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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

君が代四次訴訟、証言台にたった6名の原告たちの感想

2017年02月13日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ☆ 君が代四次訴訟 第15回口頭弁論 結審
   3月15日(水)
11時00分開廷 東京地裁527号法廷(先着順)

  《被処分者の会通信》
  =2016年11月11日第13回ロ頭弁論=
 ◆ 原告証人尋問を終えて

 昨秋、原告証人尋問が行われました。第2回目となった11月11日に証言台にたった6名の原告たちの感想を以下に記します。どうぞ、お読みください。
 ○原告A 担当の山本弁護士には、私が何故立てなかったのかを裁判官に納得させるように言われました。
 日本が、都立高校が、信条と違うことを強制される恐ろしい社会に向かう時、我が娘や生徒達の将来のためにできる抵抗もしなかったとの誹りを受けることへの恐怖、そして、君が代を歌いたくない生徒の存在を知りながら起立斉唱してしまえば、私も彼らに同調圧力をかけ、彼らの内心の自由を侵害する側になるのだという思い、これらがその理由であると伝わったでしょうか。
 少数者や少数意見を排除する不寛容ではなく、少数意見を含めて多様な意見が自由闊達に交わされる、以前の都立高校の気風を取り戻したいという願いも、裁判官に伝わったでしょうか。山本弁護士に導かれて夢中でしゃべった25分強でした。
 10.23通達に震え上がり予防訴訟に加わった日から今日まで、自分一人ではとてもやって来られなかった。4次原告の仲間、弁護団の先生方、応援して下さる方々に心から感謝した一日でした。
 ○原告B 今回、尋問の機会を与えられ、裁判長に既存判決枠組を超える判決を書かせる訴えができたかどうかを振り返る。
 白井弁護士の指導を受け、尋問趣旨が理解できたので、緊張することなく証言できた。私の場合、起立・斉唱の職務命令が存在しなかったことを訴えた。ただ一点後悔するのは、反対尋問で十分な対応が出来なかったことだ。
 都側代理人による「職務命令書は誰が見ても明白でなくてはならないのでは?」「職務命令書に優先順位が明記されているか?」「具体的に『記録係』という文字の記載がある職務命令書は存在したのか?」等の反対尋問に対し、私は「職務命令の発出者は校長である。その校長がロ頭で説明していることこそが事実である。校長に職務命令書を出させている都教委としては、都教委の都合で解釈したいだろうが、現実は違うのだ。」と答えるチャンスを逃してしまった。
 今更主張はできないが、補充陳述書を出したいほど後悔している。

 ○原告C 再発防止研修では、同じような内容をしっこく繰り返され、研修環境も人権への配慮に欠けていたと訴えました。経済的損失、担任になれない不利益、教師の起立は生徒への強制であること等も説明しました。
 こちら側が「問題だ!」と思っていることを、果たして裁判官は「なるほど問題だ」と思ってくれたでしょうか?何が裁判官の心にヒットするのか分からないまま、自分の経験と民主主義的感性で一生懸命主張しました。裁判って手探りなのだなあ、という実感・不安・希望。
 「座っているだけで処分されるのはおかしいのでは?」「晴れの卒業式で生徒が心に痛手を負う(尊厳を踏みにじられる)のはおかしいのでは?」「宗教の自由を保障しておきながら不起立を罰するのはおかしいのでは?」そんな普通の疑問に、裁判所が「そうだね、おかしいね。」と回答してくれる日を夢見ています。
 金井弁護士にお世話になり、他の方々の尋問に励まされながら何とかやれた本人尋問でした。(最近できた円形脱毛症はこのせい?)
 ○原告D 大法廷がスカスカじゃまずいよね、何とか満杯にしたい、ということで、数少ない知人友人に声をかけた。それと卒業生。彼らに「裁判やっていて、私が証人尋問に立つから東京地方裁判所に来てね」と連絡。
 いやあ、最初はビビりましたね。だって裁判をやっていること自体彼らは知らないし・・。でもしょうがないじゃん、空席が目立ったらインパクトないでしょ。「ドン引き」されること覚悟でどんどん手紙出しちゃえ、のノリで、近しい卒業生に「お誘い」を出しまくったのでありました。
 でも来ないよな一、東京地裁なんて、聞いただけでいかめしいもん一と心のどこかであきらめていた。
 そこに一人からメール。「お手紙いただきました。11日ですね。仕事のシフトを確認して、可能なら行きます」驚き!Y君であった。
 彼は四〇代で、タクシーの運転手をしている。無類のお人よしだが、親が宗教団体に属していることもあり、「君が代」裁判に関心を持つとは到底思えなかった。尋問の前日に彼から再度のメール。「先生、明日は日比谷公園の隣でしたか」。
 え一っ、本当に来てくれるの?にわかには信じがたかった。・・しかし、彼は来た。姿がはっきり見えた。終了時、すでに彼の姿はなかった。夜、メールで感想が・・。
 ○原告E 「座っただけで処分するなんておかしいよね。」本人尋問から数日たったある日、私が教室に入ると生徒の一人がいきなり話しかけてきた。
 私は尋問の日、授業で「今日私は法廷で証言してくる」と話してきたのだが、「処分するなんておかしい」と言ってきたのは、私が話したクラスの生徒ではない。
 生徒たちの中に、私のしている裁判のことが少しでも広まってくれていたら嬉しい。もう一つ嬉しかったことは、今まで勤務したすべての学校の元同僚が傍聴に来てくれたこと。
 法廷の空席を減らすため、私は元同僚や友人に手紙・ハガキ・メールを必死で送っていた。教育とか学校とかとはまるで関係のない友人や、友人の友人も来てくれた。中川教授の証人尋問にまで来てくれた友人もいた。
 私が今回の尋問で話さなければならなかったことは、10.23通達によって都立高校がどのように変わったのかということ。これをわかりやすく「なるほど」と相手を納得させるように話すことは難しい。担当の平松弁護士と二人ですごく悩んだ。
 そんなとき、10.23通達とはまさにこういうことだったんだ、と思わせるような出来事が職場で起こった。同僚との何気ない会話の中でも、同僚が私にたくさんのヒントをくれた。そのおかげで、今まで経験したことがないほどの緊張を味わったけれど、自分の言いたかったことを言い切ることができてすっきりした。
 私たちは孤立しているわけではない。いつも多くの人たちに支えられていると、また感じることができた法廷だった。
 ○原告F 卒・入学式で一度も起立しなかった事実と予行で一度起立した事実に着目して、キリスト者としての内面の苦悩を主尋問に据えた本人尋問でした。
 時間年休をとることで、職務命令違反を免れていたのが、異動した学校では認められず、そればかりか卒業式に出席させない策略までもが練られていました。追い詰められたなかで、予行で立ってしまいました。
 もともと10・23通達後は卒業式練習が始まると体調不良になっていましたが、この起立が、自分の信仰を裏切ったと苦しめたのです。卒業式で不起立したことで、精神の安定は得られました。
 でも、一度の起立が九年も経つ今でも、私の心の傷となって苦しめているのです。だからそのことに触れられると、やっとできた心のかさぶたがはがれて血を流してしまうのです。本人尋問を終えてほっとしたあとで、あの時の心の痛みがまた襲ってきました。裁判に生かされんことを祈ります。
『被処分者の会通信 第109号』(2017.1.24)

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