《東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース》
◆ 木村草太さんの「君が代不起立問題の視点」を聴く
木村草太さん(憲法学・首都大学東京教授)は、ご著書『憲法の創造力』(NHK出版新書2013)の中で、私たちが支援を続けている「君が代訴訟」について独自の視点を提示している憲法学者として、ずっと注目してきた方でした。この間も、安保法制(11戦争法)、一八歳選挙権などアクティブな諸問題に関して活発な発言をされています。
今回のすすめる会総会の記念講演のお願いを快諾していただき、じっくりとお話しをお聞きすることができました(講演の全体は大部になりますので別冊でお読みください)。
東京・君が代裁判は、これまで思想良心の自由(憲法19条)と教育の自由(1947 教育基本法)を主張の大きな柱にしてきました。
したがって、木村さんの「原告らの自由権の主張では裁判所に届かない。差別されない権利(憲法14条)で闘う視点を持つことが求められる」というご意見は、当事者にとってはやや違和感が残る内容と言えます。
(注)一部訴訟(再雇用拒否二次)では、都教委による通達→職務命令→不起立行為→懲戒処分→再雇用拒否、という仕組みは、「日の丸・君が代」に対して抵抗感のある特定の教員を教育現場から排除するために作られたもので、これは憲法14条が禁止する差別に当たるとも主張しています。
木村さんは『ジュリスト』No.1400号(2010)でピアノ裁判判決と立川ビラ配布判決をとりあげて、「自由権から<差別されない権利へ」という論考を発表されていますから、一貫された主張というわけです。
ということで、講演後の質疑も活発に行われました。ここではアンケートの中から賛否両方の感想を紹介しておきます。
◎木村先生の論理=自由権での争いが事実として勝てていない中で「差別の禁止」をもとに争う、という考え方は、説得力をもっていると思いました。私自身の現職中に起こった様々な不利益をふりかえると、「差別の禁止」にぴったり問題点があてはまると思います。同時に、何のために教員にこのような差別、あぶり出しをするかを考えると、生徒への国家権力のすりこみであり、教育の自由の観点からも争いうるし、争う必要があると思いました。(I)
◎木村氏は「日の丸・君が代」に対して否定的考えを持つ人間に対する差別という切り口で闘えないかと提起するが、処分されたのは否定的考えを持つ教員ではなく、起立・伴奏しなかった教員なので、「職務を果たさなかったことに対する処分であって、差別ではない」ということになるのではないだろうか。不起立・不伴奏の教員は否定的考え方を持つのであろうと推測はできるが、最高裁は内心と不可分に結びつくものではないと判断しているので、思想を理由とする差別だとも認めないだろう。今回の講演は裁判にとって有効な論とは思えないが、闘いの厳しさを再認識する機会ととらえたい。(Y)
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース 第46号』(2017年1月28日)
◆ 木村草太さんの「君が代不起立問題の視点」を聴く
「りベルテ」編集部
木村草太さん(憲法学・首都大学東京教授)は、ご著書『憲法の創造力』(NHK出版新書2013)の中で、私たちが支援を続けている「君が代訴訟」について独自の視点を提示している憲法学者として、ずっと注目してきた方でした。この間も、安保法制(11戦争法)、一八歳選挙権などアクティブな諸問題に関して活発な発言をされています。
今回のすすめる会総会の記念講演のお願いを快諾していただき、じっくりとお話しをお聞きすることができました(講演の全体は大部になりますので別冊でお読みください)。
東京・君が代裁判は、これまで思想良心の自由(憲法19条)と教育の自由(1947 教育基本法)を主張の大きな柱にしてきました。
したがって、木村さんの「原告らの自由権の主張では裁判所に届かない。差別されない権利(憲法14条)で闘う視点を持つことが求められる」というご意見は、当事者にとってはやや違和感が残る内容と言えます。
(注)一部訴訟(再雇用拒否二次)では、都教委による通達→職務命令→不起立行為→懲戒処分→再雇用拒否、という仕組みは、「日の丸・君が代」に対して抵抗感のある特定の教員を教育現場から排除するために作られたもので、これは憲法14条が禁止する差別に当たるとも主張しています。
木村さんは『ジュリスト』No.1400号(2010)でピアノ裁判判決と立川ビラ配布判決をとりあげて、「自由権から<差別されない権利へ」という論考を発表されていますから、一貫された主張というわけです。
ということで、講演後の質疑も活発に行われました。ここではアンケートの中から賛否両方の感想を紹介しておきます。
◎木村先生の論理=自由権での争いが事実として勝てていない中で「差別の禁止」をもとに争う、という考え方は、説得力をもっていると思いました。私自身の現職中に起こった様々な不利益をふりかえると、「差別の禁止」にぴったり問題点があてはまると思います。同時に、何のために教員にこのような差別、あぶり出しをするかを考えると、生徒への国家権力のすりこみであり、教育の自由の観点からも争いうるし、争う必要があると思いました。(I)
◎木村氏は「日の丸・君が代」に対して否定的考えを持つ人間に対する差別という切り口で闘えないかと提起するが、処分されたのは否定的考えを持つ教員ではなく、起立・伴奏しなかった教員なので、「職務を果たさなかったことに対する処分であって、差別ではない」ということになるのではないだろうか。不起立・不伴奏の教員は否定的考え方を持つのであろうと推測はできるが、最高裁は内心と不可分に結びつくものではないと判断しているので、思想を理由とする差別だとも認めないだろう。今回の講演は裁判にとって有効な論とは思えないが、闘いの厳しさを再認識する機会ととらえたい。(Y)
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース 第46号』(2017年1月28日)
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