パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

いま変わらないとほんとに終わってしまう<3>

2011年09月16日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ オキナワ、フクシマ、そしてヒノキミ<3>
 ―― いま変わらないとほんとに終わってしまう ――


 ◆ フクシマ、オキナワ

 人々の意識に直接働きかける場面ではなく社会生活の実体的な場面として、今日の福島の事態は、原発が戦後日本社会の支配構造に深く関わっていることを露わにしました(佐々木賢『教育×原発』青土社 2011年)。
 「原子力の平和利用」を唱えるアメリカに追随して原発を推進する政治家や政府官僚、重大な危険性を指摘する研究者を排除し「安全神話」に加担する学界、電力会社や原発を製造する電機会社、ゼネコン、それに地元の建設会社など中小零細企業、これらが利権や地位などうまみに群がって固く結びついてきました。危険な原発を地方に回して大都市圏での電力の一層の消費を促す。その見返りに何兆円もの国家予算を交付金としてばらまく。ばらまいたお金は電気料金や税金等として再び吸い上げる。またゼネコンの懐に入っていく。地方では利権の一部にありつける者がいる一方で、被曝労働につく他ない者も出てくる。これは何重にもはりめぐらされた支配被支配の関係です
 そして最高裁は、原発の設置許可の取り消しや建設・運転の差し止めを求める地域住民等の訴えを、ことごとく退けて来たのです。
 同じことが沖縄の基地問題についても言えます。安保条約の下、日本におかれた米軍基地の4分の3近くが押し付けられ、その見返りに国が巨額の予算を付ける。アメリカの世界戦略とも絡み合い、政府官僚や巨大資本が地元の政治家や企業を巻き込んで暗躍し利権を分け合う。丁度二年前、普天間基地の辺野古への移転ではなく、国外(最低でも県外)への移転を主要な公約の一つに掲げ、政権交代を果たして首相の座についた鳩山由紀夫氏が、あえなく挫折して昨年退陣に追い込まれたのも、支配層内部からの編成替えの動きとはいえ、この国の支配構造の岩盤にぶち当たったからでしょう。今年は菅直人氏が脱原発問題でこの岩盤にぶち当たって退陣を余儀なくされたのです。民主党政権の普天間基地移転問題への対応は自公政権時と大差がなくなり、後継の首相候補で脱原発を語る人が一人もいないことに、岩盤の固さを伺うことができます。両氏の政治家としての資質や力量の問題にして非難に終始するのは、マスコミなどを通した「心性操作」(佐々木賢)によって、問題の根本から目を逸らされているからです。
 オキナワ、フクシマ、そしてヒノキミ。民主主義の装いをまとった戦後日本社会の支配の構造や仕掛けが今露になってきました。それを丸ごと白日の下に引きずり出さなければ、多数派による支配秩序維持の手続きに堕した民主主義を、少数者の存在を尊重させるものに改めることはできません。丸ごと認識できてこそ、何をどう変えればいいのかが見えてくるはずだからです。
 「日の丸・君が代」の強制にかかわる最高裁の一連の判決は、式典場面での厳粛な秩序の維持を判断の根底においています。同様に福島からの住民避難に対する政府の指示は、放射能汚染の危険から人々の命を守ることよりも、大混乱を避け社会秩序を維持することを根底において判断されたものです。そのために子ども達をはじめ人々が見殺しにされているのです。
 3月11日の後、政府は、原発事故の情報を小出しにし「直ちに人体に影響はない」と繰り返して、なるべく小さく限定された地域の問題のように見せようと努めていました。しかし、放射能汚染は決して原発周辺の地域に限った問題でないことは、5月にNHKがテレビ放送した「ネットワークでつくる放射能汚染地図」などで次第に明らかになってきました。この番組は、チェルノブイリの汚染状況の調査にもあたった木村真三氏と岡野眞治氏の二人の研究者が、広島や長崎などの大学の研究者の協力を得て、独自に福島県内の汚染地図を作成する過程を映し出しました。福島第一原発を起点に半径20キロ圏など、機械的に線引きをして避難区域などを定め、その区域外に居れば安全かのように思わせたことで、避難したにもかかわらず、かえって大量の放射能汚染にさらされた人達がでたのです。文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(スピーディ)」は、汚染の広がりを予測しながら避難に際して活かされることがなかったばかりか、その情報自体なかなか公開されなかったのです。
 厚生労働省の研究所に勤めていた木村真三氏は、上司から「自発的な調査をしないよう指示」を受けました。それで調査に入るために退職を決意したのです。彼には妻と3歳の娘がいます。勤めをやめれば安定した生活を失うでしょう。しかし、放射線被害の影響の大きい幼子を守るために、研究者としてどうすべきなのか考えたのだと思います
 ◆ 敗戦時の権力の動き
 人々が見殺しにされるのは66年前、「敗戦は必至」(近衛文麿上奏文)と認めつつも「国体護持」に拘り抜いて、原爆投下や旧ソ連の参戦等を招いた惨劇と共通しています。少なくともポツダム宣言が通告された時点(1945年7月26日)でこれを受け入れていれば、広島、長崎の被爆者も、8月15日まで続いた地方都市の空襲被害者も、中国残留孤児も、シベリア抑留も、朝鮮半島の南北分断もなかったのです。
 今年の8月6日夜、テレビで放映されたNHKの番組「原爆投下 活かされなかった極秘情報」は、テニアン島から飛び立った原爆投下機の動きを、日本側が察知していたことを明らかにしました。8月6日未明には広島への不審なB29の接近が、同9日には同様な動きを示すB29の九州への接近が、軍上層部に情報として届けられていたのです。長崎については、迎撃のため待機していた戦闘機のパイロットの証言もありました。しかし、大本営から何も指示はなかったのです。この時大本営は、9日午前零時をもって、旧ソ連の大軍が旧満州国境を越えて参戦してきたことへの対応に追われていました。原爆投下よりも旧ソ連の参戦が大本営にとって驚愕すべきことだったのです。
 それはアメリカとの戦争直前まで首相を務めた近衛の上奏文に述べられているとおり、敗戦よりも、敗戦に伴って勃発するかもしれない共産主義革命を、戦争指導者達は何よりも恐れていたことからも分かります。革命が起これば、国体の解体、つまり天皇制が廃止されます。旧ソ連軍によって占領されても同じです。彼らは人々の犠牲が次々と拡大することよりも、いかにして天皇制を維持するかに固執していたのです。昭和天皇の「聖断」は、旧ソ連の参戦を受けてアメリカに天皇制の維持を打診した後で下されたものであることは、藤原彰氏の研究に明らかです(『岩波講座日本歴史』22巻 1977年)。
 ◆ 解かることは変わること
 学校は、支配層にとって多数派を形成するための「心性操作」の主要な舞台です。子どもや若者に、この社会の仕組みを前提にしたものの見方、考え方、そして生き方を身に付けさせる場所です。しかし実は多数派などそもそも存在しません。存在するのは各地域で様々な条件の下で生きている人達です。今日の経済成長の過程で、その人達の中から、ある時は公害、ある時は薬害、またある時はダムや空港などの公共事業等々で、場所を替え人を替えて身体や生活基盤に深刻な影響を受ける人達が出て来ます。彼らを全体から切り離し少数派として括り出すことで、その反面に多数派の幻想が生まれます。自分は彼らとは無縁であり、社会の繁栄を享受して安定した生活を過ごしている側にいるという思い込みが、彼らが晒されている危険がそのまま、あるいは違う形で自分達の隣にあることを見えなくさせてしまうのです。人々の生命や暮らしを守ることよりも、社会秩序の維持を最優先する権力の側、支配の側に包み込まれてしまうのです。
 もちろん、誰にでも生活の現実があります。安定した生活をそれなりに送れるに越したことはありません。しかし自分達の安定した生活が、実は他人の不安定な生活と組み合わされているとしたらそれでいいのでしょうか。今の快適な生活のために、ずっと先の世代にまで危険を押し付けていいのでしょうか。30年間原発を動かすために、10万年も放射性廃棄物を管理することをおかしいと感じないことに、豊かさをむさぼる今日の社会の異常さが表れています。3月11日の大地震大津波による福島の原発事故は、目を覚ませと、私達を揺さぶっていると受け止めるべきではないでしょうか
 「解かるということはそれによって自分が変わるということでしょう」。これは阿部謹也氏が一橋大学の学生当時、ゼミで上原専禄氏から教えられた言葉です(同氏著『歴史のなかに自分を読む』筑摩書房 1988年)。何かを学ぶ。学んで何かが解かる。解ったことで自分の生き方が変わる。生き方が変わらないようではまだ解かってはいない。解るまで学んではいないということでしょうか。学ぶことが生き方にかかわることなのだと気づかされる言葉です。
 フクシマ、オキナワ、そしてヒノキミ。学べば学ぶほどそのおかしさ、危険性が解かります。私は、おかしい、このままでは危険だと自分が受け止めたことに、沈黙することで、同意を与えるばかりか加担してしまうような生き方はしたくないのです。次の時代を生きる自分の子どもや孫、目の前にいる生徒達に申し開きができるような生き方をしたいのです。とはいえできることはささやかです。署名したり、集会に参加したり、こうやって原稿を書くことが精一杯のところです。それでも、無理せず、あきらめずにできることはしていきたい。少なくとも「なぜ」「どうして」という疑問は失わずにいたいのです。
 最高裁判決には厳しいものがあります。しかしだからといって黙り込んでしまったのでは同意を与えることになります。それでは裁判を起こした責任を果たせません。地裁でも高裁でも最高裁でもまだまだ裁判は続きます。弁護士さん達の力を借りて、私達がなぜ職務命令に従えなかったのか、従えばどんな危険をこの社会にもたらすのか主張を尽くしたい、少数者の存在が尊重される時代への手がかりを残したいのです。  <2011/9/11>
 (終)

『都高退教ニュース』(2011/9/5 NO.79)

コメント    この記事についてブログを書く
« いま変わらないとほんとに終... | トップ | 教育公費支出 日本また最下位 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事