パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 大阪「日の丸・君が代」裁判<下>(永尾俊彦)

2024年03月13日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 ◆ 生徒の「隣人」でありたい 不起立は「合理的配慮」
   ~大阪府立支援学校の元教員 奥野泰孝さん(週刊金曜日)

 大阪のもう一つの裁判の舞台は支援学校だ。以前は介助が必要な生徒に付き添うための着席は認められていたが、障害者権利条約の「合理的配慮」さえ認めないという。大阪維新の会が多数派になり、教育現場にも復古的風潮が広がっている。

 ◆ 大阪維新の会が多数派になり復古的風潮に

 「発作よ、起こるな!」
 2015年3月6日に行なわれた大阪府立支援学校高等部の卒業式で、教員だった奥野泰孝さん(66歳)は担任していたA君の隣で、てんかん発作が起きないよう祈り続けた。
 「お立ちください」
 司会者が言った。ザッとみんなが立ち上がる。国歌斉唱が始まった。教職員には起立斉唱の職務命令が出ている。しかし、奥野さんは起立せず、車いすのA君の隣に座り、安心させるために肩や膝に手を置いたり、時折小さく声をかけたりして介助していた。
 「彼と同じ目線でいることが、発作を起こさないために必要なんです」と奥野さんは言う。

 発作はほぼ毎日起きる。軽い発作なら数十秒ほどで治まるが、重いと数時間ぐったりしてしまう。重複障害で、食事や排泄(はいせつ)は介助が必要だ。言葉での会話はできないが、態度や表情で意思疎通はでき、よく笑い、名前を呼ぶと笑顔で応える。
 高等部の3年間、毎日A君を介助してきた奥野さんは、興奮が長く続いた時、不安な時、孤独を感じた時などに、よく発作が起こるとわかっていた。卒業式でみんなが起立し、A君が孤立と不安を感じれば、当然てんかんが起きやすくなる。
 卒業式は「最後の授業」と言われる。支援学校の生徒は、式に参加できた経験が大きな自信になる。だが、発作が起これば貴重な学習の機会を失う。

 A君の母親から奥野さんは事前に、「できれば歩いて入退場してほしいですが、先生に任せます。彼の体調次第で退場が車いすになってもかまいません」と言われていた。A君は発作を起こさず、入退場も卒業証書の受け取りも、奥野さんが傍らで介助し、歩いた。
 最後のホームルームを終え、在校生や教職員が廊下に並んで見送るなか、A君は満面に笑みをたたえ、奥野さんの介助を受けつつ自分で歩いて行った。母親は、涙を流して喜んでいた。
 式後の昼食会で奥野さんは、同僚と卒業生を無事送り出した喜びを分かち合っていた。その最中、准校長に呼び出された。「不起立を現認しましたから、顛末(てんまつ)書を書いてください」

 ◆ 「隣人」とは誰か

 奥野さんは子どもの頃から絵を描くのが大好きで、大学では美術を学ぶ。教員になったのは絵画制作を続けようと考えたからだ。「将来は画家として認められたいという思いもありました」と振り返る。
 初任の養護学校(現支援学校)時代は、帰宅後に絵を描いていた。創作のエネルギーや発想が得られると思い込み、よく深酒をした。不摂生で風邪をひきやすかった。
 養護学校には風邪をひくと痰が切れず、命取りになる生徒もいる。にもかかわらず、咳が出ていても授業を続けた。そんな時、聖書に触れた。

「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。(略)わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」(ローマの信徒への手紙7)

 こう告白するイエスの弟子、パウロの言葉に自身が重なった。信仰を持つようになった。
 奥野さんはA君と3年間を過ごすうち、いつしか彼が喜ぶと一緒に喜ぶようになっていた。「A君はスライム(粘液状の玩具)したら楽しいやろうな」と思ってともにこねると、喜々として楽しんでいる。それを見ると奥野さんもうれしい。
 イエスの大切な教えの一つは「隣人を自分のように愛しなさい」だ。「隣人」とは誰か。奥野さんはわからなかったが、次第にA君と喜怒哀楽をともにしていると感じるようになった。「『隣人』ってこういうことなんや」と教えられた気がした。

 ◆ 例外は認めない

 15年5月、奥野さんは不起立で戒告処分を受けた。准校長の大阪府教育委員会への報告内容を知るため、奥野さんは個人情報の開示を請求、准校長作成の報告書を入手した。そこには、同年卒業式の数日前、A君の発作に関する准校長と奥野さんの会話がこう記されていた。

奥野教諭 昨年校歌の際に発作が起きたことはお話ししたが、確率で言えば発作が起きる確率は10割と考えている。

准校長(略)(国歌斉唱の際)座ることを認めることはできない。(カッコ内筆者)

奥野教諭 もし発作が起きたらどうするんですか。

准校長 いつものように対応してください。

奥野教諭 彼はしんどい思いをするんですよ。

 13年の卒業式でも奥野さんは起立せず、減給処分を受けた(注1)。それで14年の卒業式では、職務命令で駐車場係を命じられた。在校生として出席したA君には、教頭が代わりに付いた。国歌と校歌で教頭はA君の横で起立した。案の定、校歌で軽い発作を起こした。
 A君は中学部の卒業式から3年間、出席した卒業式では毎回発作を起こしていることから、奥野さんは報告書にあるように発作が起きる確率は「10割」と言った。
 報告書で准校長が言う「いつものように対応」とは、予防策はとらないことだ。発作が起これば、一生に一度のA君の晴れ舞台は台無しになる。

 奥野さんの元同僚の山口広さん(70歳)も、てんかん発作を起こしやすい車いすの生徒を介助するため、13年の卒業式の国歌斉唱で起立しなかった。だが、その時の准校長(同年異動)は府教委に報告せず、山口さんは処分されなかった
 しかし、その後代わった15年3月当時の准校長は奥野さんの介助のための着席を認めず、報告した。山口さんは「報告するか否かは管理職のさじ加減一つ。ただ、府教委は支援学校にも『君が代』だけは例外を認めない。愚かしい話」と言う。

 ◆ 府教委は苦しい回答

 奥野さんを支える会の一員で、府内の公立中学校で支援学級を担任したことがある枡田幸子(ますださちこ)さん(74歳)は、「支援学校や支援学級では、不起立は黙認されていました」と証言する。

 枡田さんは奥野さんが出席する卒業式前日の15年3月5日、府教委支援教育課の主任指導主事と面談。「支援学校では介助の必要な車いすの生徒に付き添って式場内で着席していることは認められているはずですが、ありですね」と確認した。
 主事は「もちろんです」と答えた。枡田さんは奥野さんが(駐車場係などに命じられることなく)式に出られるように准校長の説得も頼んだ。主事は「わかりました。連絡してみます」と応じた(裁判に提出された枡田さん作成の記録より。カッコ内筆者)。

 翌3月6日の卒業式当日の朝、奥野さんは准校長に会った際、起立斉唱の職務命令を再確認されたり、駐車場係に命じられたりすることもなかった。
 「前日の電話で枡田さんから、府教委の主事が『着席を認めると言った』と聞いたし、着席しても式後に説明すれば府教委は理解してくれるだろう」と思っていたと奥野さん。山口さんの前例もある。
 それで奥野さんはA君の隣で着席した。
 だが、その日のうちに准校長は府教委に7ぺージもの詳細な報告書を提出した。大阪府には同一職務命令に3回違反すると免職にできる職員基本条例がある。奥野さんは条例施行前に戒告1回、施行後に減給1回の処分を受けている。
 「奥野さんに条例施行後2回目の処分をするため、准校長は駐車場係などを命じずにあえて会場に入れたのではないか」と枡田さんは推測する。
 奥野さんの今回の戒告処分には、「今後同一職務命令に違反すると免職にすることがある」との警告書が付けられた。

 だが、そもそも介助が必要な生徒が多い支援学校の教職員に一律に起立斉唱を求めるのは無理があるのではないか。筆者は府教委の支援教育課に聞いた。
 黒田誠課長補佐は「支援学校でも教員が起立して国旗国歌に対する敬意を態度で示すことは必要です」と答えた。
 「国旗に注目すれば、子どもから目を離すことになりませんか」と続けると、「子どもに意識を向けながら、起立する対応になります」との苦しい回答だった。
 処分の取り消しを求め、奥野さんは21年に提訴した。

 ◆ 「侮辱です」

 日本も批准する障害者権利条約は、障害のある人を保護の客体から権利の主体にするための条約で、そのために必要なのが「合理的配慮」だ。その本質は「イエスの言う隣人になること」と奥野さんは捉える。その人の身になって考えることだろう。
 23年5月、大阪地裁の判決は棄却だった。横田昌紀裁判長は判決で、A君の介助のための不起立は「合理的配慮」だとの主張について、その根拠が奥野さんの経験による主観的なものであり、「客観性を欠いている」と判示した。
 そしてA君の発作予防に「仮託して」起立斉唱を避けた疑いがあるとした。信仰心からもともと立ちたくないので、A君の介助にかこつけた疑いがあるというのだ。
 奥野さんの不起立には、もちろん信仰心からもあるが、あくまでA君への「合理的配慮」からだ。裁判でも信仰の自由は争点にしていなかった。「侮辱です」。奥野さんは怒りにふるえた。当然控訴した。

 24年1月18日、大阪高裁の判決も棄却だった。さすがに人格攻撃になると考えたのか、「仮託して」という言葉は消えている。しかし、奥野さんの不起立の理由が主観的で、客観性を欠くという判断は維持し、養護教諭や学校看護師らと情報を共有・分析しておらずふ客観性がないと判じた。
 この点について奥野さんの代理人の池田直樹弁護士は、まだ弁護団会議を開いていないので今後変わる可能性があると断りつつ、こう反論した。

「地裁、高裁は合理性を客観性と捉えています。しかし、ほかの教員と情報を共有して臨むことがイコール合理性ではない。教員には専門性があり、経験から確からしいと言える根拠があれば合理性があると言えます。奥野さんは3年間の介助の経験から、A君は緊張とその緊張がゆるむ波が発作を誘発するという知見を持っていました。これは十分合理的です」

 ◆ 1人が声をあげる

 大阪維新の会が府と市で多数派になってから、大阪では復古的風潮が広がっているようだ。
 17年には学校法人森友学園が運営する幼稚園で、教育勅語を暗唱させていたことが問題になった。19年5月8日には、大阪市立泉尾北(いずおきた)小学校の小田村直昌(おだむらなおまさ)校長(当時)が、朝礼で「天皇陛下がお代わりになった話と126代目(注2)であること、元号も日本古来から続いているお話し」をした(同小ホームページより、現在は削除)。
 22年10月の府議会では、大阪市内の府立学校が同年3月以降、執務時間外の夜間にも国旗を掲揚、傷んでいたことを西田薫府議(大阪維新の会)が問題視。教育長は謝罪し、府教育庁は執務時間外の国旗の降納を徹底するよう通知した。
 そして昨年6月には、大阪府吹田市教委が自民党市議の求めに応じ、同年3月に市立全54校の小中学校の校長に「君が代」と校歌の歌詞を暗記している児童・生徒の数を調査していることが報道で明らかになった。

 吹田市在住で奥野さんを支援する会にも参加する府立高校元教員の梅原聡さん(67歳、注3)は、「こんな調査をやれば、子どもや保護者、教員に『君が代』は暗記すべきものと思わせる」と話す。思想・良心の自由の侵害であり、教育の「不当な支配」である。
 7月7日、梅原さんたち市民や保護者約50人が850人分の署名を持って市教委に抗議、「今後は今回のような調査は行なわない」と約束させた。
 梅原さんは「『日の丸・君が代』強制で教員が分断され、組合も攻撃され、批判する力が弱くなり復古的な風潮が広がっているように見えますが、多数派は物言わぬ人々。その人たちの気持ちに火をつける火種を絶やさないことが、私たちがやるべきことです」と話す。

 21年5月3日付『朝日新聞』で紹介された世論調査によると、「公立校の式典で起立して君が代を歌わなかった教師を、教育委員会が処分してよいか」という質問に、「まったく納得できない」が30%で、「あまり納得できない」35%と合わせると、65%の「多数派」が納得していないことがわかる。
 他方、不起立の教員に対し、ネット上での誹謗(ひぼう)中傷はすさまじい。
 奥野さんは、生徒に言い続けていることがある。「みんなが従っているから正しいのではない。歴史を見ても1人が声をあげることから、変わっていくんです」
 最高裁に上告し、奥野さんは闘いを続けるつもりだ。

 (注1)職務命令の受付業務を終えたので、介助のため入場したことが「悪質」とされて減給処分。処分取り消しを求め、この裁判では「信仰の自由」の侵害を訴えて最高裁まで争ったが、認められなかった。
 (注2)126代目とは、神話上の人物である初代神武天皇から数えての数字。歴史と神話を混同している。
 (注3)梅原さんは不起立で戒告処分2回。希望者はほぼ採用される定年退職後の再任用も拒否された。だが、損害賠償を求めて提訴し、勝訴(本誌2021年12月勿日号で掲載)。

※ながおとしひこ・ルポライター。著書に『ルポ大阪の教育改革とは何だったのか』」(岩波ブックレット)、『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)ほか。

『週刊金曜日 1463号』(2024年3月8日)

 

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