=2月23日スペースF学習会 (立川テント村通信)
◆ 国立市小中学校 卒・入ビラまき
国立市には8つの市立小学校と3つの市立中学校がある。毎年卒業式と入学式の朝、校門で生徒や保護者に市民がビラを配ることが、20年以上続いている。テーマは日の丸と君が代だ。
学校の儀式に日の丸を掲げ、君が代を斉唱するようにという文部省や都教委からの圧力が強まり、実施していなかった国立で教員と保護者、市民が力を合わせてそれに対抗し始めたのが1987年。沖縄で国体に向けたすさまじい圧力があり、全国の卒業式と入学式での日の丸と君が代実施率が毎回発表されていた。
諸外国を見れば、学校で国旗を掲げたり国歌を歌うところもあるだろうし、そうしないところもあるだろう。しかし国中にそれが強制され、実施しないと教員が処分される国があるだろうか。
これは、祖国への愛なんていうものとはまったく無縁だ。上からの指示に一斉に従うことが大切だと、教員にも生徒にも教えることが目的だ。
◆ 産経のデマ記事
90年代には、毎年春が近づくと校長に申し入れ、式の当日には早朝から監視行動、登校する生徒や保護者に、状況を説明するチラシを配る、という行動が続いた。
99年、国旗国歌法が成立した。これは日の丸と君が代が国旗と国歌であるとするだけの、ごくシンプルな法律で、これをもって強制することはない、と説明されたが、とんでもない。
2000年3月、卒業式の日の校舎の屋上には、どの学校も日の丸がひるがえったのである。
そして「ある小学校で子どもたちが校長に土下座を要求した」という事実に反する記事が産経新聞に載り、国立の小中学校が右翼のものすごい攻撃にさらされることになった。
翌年には日の丸は式の会場に登場し、君が代が流れるようになる。
◆ 自分で判断して決める
教員の組合組織率がどんどん下がっても、自分たちの子どもが卒業して大人になっても、この行動は続いている。
子どもたちは慣れたものだ。式の日には知らない人が校門でビラを配る、そう思って子どもが育つのも悪くない。
配り手は年を取ったが、新しく加わる人もいる。子どもがいるかどうかは関係ない。自分が暮らす町の、子どもたちの問題について市民が発言し、子どもたちに伝えるのは、特別なことではないはずだ。
各学校に何人かずつ配置するのは大変だ。小学校は同時に8校だから、手が回らない学校もある。卒業式に行けなければ入学式でビラを配る。
子どもたちに伝えたいのは、困ったときには必ず応援してくれるおとながいること、この社会を生きやすくしていく仲間になってほしいこと、そのためには自分で考え判断する人間になってほしいこと、そして旗に向かって礼をしたり、起立して歌を歌うかは自分で決めていいこと、だ。
2月23日、この運動の中で生まれたフリースペース「スペースF」の主催でふりかえりの学習会が開かれた。今年もビラまきが始まっている。
『立川テント村通信 530号』(2022年4月1日)
◆ 国立市小中学校 卒・入ビラまき
国立市には8つの市立小学校と3つの市立中学校がある。毎年卒業式と入学式の朝、校門で生徒や保護者に市民がビラを配ることが、20年以上続いている。テーマは日の丸と君が代だ。
学校の儀式に日の丸を掲げ、君が代を斉唱するようにという文部省や都教委からの圧力が強まり、実施していなかった国立で教員と保護者、市民が力を合わせてそれに対抗し始めたのが1987年。沖縄で国体に向けたすさまじい圧力があり、全国の卒業式と入学式での日の丸と君が代実施率が毎回発表されていた。
諸外国を見れば、学校で国旗を掲げたり国歌を歌うところもあるだろうし、そうしないところもあるだろう。しかし国中にそれが強制され、実施しないと教員が処分される国があるだろうか。
これは、祖国への愛なんていうものとはまったく無縁だ。上からの指示に一斉に従うことが大切だと、教員にも生徒にも教えることが目的だ。
◆ 産経のデマ記事
90年代には、毎年春が近づくと校長に申し入れ、式の当日には早朝から監視行動、登校する生徒や保護者に、状況を説明するチラシを配る、という行動が続いた。
99年、国旗国歌法が成立した。これは日の丸と君が代が国旗と国歌であるとするだけの、ごくシンプルな法律で、これをもって強制することはない、と説明されたが、とんでもない。
2000年3月、卒業式の日の校舎の屋上には、どの学校も日の丸がひるがえったのである。
そして「ある小学校で子どもたちが校長に土下座を要求した」という事実に反する記事が産経新聞に載り、国立の小中学校が右翼のものすごい攻撃にさらされることになった。
翌年には日の丸は式の会場に登場し、君が代が流れるようになる。
◆ 自分で判断して決める
教員の組合組織率がどんどん下がっても、自分たちの子どもが卒業して大人になっても、この行動は続いている。
子どもたちは慣れたものだ。式の日には知らない人が校門でビラを配る、そう思って子どもが育つのも悪くない。
配り手は年を取ったが、新しく加わる人もいる。子どもがいるかどうかは関係ない。自分が暮らす町の、子どもたちの問題について市民が発言し、子どもたちに伝えるのは、特別なことではないはずだ。
各学校に何人かずつ配置するのは大変だ。小学校は同時に8校だから、手が回らない学校もある。卒業式に行けなければ入学式でビラを配る。
子どもたちに伝えたいのは、困ったときには必ず応援してくれるおとながいること、この社会を生きやすくしていく仲間になってほしいこと、そのためには自分で考え判断する人間になってほしいこと、そして旗に向かって礼をしたり、起立して歌を歌うかは自分で決めていいこと、だ。
2月23日、この運動の中で生まれたフリースペース「スペースF」の主催でふりかえりの学習会が開かれた。今年もビラまきが始まっている。
『立川テント村通信 530号』(2022年4月1日)
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