでごまかす、というのは多くありますが。


これは、やはりJW教育の賜物だと思います。



「世の教会」ではこの聖句をどのように取り上げているのか知りませんが、エホバの証人は

10人の処女のたとえ話


を良くだすんですよ。


いつになるか分からない主人の到着をまっている処女はおのおのランプを持っていますが、そのうち5人(多分JW)は余分の油を携えていて用意の出来ているところをアピール。

しかし他の5人は油を持ってこなかったので、

「分けてください」

って言うんですね。


そうすると用意の出来ている5人の処女は

「っていうか、自分が用意してないのが悪いんじゃん?てめえで買いに行け」

とかなんとか、そういう事を言うんですよ??!


どうですかっ。


JW内にはこの精神がよ~~~く行き渡っていて、自分だけが用意周到、救われれば良い。っていうか、それが霊的って意味でしょ。

と思ってる。


ひいいては、輸血問題で血液分割成分は受け入れます、って言っておいて、そういう成分は誰かの献血でまかなうのは当然だけど、自分は献血は無条件に「出来ません」と言う。

そういう態度も全然普通!って思えちゃう。そういう精神が形成されてゆくのだと思います。

なぜか、というと、霊的でいること、霊的でいるかぎり救われることそれ以外は他の5人の処女が路頭に迷おうが、何しようが知ったこっちゃない、世の人や、JWだけど「霊的に弱い人」、霊的だけど経済的に困ってる人、

はどうでもいいんです。聖書がどうでもいいと言ってるんです。だからこれでいいんです!!!!


って。




ニュータイプはどうのように出現したのか

2007-10-09 05:18:04 | ●エホバの証人考
大それた題ですが、
結論から言って私もわかりません。

なので

求む!!!!ニュータイプの方の意見

コメント、メールなんでもいいです。自分はいまどきのニュータイプだ、という方、ニュータイプを良く知っているという方、

ご意見をお聞かせください。


crying_soulさんからのコメントでこんな意見をいただきました。

●矛盾した2つの価値観を平気で内在・実行できるというのは、心理学的に言うと乖離状態ですね。。

こういう状態は普通は長続きせず、何かの拍子に精神関連症状があふれ出すと思うのですが、それすら抑圧できるとしたら、ものすごい精神的パワーを浪費していることになります。。

もしくは本当に思考停止しており、矛盾に気づく能力すら奪われているのか


以上コメント引用させていただきました。


私も同じ点が疑問です。


エホバの証人というのは「味方か、さもなくば敵」「ゼロか全てか」「白か黒」「有罪か無罪か」か、英語表現でいうと「フェンスの上にはいられない」(どちらかの側に落ちなければいけない」というのがモットー。

組織も十分そこんところを強調してくるから、その中にいて「白か黒かではなくてもいい」というスタンスを精神の平安をもって保てる、

というのはそれはそれは精神の鍛錬が必要かと思われます。

私はそれが出来なくって苦しみました。自分が信じていない教理を笑顔いっぱいで語る姉妹や兄弟を前に、どういう顔をしていいか分からなくって集会に出るのが辛くなった。

かろうじて笑顔で対応してても、向こうには胸のうちを気づかれてるのでは、という恐れとか、自分に対して偽善を感じて、どんどん苦しくなった。


ここで話題にしているニュータイプは2世3世です。1世の場合子供の頃から刷り込まれてきた、という精神的ハンデがない分、たとえ教理を信じていなくとも、それは精神的矛盾を生むことはないと思います。

2世、3世でエホバの証人コミュニティーで育ちながら、JW教理に心が拘束されていない人たちは、はやり精神的には無理をしているのか。

無理をしているのなら、いつかはそのゆがみが表に出てくるのか、
出てくるのならどんな形で出てくるのか。。。。などなど


エホバの証人からはこれからも目が離せませんです。


そして、今。ニュータイプ

2007-10-02 05:32:14 | ●エホバの証人考
抑圧された性、精神衛生に深刻な問題を引き起こすJW教理、、、と続きました。

こうしてエホバの証人は長い間精神的拷問を受けてきたのです。中には無事にJWを脱出し命からがら生還した人もいれば、間違いに気づきつつも力尽き、組織の中で精神的に亡くなった方もいる。

壊れた家族、犠牲になった未信者の数はもはや誰も数え尽くすことの出来ない砂のつぶのように、、、


となったところで!!





皆さん、フロイトの言葉を覚えておられますか?

ものみの塔によく「世の悪い知識」として取り上げられますね。


その物見の塔の中でフロイトの「宗教は大きな妄想である。人類はいつかそれを捨て去るだろう」


って言葉があるんですが、、



ここに来て、私は

人類の進化を目の当たりにしました!!!!


ここにエホバの証人ニュータイプを発表するとき、私たちの心は喜びに満たされます!!!!!!


会場沈黙。


そして歓声!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





ハイ。


私は今、ちまたでうわさになっているJWニュータイプとは、ものみの塔の精神的圧迫や拷問をへてきたJW人類の進化系だと思っています。

ニュータイプなJWはJW教義で永遠の神からの断絶の第一の理由になる「淫行」も平気で行えるそうです。そして、その一方で魂の苦悶なく、平安にエホバの証人を続けることも出来るそうなのです。

組織の間違いに気づいていながらも、それと反対のことを演壇から話すことさえ出来るらしいのです。

どこをどうやったらそういうことがJWの中にいて出来るのか、旧タイプの私には想像もつきませんが、

そういう事をやっても良心が痛まないというのは、精神を守る上でエホバの証人に必要な進化だったと思います。


とにかく、人類はこのようにして心も進化させ、「いつか宗教を捨て去る」事ができるまで強く成長しましたあぁぁぁ



私は全然けなしてません。文字通り感動してます。

だって宗教の束縛を逃れるというのは大変なことなんですよ。

世のキリスト教を見てください。今日の「自由」な風潮を得るのにどれくらいの年月がかかっているか、そしてどのくらいの人が文字通り命を失っているか、

を考えると、

エホバの証人の100年という歴史のこの改革は全く目覚しい。


それにくわえ、精神を束縛することでかなりの評判を得ていたあの、エホバの証人からニュータイプが現れるとは!

私が精神科医なら喜んで研究対象にさせていただきたいです。

って感じなんですが、どうでしょうか。


もちろん、ニュータイプのエホバの証人が増えることにより、エホバの証人のエホバの証人らしさ、そのゆえんも失われることは否めません。


拡張活動も停滞するでしょう。


もう、統治体のサブリミナルも、脅しも効かなくなるでしょう。


ものみの塔は反対者であるサタンやその手先である背教者(ほほほ)からではなく、自ら身から出た新しいタイプの成員によって滅ぼされてゆく。

これはもう、ものみの塔としてはぎゃふんと言いたいところだと思う。

人為的にうつ病状態をつくるエホバの証人の教え

2007-10-02 00:47:28 | ●エホバの証人考
うつ病について参考にしたサイトです。

唐木診療内科クリニック

エホバの証人はうつ病、うつ病の気がある人が多いです。統計を取ったわけではありませんが、この事実はエホバの証人なら否定できないはずです。

「このクラスは女の子が多いね~」というくらいのレベルと同じくらいで、会衆には鬱ぽい人が多いなあ。

とどこにいっても思います。


さて、一世の場合、元からそういう傾向があったのでエホバの証人になった。だから鬱っぽい人が多い。という説明でしっくりくると思いますが、

2世にもうつの人がたくさんいます。比率からいったら2世のほうが多いかもしれません。

それは協会の方針が人に及ぼす心理状態が


うつ病の症状そのものだから

だと思うんです。


つまりうつ病の傾向がない人でも、原因がない人でも症状のほうが先にあるので、

うつ病のほうが後からついてくる

んじゃないでしょうか。



さて、上に上げたサイトを見てみると、うつの症状に


●強い罪責感


というのがあります。


これは私が以前「世」の人と話した時のエピソードいい例になってます。自分がものみの塔の教理にそえないので何をするにも、いつ、どこにいても罪悪感を感じていたときです。

うつで入院していたというその人に、「罪悪感を良く感じるんだよね~」とさらりと言ってみたところ、

「あ~、それは典型的なうつの症状ですよ。薬もらってもいいかもよ。」


といわれたんですが、私は自分ではうつだと思ってませんでした。心の中で「あ~その罪悪感には理由があるから。。世の人には説明しにくいんだけど。うつの症状じゃないから」と思ってましたが、

やはり数年後うつっぽくなりました。


サイトには

ほとんど根拠なく自分を責める。過去の些細な事を思い出して悔やむ

のが症状のひとつだとかかれてます。


さて、JWはどうでしょうか。JWの細かい規則に従えない、JWの教えに疑問を抱く、とにかく自分を責める内容にことかきません。そしてこれらは教理に束縛されてない人にとっては

コンビ二でタバコを売る。職場の人にあけましておめでとうと言われ、人に対する恐れからついおめでとうと言ってしまった。などなど

ほんっと些細な事なのです。



過去の些細な間違い、、、これは

あ~、ボーイフレンドとあれこれしちゃった、、、
告白しないと滅ぼされる!!!!


過去のことを悔やむようにセットされています。



さらにうつ病の症状が上げられています。箇条書きにしてみます。

●性欲の停滞

これは、、もういいからっ。って言われそうですが、(笑)人為的に性欲を死んだものとするよう教育され、ある人は努力に努力をかさね、自分の性を無視することに成功しています。


●趣味や喜びの喪失

個人的関心は全て世のこと。今はそのような趣味に現をぬかすときではない。と周りから、演壇から常に圧力をかけられるので、時に趣味や関心事を追い求めることが苦痛になってき、それ自体をきっぱり辞めるよう余儀なくされたJWもたくさんいます。



●悲しい。なんの希望もないと感じる。


JW的に罪を犯しているなら、さいこ~に恥ずかしく屈辱的な告白と恐ろしい宗教裁判である審理委員を経るまで生きる希望はありません。


●自殺への思い。辛くて死んだほうがましと考える。

若いとJWでの生活が辛く、いっそ消えてなくなりたい、これ以上組織に迷惑をかけず、エホバをがっかりさせず、死んだほうがまし、と考える傾向にあります。

私もそう考えました。


●精神病的病状


(深刻な精神疾患である誇大妄想とくらべ、病的な根拠がない場合の症状として、「微小妄想」と言う。とサイトには書かれてました)


1 自分が重大な罪を犯したと思い込む罪業妄想を感じる。



はあ。。。エホバの証人にとってこれは思い込みではなく、時に宇宙の真実です。重大な罪、という表現は日常で、出版物で繰り返し取り上げられ、組織の定めた種類の罪を経験した人は苦しめられます。


2 何をしても無駄という虚無妄想を感じる。


むなしい、全てはむなしい。書物を作ることは疲れる、日の下に価値あるものは何も見出されなかった。。。。。


世はすぎさりつつある。

このような世界観を若い頃から事実として教え込まれています。



3 被害妄想


自分が避けられている、他の人から避けられているとう妄想。


あ~、ははは。

これもJWにとっては妄想でも何でもありません。日常です。演壇や出版物から定期的に霊性が低い人(そしてその基準はおのおの成員が決める主観的なもの)とは親しくならないように。と教えられています。

感受性が豊かな人や若い人は「自分は霊性が低いので周りから気をつけるべき人物と見られているのでは?」と常に感じます。

感じるっていうか、実際に避けられている人もいます。




このように、エホバの証人にはうつ病の人が少ないかもしれませんが、


うつ病じゃないけど、うつ病の症状を持った人はたくさんいます。


すばらしい組織ですね~



あと、蛇足ながら、うつ病になる原因のひとつに


「海外では 低学歴、低収入、貧困、無職の人がうつになりやすいという統計がある」


と書いてありました。

さらに、「教育体系や子供の頃うけたトラウマ」も。

体罰?むち?宗教的分裂による精神的苦痛?


おそろしくうつ病傾向をクリアしているエホバの証人。


これじゃ、うつっぽくならない人のほうがおかしい!